東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

さようなら原発 さようなら戦争9、23集会

2015年09月28日 | 日記

 安倍政権打倒に向けて、戦い続けよう!「さようなら原発 さようなら戦争9、23集会」が開かれた。
 久々の好天に恵まれたシルバーウイークの最終日、9月23日に「さようなら原発 さようなら戦争9、23集会」が代々木公園で開催されました。戦争法案が成立してから最初の集会には、2万5000人が集まり、原発廃止、戦争法廃止、安倍内閣妥当に向けた思いを共有しました。東京教組も、多くの仲間が集まり団結を確認しました。
 集会の中で、呼びかけ人の一人の澤地久枝さんは、「なんという政治のもとに置かれているのか。怒りと悲しさで身が裂かれる思いがする。いざというとき政治は責任を取らない。この国は、平気でで民を捨てる。このままでいったら、次の世代あるいはその先の世代に不幸な戦争が見舞うに違いない。そういうことを考えて人から人へのつながりを強くして、安倍さんの支持率を下げよう。そうすれば政治は変わる。主権在民と言うけど、私たちがやらないで、誰がやるのか。がっかりしないで、みんなで頑張りましょう。」と訴えた。
 スピーチの最後に登壇した大江健三郎さんは、「80年生きてきたが、10歳の時に戦争が終わり、戦後になった。このひと月ぐらいは、その70年間同じ想いで生きてきたと何度も考えてきた。平和と民主主義の憲法のもとで生きてきたが、それが今最も危険な危機にあるということを感じている。これから、日本が最も困難な時代を生きることになるでしょう。若い皆さんが、今の志を失わないで生きていくことが、今の最大の希望である。みなさんのこれからの検討を心から願っている」と述べました。
 司会を務めた木内みどりさんは、最後に、今日の集会の参加者は、2万5000人です。
 集会後、参加者は渋谷と原宿の2コースに別れて、プラカードや横断幕などを手にアピールしながらデモ行進を行いました。


子どもの事故は親の責任?

2015年09月25日 | 日記

 最近聞いた最高裁での判決。学校の校庭で小学生が蹴ったサッカーボールが道路に飛び出し、それが交通事故につながって結果として被害者が亡くなるという「事件」で「親の監督責任」が問われ、高裁では親に損害賠償の判決。しかし、最高裁では逆転、親の監督責任は問われなかったという話があった。
 ここでは親の責任が問われず良かったと思う反面、子どもが起こした事故に対して親が賠償するということがあるんだということで考え込んでしまった。
 調べてみたら、キャッチボールのボールがそれて別の子にあたって死亡事故となった、その子のもった鉛筆が他の子に刺さりけがをした。といった事例では、数千万円単位の賠償が命じられている。ある被書者側の弁護士は、親を責めるというよりは被害者の救済が目的の裁判だ、と言っているというが、そこまで親が責任を問われなければならないのは、何か変だ。
 サッカーボールの飛び出しの話で写真を見たら、校門の前にサッカーゴールが置かれている。ボールが道路に飛び出さないような高いネットもはっていない。当然、シュートして高くそれたポールは道路に飛び出してしまうことは容易に想像がつく。そんなところにサッカーゴールを置くなよ、と思わず言ってしまいそうな、そんな状態。にもかかわらず学校の責任は問われていない。
 私は、学校内で起きた事故は、事情がどうあれ、まずは学校の責任であり、それが、自分のクラスの子どもや自分の関わるところで起きたものであれば、自分の責任だと思い続けてきた。長い教員生活の中で命に関わるような事故はなかったが、けんかやけがはよくあって、ときには骨折などの大けがもあった。その度に、申し訳なかったと言ってきた。けがさせた方の親にも少なくとも親が悪いとは言わなかった。
 これが、法的には親の管理、しつけが問われるのだという。ちよっと待って。自分の気持ちに正直に思うように動くのが子ども。その結果、やってはいけないことをやったり,友だちをけがさせてしまったりすることだってある。そういうことを通して、ひとつひとつ、子どもに教えていくのがおとなの役割ではないだろうか。子どもによっては精神的に不安定なところから、思わぬ行動を起こすことだってある。それを子どもや親のせいにしてはいけない。そんなときは、少しでも子どもの心が落ち着くように配慮したり工夫したりするのも周りのおとなの役割だと思う。子どもが起こす事故を心配していたら、子どもを閉じ込めておくしかない。動きの多い子どもは集団から排除されてしまう。それが子どものためになるのだろうか。子どもは思わぬこと、いろいろなことを
しでかすということを前提に、安全で楽しく、のぴのぴすごせるような環境を作り出していくのが、大人社会の役割ではないかと思う。
 子どもの起こした事故を親の責任にするような法律は一日も早くなくさなければならないと思う。


