東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

清原と桑田、悪いのはどっち?

2016年03月28日 | 日記

 清原だ、ベッキーだと相変わらず誰かがマスコミの矢面にされている。何かに依存したり、誰かが好きになってしまったりということは誰にもある。それが社会的に、あるいは道義的に多少の問題はあったにしても、誰にでもおこりうることで、彼ら、彼女らを責め立てるあなたはいったいどうなのかと言いたくなってしまう。姦淫の罪を犯した女性がイエスキリストの前に連れて来られ、「この女を石で撃ち殺せ」と会衆が騒いでいたとき、イエスは言った。「あなたがたの中で罪を犯したことのない者がこの女に石を投げなさい」と。そう言われて、会衆は一人、二人とその場を去っていったという。
 人は、心の隙間を埋めたいという思いからか、何かに依存してしまう弱さをもっている。それが、たばこであったり、酒であったり。ギャンブルであったりする。法に触れない範囲ならそれは警察につかまらないだろうが、それでも行き過ぎて、家族や周りの人たちに大変な思いをさせるという話は身近にもたくさんある。覚醒剤だけが問題ではない。
 覚醒剤の場合は、その依存性の強さや体への影響の大きさから法的にも規制されているので、それが見つかった場合問題にされるのは分からないでもないが、清原選手の場合など、それによって周りに莫大な損害を与えたとか、誰かを傷つけたとかいうわけでもないのに、ここまで問題にされるのを見ていて、かえって心が痛んでしまう。
 スポーツ選手を目指す純粋な子どもたちをがっかりさせたとかも言われているが、法に触れないまでも子どもたちの心をくじくような悪いことをやっているスポーツマンは他にいっぱいいるではないかと思ってしまう。
 今回の清原選手のことで、対照的な形で登場しているのが桑田選手。心配して清原にコンタクトをとっていたが、彼の方から関係を切ってきたと、良い子ぷって言っていた。何を言っているのだ。だいたい、清原選手がここまで追い込まれた大元は桑田にあったのではないのかと思う。
 覚醒剤はやってはいけないが、友だちを裏切るのは良いのだろうか。巨人に入りたかった清原に隠して自分は巨人軍と密約を結び、早稲田に行くと球界を騙し、ドラフト会議では単独指名で巨人入り。その巨人は、あの江川問題など、まさにスポーツマンシップに反するやり方でプロ野球界を黒い霧で包んできた。この方がよほど子どもたちに悪影響を及ぼす。ずるをしても勝てばいいんだと。最近は、野球賭博も問題になっている。
 その巨人軍、桑田が清原のことについて何を言っても説得力はない。その後仲良くなったように見えた二人だが、本当にそうだったのだろうか。桑田はあのときのことを清原に、あるいはファンに心からあやまったのだろうか。
 人の心を傷つけることに比べたら、覚醒剤はまだゆるせると、私は思ってしまう。でも、清原選手。負けないで立ち直って欲しい。あなたは球界を代表するプロ野球選手であることは今も変わらないから。
(サザンカ)


ゲイとノンケ

2016年03月25日 | 日記

 「一度、ゲイバーってとこに行ってみたいんスよねぇ」。
 休憩時間の職員室、若い同僚に言われた。四月に新しい職場に移り、人権・同和問題に関する職員研修はやっとかないとな、とミニ校内研修会を持った時に自分がゲイであることをカミングアウトしておいたのだけれど、それからしばらくしての会話である。
 「そりゃ、連れて行く分には構わないけど、小料理屋のカウンターの中の人が男ってだけで、特に何の変わりもないよ」「でも、何でも経験じゃないっスか」「多分普通すぎてがっかりするよ(笑)」。
 ――ゲイコミュニティを知らない異性愛者(通称「ノンケ」)だと、そう考える人もまあいるのだろうなあ、と思う。ゲイの仲間内でそれと分かるように「お約束」なイデタチをしてアピールする人以外は、同じゲイが見たって外見からじゃわかりはしない。ごくごくありふれた一般人なのだけど、やはり「特別なヒトたち」という意識を持っちゃうのだろう。「ゲイはセンスが良くておしゃれで」そういう言説も聞くがこれも困る。先日、ゲイのタレントがそう書いたネット記事が批判されたが、ゲイに限らず、そんなセンスがいい人なんて少数だ。僕なんていっつもズボンずり下がっちゃってるしね。
(観賞用ミニパイナップル)


介護保険制度が大きく変わります!

