東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

国家戦略特区で公立学校民営化

2014年03月31日 | インポート

Photo  国家戦略特区が発表され、教育について特区で「公設民営学校」を導入するというのがあった。
 簡単に言えば、公立学校の民営化することで、民間団体・企業が公立学校を経営するチャータースクールが日本でも導入されるということだ。

 一足早くチャータースクールを導入しているアメリカをレポートしている「(株)貧困大国アメリカ(堤未果著)」を読むとその実態がわかり、背筋が寒くなる。

 ブッシュ政権が導入した「落ちこぼれゼロ法」により各州や自治体、学校は教育予算をめぐってテストの点数を競うことになりった。低所得層の多い地域の教育を支えるのは公立学校だが、そこに市場原理を持ち込んだ〈落ちこぼれゼロ法〉では、生徒たちの点数が上がらなければ国からの予算が出ないだけでなく、その責任が学校と教師たちにかかるしくみだ。貧困家庭の生徒を多く抱える公立学校では平均点が上がらず、教員は解雇され、学校は廃校になる。そこに、銀行家や企業が経営するチャータースクール(営利学校)が建てられる。チャータースクールは、七年で元が取れることから、投資家にとって魅力的な「商品」だ。あくまでも教育ビジネスなので、学力も経済力も要求される。その結果、デトロイトでは教育難民となった子どもたらが路上にあふれ、失業した教師たちは州を出るか、食べていかれずにフードスタンプ(生活保護の食品券)を申請するという恐ろしい光景が現実になった。

 結局、教育の民営化、市場化は公教育を破壊して教育格差を作り出し、自治体の財政負担をさらに拡大させた。恩恵を受けたのは教育ビジネスで利益を得た投資家と大企業」という結果を招いた。
 ウィスコンシン州では「学校の選択制」「親に選択の自由を」というスローガンのもとに自由に学校を設立できる教育の民営化法案がだされた。子どもに教育券(バウチャー)が国・自治体から配布され、学校を選択して入学するという仕組みだ。

 このアメリカの悲惨な現実が、明日の日本にならぬよう、『公設民営学校』特区には十分な警戒が必要だ。

オブコニカ


気になる科学

2014年03月28日 | インポート

Photo  生殖補助医療技術の発達は目覚ましく、不妊治療、体外受精などによって待望の子どもを授かることができるようになった。一方、この技術の発達に人間が振り回される事態も生まれている。
 特に、「障害」の有無が分かる着床前診断や出生前診断はいのちをどう考えるかが問われ、「障害」者差別と直接結びつく問題である。
 着床前診断の場合は、異常が見つかった受精卵は廃棄し、妊娠後の出生前診断でおなかの子どもに先天異常があれば、人工妊娠中絶も可能になる。「産む」か「廃棄、中絶するか」を判断するにはとてつもない重い責任を負わなければならない。しかし、生殖医療は人の「願い」に応えるため次々に新しい技術を生み出す。自分の卵子、子宮が使えないから他人の卵子、子宮で。「障害」のない子ども。できれば男、できれば女。遺伝疾患がないほうがと「願い」と「技術」は膨らみ続ける。
 その過酷な現実を毎日新聞の元村有希子記者が紹介している。(気になる科学・毎日新聞社)

