東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

イジメの記憶

2013年07月31日 | インポート
1010883_179336552239702_1474400509_ボクシングの元フライ級世界チャンピョン、内藤大助さんの逸話を紹介する。(FBからのシェアです。)
ひどいイジメだった。胃潰瘍ができた。

毎日毎日、恐怖が続いた。

いまもそのトラウマが残っている。

僕がボクシングを始めた理由。

それは、中学のときのイジメだ。

相手に仕返しするためじゃない。

自分の身を守るため。

パンチを打つのではなく、

相手のパンチをよけるため。

僕は強くなりたいと思った。

僕は北海道の豊浦町で生まれた。

家は貧しかった。

サビだらけのトタン板で囲われた木造二階建て。

窓は木枠でできていたけれど、

きっちり閉まらない。

毎年、冬の寒さをしのぐため、

ビニールを打ち付けて、窓をふさいでいた。

僕には父親の記憶がない。

僕が生まれてすぐに離婚したらしい。

母親は、自宅の離れで食堂兼民宿を営み、

朝から晩まで忙しく働いた。

なにも買ってもらえなかった。

中学時代当時の僕は、身長が140センチくらい。

相手は170センチ以上あるやつもいて、

喧嘩してもかなわないと思った。

僕は笑いのものにされ、

使いっぱしりをさせられ、

それでもご機嫌をとり、

媚を売りながら生きていた。

母親には隠していたけれど、

ある日、お腹が痛くて病院に行くと、

胃潰瘍ができていた。

中学三年になって、

さらにイジメはエスカレートした。

モノを隠され、

靴を捨てられ、

服を脱がされた。

もう、限界だと思った。

カラスやスズメ、

虫でもいい、

人間以外のものになりたかった。

学校に行きたくなかった。

そのとき、佐々木先生が異変に気づいてくれた。

先生は、小さくて、

運動神経がよくて、

サッカー部の顧問。

歳は25歳くらい。

生徒との距離が近くて、

冗談が通じるやわらかい雰囲気を持った人。

その佐々木先生がホームルームで、

こう切り出した。

「最近、誰かが、誰かをからかっている。

特定の人に、ひどいことをしている。

誰がやっているか、思い当たる人は手をあげろ!」

誰も答えない。

すると先生は、大声であいつの名を呼んだ。

「おまえのことを言ってんだよ!!」

シーンとなった。

僕は、ビックリした。

すごいと思った。

こんな大人もいるんだと思った。

先生が叫んでから、イジメはおさまった。

僕は、ボクシングを始めた。

不思議なことに、強くなると、

やり返そうという気持がなくなった。

「先生のひとことで、救われたんだよ」

フライ級の日本一になって北海道に帰ったとき、

先生にそう言った。

先生は、変わらぬ優しい笑顔で、小さくうなずいた。

【元日本フライ級王者内藤選手の逸話より】


いったい何がやりたいの?

2013年07月30日 | インポート
Dpp_0132 参議院選挙が終わった。自民党の圧勝で壞憲を危惧する声が上がっているが、すでに秘密保全法案、児童ポルノ改正案が秋の国会に提案され、憲法21条「集会、結社、表現の自由」が侵される危険が迫っている。

 さて、その参議院選挙の開票速報、いわゆる「選挙特番」だが、その視聴率は1位がNHKで16.5%、2位がテレビ東京『池上彰の参院選ライブ』10.3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だった。

 NHKは、緻密な出口調査などによる当落予想の正確さ、速報性。テレビ東京は、視聴者の知りたいことを聞く、参加型の報道が支持されたと思われる。

 池上彰さんは「奥様は脱原発はだそうですが」安倍首相に質問、その答えが「様々な家庭においても意見が異なる。過酷事故を起こしてはいけない。新しい安全文化を作っていかなければと家内にも話している」

「また安全神話なの!」と妻が突っ込みそうだ。

 報道されなかった、渡辺美樹さんに聞きたかったことを池上さんが述べている。
明け方になってようやく当選確実となったワタミ創業者の渡邉美樹さん。ワタミグループで過労を苦にした自殺者が出たことについて、私たちの番組のインタビューに「それでブラック企業と言われたら、日本には千や万のブラック企業がある」と開き直っていました。
 反省はないのか、亡くなったかたやご遺族への弔意はないのか、そして2年前は民主党の推薦を受けて都知事選に出て、今回は自民党から国政に挑戦したことについて、「政党も違えば、選挙も違う。いったい何がやりたいの?」と素朴な疑問をぶつけ、答えを聞いてみたかったですね。


