東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

福島県漁業組合連合会長の野崎哲さんの怒り

2013年08月30日 | インポート
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 27日、福島県漁業組合連合会長の野崎哲さんのお話を聞いた。
 野崎さんは、「福島のすべての漁港が津波被害を受け、その上、原発の爆発で操業停止に追い込まれた。再開にむけ努力を続け100Br/kg以上の魚は1.6%の所まで来て15魚種について試験操業始めているところだ。生活を取り戻すために東電を信じるしかない中で、どう怒りを表現するか難しい。原発現場で働く2~3,000人の70%は福島県民だ。事故の現場で生きる県民・漁民のことを考えて欲しい。収束宣言は嘘っぱちだ。フクイチは、津波対策すら進んでいない。事故の収束については、現実に福島で生活していくために、どうすればいいか具体的に方法も人も金も考えてもらわないと困る。大きな問題である原子力政策と、福島の現実をどうするかをごちゃ混ぜにして議論してもらっては困る。」と訴えた。
 全国漁業協同組合連合会は、放射能汚染水の海洋流出は「全国の漁業者・国民に対する裏切り行為」と指弾し、「国は収束宣言を正式に撤回し、原因究明を図るとともに、国主導で汚染水対策の道筋を示し、海への漏出を完全に防止する対策を直ちに講じることを強く求める。」とする要望書(7/25)を1ヶ月以上前にだしている。 
28日、原子力規制委員会は「レベル3」(重大な異常事象)に引き上げることを決めた。漏出タンクのそばでは人が近づくことも難しい毎時90~96ミリシーベルトを計測している。
 29日には、全国漁業協同組合連合会の岸会長は「もはや(東電の)汚染水管理は破綻した」との認識を示した上で、同日午後に菅義偉官房長官と会い、国が問題の解決策を主導するよう要請する意向も明らかにした。
 汚染水問題を受け、9月以降の試験操業を中断する福島県漁業協同組合連合会の野崎哲会長は会談後、記者団に「我々は一からやり直しだ」と憤った。宮城県漁協の菊地伸悦会長も「今回東電が説明した対策は2年前でもできた。納得できない」と声を震わせた。
と報道されている。


韓国の学校は

2013年08月29日 | 受験・学校

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ちょっとした縁があって、ソウル市と釜山市の小学校を訪問した。校庭のフェンスに、へちまやヒョウタンがぶら下がっていたり、大きなプランターに穂が出たての稲が栽培されていたりして、日本の学校と同じだなと思ったが、おっとどっこい!どちらの学校も、とても立派な施設で、正直なところちょっとびっくりし、同時に情けなくなった。施設だけではない。どちらの学校も、一クラスの児童数は、30人以下である。だからだろうか。教室の机も、日本の学校よりも少し大きかった。当然、教室の後ろには、ゆったりとしたスペースがあった。
 さらに驚いたことには、それぞれの学校がなかなかに個性的だったことだ。ソウルの学校の図書室には、秘密基地のようなコーナーがあり、子どもたちがそこに潜り込んで本を読むことができるようになっていた。しかも、「図書室」という名前でなく、「ほんの遊び場」という韓国語になっているらしい。(韓国語は読めないので、聞いた話だが)
 釜山の学校は階段の踊り場に、四字熟語を解説したパネルがあり、特別教室の表示にも、ハングルと英語と漢字が使われていた。トイレのドアのカラフルさに驚いていたら、保健室がさらにカラフルで、壁はに木の絵が描かれていた。
 ここまでは施設の話ばかりだが、教育の中身についても考えさせられた。どちらの学校も、体験的な学びや、プロセスを大事にした学びを重視していると説明された。ソウルの学校では、「民主的な学校運営が大事だ」と校長自ら語られていた。釜山の学校には、「教育福祉室」という部屋があり、経済的にあまり豊かでない家庭の子どもをサポートする体制が作られていた。
 学力テストで、子どもや学校、自治体を競争させてばかりで、ろくに予算を使わないというこの国の教育は、本当に大丈夫か?と考えずにいられない。