2016年03月21日 | 日記

 保険という字は、危険と保障を合成した言葉とも言われている。介護を受けなければならなくなる危険に対して社会的に保障するのが介護保険制度だ。
 40歳になると結構高額の介護保険料が給料からひかれるが、元気な時は保険料を取られるだけでピンとこない。でも親の介護などを体験すると、この制度の重要性がよく分かる。
 この10年で、国民の3人に1人が高齢者の時代になり、介護が必要な人も75歳以上では30%以上になるため介護保険は年金同様に財政的に厳しくなっている。そのため、介護保険制度も財政的理由から見直され
①給付の重点化と効率化、
②費用負担の公平化(自己負担増)、
③地域包括ケアシステムの構築
が法改正で行われることになりました。

 どのように変わるのか、どんな問題があるのか?
①予防給付(要支援)が廃止されて、市区町村事業に移行される。
 市町村の財政状況や事業方針によって訪問介護やディケア(通所介護)に格差が生じるおそれがある。
 また、市町村の窓口で25項目のチェックリストによるサービスの振り分けが行われ、認知症等の初期診断が困難になる。(窓口に行くときは、必ず近親者が同行して実情を話した方がいいです。)
②給付の重点化と効率化は、負担増と給付抑制につながる。
 特別養護老人ホーム(特養)への入所基準が原則要介護3以上となり、今以上に入所が困難になる。
 収入・資産調査を行い、所得によるサービス利用時の負担率引き上げ(合計所得280万円以上で自己負担1割→2割)、補助対象除外者が増える。
などの問題が指摘されています。
 親などの介護に直面している人は、地元の自治体に予防介護(地域包括ケアシステム)をどのように行うか、地域包括センターはどこにあるのかを問い合わせてみましょう。


原発のない福島を取り戻そう!

2016年03月18日 | 日記

 東京電力福島第一原子力発電所の事故から丸五年が経過する3月12日、五回目となる「原発のない福島を!県民大集会」が開催されました。東京教祖は、第一回目から「福島連帯行動」として、チャーターバスによる参加を続けています。年度末の多忙な時期ですが、今回もOBを中心に25名が参加しました。
 午前8時、新宿西口に集合した参加者を乗せたバスは、一路、会場となる開成山競技場を目指しました。車内では、「チェルノブイリ28年目の子供たち2」と「放射能から子供たちを守れ~福島の闘い」のDVDを見て、福島の現実についての学習をしました。12時前に、郡山市の開成山競技場に到着し、集会に臨みました。
 実行委員長の角田政志県平和フォーラム代表は「本県の原発事故の責任を認め、原子力政策を見直すよう政府に求めていく」と主張した。挨拶にたった「さようなら原発1千万人署名市民の会」の呼びかけ人のひとりである鎌田慧さんは「福島の人々の悲しさ苦しさを自分のものとしてやっていきたい。今は時代の転機です。金とか利潤とか儲けとかそういったものが最大の価値観ではない。そうした集会であり、今日の集会のあと3月26日の東京を目指す『押し出し』です。それは足尾鉱毒事件の歴史に習うものです。県民が社会に向かって訴える。福島の人々の苦しい思いを共有し少しの時間でも参加して欲しい。」と述べました。集会では、被災者や高校生平和大使の発言のあと、東京電力福島第一原発事故を教訓に、県内で原子力発電を将来にわたり実施しないことや福島第二原発の即時廃炉などを訴える集会アピールを採択しました。今回の集会には、県平和フォーラム、県漁連、県女性団体連絡協議会、県森林組合連合会など県内の各種団体で構成する実行委員会の主催。今年で5回目で、県内外から約6千人が参加しました。集会の最後には、「原発NO!」のアピールカードを参加者が一斉に掲げ、「原発いらない!原発なくそう!ふるさと返せ!健康守れ!」などとコールを行いました。集会終了後、参加者は、開成山公園の周回道路をデモ行進しました。