「安全保障関連法案」の強行採決に断固抗議する

2015年09月22日 | 日記

「安全保障関連法案」の強行採決に断固抗議する

 

9月19日未明、集団的自衛権の行使を容認する「安全保障関連法案」(いわゆる「戦争法案」)が、参議院本会議で与党の強行採決によって可決・成立した。憲法9条を空洞化させ、戦後70年にわたって守られてきた「専守防衛」の枠組みを超え、日本の領土ではなく、海外での武力行使を可能とするこの法案に、私たちは強く反対し、廃案を求めてきた。国会における自民党・公明党の圧倒的な数の力に押し切られたとはいえ、この法案を成立させてしまったことは痛恨の極みである。

 2012年12月に誕生した第二次安倍内閣は、ここに至るまで、着々と「戦争のできる国づくり」をすすめてきた。13年には、「国家安全保障会議(日本版NSC)」を発足させ、多くの反対を押し切って「国民の知る権利」を制限する「特定秘密保護法」を強行成立させた。さらに、昨年4月には、「武器輸出三原則」を見直し、「防衛装備移転三原則」を閣議決定し、武器輸出を解禁した。また、昨年7月には、歴代内閣が「自衛権の範囲を超える」として「憲法上出来ない」としてきた「集団的自衛権の行使容認」を閣議決定した。こうした決定を安倍内閣は、数の力を背景に強引に推し進めてきた。今回の「安全保障関連法案」成立に至る過程も、また同様だった。

 6月の衆議院特別委員会での強行採決に始まり、95日という例のない国会の会期延長をしたうえで、7月16日に衆議院を通過させた。「60日ルールによる再議決」を見込んでのことである。

 最後には、数の力にものを言わせた結果となったが、安倍首相のもくろみ通りにいかなかったことも事実である。4月に「日米防衛協力の指針(ガイドライン)」を、戦争法案成立を前提に再改定し、国会審議も始まらぬうちにアメリカ政府に「この夏までの成立を約束」していた。しかし、6月の衆議院憲法調査会での憲法学者3名による「集団的自衛権の行使は違憲」との発言によって、世論の動向は大きく変わり、学者・文化人はもとより、さまざまな団体や市井の人々が、「戦争法案反対」の声を上げはじめた。学生団体「SEALDs(Students Emergency Action for Liberal Democracy - s)」(「自由で民主的な日本を守るための、学生による緊急アクション」)をはじめとする若者の行動は、「安全保障関連法案」反対の運動に大きな力をもたらした。さらに、高校生や母親たちも自らデモや集会を企画し行動を始めた。こうした動きが8月30日には、国会周辺を12万人が取り囲む大集会を成功させる原動力となった。国会周辺をあれだけの人々が埋めたのは、1960年の安保闘争以来である。こうした大きな世論のうねりが、野党を支える力となり、法案への厳しい追及と廃案を求める徹底抗戦につながり、与党の横暴・強権ぶりが国民にさらけ出された。

 私たち東京教組は、日教組・平和フォーラム・連合に結集し、全国の仲間とともに、数々の集会やデモに参加し、「戦争をさせない全国署名2015」の3,000筆を超える集約や議員要請行動をはじめとして、様々なとりくみを行ってきた。9月に入ってからは、緊迫する国会情勢を受けて、連日国会前に座り込むと同時に、集会には多くの組合員が集まった。今こそこうした団結の力を、次につなげていかなくてはならない。この怒りを持ち続けなければならない。若者の行動や、連日の行動の中での組合員の連帯感は、希望の光である。私たちは「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンの下、安倍政権の打倒と、「戦争法」の廃止を求めるとともに、来年7月に予定されている参議院議員選挙において、那谷屋正義(全国比例)、斉藤嘉隆(愛知)、水岡俊一(兵庫)の必勝に向けて全力でとりくむ。

 

2015年9月19日

東京都公立学校教職員組合執行委員会


ISに殺害された後藤健二さんの思いは?