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安全衛生委員会の職場巡視

2013年08月28日 | インポート
1308 参院選の結果にぐったりして夏休みが始り、8月の猛暑でぼーっとしていたら、いつの間にか2学期が始まってしまった。
 のんびり過ごした夏休みだったが、その中の1日、区の安全衛生委員会が毎年夏休みに行っている職場巡視に、労働側委員として参加した。労使1名ずつの2名で学校を訪問し、校内の視察と安全衛生管理者(副校長)との話し合いを行っている。
 内容は、勤務中の事故や健康診断、喫煙対策、VDT作業等の内容に加え、職員の長時間労働について取り上げている。文科省は2009年に「学校は、教職員の勤務時間の適正な把握に努める必要がある」と通知し、その方法として「使用者が自ら現認することで確認し記録する」ことを挙げているが、現場ではほとんど守られていない。管理職によっては「教員はしかたがない」と最初から諦めている向きもある。休憩時間の確保と長時間労働の防止については、繰り返し問題点を指摘し改善を要求していくしかない。
 さて今年の夏休み。休養と充電が充分できただろうか。休みが明けてもしばらくは「調整期間」を置いて、無理せず仕事を始めたいものである。
イタドリ


沖縄と東京の温度差

2013年08月27日 | インポート
P1010958 今年も東京教組のオキナワStudy Tourが、8月16日~19日に行われました。参加者の感想の一部を紹介する。
 沖縄戦において住民にとって貴重な避難場所であったガマ(自然洞窟)を日本軍が使うために住民を追い出したり、最も危険な入り口付近に追いやったこと。各地で引き起こされた集団自決等々、毎回、講師の方々の話を必死でメモを取りながら、頭に入れるのに精一杯で、理解しきれないことも多いのですが、この学習会に参加すると、自分が今できることを少しずつでもやっていかなければという気持ちを持つことができます。
 佐喜眞美術館で、丸木位里・丸木俊さんの描いた「沖縄戦の図」を前にして語られた「南部への撤退の中で、住民たちが逃げて行く時、腐ってぱんぱんに膨らんだ死体を踏むと、踏み抜かれて破裂し大量のウジや肉片が飛び散る」「沖縄戦で、五体満足な遺体はほとんどなかった」というお話に心を揺さぶられ、また、朝鮮半島や中国、東南アジアで現地の方々に対し、日本軍が行った残虐な行為という、加害の歴史についても、自身が学ぶだけでなく伝えていくことの必要性を強く感じました。今、ネット上には、軍隊や戦争を美化し、中国や朝鮮半島に対して信じられない位の差別的な思想が溢れています。加害の歴史を認めず、差別や歴史認識に対する反論を徹底的に叩き潰し、議論すら許さないような風潮が広がっています。とても恐ろしいことです。
 普天間基地の名護市辺野古への移設計画も、宮森小学校へのジェット機墜落事故も他人事ではなく、私たち自身の今後に大きく関わってくるという気持ちを常に持ち、学び続けていきたいと感じました。沖縄は今も基地と隣り合わせ、危険にされられています。東京にいる私たちが、沖縄に関心を持ち続けることの大切さを痛感した今回の学習会となりました。

 沖縄と東京の温度差は、地元新聞「琉球新報」「沖縄タイムス」と読売・朝日・毎日・産経などの記事によってもはっきり表れる。例えば、
ゲン閲覧制限 沖縄戦体験者「戦前の検閲のよう」<琉球新報>
絵本作家の磯崎主佳さん(42)は「今回の閲覧制限は、必死の思いで語ってきた戦争体験者の声を封じる動きに見える」と話す。「漫画は原爆を体験した作者・中沢啓治さんの『どうしても伝えたい』という心の叫びだと思う。子どもたちにはその声や表現を受け取る自由がある。悲惨な表現を制限するのではなく、子どもが感じる恐怖や疑問を共に考えることが大人の役割だ」と力を込めた。
 一方、関西大の高作正博教授(憲法学)は、公立図書館で職員が特定の書物を廃棄したことをめぐる過去の裁判で最高裁が「著作者には自らの著作物を伝える利益がある。それを妨げる図書館の行為は違法」と認めた判決を挙げた。これを例に「何の議論や基準もなく閲覧できなくなることは、著作者の表現の自由や子どもたちの知る権利を侵害している」と説明した。