ちょっとお奨め

2016年03月14日 | 日記

最近読んだ本から、ちょっとお奨め本を4冊

街場の戦争論(内田樹、ミシマ社)
 内田が語る、想像力の使い方は、政治、経済、組織論に及ぶ。違う視点で世界を見たとき目が開かれるとは、まさにこのことだと納得する。
 各章は、・過去についての想像力(1942年に降伏・講和していたら…)、・ほんとうの日本人(敗戦を受け止めること、次は勝つ気概)、・株式会社化する日本政治(民主性も立憲主義も意思決定を遅らせるためのシステム)・働くこと、学ぶこと(キャリアのドアにはノブがついていない、ドアが空いたら働く、請われること)・インテリジェンスとは(経済成長は戦争、日本は豊かな国民資源の活用を。スパイの暗躍は平和をもたらす。命より金が大事は平時モードの発想、それこそ平和ボケ)など至言の数々に出会った。
もう一つ、内田の著作。

憲法の「空語」を充たすために(内田樹、かもがわ出版)
 2014年5月3日の兵庫県憲法会議の講演会だ。まさしく、憲法の落とし穴をわかりやすく、目からうろこの論理もまじえて論じた講演。
 のっけから、憲法制定時に日本国民はいなかった。という立論から始まる。確かにそうだ。
 そして、今や日本は安倍政権によって「法治国家から人治国家へ」移行しつつあり、排外主義的傾向、強権的体質、非寛容、暴力性だけを抽出した畸形的なイデオロギーとしてのナショナリズムが、グローバル資本主義を補完している構造だと説く。明快ではないか。

バカになったか、日本人(橋本治、集英社)。
 文学者の時事放談エッセイをまとめたものだが、率直に大震災から憲法改正までに至る危機意識を述べている。誰も望んでいない方向に、議論の仕方を忘れた日本人を導く政治の有り様に警鐘を鳴らす一冊になっている。「私たちに任せておけばいいんです。国民は余分な心配をしなくてもいいのです」という国家秘密法に対する指摘は分かりやすい。

社会を変えるには(小熊英二、講談社現代新書)
 社会変革の良き教科書であり、歴史書でもある。その上で脱原発運動を新しい日本の社会運動の萌芽ととらえ、日本社会を変える鍵の一つがこの運動にあることを解き明かしている。ベック(独)の「リスク社会」を下敷にリスク(人災)に対し責任追及と避難行動に立ち上がる。ドイツでは、緑の党の躍進に繋がったと述べている。「教師の役割は、教師を必要としない人間をつくることだ」は明言である。6章で様々な運動のあり方を紹介しているが、保護から活性化、自発的結社の活用など興味深い。「君たちは自由にやってくれ、お金とチャンスは用意する」という上司は好かれる。「私の仕事は大変だから下働きをしてくれ。だけど勝手なことはするな」という上司は嫌われる。分権を進めて参加をうながしたほうが、正統性が増し、かえって中枢の権威を強める。役に立たない余計者がいて組織は活性化する。効率化し、無駄や異論を排除した組織は、環境の変化や想定外の事態に弱い子とは組織論の常識。世の中にむだな人間はいないのは、プラトン(統治、戦士、生産者それぞれの階級は、その魂がそれぞれの形で現れたものであり、どれも国家に必要で、その調和が正義・イデアの実現)以来の常識でもある。「われわれ」は崩壊し、また創造される。これから社会を変える「われわれ」をどう形成するかを問う力作である。
(オオバギボウシ)