 あるカップルは、妻が遺伝疾患を持っていた。羊水を調べたら、赤ちゃんにも同じ病気が見つかった。どうするか。家族会議が開かれた。
 天井につけられたカメラが、その様子をとらえている。
 「この病気を抱えて生きていくことの苦労は、あなたが一番よく知っている。それに、病気を抱えた孫の世話は、私たちには無理」。夫の親が口火を切った。
 「でも、ずっと欲しいと思って頑張って授かった子だから」と夫。妻の母親が「あなたが決めればいいのだから」と助け船を出すが、妻は一言も発しない。
 のちのインタビューで、妻は「あの時、自分も赤ちゃんも一緒に死にたかった」と振り返った。彼女にとっては、自分と同じ病を持った子供を「あきらめろ」と言われることは、病気と共に生きてきた自分の人生が否定されることでもあった。
 結局、この夫婦は子どもを産むことを選んだ。赤ちゃんはやがて母親と同じ病気を発症する。それでも授かったいのちを受け入れる決断をしたのだった。
 出生前診断を受けた別の女性は「こんな技術、なければいい」と憤ってみせた。
 「ただでさえ妊娠・出産は女性にとって大変な仕事。十ヵ月間、赤ちゃんのことだけ考えて過ごしたいのに、出生前診断という技術があるばかりに悩みが増える。診断を受けるか受けないか。結果を知りたいか知りたくないか。結果が良くなかったらどうするか。そんな余計な悩みや苦しみを、何の権利があって妊婦に強いるのですか」
 そのとおりだと思う。技術がある、というだけで、時に「使わないのはおかしい」という心理的な抑圧になりうる。恩恵とリスクとを理解した上でその技術をあえて使わない智恵こそ、私たちがこれから身につけるべきものかもしれない。
 二〇一二年、より進歩した出生前診断技術が米国から日本にもたらされた。妊娠十週から受けられ、羊水ではなく妊婦の血液を少量採って調べるだけで、生まれる子がダウン症かどうか、高い確率でわかるという。国内十以上の医療機関が試験的に実施する意向を表明しており、早晩、現場に普及していくだろう。日本では、妊娠二十一週までは人工妊娠中絶を選べる。ダウン症の子を「なし」にできる可能性があるこの技術は、かなり剣呑だと私は思う。
 「おめでたです」と告げられた場で「ついでに受けておきますか」と聞かれ、血液を採って調べたら「残念ですがダウン症でした。どうなさいますか」と判断を迫られる。こんなドライブスルーみたいな世界が現実になりかねない。
 二分脊椎という先天疾患を公表して活動している鈴木信行さんという人がいる。彼は、自分が不妊であることや、出生前診断で選別される病気であることを踏まえてこうつづっている。
 「先天疾患を持つ人間はこの世に不要であろうか? 生きる価値はないのだろうか? 価値を、その夫婦だけでなく親族や医療者などが集結しても見いだせないとすれば、その個人や医療者の問題ではなく社会が貧弱であると、私は感じる。」

 こうした事実から、「出生前診断」は、「障害」者差別の問題であり、その技術を生み出した科学者の倫理が問われる問題である。差別は、差別する人、差別する社会が乗り越えなければ解決しない。科学技術そのものに罪はないとしても、「障害」を持つ人が差別ゆえに抹殺させられる社会では「出生前診断」は人権侵害技術と断罪されうる。
(精子発見の銀杏の木・小石川植物園)


ウリハッキョ

2014年03月27日 | インポート
30 朝鮮学校のことをウリハッキョ(私たちの学校)と呼ぶ。何代にもわたってアボジやオモニ、先輩たちが築いてきたと言う自負と誇りから、そう呼ぶのだと思う。
 そのウリハッキョ(小学校)では、毎年夏の3日間ウリハッキョだけのサッカー全国大会が、大阪のJグリーンのピッチを何面も借りきって開催される。コマチュック中央大会という。
 優勝したチームは、平壌を訪れ朝鮮の小学生たちと試合をし、交流を深めるのが恒例となっている。
 2011年の優勝チームが平壌を訪れた時のエピソードだ。
 たまたま日朝戦で来ていた在日Jリーガーであり朝鮮代表の鄭大世や安英学が小学生の宿舎を訪れ、子どもたちは大喜びだったという。その翌日には李忠成(日本代表・浦和レッズ)が子どもたちの宿舎を訪れ、子どもたちを日本代表の選手たちが乗っている移動用のバスに連れて行き、当時の日本代表選手たちに「この子たち、俺の後輩なんだ!」と紹介した。日本代表の選手たちは、子どもたちを大いに歓迎してくれ、ひとりひとりと握手してくれた。勿論、子どもたちは大興奮だった。
 鄭大世も安英学も李忠成もウリハッキョが生んだ名サッカー選手である。後輩を大事に思い、誰より日朝友好親善を願っている人たちだと思う。
 外国人を排除する「Japanese Only」を掲げる悲しい差別を乗り越え、朝鮮学校への差別をなくす日本でありたい。
(杏の蜜を吸うメジロ)


差別に加担するとは?

