選挙制度は、多数の主権者が少数の権力者を選出するしくみ。だから、主権者の民意が反映されなければならない。しかし、低投票率になるほど民意は反映されない。今回の衆議院選挙はその典型でもあった。自民党の全有権者に対する得票率は17%、自公あわせても24%だが、全議席の2/3を占める結果になった。
いとうせいこうさんが、選挙前に次のように投票を呼びかけている。
私が変わると「私たち」が変わる。
私が行かない投票には何千万人かが行かない。
私が行く投票には何千万人かが行く。
特に浮動票と言われる「私たち」は渡り鳥のようなものだとイメージしてもいい。渡り鳥は飛び立つ時間をあらかじめ知っているのではなく、みんなで行きつ戻りつするうち突然旅に出る。
その時、どの鳥が出発を決めたか。
最後はリーダーが決まってくるとしても、飛ぶ群れの起源を遡ればどうなるか。
「私」という一羽の鳥が、としか言えないのではないか。
ある種の「政治不信というキャンペーン」によって「無力」さを刷り込まれているのだ
さて、もしもあなたが「私たちが変わったところで政治家が変わらないのだから意味がない」と思うなら、それはそれである種の「政治不信というキャンペーン」によって「無力」さを刷り込まれているのだと私は考える。
国民が「政治不信」になればなるほど、組織票を持つ者が好き勝手にふるまえる。
むしろ無力なのは選挙に落ちるかもしれない政治家の方だということを思い出して欲しい。
選挙期間というのは「無力」さの逆転が起きる時間なのであり、結果を決めるのは例の「私たち」以外にない。
つまり「私」以外に。
その時「力」はどちらにあるか。
あなたにある。
これが選挙というものの恐るべき、スリリングな本質だ。
いとうせいこう
作家・クリエーター
【総選挙2014】一羽の鳥について(あらゆる選挙に寄せて)
リーダーに任せるのではなく、一羽の鳥として、選挙を考えることの大切さを痛感した。