被災者の誰もが取り残されないようなとりくみを続けよう

2016年03月11日 | 日記

3.11東日本大震災から5年が過ぎようとしています。被災地では、防潮堤建設やかさ上げ工事などはある程度進み、新しい街のかたちが見えてきたところもあります。しかし、未だに多くの問題が山積みとなっているのが現状です。特に福島第一原子力発電所の事故のあった福島県では、復興のめどが立っていないのが現実です。避難者数は、昨年9月時点でも23万人といわれ、県外避難者数は、岩手県1,452人、宮城県7,009人、福島県45,735人となっています。今後も継続した支援、とりわけ福島を支援する活動と事業をすすめるとともに、東日本大震災を忘れない・風化させないとりくみをすすめていかなければなりません。東日本大震災の支援では、「被災者の誰もが取り残されない」よう、地域の実情と被災地の要請に合わせた支援が大切です。

私たち東京教組は、「東北を忘れない、忘れさせない!」を合い言葉に、この5年間様々なとりくみを続けてきました。福島については、脱原発に向けた学習会をくり返し行い、さらに福島県民集会には、毎年貸し切りバスで多くの組合員が参加してきました。今年も明日12日の集会に向けて朝8時に新宿をバスで出発します。

 東京教組は、ギリギリまで頑張っている方たちに対して、「がんばれ!」ではなく、私たち一人ひとりの被災地を思う気持ちを届けたいと思っています。今年も昨年に引き続き東京都学校生活協同組合のご協力で、「東北支援企画」を行いました。東北の商品を購入することで、東北の復興を支援する。そして、「お米券」を購入してもらい、福島県の仮設住宅の方たちにお米を届ける。今年も多くの組合員の皆さんにご協力をいただきました。

 東日本大震災は、けして過去の災害ではありません。被災者・被災地は未だ多くの困難を抱え、苦闘中です。被災地を忘れない、東日本大震災を忘れないことが被災地の方たちにとって大きな励ましとなります。これからも一緒に歩んでいきたいと思います。


暴走、迷走、暴言、妄言

2016年03月11日 | 日記

 島尻沖縄・北方担当相が「歯舞群島」を読めず、高木復興担当相が疑惑追及されても閣僚のまま、甘利経済再生相が「口利き」で大臣辞任、宮崎衆院議員が女性問題で辞職など迷走する安倍政権だが、暴走する発言もすごいのでまとめてみた。

・原発事故によって死亡者が出ている状況ではない(高市政調会長、13年6月)
・ある日、気づいたらナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口を学んだらどうかね(麻生副総理、13年7月)
・最後は金目でしょ(汚染土の中間貯蔵施設建設をめぐって石原環境相、14年6月)
・現在の憲法をいかにこの法案に適応させていけばいいのか(中谷防衛相、14年6月)
・マスコミを懲らしめるには広告収入がなくなることが一番、(大西衆議院議員、15年6月)
・沖縄の特殊なメディア構造を作ってしまったのは戦後保守の堕落(長尾衆議院議員、15年6月)
・「だって戦争に行きたくないじゃん」という自己中心、極端に利己的考えに基づく。利己個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせい(武藤衆議院議員、15年7月)
・我が国を守るために必要な措置かどうかで法的安定性は関係ない(磯崎首相補佐官、15年7月)
・年間1ミリシーベルト以下は、何の科学的根拠もなく時の環境相が決めた(丸川環境相、16年2月)
・行政が何度要請しても全く改善しない放送局に何も対応しないとは約束できない、と電波停止命令の・可能性を示唆(高市総務相、16年2月)
・今、黒人の血を引く人が大統領になっている。これは奴隷ですよ、はっきり言って。(丸山衆議院議員、16年3月)
・日教組は本当に日本のがん。南京大虐殺はなく、従軍慰安婦はうそ(百田NHK経営委員)
・全く違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる…(追及されて)…数じゃないと思いますよ(菅官房長官、15年6月)
・弾薬は武器ではありません。弾薬は弾薬です。手りゅう弾、クラスター爆弾、劣化ウラン弾、大砲弾、ミサイル弾は武器でないから米軍に運搬。(中谷防衛相15年8月)
・中谷防衛相の答弁の間違いをめぐって「まあ、いいじゃん、そんなこと」「早く質問しろよ」「日教組どうすんだ日教組!」などの国会議場のヤジ(安倍首相、15年8月)

(イイギリ)


ゆっくり、ゆったり、身体も心もストレッチ!