あっぱめは(赤ちゃんは)

2013年07月29日 | インポート

Photo 八丈島の青年教員から「八丈・島ことばかるた」をいただいた。
 西多摩から小笠原(日本の最南端である沖ノ鳥島と、最東端である南鳥島)まで東京は広い、
当然、東京方言も豊かで、山の手言葉と下町の江戸言葉(下町言葉)だけでなく、多摩地方には多摩弁、島には北部伊豆諸島方言・八丈方言・小笠原方言がある。
 「かるた」を作成した八丈町教育委員会によると、八丈島には、縄文時代から人が住み、その言葉は縄文と弥生の間くらい、万葉集の東歌に共通したものが見られるという。消滅の危機にある「島ことば」を残すために活用してほしいと教育委員会は呼びかけている。
 少し、島ことばを紹介しよう。「ささんで」→「頭にのせて」、「おじゃみ」→「お手玉」、「かきじゃるめ」→「ゴキブリ」、「きりばん」→「まな板」・・・さて、「くつこーしめが なくと ほとうて くろわのー」は、どんな意味でしょう。
 興味のある方は、東京教組にありますので、お問い合わせください。
 さて、このかるたには「ん」の札もあるのも特色だ。
んーまきゃのー この しまずしは
(おいしいね この 島の寿司は)


東日本大震災、子どもたちは何を見て、その後をどう生きたのか。

2013年07月26日 | インポート

Photo
 東日本大震災、子どもたちは何を見て、その後をどう生きたのか。岩手県山田町の町立大沢小学校を卒業した箱石佑太君の日記は私たちに多くのことを問いかけてくれる。

◇3月11日
卒業式の歌の練習をしていました。
とてもゆれの大きい地震が来ました。
最初は単なる地震だと思っていました。
大津波警報が出ても、どうせこないと思っていました。
来たとしても10センチメートル程度の津波だと思っていました。
全然違いました。ぼくが見たのは、国道45号線を水とがれきが流れているところです。

お母さんとお父さんが津波が来る前に大沢小に来ているところは見ました。だけどその後、お父さんが軽トラでもどっていった姿を見ました。

お父さんのことが不安でした。
車を運転しながら津波にのみ込まれませんように。
そう祈っていました。

◇3月18日
津波から1週間。
お母さんは、もうこんなに日がたっているのに、まだお父さんが見えないとあきらめていました。
じいやんは泣いて「家も頑張って建てるし、おまえたちだってしっかり学校にいかせられるように頑張るから、お父さんがもしだめだとしても頑張るからな」と言っていました。

◇3月23日
卒業式でした。
「ありがとう」の歌を歌っている時、お父さんに
「お父さん、お父さんのおかげで卒業できたよ。ありがとう」と頭の中で言いました。
そしたらなぜか、声がふるえて涙が少し出てきました。
その夜、こんな夢を見ました。
お母さんとお父さんが宮古のスーパーマーケットから帰ってきた夢でした。

◇3月25日
親せきの人の携帯に電話がかかってきました。
内容は、お父さんらしき人が消防署の方で見つかったということでした。
急いで行ってみると、口を開けて横たわっていたお父さんの姿でした。
ねえちゃんは泣き叫び、お母さんは声も出ず、弟は親せきの人にくっついていました。
顔をさわってみると、水より冷たくなっていました。
ぼくは「何でもどったんだよ」と何度も何度も頭の中で言いました。
「おれがくよくよしてどうすんだ」と自分に言いました。
でも、言えば言うほど目がうるんでくるばかりです。
お父さんの身に付けていたチタン、東京で買った足のお守りや結婚指輪、携帯。
そして驚いたのが時計が動いていたことです。
お父さんの息が絶えた時も、津波に飲み込まれている時も、ずっと。
お父さんの時計は今はぼくのものになっている。
ぼくがその時計をなくしたりすることは一生ないだろう。