2015年09月21日 | 日記

 今年に入って間もな<ISに二人の日本人が人質となり、二人とも殺害された。
 本当につらい心痛む事件であった。そのうちの一人、後藤健二さん。敬虔なクリスチャンであった彼は、ジャーナリストとして海外に出かけつつ、国内で世界の問題、平和の問題を様々な形で語り続けていた。
 先日、玉川聖学院の学院長、安藤理恵子さんの話を聞く機会があった。安藤さんの話では、後藤さんは玉川聖学院でも、毎年生徒たちに平和の話をしていたそうだ。そして話の最後に必ず言う言葉があったという。それは、「平和は、自分の隣の人を大切にすることから始まる」ということだったという。
 後藤さんが危険な所へ行ったのは、捕らえられたもう一人を救出するためであったと聞く。まさに彼は自分の言っていることを実行していた。「友のために自分の命を捨てること、これ以上大きな愛はない」という聖書の言葉がある。
彼は自分の命と引き替えにもう一人を救おうとは考えていなかったと思うが、命を落とす危険を感じながらも救出に向かった。自分の命を落としてでも、友人を救おうという思いが彼を動かしたのだと思う。
 安藤さんは、その話の中でもう一つの問題提起をされた。後藤さんはISを恨んでいるだろうか、と言うのだ。普通なら自分を殺した相手を恨むのは当然だ。しかし、彼はそういうISをも赦すのではないかと彼女は言う。
 こんな話を聞くと、次々と聖書の言葉が頭に浮かんでくる。
「あなたの敵を愛しなさい」「右のほおを打たれたら左のほおを出しなさい」「剣を持つ者は剣で滅びる」そして自分を十字架にかけた人たちを前にしてのキリストの十字架上の言葉、「神よ、彼らの罪を赦してください。彼らは何をしているのかわからないのです」。そんなの無理だよと思いつつヽこれらをつきつめていったところに本当の愛、平和があるのではと思えてくる。
 後藤さんの本当の気持ちはわからない。しかし、死を覚悟して友人を助けにいったのは、彼の中にある愛からうまれた行動だったと思う。
 それにひきかえ、最近の政府の動きは心配だ。「日本を守るため」にいつでも戦争ができるようにしていこうとしている。相手を攻撃することで自分を守ろうと・・・。一度戦争を始めれば、報復が報復をうみ、人々を守るどころか、罪もない人たちが犠牲になっていくことは、歴史が示しているのに。
 確かに今、ISがやっていることはひどいことだ。しかし、ISがここまでやり出したきっかけはイラクへの米軍攻撃だったと言われている。ISは悪の存在でアメリカは正義なのか。そうとも言えない。なぜかアメリカは正しくてISは悪いと私たちは思わされている。正義の戦争はありえない。どこの国と手をつないで戦争しても、戦争は同じ悲劇を生む。後藤さんは、そういう悲劇を繰り返してはならないと、命をかけて、伝え続けていたのだと思う。


警視総監に国会正門前の車道開放などを要請

2015年09月18日 | 日記

 昨日、参議院特別委員会で戦争法案の「採決もどき」が強行された。ニュースなどでその映像を見た方も多いと思うが、どうみても採決したとは思えない。その時、国会前は、3万人を超える人々がどしゃ降りの雨の中抗議の声を上げていた。