2014年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム

23日日曜日のスポーツニュースで、サッカーJ1の浦和レッズ対清水エスパルスの試合が「無観客試合」となったことが報じられていた。3月14日のホームゲームで浦和のサポーターがゴール裏への入場口に掲げた「Japanese Only」という横断幕が差別に当たるということと、それを試合終了まで放置したことが、きっかけだった。ニュースでは、「差別的な掲示を試合終了まで放置してしまったことは、チームが差別に加担することになるから、厳しい処分となった」と解説されていた。

差別があった時にそれを放置する、見逃すことは差別に加担することだという認識が、もっと広まってほしいと思う。今この国に広がりつつある排外主義やナショナリズムに対する警鐘となってほしい。「嫌韓」「嫌中」をあおっているマスコミは、どう考えているのだろうか?横断幕を掲げたサポーターにしても、そうした雰囲気にあおられていたかもしれない。

元サッカー日本代表監督のイビチャ・オシムさんは、インタビューの中で次のように述べている。
「言葉は極めて重要だ。そして、銃器のように危険でもある。(中略)新聞記者は、戦争を始めることができる。意図を持てば、世の中を危険な方向に導けるのだから。ユーゴの戦争だって、そこから始まった部分がある。」(オシムの言葉より)Photo

サッカーという世界につながっているスポーツだからこそ、今回のことが大きな問題となった。差別について、差別に加担するということについて、さらに考えてみたいと思う。

                                             (沈丁花)


追悼 上杉裕之さん

2014年03月24日 | インポート

Photo  優れた音楽家、指揮者であり、世田谷区議会議員も務めた政治家でもある上杉裕之さんが、3月19日午前1時12分、急逝された。
 東日本大震災直後から陸前高田におもむき災害ボランティアスタッフとして地元の皆さんと力を合わせて復興にとりくんだ上杉裕之さんは、

スタッフとして働いた111日間。スタッフは善意だけを持ち寄り、全国全世界から来られたボランティアを、ボランティアセンターの現場活動班、「仲間」と呼ぶ。「いったん皆さんの地元に帰ったら、陸高に繋がる仲間を増やして来て下さい」。だからお見送りは常に「いってらっしゃい」。見えなくなるまで手を振る。 「つないで陸高、なじょにがすっぺ」。

 と語り、その後も何度も東北を訪れた。これからやりたいことを山ほど語っていた。50歳の若さだった。多くの仲間に、これからの活躍を期待されていたのに、残念でならない。
 岩手県の大槌町で子どもたちの音楽を育むエル・システマの活動中に倒れてしまった。地元世田谷では、楽友協会で福祉と音楽のまちづくりにも取り組み、区議会議員として再起を図る意欲に燃えていた矢先の急逝だった。
 多くの友人たちからその逝去を惜しみ、悲しむ声が今も彼のフェースブックに寄せられている。

「正義感に溢れた上杉さんの強い強い想いは、永遠に私たちの心の中にあります。どうか安らかにお眠りください。」
「 陸高でお世話になった恩返しすらできてないのに、早すぎます。ご本人が一番思っているとは思いますが、私も悲しくて、悔しくてたまりません。どうか安らかに、そして陸高のみなさんを見守っていてください。」
「つらくてどうしようもありません。赤いキャップのリーダー。どうかどうか安らかに。」
「上杉さん、もっともっと、音楽のこと、チャレンジドのこと、色々お話ししたかったし、お力をお借りしたかったです。これまでの素晴らしいご活動の数々、見習って形にしていきます。」
「上杉さん、ありがとうございました。 上杉さんがいだいてたオモイ、つないでいきます。 空から見守って下さい。」・・・

 22日の通夜、23日の告別式には700人を超える人々が別れを惜しみ、日フィル・ソロコンサートマスターの木野雅之さんの奏でる「アルハンブラの想い出」に送られて出棺した。
 心からご冥福をお祈りいたします。


パパと怒り鬼

2014年03月20日 | インポート

2 どうしてパパはあんなに怒ってるんだろう。
ぼくのせいかもしれない。もっといい子になるよ。
もっとお利口になるよ。どんなことでもするよ。
ごめんなさい、ゆるしてよ、パパ。だいすきなパパ。