2016年03月07日 | 日記

「ビギナーズヨガ教室講座」

 東京の教職員・OB/OGを対象にビギナーズヨガを企画しました。
 巷で大人気のヨガ。昨年に引き続き、今回講師として、お越し頂いたのは、ヨガインストラクターのRitsukoさん。Ritsukoさんのヨガとの出会いは、カナダでのワーキングホリデー中。ある時、腰を壊し、リハビリ目的でヨガを始めたことが、ヨガにはまったきっかけだったそうです。
日本に帰国後の現在、人生を変えたヨガの素晴らしさを伝えるために、ヨガインストラクターとして活動中です。
 さて、ヨガ教室の様子ですが、昨年は、一つ一つにもう少し動きがあったそうですが、今年は、幅広い年齢の人が出来る、ゆっくり、ゆったりとした動きを教えて頂きました。それは、『インドの伝統的ヨーガ』と呼ばれているものだそうです。この伝統的ヨーガでは、人格の最適化というものを実現することが出来るそうです。それは、つまり、どんな状況にもとらわれずに、最適な自己決定が出来る、ということです。
 人は、どうしても、物事に反応してしまい、心が波立つこともあります。その波立った心を穏やかにすると、物事をありのままに見て、最適な自己決定が出来るようになってくると言われているそうです。ヨガは、呼吸と共にゆっくり動くことで、体と心を観察し、沈静化させていきます。心を穏やかにし、最適な自己決定ができる状態を実現するのに、まさにぴったりな活動です。
 今回の講座では、体の声に耳を傾けることで、自分の癖に気づくことも出来ました。また、ゆったりとした時間の中で、自分の体と心に向き合うことも体験させてもらいました。こうすることで、深層意識に働きかけ、行動を変えることにも繋がっていくそうです。実際、ただの身体のストレッチではなく、心のストレッチにもなりました。参加者からも、「頭がすっきりした」「身も心も軽くなった」「気持ちよく眠れそう」など、大好評のビギナーズヨガでした。
 皆さんも、時には、自分自身の心と体の声に耳を傾け、日頃の様々なストレスから解放させてあげませんか。次回を、乞う期待!


税金で国家を養う国民

2016年03月04日 | 日記

 中学生も高校生も主権者として「憲法を守れ」「集団的自衛権はいらない」「戦争をしたがる総理はいらない」と声をあげている。
 2月21日、「T-ns SOWL」の一斉デモが全国10か所で開催され、「野党は共闘!選挙に行こうよ!」等と呼びかけた。
 昨年5月、「憲法のつどい2015鎌倉」が開催され、その時の浜矩子さん(マクロ経済分析、同志社大学教授)の講演が「民主主義をあきらめない」(岩波ブックレット)にまとめられている。浜さんは「グローバル時代の救世主、それが日本国憲法」と次のように、論じている。

 国家あるいは政府というものは、国民に奉仕するために存在する機関、仕組みであるということです。まともな国民国家において、国家というものは、国民を唯一にして最大の顧客、お客さまとするサービス事業者であるわけです。
 それが国家というものの役割であって、その最大のお客さまに対して、どれだけの顧客満足度を提供することができるか否かによって、国家というものの存在意義が決まります。われわれは、彼らがレベルの高いサービスをわれわれに提供してくれるということを前提に、税金を払って、国家というものを養っている。それが、近代的民主主義的な国民国家における、国民と国家の契約関係であると言えるのです。
 けれども、この関係を完全に逆転させて、国家のために国民が奉仕する、強い日本国を作るために国民がお国のために頑張らなければいけない、しかもアメリカに従属したかたちでそういう構図を彼らは作り上げようとしているのです。

 こうした構図に、主権者としてNOをつきつける若者たちを心強く思う。