「はだしのゲン」 教育上の配慮をどう考えるか(8月25日付・読売社説)
 憲法は、表現の自由を保障し、検閲を禁じている。市民が広く利用する一般の公立図書館で蔵書の閲覧を制限することは、こうした観点から許されない。
 ただ、小中学校図書館を一般図書館と同列に論じることは適切ではあるまい。作品が子供に与える影響を考える必要がある。心身の発達段階に応じた細かな対応が求められるケースもあるだろう。
 下村文部科学相が「市教委の判断は一つの考え方。教育上の配慮はするべきだと思う」と述べたことはもっともである。

 小中学校図書館も公立図書館であり、子どもたちも市民である。
 東京が「井の中の蛙」にならぬよう、私たちは沖縄からもっと学ぶべきだ。


「ナチス憲法」の手口から学ぶ

2013年08月26日 | インポート

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 7月29日に、麻生太郎副総理が憲法改正の議論のあり方について、「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか」と発言した。
 ナチス憲法なるものはなく、ワイマール憲法下で「全権委任」を果たし、ヒトラーは独裁政権を築いたことを麻生氏は知っているはずだ。つまり、この発言は国民が大切にしている日本国憲法下で「戦争ができる国づくり」を粛々と進めようではないかという決意表明なのではないだろうか。選挙に大勝した麻生氏は、こうも言っている。

「僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。」

 その通りである。麻生氏は、「あなた方、日本国民が、私たちを選んだんですよ」と言っているのだ。
 麻生氏は、こう続けている。

「そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、どう運営していくかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持(きょうじ)であったり、そうしたものが最終的に決めていく。」

 その言葉のとおり、安倍首相は、集団的自衛権の合憲化をめざして内閣法制局長の首をすげ替えた。
 「失言」ひとつで次々と閣僚が辞任してきたが、こんな超弩級の発言をして、なぜ麻生氏は辞任しないのか。それは、「失言」ではなく、麻生氏および自民党政府の「見解」であり本音だからだ。
 日本国憲法に、ワイマール憲法と同じ歴史をたどらせてはならない。
   (ミズナラのドングリ


本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる

2013年08月23日 | インポート

昨日、このブログで取り上げた漫画「はだしのゲン」を学校で閲覧制限した松江市教育委員会の対応について、下村博文文部科学相は21日の記者会見で「特段の問題はない」と述べた。漫画の内容について「教育上好ましくないと考える人が出るのはあり得る」とも話し、対応に理解を示した。また、鳥取市立中央図書館が約2年前から児童書コーナーから事務室内に移し、自由に手に取れない状態になっていることも分かった。

広島県出身の女優、東ちづるさんが、この問題についてFBでこんな風に述べています。

広島や長崎出身の私たちは、戦争教育(平和教育)、被爆教育をこれでもか!というぐらい受ける。『はだしのゲン』だって、読むのが当たり前だった。平和祈念公園の資料館は、はだしのゲンの描写よりキビシイものだった。こわかった。つらかった。悲しかった。
戦争がこわい、つらい、悲しい、いやなものだということを子どもの頃から分かっていてよかった。どう見せるか、読ませるか、伝えるかが重要。子どもは知り、考え、未来をつくっていく。

Dsc01380 子どもから隠す、子どもの目に触れさせないのではなく、子どもたちと一緒に学び、考えていくことこそ教育なのではないか。

表現の自由は、民主主義の根幹だ。そして、表現の自由は、知る自由があってこそ成り立つものなのだ。

ハイネは戯曲『アルマンゾル("Almansor")』において『焚書は序章に過ぎない。本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる』という警句を残している。


「図書館戦争」を観た

2013年08月22日 | インポート

「図書館戦争」という映画を遅ればせながら見た。ベストセラーとなった有川浩の同名小説を映画化したものだ。

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映画の冒頭『図書館の自由に関する宣言』が画面いっぱいに映し出される。