ぼくは隠れて息を殺す。自分のおなかにもぐりこんで、ぎゅっと身をちぢめる。なんにも聞きたくない、見たくない、おぼえていたくない、考えたくない。
怒り鬼が火をふく。燃えている。

 父親からドメスティック・バイオレンス(DV)を受けている子どもの心のうちを見事に表現した「パパと怒り鬼-話してごらん、だれかに-」の一節である。
 原作は、ノールウェーの作家グロー・ダーレさん(ひさかたチャイルド発行)。
 勇気を出して王様に手紙を書いた主人公を王様が訪ね、DVのパパは、招かれて「壊れた自分を修繕」するというファンタジックな話になっている。実際ノルウェーではDVの厚生プログラム(オルタナティブ・トゥ・バイオレンス)が充実している。
 虐待も、いじめも、差別も、DVも加害者の問題であり、加害者が変わることが最大の被害者支援になることは当然であるが、日本では被害者を避難させることが最優先で、加害者を変えるプログラムは遅れている。被害を受けた妻や子どもが、誰かに話す苦しさ、困難をのりこえて助けを求めることから解決の糸口が生れることは言うまでもない。私たち教職員も、子どもたちが、苦しいことを打ち明け、助けを求められる存在でなければならないことも論を待たないと思う。
 絵本の最後のページには、
子どものための電話(チャイルドライン0120-99-7777)
子どもと、大人のための電話(児童相談所0570-064-000)
大人のための電話(DV相談ナビ0570-0-55210)が掲載され、
どこかにきっとあなたの話を聞いてくれる人がいます。あきらめないでね。
と記されている。
(イロハモミジの並木)


労働者保護ルールを守ろう

2014年03月19日 | 社会・経済

「世界で一番企業活動がしやすい国にする」などと、安倍首相は言っているそうだが、そのために「労働者保護ルール」を「企業保護ルール」にしたいらしい。

そのポイントは、4つあるそうだ。
その1 労働者派遣法の改正(労働者からすれば改悪だが)
その2 残業代0(ゼロ)制度の導入
その3 首切りの自由化(解雇の金銭解決制度の導入)
その4 首を切りやすい「限定正社員」を増やす

どれをとっても、労働者が泣きを見るような改悪だが、特に、労働者派遣法は、1年ちょっと前の2012年10月に改正されたばかりである。その時の改正で原則として「日雇い派遣が禁止」となったのだが、今度はなんと、現在最長3年となっている「企業の派遣労働者受け入れ期間の上限」を廃止するというものなのである。企業は、3年ごとに働く人を入れ替えれば、いつまででも派遣労働者を使い続けることができてしまうのである。
2番目の残業代ゼロは、いったん見送られた「ホワイトカラーイグゼンプション」の復活だし、「限定正社員」は、例えば、東京営業所だけで勤務する「限定正社員」は、東京営業所がなくなれば「クビ」にできるというものだ。正社員とは名ばかりの「クビにしやすい社員」なのである。

連合東京は、こうした労働者保護ルールの改悪に反対する世論を盛り上げようと、ホームページ上で「サポーター登録」を呼び掛けている。以下のURLからぜひ登録してほしい。

労働の規制緩和反対・バトルリング 労働者保護ルール ・サポーター登録にご協力ください。
→  https://ssl.rengo-net.or.jp0/<wbr></wbr>tokyovoice/