◇3月26~27日
見つかった時のお父さんの顔。
まだ頭のどこかで見なきゃよかったと。
でも見つかったおかげで火葬もできるし、お父さんをさわることができた。
お父さんの体は水を飲んだのか胸がふくらんでいるだけだ。
やっぱり見つかってよかった。

◇3月28日
きょうは火葬の日。
ぼくとねえちゃんとお母さんとけいじろうは、手紙を書いて、お父さんと一緒に入れてやりました。
拝んでいる時ぼくは「箱石家は頑張って継ぐからまかせて」と言いました。
お墓に骨を埋めるまで、ぼくに骨を持たせてくれました。
骨をうめてホッとしました。

◇4月7日
きょうは、ありがたいと心から言える日でした。
お父さんとぼくたちの記事を見て、お父さんが東京マラソンを走った時の写真とお手紙を新聞の人が持ってきてくれました。
ぼくたち家族に贈る言葉や、さらにはぼくに贈る言葉の手紙もありました。
やっぱりお父さんはすごい。
今日は本当にありがたい日だ。

 佑太君は、155人の仲間と町立山田中学校に入学した。
この日記は、大沢小の子供たちが復興に立ち向かう様子を紹介する「大沢からの報告」として毎日小学生新聞に掲載された。


床屋談義

2013年07月25日 | インポート

Photo おしゃれな江戸の男たちが頻繁に通った髪結いが床屋。今は、理容店というが、社交場としての床屋を髣髴とさせるのが落語の「浮世床」だ。
 さて最近、床屋に行った時の話だ。髪を刈ってもらいながら、東北の被災地の様子を話していたら、床屋のマスターからこんな話を聞いた。
 双葉町から埼玉の加須市に避難してきている被災者の中に、同業者がいたそうだ。小さな店舗を借りて、営業を再開したのでお祝いがてら訪ねたところ、椅子は、美容室で使われる華奢な物で頭を洗う洗面台も、小さな流しのようなところを代用していたという。
 床屋の椅子というのは、いろいろな機能がついているだけでなく、とてもしっかりと作られていて、優に100キロはあるとのこと。もちろん、それなりの値段もするわけだが、東京では高齢化でやめる床屋もあって、「持っていくならどうぞ差し上げますよ」という同業者もいるのだそうだ。というわけで、マスターは、理容組合のつてで椅子を調達し、加須まで届けたのである。
 とはいえ、100キロはある代物なので、運び込むには相当苦労があったという。当然、自家用車では運べないから、軽トラックをレンタルし、何人かの知人に手伝いを頼んだそうな。
 片方に、椅子を必要としている人がいて、片方には、「差し上げてもいい」という人がいる。今回は、そこをうまくつなぐことが出来たわけだが、被災地や仮住まいのところでは、こうした問題がいくつもあるように思う。いざ物を運ぶには、お金も人手もかかる。情報をつないだりするのは、NPOあたりが出来そうだが、コストの部分で、それを負担するスポンサーになってくれる企業とかはないものだろうか。
エゾムラサキツツジ


就活うつ

2013年07月24日 | インポート
Img_5685教員試験が終わり、発表を待つ教員志望のみなさん。「就活うつ」にご注意。
大体、「うつ」は、きまじめな人がなりやすいものだ。
最近は、親のプレッシャーが引き金になる例もある。
「眠れない」「わけもなく不安で、気持ちにちっとも余裕がない」「朝がつらくて家を出る気にならない」そう感じたら、“就活うつ”の前兆かもしれない。
NPO法人「POSSE」が2010年に学生約600人を対象に行った調査によると、就活経験者の7人に1人が就活うつ状態という。そもそも、どうして就活うつになってしまうのか?
「面接をいくら受けても不採用続き、自分が社会から必要とされていないと感じてしまう。
「大学までは親の期待に応えて、エリートコースを進んできたつもりでした。でも就職活動はなかなかうまくいかなくて…。親に“どうだった?”とその日あった面接のできを聞かれるだけで、嫌だった」
「家を出ると、母親から“頑張ってね”って声をかけられるのが苦痛で。期待に応えなきゃいけないのがプレッシャーだった」
 最近では、親が子供の就職活動に首を突っ込むケースも増えているが、そうした親の期待が大きな負担になってしまう学生もいるようだ。東京えびすさまクリニックの精神科医・山登敬之さんは、「子供の頃から親の期待に添うように頑張ってきた人が、これ以上もう頑張れない…とばかりに、うつにはまっていく。うつ病に限らず、若い人の摂食障害やひきこもりには、このパターンがよく見られます。とくに、抑圧的、支配的な母親の呪縛から逃れられず苦しんでいる娘は多い。そういう親のもとをどうやったら逃げ出せるか、就活を機に考えてみるのも悪くないかもしれません。これから先の長い人生を考えたら、そちらのほうがよっぽど重要な問題でしょう」と語っている。
 若者よ!「ウツ」になるより「ノーテンキ」のほうがいいさ。「なんくるないさ~」
(就活のないネコたち)