図書館は資料収集の自由を有する。

図書館は資料提供の自由を有する。

図書館は利用者の秘密を守る。

図書館はすべての検閲に反対する。

図書館の自由が侵される時、われわれは団結して、あくまで自由を守る。

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ストーリーは、まさに荒唐無稽。公序良俗を乱し人権を侵害する表現を規制するための「メディア良化法」が制定され、監視権を持つ「メディア良化委員会」が発足し、不適切とされた図書等は、「メディア良化隊」による取り締まりを受け、没収され焼かれてしまう。こうした、検閲が正当化され、表現の自由が侵されつつある近未来の日本を舞台に、『図書館の自由に関する宣言』を元に図書館が独自に組織した自衛組織「図書隊」が読書の自由を守るために戦うというものだ。確かに荒唐無稽だが、「読書の自由を守る」「読書の秘密を守る」「表現の自由を守る」というコンセプトは素晴らしく、また、今の日本を見ていると、本当に荒唐無稽と言い切れるのか、恐ろしい気持ちにもなった。

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R0016692_3 さて、この『図書館の自由に関する宣言』だが、知らない方にとっては、映画の架空の宣言と思われるかもしれないが、実は戦前に思想善導機関として機能した図書館の歴史を反省し、1954年日本図書館協会が綱領として採択した「図書館の自由に関する宣言」である。図書司書の資格を持っている方は、必ず学んだはずだ。

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広島の原爆被害を描いた漫画「はだしのゲン」について、松江市教委が「描写が過激」 として小中学校に貸し出し禁止を要請したことが大きな波紋を呼んでいる。『図書館の自由に関する宣言』には、国民の知る自由を保障するため「図書館は、正当な理由がないかぎり、ある種の資料を特別扱いしたり、資料の内容に手を加えたり、書架から撤去したり、廃棄したりはしない」とある。


消えた「はだしのゲン」

2013年08月21日 | インポート
Photo 中沢啓治さんの「はだしのゲン」が松江市内の図書館から消えた。
 朝日新聞によると、いきさつはこうだ。松江市議会教育民生委員会の複数の委員から「大変過激な文章や絵があり、教育委員会の判断で適切な処置をするべきだ」との意見が出たため、市教委があらためて協議し、閉架を決めたという。中沢さんの妻ミサヨさんによると、中沢さんは生前、「戦争や原爆を食い止めるためには、子どもにも残酷でもその悲惨さを伝えるしかない。ゲンは子ども向けに描写をやわらげたが、実際の残酷さはあんなもんじゃない」と語っていたという。松江市教委の対応について、ミサヨさんは「信じられないし、悲しい。戦争や原爆の悲惨さや痛みがわかっていないのではないでしょうか」と話している。
 表現の自由を奪い、事実までも抹殺しようとする圧力に松江市教育委員会が屈したことは、憲法21条(表現の自由)、99条(憲法尊重擁護の義務)に反するものといわざるを得ない。これを放置・容認すれば、全国の図書館・小中学校にこのような「措置」が拡がる危険がある。
 また、松江市教育委員会の教育長が、教育委員会に諮らずに「はだしのゲン」の閉架を図書館に命じていたことも判明したようで、改めて教育委員に諮ると弁明している。
サルスベリ・百日紅



被爆国としての原点に返る

2013年08月20日 | インポート
Kif_0631 今年の長崎平和宣言で、田上長崎市長は出席した安倍首相の前で日本政府に苦言を呈した。そこには、自らも参加したNPT再検討会議準備委員会で日本政府がとった驚くべき裏切り行為への怒りと悔しさがにじみでていた。平和宣言のその部分を引用する。
 日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。
 今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。
 しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。
 インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。
 NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。
 日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。
  非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。

 そして宣言は、期待を裏切った日本政府をあてにすることなく、市民の力で核廃絶を実現することを若い人々に訴えた。
 核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけにまかせるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります。
 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。
 若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。
 あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。

 東京教組は、30周年を記念してヒロシマ子ども派遣団を募集している。多くの子どもたちに、被爆者の声を直接聞いて欲しいと願う。詳しくは、東京教組ホームページをご覧ください。