アキタマンから学んだ楽しい算数の授業

2014年03月17日 | インポート

Photo 2月22日(土)、青年部今年度最後の連続講座「アキタマンの算数教室」が行われた。
 長年算数の実践に取り組まれてきた世田谷支部の秋田敏文さんを講師に算数の授業づくりのポイントから具体的実践例までを紹介していただいた。
 当日は30名ほどの青年教職員が集まり、多くの優れた実践に触れることができ、参加者から以下のような感想が寄せられた。
・とてもわかりやすく、明日から授業ですぐに使わせていただける内容でした。教育の技術もそうですが、なにより秋田先生の「こどものために」という妥協のない教材研究への熱い想いに触れさせていただき、子どもを指導していく活力をいただきました。また授業で使える算数のゲームもおもしろく、算数を教える楽しさに気付くことができました。(S)
・実践一つ一つが子どもの反応を知った上での手立てであったので、授業の様子やこれからのイメージをもつことができました。また、教科書の内容だけではない、指導方法を知ることができたのは、「こたえは一つではない」と先輩からエールを言われたようでとても心強かったです。(T)
・算数の授業をいかに「楽しく」教えられるかを、実践を通して学ぶことができました。授業でどのように進めたらよいのか、視点をどこに置いたらよりよい授業ができるのかなど、さまざまな具体的な指導法を学ぶことができた。最後に教えていただいた、算数の楽しいパズルやゲームはぜひ実践したいと思いました。(I)
 青年部学習会は来年度も「平和・人権・環境」「賃金・権利」「授業実践」を基本に多くの学ぶ機会を提供します、多くのみなさんの参加をお待ちしています。
ムラサキシロガネヨシ


戦争は希望か!?

2014年03月14日 | インポート

Photo
 戦争ができる国づくりを着々と進める安倍内閣は、衆参両議員選挙で圧倒的な議席を占め、高い内閣支持率に支えられての暴挙であることは間違いない。今や、戦争できる国づくりは民衆にも支えられているといって過言ではないだろう。
 民衆の戦争への期待は、今始まったことではない。2007年「論座」で「希望は戦争」を書いた31歳のフリーター、赤木智弘さんは、

 持つ者は戦争によってそれを失うことにおびえを抱くが、持たざる者は戦争によって何かを得ることを望む。持つ者と持たざる者がハッキリと分かれ、そこに流動性が存在しない格差社会においては、もはや戦争はタブーではない。それどころか、反戦平和というスローガンこそが、我々を一生貧困の中に押しとどめる「持つ者」の傲慢であると受け止められるのである。

 赤木さんは、「私を戦争に向かわせないでほしい」と書いたうえで以下のように警告している。

 しかし、それでも社会が平和の名の下に、私に対して弱者であることを強制しつづけ、私のささやかな幸せへの願望を嘲笑いつづけるのだとしたら、そのとき私は、「国民全員が苦しみつづける平等」を望み、それを選択することに躊躇しないだろう。

 このような人々の状況は、1930年代と酷似しているのは多くが指摘するところであるが、満州事変直後の列車で「純朴な村の年寄り」の会話を橘孝三郎(農本主義右翼)は、次のように書きとめている。

「どうせならついでに早く日米戦争でもおつぱじまればいいのに。」「ほんとにさうだ。さうすりあ一景気来るかもしらんからな、所でどうだいこんなありさまで勝てると思ふかよ。何しろアメリカは大きいぞ。」「いやそりゃどうかわからん。しかし日本の軍隊はなんちゆうても強いからのう。」「そりゃ世界一にきまつてる。しかし、兵隊は世界一強いにしても、第一軍資金がつゞくまい。」「うむ……」「千本桜でなくても、とかく戦といふものは腹が減ってはかなはないぞ。」「うむ、そりゃさうだ。だが、どうせまけたつて構ったものぢゃねえ、一戦争のるかそるか やつゝけることだ。勝てば勿論こっちのものだ。思ふ存分金をひつたくる。まけたつてアメリカならそんなにひどいこともやるまい。かへつてアメリカの属国になりや楽になるかも知れんぞ。」

 この飛び抜けた年寄りたちの会話には驚くばかりだが、こうした空気が当時、世の中を蔓延していたのは想像に難くないし、今も似たような状況があることも否めない。その後の歴史は、周知のように敗戦、アメリカの属国になった。
 赤木さんが言うとおり、私たちが戦争に向かわないようにするためには、社会的な弱者の不平等を解消することこそが肝要だ。それは、教育においても緊急の課題であり、奨学金を得て大学を卒業しても500万円以上の借金が残って就職もできないのは異常な弱者の強制に他ならない。
(小石川植物園日本庭園)