一枚の写真

2013年07月23日 | インポート
9aaac794d2ec135ecfaa2f3a38ce3051 有名な一枚の写真、この少年と撮影した男の人生が、戦争を止めるかもしれないと思った。
 報道写真家、ジョー・オダネルが撮影した「焼き場に立つ少年」(1945年長崎の爆心地にて)だ。オダネルの遺品にあった録音テープに、彼自身が、この写真について語っている。
 「ひとりの少年が現れた。
背中に、幼い弟を背負っているようだった。
火葬場にいた2人の男が、弟を背中から外し、そっと炎の中に置いた。
彼は黙って立ち続けていた。
まるで、敬礼をしているかのように。
裸足だった。
炎が、彼の頬を赤く染めていた。
彼は泣かず、ただ唇を噛みしめていた。
そして何も言わず、立ち去っていった」

 軍の命令に背いて撮影され、40年以上封印していた写真をオダネルは公表した。自らの被曝に気づき、ナガサキの体験を語り、原爆投下の過ちを告発するためだった。彼は、語る。
 「体のあちこちに異変が起きた。25回も手術することになった。
爆心地に送り込んでおきながら、軍は何も情報をくれなかった。
かなりひどい放射能汚染があったというのに、何も知らないまま、とてもたくさんの時間、長崎の爆心地にいた」

 オダネルは、原爆による被害だと、アメリカ政府に補償を求めたが、その訴えは却下された。フクシマの現実と、なんと酷似していることか。「歴史は繰り返すというが、繰り返してはならない歴史がある」と語るオダネルの遺した30枚のナガサキの写真展は、今、その息子に引き継がれている。
 そのドキュメンタリーが5年前、NHKで放映された。ブログで見ることができる。





うなぎ

2013年07月22日 | インポート

Img_5591 明日は、土用の丑の日。
 この日にウナギを食べて精をつける習慣は、一説に江戸時代、平賀源内が広めたそうですが、実はウナギの旬は秋で、夏のウナギは味が落ちる。
 このウナギが、乱獲などの理由で絶滅の危機にある。
 養殖ウナギは、自然界で生まれた稚魚(シラスウナギ)を育てたもので、それが激減しているというわけだ。特に日本は、世界のウナギ生産量の70%以上を消費している。
 ウナギの価格はここ数年で急激に高騰し、老舗のウナギ専門店の閉店が話題となる一方で、大手スーパーなどは今年も、ウナギ蒲焼商品の予約を受け付けたり値下げを発表したりして、薄利多売を続けている。
 自然界で生まれるウナギは成長して次の世代を生み命を連鎖させるので、このサイクルのペースを超えない限り、私たちは持続的にウナギを獲り食べていくことができるが、このサイクルが壊れつつある。
 日本で消費されるウナギのほぼ全てを占めるニホンウナギとヨーロッパウナギという2種類のウナギは、それぞれ環境省及び国際自然保護連合(IUCN)に、絶滅危惧種に指定されている。
他にも、ふかひれスープとして利用されることの多いサメ類は全種の30%が絶滅危機種あるいは準絶滅危惧種。
 おいしいウナギの蒲焼きを、次の世代まで受け継ぐためにも、しばらくウナギを食べるのは控えた方がいいようだ。