校則改正草案

2013年08月19日 | インポート

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 ある中学校の生徒会長が、就任早々、学校に「校則改正」を迫るという設定の朗読劇「たかし君の校則改正草案・・・国がやるなら僕もやる」(作・杉田久幸)の記事を読んで、あまりのブラックジョークに笑ってしまった。
 その校則改正案は、例えば、「我が校の生徒は、学校と郷土を、誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や先生全体が互いに助け合って学校を形成する」など自民党の「憲法改正草案」をふんだんに引用している。第3条は、「我が校の生徒は校章および校歌を尊重しなければならない」だし、第9条は「我が校の平和と不審者から生徒の安全を確保するため、生徒会長を最高指揮官とする学校防衛軍を保持する」
 いまどき、こんな「トンデモ校則」はどこにもないだろうが、なんだか校則っぽいところがゾッとする。校則は生徒を縛るものだとしたら、自民党憲法草案は国民を縛るものだということもよくわかる。


谷中学、水俣学…

2013年08月12日 | インポート
Photo_2田中正造は、「足尾鉱毒事件」に出会い、金や物に支配され「立身出世」の熱に浮かされ、いかなる手段を用いても成功した者が勝ちという社会を批判した。その谷中での研究を「谷中学」と名付けた。それは「実践の学問」であり、どんなに知識があっても実践に役に立たなければ意味がないとした。

 この谷中学を継承して、水俣学が生まれた。昨年亡くなった原田正純さんは、「水俣病の歴史は足尾鉱毒事件と同じで、100年も200年も続く事件」「これほどの社会的な事件を、医学だけで解決できるわけがない…いろんな学問が自分たちの分野に水俣を映してみたときに何が見えるか…学問の枠を取っ払って、しかも、民衆も参加するような研究の仕方がいま、ものすごく必要なんです」(「原田正純の遺言」岩波書店)と語っている。
大学ぐるみで薬のデータを改ざんする医者、放射能を恐れるなと宣伝する学者など学問の荒廃から救うためにも、水俣学を継承した福島学が求められている。それは、教育学にも問われている。
アラゲハンゴンソウ



ヒロシマ・ナガサキの記憶

2013年08月09日 | インポート

120809_1158001ナガサキ原爆忌。
 岩波ホールで上映されている「ヒロシマ・ナガサキ-WHITE LIGHT BLACK RAIN-」を観た。(8/2本ブログで紹介)
 ショックだったのは、渋谷の雑踏の中で若者に「1945年8月6日に何があったか知っていますか」というインタビューに誰一人、答えられなかったことだった。被曝体験の継承どころではない。歴史そのものが人々の記憶から消し去られようとしている。
 映画の中で、被爆者も原爆投下にかかわったアメリカ人も、必死に原爆と向き合おうとしている。故中沢啓二さんは、「はだしのゲン」は私の実体験であり、いまでもすべての情景を思い出すことができるし、それを映画のセットのように細部までつくることができます。と語っていた。
 この映画には、和解も美談もない。生き残った者として、語ると語らざるにかかわらず消し去ることのできない記憶が記録されている。このドキュメンタリーのように、あらゆる表現で記憶を残し、語り継いでいかなければならない。その記憶の先に、生きることの尊さ、個人の尊厳、平和への希求がある。
 原爆を投下した、B29「ボックスカー」は、小倉から長崎に標的を変えるのに時間がかかりテニアンまでの燃料がなく、すでに占領していたオキナワ読谷飛行場に帰還した。
 
この日に「御前会議」が行われ、翌10日「国体護持を条件に、ポツダム宣言受諾を決定」した。


ピースとハイライト

2013年08月08日 | インポート

5年ぶりに復活するサザンオールスターズの新曲「ピースとハイライト」の歌詞がなかなかいい。
桑田圭祐の今の思いが伝わってくる。ドイツの自動車のCMにも使われているが、あのメロディーにこの歌詞が違和感なくのっかってしまうところがサザン節の真骨頂か。歌詞の一部を紹介する。

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教科書は現代史を
やる前に時間切れ
それが一番知りたいのになんでそうなっちゃうの?
希望の苗をうえていこうよ
地上に愛を育てようよ
未来に平和の花咲くまでは…Blue
(中略)
歴史にて照らし合わせて
助け合えたらいいじゃない
硬い拳を振り上げても
心開かない
都合のいい大義名分(解釈)で争いを仕掛けて
裸の王様が牛耳る世は…狂気(insane)
20世紀で懲りたはずでしょ
燻る火種が燃え上がるだけ
いろんな事情があるけどさ
しろうよお互いのイイところ!!
希望の苗を植えていこうよ
地上に愛を育てようよ