自分をえらんで生まれてきたよ

2014年03月13日 | インポート

Photo 「ことば」を発し始めた子どもに感動して書きとめる習慣は、どの親にもあると思う。
 その発想力、想像力の豊かさと言葉の鋭さに驚愕してしまう。親バカと思いつつ、わが子を天才だと思ってしまう。それが、いつごろから書きとめなくなるのだろうか?10歳ごろが境目のような気がする。
 さて、りお君は、それは天才的な詩人である。大人に見えないものが彼には見え、忘れてしまったものを記憶している。それは彼が生まれる前までたどることができて、自分はパパとママを選んで生まれてきたと確信をもって語る。

人間は死んでも、
体がなくなっても、
心は残るように、
できている。(9歳)

     「自分をえらんで生まれてきたよ」
     (いんやく りお、サンマーク出版)

 この確信にみちた「ことば」は、重篤な心臓病の彼が実感しているからだとしか言いようがない。

すごい秘密に、気づいたよ。
時間があるから、ものはある。
時間があるから、光はある。
ものは、ぜんぶ、時間で、できている。
ものが時間でできているのには、二つの理由がある。
一つめの理由。
ものは、時間がたつと、人がつくったり、形や場所が変わったりする。
だから、時間が、ものをつくっている。
二つめの理由。
それは、ものが、時間の粒で、できているから。
時間は、目に見えない、小さな粒でできている。
ものも、目に見えない、小さな粒でできている。
うんと小さくすると、みんな同じ。
時間の粒も、ものの粒も、光の粒も、みんな同じ。
だから、ものは時間で、できているんだ。
みんな同じ粒でできているっていうのが、すごいことなんだ。
みんな同じ粒でできているっていうのが、いいことなんだよ。
粒と粒が集まると、のりみたいに、くっつく。
心も、肉も、みんな、粒が集まってできている。
神さまも粒。地球も粒。星も粒。
みんな同じ、目に見えない小さな粒で、できている。
骨も、肺も、髪の毛も、みんな、小さな粒でできている。
小さな粒がないと、ぼくたちは、生きていけない。
だから、自分の体に、いじわるしちゃ、だめ。
人を傷つけるのも、だめ。

戦争は、
みんなの小さな粒を、奪うことになるから、
だめ。
小さな粒を、盗んじやいけない。
人のいのちや、
体を、盗むのはいけない。
殺すということは
小さな粒を、盗むこと。
だから、だめなんだ。
だから、人生では。
いいことをつくらなきやいけない。
あわてても同じ。
あせっても同じ。
落ちついて、
人生は、ゆっくりがいい。(7歳)

 7歳の子どもは、これだけの理性と倫理を持っていますよと、りお君は警告しているのかもしれない。子どもの権利条約の意見表明権を大人たちが理解し、認めれば世界は変わる。

アメリカの大統領がニュースで、
「われわれは平和のために戦争をする」って
いっていたけれど、ぼくはちょっと変だと思うな。
戦争したら、平和じゃなくなるでしょ。
ぼく、大統領に会って、どういうことか、聞いてみたいな。(8歳)

 この問いに、オバマ大統領や安倍首相は、答える義務があるだろう。
 (扇流し・ウメ)


3.8福島県民大集会から

2014年03月12日 | 日記・エッセイ・コラム

大江健三郎さんが3月8日の福島県民大集会で、伊丹万作の「戦争責任者の問題」を取り上げて、だまされることにも責任があること、「日本人は、福島第一原発の事故の後、もう原発はいやだと思ったが、いつの間にか政府は『原発は安全だ』と言っている。日本人は、また騙されたいと思っているのか?もう一度騙されてしまえば、私たちの未来はない」といった。

伊丹万作の「戦争責任者の問題」は、佐高信さんがある対談で取り上げていたので、読んだことがあった。今のようにインターネットで簡単に検索できるころではなかったので、区立の中央図書館に行って、伊丹万作の全集を調べてコピーした。読んでみると、はじめっからうなりっぱなしだった。一部を紹介する。

さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

さらに、伊丹万作は、次のように続けます。
しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。

まさしく、3月8日の県民大集会では、高校生からの「大人の方々の中には、<wbr></wbr>脱原発で頑張って下さっている方々もおられることは分かっていま<wbr></wbr>す。しかし、大人の方々に問いたい。原発爆発後の世界を、<wbr></wbr>私達の世代に残すのは、どんな気分ですか?」という発言があった。彼女を含めた子どもたちに、大人たちは、どう答えればよいのだろうか?