 それに先立つ昨日の午前11時~ 、神本みえ子参議院議員らは「今後の国会周辺での警備に関する要望」を警視庁高橋清考警視総監宛に提出した。

 これから強行採決にでもなればますます国会周辺の抗議と怒りの声とともに人々が押し寄せてくることが予想されます。市民の意思表示、表現の自由と安全確保のために、国会正門前の車道開放と給水所、救護車設置のスペース確保、機動隊車両のアイドリングをやめることを要望。給水所、救護車の件、アイドリングの件はすでにやっているとのこと。車道開放は持ち帰り。雨の日の危険性、鉄柵撤去など重ねて要望しました。(日政連参議院議員の神本みえ子さんのウェブサイトより)

 また、同日、怒れる女性議員の会が結成された。委員会強行「採決もどき」の際の映像で女性議員がそのはちまきをしているのをご覧になったと思う。

 昨日午後、安保法案の参議院での強行採決の動きが強まる中、民主党の郡和子衆議院議員、西村ちなみ衆議院議員と私で安保法案廃案を求める超党派の女性議員に呼びかけて「怒れる女性議員の会」を結成しました。急な呼びかけにもかかわらず、民主党、共産党、無所属の糸数慶子参議院議員を含め20人以上が集まり、30本用意したハチマキが足りなくなるほどでした。これまでの衆議院、参議院の特別委員会で参考人質疑、公聴会が開かれましたが、公述人は男性ばかり。女性は一人もいませんでした。現在審議中の参議院特別委員会で女性の公述人も入れた質疑を引き続き行うよう、鴻池委員長へ申し入れることで一致。急遽文書を作り鴻池委員長への申し入れを。参議院の委員部、鴻池委員長事務所、自民党事務局をたらい回しされた挙句、ようやく理事会室へ向かう委員長を待ち受けて手渡すことができましたが、遂に議論されることなく、一夜明け、審議打ち切りになりそうな緊迫した状況が続いています。
 女性議員たちは、結束して理事会室の前で「女性の声を聞け」「女性抜きで決めるな」と抗議の声を上げ続けました。(日政連参議院議員の神本みえ子さんのウェブサイトより)


よく学び、よく遊ぶ青年部!

2015年09月14日 | 日記

最近の青年部の活動を紹介します。若い教職員が、よく学び、よく遊んでいます。

青年部連続講座 第1回『知ろう!わたしたちの権利・賃金・異動のこと』
 6月27日(土)『知ろう!わたしたちの権利・賃金・異動のこと』と題して、青年部連続講座の第一回が行われました。講師は谷口滋さん。参加者からは「今日のような研修会を初任研ですべきだと思う。学校でも年一回すべきだと思う。」「組合が闘いとってきた権利を生かすには、今日聞いた内容をみんなが知ることが必要だと思った。超過勤務があたりまえになっている状況をどうにかしないといけないと思った。」という感想が寄せられました。
権利・賃金・異動のことについて東京教組ではいつでも相談にのります!講座の内容について知りたい方、質問や相談のある方はいつでもお問い合わせください。

オキナワ STUDY TOUR
 8月17日(月)~20(木)、毎年恒例の『オキナワSTUDY TOUR』。フィールドワークをとおして沖縄戦、基地問題を自分で確かめた学びはとても有意義でした。特に印象的だったのはボートで辺野古の海に出たことです。こんなきれいな海を戦争のために埋め立てるの?と疑問をもたざるを得ませんでした。
来年度も6月頃に案内があります。自身の学びのため、平和について考えるため、教職員として勉強するため・・・みなさんも参加してみませんか?
事前学習で観た映画「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」もオススメです。
ポレポレ東中野 絶賛上映中(9/18(金)まで!

わくわくドキドキカヌー教室
 8月22日(土)~23(日)に信州犀川にて『わくわくドキドキカヌー教室』がありました。カヌーはもちろん、美味しい信州そばとジンギスカン&バーベキューも満喫。とにかく2日間遊びました。こうして大自然のなかでリラックスすること、仲間と一緒にはしゃぐことでリフレッシュできました。来年度も予定していますので、ぜひ一緒に行きましょう!