おばあちゃんの間違い

2013年07月19日 | インポート

Photo 今から30年以上前になるだろうか。たまたま遊びに来ていた私に祖母は、教員だった頃の話を始めた。当時祖母は小さな文房具屋を大田区池上で経営し、つましい生活を祖父とともにおくっていたが、若いころの教員時代の話を聞くのは初めてだった。祖母は長いこと小学校の教員をしていて、母を妊娠した時は大変だったこと。破水しかかりあわてて自宅に帰って母を生んだことを懐かしそうに話した。がそのうち暗い表情になった。「おばあちゃんは、本当に申し訳ないことをしてしまった。当時お国のために子ども達を兵隊にさせることは、素晴らしいことだと信じていたんだ。少年兵を出すようにとの国からの命令が来た時、何の躊躇もなく、『今、戦場で戦うことこそが、大切なんです』と教室で訴えて、多くの未来ある子ども達を戦場に送ってしまったんだ。これはもう取り返しがつかない」その瞬間祖母の顔は苦痛にゆがみ、涙をこらえているようだった。そして「おまえたちは、もう二度とおばあちゃんのような間違いはしてはいけないよ。今はそのようなことはないかもしれないけど、やっぱり教員になったからには忘れてはいけない」これは祖母のある意味、遺言だったかもしれない。まもなく祖母は入院し、帰らぬ人となった。憲法改悪が現実味を帯びた今、あらためて祖母の言葉の重みを痛感する。
(マリーゴ-ルド


必也正名乎

2013年07月18日 | インポート

Photo
 「必也正名乎(必らずや名を正さんか)」という言葉が論語にある。

 物事に与えられた名を歪めてはならないということ。
 危険なことを安全と呼んでしまうことは許されない。
 
 福島原発事故では、
 「事故が起きた」「事件が起きた」ことを「事象が発生した」。
 
 爆発が起きたことを「爆発的事象」。
 
 停止してないのに「停止状態」、そして危機的な状況が続いているのに「収束」
がいい例だ。
 
 日本の歴史では、名を歪めて破滅したことがある。
 自爆攻撃を特攻。
 侵略を聖戦。
 侵略軍を皇軍。
 退却を転進。
 全滅を玉砕。
 自分の国を神国と名を歪めた結果、何が起きたかは明らか。

 しかし、懲りずに、軍隊を警察予備隊→自衛隊→国防軍、軍法会議を審判所にする壊憲→改憲まででてきた。
 名を歪めることは、最も恐ろしい行為。

 過ち改めず、これを過ちという。これを知るをこれを知るとなし、知らざるを知らざるとなす、これ知るなり。(知之為知之、不知為不知、是知也)の前提は、名を正すことであると二千数百年前に孔子は説いている。
ランタナ


営業妨害事件

2013年07月17日 | インポート

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 参議院選挙の終盤。安倍首相は、9条改憲を明言しはじめた。石破幹事長は、軍法会議の必要性を声高に叫ぶ。
 大河原まさこさんを応援する生活者ネットワーク代表の西崎光子さんは、「民主党は、やろうとしたことができなかった。自民党は、やろうとしていること自体が危ない」と話す。
 そんな中、東京に続いて大阪も、特定の日本史教科書を排除する事件が起きたと、新聞が伝えている。これって、営業妨害事件ではないのか。

 大阪府教委が、実教出版(本社・東京の一部記述が「一 面的」だとする見解を9日付で府立の高校と支援学校計約180校に示していたことがわかった。高校教科書は各校が選び、都道府県教委が採択する仕組みになっており教委が各校の選定前に見解を伝えるのは異例。
 府教委が一面的」だとしたのは「日本史A」「日本史B」の以下の記述。
 「国旗・国歌法をめぐっては、日の丸・君が代がアジアに対する侵略戦争ではたした役割とともに、思想・良心の自由とりわけ内心の自由をどう保障するかが議論となった。政府は、この法律によって国民に国旗掲揚、国歌斉唱などを強制するものではないことを国会審議で明らかにした。しかし一部の自治体で公務員への強制の動きがある」
 府教委は「最高裁判決で、国歌斉唱時の起立斉唱を教員に求めた校長の職務命令が合憲だと認められたことに、全く言及がない」などとした。府には君が代の起立斉唱を全教職員に義務付ける全国初の条例があり、不起立者を懲戒処分にしている。府内各校は選定結果を16日までに報告する。府教委が選定前に見解を出すのは初めて。
 この教科書について、文部科学省教科書課は「検定上誤りとは考えられず、許容される」としている。同じ記述を巡り東京都教委も先月、「都教委の考え方と異なる」として「使用は適切ではない」とする見解を通知した。 (朝日新聞7月16日夕刊)