東京大空襲

2014年03月10日 | インポート
 Photo69年前の昨夜3月9日の真夜中11時57分ごろから2時間焼夷弾が落とされ続け、もう燃え尽きることがなくなった6時ごろまで東京は燃やされ続けた、これが東京大空襲だ。
 体験者の二瓶さんのお話を紹介させてもらいます。以前職場で話してもらったことのごく一部です。でも私にとっては印象の特に強い部分です。前後の話がないと分かりにくいかとは思いますが、戦場におかれた人間と、子どもの実際を知らせてくれます。
 そのうち私もまだ小さかったし、どうにもならなくなってね、道の途中で気を失うように倒れて動けなくなってしまいました。そしたらその私を連れて逃げてくれた人がどうしようもないので、自分の懐に私を抱えるようにして伏せてたそうです。そうすると人がどんどん逃げてきます。みんな怖いですから。人が何人かいたり建物の影があったりすると集まってくるんですね。私の上にも大勢の人が重なるようになりました。私はその一番下敷きになってしまいました。ほとんど気を失って、時々気がつくと今度はものすごく重くて苦しくてもうつぶれると思いました。そしてとても熱かったです。その中で声が聞こえました。男の人の声で「俺たちは日本人だ」、「おれたちは日本人だ」っていう声でした。「こんなことで死ぬな。みんな生きるんだ」って言ってる声でした。また私は気を失い、また気がつくと「日本人はヤマト魂がある」という声をずっとかけてるんですね。
 そういう時間をどのくらい過ごしたのかよくわからないのですけれども、夜が明け始めたころ町はもう燃えるものがなにもなくなって、火が自然に鎮火していったのです。その時に私はその下から引きずり出されました。
 引きずりだされた時、私を助けてくれた人がお父さんだとわかりました。そして「お父さん」と言おうと思ったら、お父さんは「ここを動くな」と言ったかと思うと、まだ燃えっている炎の町のどこかに行ってしまいました。きっとお母さんや妹を探しに行ったのです。
 動くなと言われたのでじっとそこに立っていました。あたり一面なんにもありません。まだ炎があちこちに少しずつ見えました。人がまだ燃えてるんです。ぽっぽ、ぽっぽ火があがっていました。
 私は足元を見ました。そこには私の上にいっぱい折り重なるようになっていた人たちが真黒になって、墨のようになっていました。まだ燃えている人もいました。私はそうやって焼き殺されていった人たちの一番下敷きになって助かりました。死んでいった人たちに守られるようなかたちで、助かったのです。

 教室で子どもたちに語り継ぐために、二瓶さんの話の全文を近日中にホームページに掲載する予定です。
(深川親子地蔵尊・東京大空襲の犠牲者供養のため三周忌に地元有志によって立てられた。)


ガラケ―

2014年03月07日 | インポート

Photo スマホを使いこなしSNSもお手のものといった皆さんのことを「デジタル・ネイティブ」と言うそうである。一方、アナログ人間などと揶揄され、やっと使えるようになったガラケーをこよなく愛する皆さんを「デジタル・イミグラント」と呼ぶらしい。イミグラントは「移民」の意だが、デジタル新世界に舞い込んで右往左往しているイメージらしい。
 そのガラケーとは、日本が独自に開発した携帯電話のことで生物が独自に進化を遂げたガラパゴス諸島にちなんだ「ガラパゴス・ケータイ」の略語。
 さて、本家のガラパゴス諸島は、36年前(1978年)には世界遺産(自然遺産)に登録されたが、90年代には急速な観光地化と人口の急増で環境汚染や撹乱、外来生物の繁殖、横行する密漁への有効な対策を講じられていないと判断され、07年に危機遺産リストになった。しかし、その後エクアドル政府のとりくみが評価されて危機遺産リストから除去された。
 世界標準でなく独自規格・独自仕様を発達させることを日本のビジネス用語でガラパゴス化(現象)という。本家ガラパゴスにとってはいい迷惑で、ガラパゴス諸島は世界標準をクリアーして世界遺産になったわけだ。むしろ、気がついた時には、世界の動きから大きく取り残され危機リスト状態になっているのは日本の政治かもしれない。
(メンデルの葡萄とニュートンのリンゴ・小石川植物園)