8月6日に思う

2015年09月11日 | 日記

 8月6日、戦後70年、原爆投下からも70年という節目の「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和記念式」が行われた。
 当日午前7時を回ったばかりの広島の街には、前日までの暑さを、つかの間忘れさせるさわやかな風が吹いていた。元安橋を渡って平和公園に入る頃には、あちこちから同じ場所へ向かう人たちの列が出来ていた。橋の上や公園の入り口では、ボーイスカウトや地域の少年団の子供たちが、これから行われる平和祈念式のプログラムと献花のための花を配っている。会場の入口では、凍らせたおしぼりも配布されている。プログラムと花を受け取って祈念式典の会場に入るが、すでにほとんどの席は埋まっていた。会場には、様々な年齢や国籍の人々が集まっていた。
 8時から始まった記念式典では、原爆死没者名簿の奉納、広島市議会議長の式辞と被爆者代表らによる献花のあと、原爆投下の8時15分にあわせて黙祷が行われた。
 松井一実広島市長は、平和宣言で「人間は、国籍や民族、宗教、言語などの違いを乗り越え、同じ地域に暮らし一度きりの人生を懸命に生きるのです。私たちは共に生きるために、非人道性の極み、絶対悪である核兵器の廃絶を目指さなくてはなりません。そのための行動をはじめるのは今です。既に若い人々による署名や投稿、行進など様々な取り組みも始まっています。共に大きなうねりを創りましょう。」と述べ、子ども代表は「平和の誓い」で「広島に育つ私たちは、事実を、被爆者の思いや願いを、過去現在未来へと、私たちの平和の思いとともにつないでいく一人となることを誓います」と力強く宣言した。
 原爆投下から70年が経過し、被爆者の平均年齢は80歳を超えた。「被爆体験」を語れる人はますます少なくなっていく中で、「ヒロシマを忘れない」「反核」の運動の継承は、喫緊の課題となっている。そうした中での子ども代表の言葉に、未来への希望を託さずにはいられない。一方で、「戦争法案」を成立させようとしている安倍首相の挨拶は、本当に空虚なものだった。なんとしても、戦争法案を廃案に追い込まなくてはならないと思う。
 8月6日の原爆忌に先立つ4日からは、原水禁世界大会が開かれた。水爆実験による「第五福竜丸被爆」をきっかけとして原水禁運動が始まったのは、1954年のことである。杉並区の主婦の読書サークルが始めた原水爆禁止の署名運動は、世界に広がり、6億7000万人の署名が集まったという。1955年には第一回となる原水禁世界大会が広島市で開かれた。今年は、原水禁結成50周年という節目でもあったのだ。
 被爆70年、原水禁結成50年の節目であるにもかかわらず、運動を取り巻く状況は非常に厳しい。戦争法案はもとより、世界各地では内戦や紛争が続いている。中東・アフリカからヨーロッパへの難民は、今年25万人を超えたと報道されている。また、5月にニューヨークで開かれたNPT核不拡散条約再検討会議は、核軍縮に向けた最終文書の採択ができずに終わってしまった。反核・平和運動の次世代への継承と、再構築が求められていることを改めて感じる原爆の日となった。