大義名分で争いを仕掛ける夏にしたくない。
希望の苗を植え、育つことを祈る夏にしたい。


靖国訪問を禁じた文部省

2013年08月07日 | インポート
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 1949年10月に「社会科その他、初等及び中等教育における宗教の取扱について」という文部次官通達がだされた。
 その一節に「学校が主催して、靖国神社、護国神社(以前に護国神社あるいは招魂社であったものを含む)および主として戦没者を祭った神社を訪問してはならない」(以下「次官通達の一節」)というものがある。
 招魂社(靖国神社)が戦争遂行に果たした役割の反省と憲法20条(信教の自由)3項から考えて当然の通達だ。
 2008年3月、この「次官通達の一節」は失効していると渡海文科大臣が国会で答弁。5月には、福田首相が平沼赳夫衆議院議員の質問に「失効したものと考える」とする政府答弁書河野洋平参議院議長に送付。学校の靖国神社訪問を可とする文科省の見解が明記されたことになる。
 おりしも、この年は2003年から5年越しのイラク戦争への自衛隊が派遣の終了を目前とた時期だった。
 戦争ができる国つくりと、教育が一体のものであることの証左といえる事件だ。
 今年も8月15日が近づいてきた。国会議員の靖国参拝が急増する一方で、東京を始め地方の教育委員会が「日の丸・君が代」強制の事実を記載した実教出版の教科書を排除する事態に至っている。壞憲の前に憲法が解釈だけで壊されようとしている。



68年目のヒロシマ原爆忌

2013年08月06日 | インポート

Photo 広島への原爆投下の約1か月前にイギリス政府がアメリカ側に同意を表明していたことが、機密指定を解除された米公文書で裏付けられた。(共同通信7/4)この公文書では、イギリスは、大戦末期の1945年7月4日にワシントンで開かれた原爆開発協力の合同政策委員会の会合で同意していたとしている。20年ほど前に東京教組の「ヒロシマ子ども派遣団」に参加し、そのイギリスに留学した経験のある教え子からの報告を紹介する。

 初めて派遣団に参加したのは確か10歳の時。とにかく原爆資料館のジオラマとケロイドの写真が怖くて足早に展示の前は通りすぎたのをよく覚えています。結局それ以降毎年派遣団に参加し、その頃の春休みの恒例行事になりました。最初は親の意向による参加だったと思いますが、最終的には派遣団の経験は、自分の世界観や思想が形成される過程でその礎となったと今振り返って思います。広島や長崎への原爆投下はさらっと学校で習いますが、自分自身の目と耳で受け止める歴史はもっとずっと奥深くて複雑に交錯している。実際に自分で情報を能動的に処理していく癖も、派遣団に参加したことがきっかけに鍛えられました。
 
私は19歳から海外で暮らしましたが、やはり西側の第二次世界大戦に勝った国々の若者は「正義のためには戦もやむを得ん」と圧倒的に思っている。ナチスを阻止するために必然だった戦争という認識です。そんな人たちと「いや、そうじゃないんだ」と議論する時は必ず広島の原爆の話をしていました。銀行の階段先に座っていた人を一瞬にして蒸発させてしまう原爆も、正義のためには必要なのか?と。感情論ぽくなるのですが、それでも実際に自分が広島で見てきたことを伝えると相手は誠実に耳を傾けてくれました。
 
政治や歴史について議論するときは同意に至る必要なんて全くないと思いますが、それでも自分が広島で学んで形成された平和への思いはきちんと声にしてこそ意義があるのかなと思います。歴史の大きな流れの中で一個人に一体何ができるのかと思うことも多々あります。しかし、いつの間にか戦争がまた始まっていて、いつの間にか人を殺していて、という流れが完全に無いとは言いきれない昨今の流れの中で、ちょっと待った!と声に出していきたい。それは派遣団で広島に行き、原爆が投下された時あの場所で何が起こったのか学んだからこそ言わなくてはいけない、責任みたいなものかなあと思います。

 「2020年までに核兵器の廃絶を目指す」と今日、松井広島市長は平和宣言で決意を述べた。そのためにも、「正義」で核兵器を正当化することはできないことを「事実」で語っていくことの使命を新たにした。

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