DV家庭で育つ子どもについての考察

2014年03月06日 | インポート

Photo 小学校の教員として、DV家庭に育つ子どもと出会い、DVが子どもたちの心に大変な負担と傷つきを与え、その成長に大きな影響を与えると痛感し、退職後、大学の修士論文としてまとめたものである。教育現場の経験から出発した論文だけに、すぐにも学校で役に立つ提言も数多くあり一読をお薦めする。
 著者の徳永恭子さんは、東京教組の先輩教員。退職後に「親と子の教職員の相談室」の相談員をしながら大妻女子大学現代社会学修士課程に進み、現在、同大学人間生活文化研究所研究員。
 冊子は、DV・児童虐待の中で育つ子どものトラウマと脳の発達についての考察、教職員にDV家庭に育つ子どもについてアンケート調査を実施した結果から分かったこと、DV家庭に育つ子に伝えたい20のメッセージ、教員に伝えたい20のメッセージなどで構成されている。
 徳永さんは考察のまとめで、

 私の調査に協力した教職員のうち3割以上の人が、DV家庭に育つ子どもたちが、勉強が遅れがちである、忘れ物が多く宿題もやってこないことがある、友達ともトラブルが多い、勉強や作業に集中しないことがあるなどと答えている。生活環境の不安定さや生活リズムの不安定さは、子どもに様々の影響を与える。しかし、精神的に不安定な様々な行動を示す子どもが、必ずDV家庭に育っているというわけではない。ただし、子どもの一つーつの行動や表情や態度は、必ず理由がある。 DVは不安定な行動の一つの、ある局面の理由かもしれないし、もっと別の背景があるかもしれない。子どもの行動や表情や言葉が、その場面で、その人間関係の中で、なぜ現れるのか、子どもの内面や心理に敏感になることが大切である。

 と述べている。精神的に不安定な子どもに出会うことは、学校でしばしばあるが子どもの内面や心理を読み解く示唆になる論文でもある。部数限定の自費出版だが、徳永さんは希望する方には差し上げますとのこと。ホームページの「お問い合わせ」フォームからお申し込みください。
(赤梅・未開紅)


冷たい雨の中で

2014年03月05日 | インポート

安倍首相は「アベノミクス」と称して景気回復をうたい、経団連などの経営者に「賃上げ」を要請したりしている。ここへきて、外国の投資家が日本企業の株を売り始めたことで株価が下がり始め、「アベノミクス」のメッキが剥がれてきているがどうなるのだろう?

民間賃金がちゃんと上がるならそれはそれで結構なことだが、もっと簡単に政府ができるのは、この数年にわたって切り下げられてきた、公務員の賃金を少しでも回復させることではなかろうか?それなのに、政府のやろうとしていることは、真逆である。

昨年8月、人事院は「給与制度の総合的見直し」を報告に盛り込んだ。「地域間配分の見直し」と「世代間配分の見直し」「職務や勤務実績に応じた給与」の三点が、柱となっている。「地域間配分の見直し」とは、民間賃金の低い地域に合わせて、国家公務員の俸給表の水準を引き下げるということだ。国家公務員賃金が下がれば、地方公務員にも直結し、それは地域の賃金水準をも引下げ、さらには、地域経済を縮小していくだろう。消費税の増税や円安による原材料費の値上がりが私たちの暮らしを直撃する中、賃金水準の引き下げにより、私たちの暮らしはさらに厳しいものにならざるを得ない。Dsc_0194

今日は冷たい雨が降る中、関東各都県の公務員組合の仲間が人事院前に集まり、「給与制度の見直し」反対の声を上げた。政治家は、公務員を「いけにえ」のごとく扱っているとしか思えない。道理がない公務員給与の引き下げは、まっぴらである。