被爆から70年 原水禁広島大会

2015年09月07日 | 日記

 被爆70周年の原水禁世界大会・広島大会は、8月4日、グリーンアリーナ大アリーナ(広島県立総合体育館)に3400人の参加者を得て始まった。犠牲者への黙とう後、主催者あいさつに立った川野浩一原水禁議長は、ヒロシマやナガサキの被爆についての認識が風化している問題点を指摘し、被爆者がかかえた問題がいまなお多大にあることに加え、安倍内閣による戦争法案制定の動きを強く批判、核兵器廃絶と戦争法案廃案を訴えました。
  被爆者の一人で85歳になる切明さんは、戦前、15年戦争の申し子だった自分や軍国主義下の教育などを省みるとともに、被爆時に壊滅的となった街のなかで自分や周りの人たちをはじめみなが全身にやけどを負い、その治療もままならないまま、死に直面したこと。友だちや下級生の遺体を焼かなければならなかった体験を切々と語り、これが戦争であり、二度と起こしてはならないと述べた。
  また、毎年、国連欧州本部を訪ねて核廃絶を訴えている高校生平和大使の活動について、第18代大使となった井上つぐみさんと脇原華怜さんが、それぞれの思いを語り、ヒロシマの被爆者の声や平和を世界に伝え発信していくことを誓いました。
  福島からは、角田政志福島県平和フォーラム代表が、「原発事故から4年以上。11万人が避難生活を強いられ、不安と苦しみを続けている。もとの生活に戻せと県民は求めてきました。加害者である国と東電の、被害者である県民の支援打ち切りを許してはならない。原発廃炉は県民の総意。脱原発の方向性を国に求めてたたかう」と決意表明した。
 藤本泰成事務局長から大会の基調提案がされ「安倍首相の日本の侵略戦争と植民地支配を覆い隠す姿勢を命を軽視するものとして強く批判、森瀧市郎原水禁初代議長が核廃絶の運動に邁進した姿勢を命の尊厳をもとにしたとりくみとして、その意義をさらに広げること。戦後70年、原水禁50年の言葉を噛みしめてがんばろう」と訴えました。
  続いて大会に参加したドイツ、イギリス、ポリネシア、台湾、韓国、アメリカ、フィリピンの大人14人、子ども4人のメンバーが紹介された。代表してアメリカの市民団体ピースアクションのポール・マーチンさんは、今年のNPT国際会議で最終文書採択できず失敗したこと、今後の課題といて核拡散がつづくなかでオバマ政権が核兵器削減できるかどうかと問題を指摘するとともに、フクシマに数十年にわたるゴーストタウンを生み出した核の利用を許さない国際的な連帯を呼びかけた。
 大会2日目は、市内各地で、分科会や広場が開かれました。第二分科会「脱原子力2~再稼働問題と日本のエネルギー政策」では、海外からの報告を交えて、原子力政策について議論された。冒頭運営委員からは、「国内の原発がすべて止まっているのに、『原発がなくなったら、電気が足りなくなる』という意見が、経済界から出てくる。議論がかみ合わないのは、根拠がなくても原発が必要だと思いこまされる宗教のようなものになっているからではないか。」という発言がありました。台湾からは、放射性廃棄物貯蔵所での汚染の現状や、台湾電力による、原子力発電所の勝手な設計変更の問題、プルトニウム抽出を諦めていない台湾政府の問題が報告された。韓国からは、原発が狭い国土に密集している現状や、政府を除いた国民は、脱原発を目指している現状が報告された。日本からは、弁護士で、核燃サイクル阻止一万人訴訟原告団代表の浅石紘爾さんが、核燃料サイクルの現状について報告し、脱原発社会を作るための運動論として、原発の新設・再稼働は言うまでもなく、核燃料の再処理も廃止する運動が必要と述べた。


戦争法案反対!日教組決起集会

2015年09月04日 | 日記

 8月23日、午前中に関東ブロックカリキュラム編成講座を終わったばかりの、日本教育会館8階会議室で、戦争法案反対日教組決起集会が開かれた。会場には、500人を超える日教組組合員が全国から集まった。
 冒頭、加藤日教組委員長は、「三百代言という言葉があるが、この間の国会審議での、安倍首相の答弁は、まさしく三百代言そのものだ。」と安倍首相を批判し、「私たちが掲げてきた『教え子を再び戦場に送るな』のスローガンを、『三度戦場に送るな』に代えさせてはならない。今こそ、戦争法案の廃案に向けてたたかおう。」と訴えた。
 続いて辻元清美衆議院議員の国会情勢報告があり、「日教組の皆さんや、私たちが言ってきたことを、様々な人が言うようになってきた。これから9月の半ばまでがとても重要だ。地元の自民党や公明党の議員の事務所に、戦争法案反対の声を届けることは、とても効果がある。みんなで、安倍首相を追い詰めよう」と、力強く述べた。参議院特別委員会で質問に立つ予定の那谷屋正義参議院議員は、「みなさんの声をバックに、この法案の成立阻止のために全力で頑張っていく」との決意を述べた。
 全国各地から集まった日教組の仲間からは、それぞれの地域での取り組みの報告があり、戦争法案廃案に向けた決意を確認し、加藤委員長の団結ガンバローで集会を終えました。