「ねじれ」どころか、世直しが必要だ。


最後におなかいっぱい食べさせられなくてごめんね

2013年07月16日 | インポート
Photo 大阪市で28歳の母親と3歳の男児の遺体が発見された。(5/24)
 室内には公共料金の請求書に手書きされた「最後におなかいっぱい食べさせられなくてごめんね」という内容のメモが見つかったという。
 生活保護制度は、憲法25条(すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。)に基づく、最後のセーフティネットだ。その基準をデフレ脱却と言っている安倍政権が、物価下落を理由に引き下げる法案を出した。しかし、生活必需品の食料費や光熱・水道費は下落していない。下がっているのはテレビやパソコンなど教養・娯楽品目だ。
 国会閉幕で廃案となったが、参議院選後に再提出の可能性が高い。
 憲法25条2項は、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」である。生活保護バッシングを煽り、福祉の低下と削減に邁進する行政・立法は明らかに憲法違反である。


フクシマを助けてください。

2013年07月13日 | インポート
Photo 北海道がんセンター名誉院長で「いわき放射能測定室たらちね」顧問の西尾正道さんが、無料の甲状腺検査に関して政府に要請書を提出している。その骨子は、
①全国の医療機関で無料の検査を受ける権利を証明する【被曝検査健康手帳】(仮称)を配布すること
②全国の医療機関に対して本検査の診療報酬の扱いを統一すること
③甲状腺エコー検査では、画像データを本人または保護者に渡すこと
④被曝検査の画像を含めた資料は、今後50年間保存義務とすること
⑤放射線の人体影響を科学的・医学的に分析し解明する調査・研究体制を構築すること。ホールボディカウンターや尿検査によるガンマ線のそくていとともに、アルファ線やベータ線も計測できる体制を整備すること
⑥被曝線量が高かった人に関しては、本人の要請があれば染色体検査ができるようにすること
⑦当面の対策として、ウクライナの基準に準じた移住措置(5msv/年以上の地域は強制移住)を行うこと
 どれも、科学者・医師として当然の要請であるが、どれ一つ実現していない。
 チェルノブイリ以上の健康被害の危機が迫っているというのにマスコミも取り上げないのはなぜか?
 LET'S VOTE FOR HUKUSHIMA



23分間の奇跡

2013年07月11日 | インポート

Photo
 23分間の奇跡(ジェームス・クラベル、集英社文庫)は、教育の恐ろしさ、洗脳の見事さを描いた有名な小編だ。今は亡き元都知事、青島幸男さんが翻訳している。
 
 相手(子ども)を理解し、その発言を尊重することで、どんな理不尽な事態(被占領)をも肯定的に受け入れてしまう人間の心情を利用し、それをプラグマティックに実践できることが描かれている。でもどうだろうか、はじめは反発するジョニーの心の変節はスリリングで見事だが、現実はこうはいかないだろう。主人公の少年ジョニーは父をも諭す気持ちになっているが、父が拉致されているという事実の重さは変わらない。ディスコミュニケーションとして考えれば、和解や寛容ではなく、諦念(恨)によって事実を受け入れるしかない。
 著者クラベルのアメリカ合衆国は、敗戦後の日本国民を、この本のように上手に教育(洗脳)し、占領を続けたのかもしれないと考えてしまう昨今だが、諦めてはいけないコミュニケーションとしての民主主義は、日米の憲法にはっきりと記されているのだから。
ノウゼンカズラ


追悼・なだいなださん

2013年07月10日 | インポート
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六月六日に、なだいなださんが亡くなられた。月刊JTUのエッセイの連載のみならず、各方面に多大な影響を与えた方。というのは改めて確認するまでもないだろう。
一昨年、教育総研の主催で「現代を徘徊する『平均点』という化け物」というテーマのお話を聞く機会があった。なださんは、平均点が高いエリートが政治の舞台で活躍しているが、生活に密着した言動が少なく落胆していること。平均値というヴァーチャルな数字で政治が動くから、大多数の庶民が苦しめられる現実があることを、ユーモアを交えてお話していた。その一つ一つの指摘は現在の生活のしめつけと合致している。
なださんは、平均点競争に勝ってきたエリートたちの中に常識を欠いた人が多いことを、その原因の一つにあげていた。その常識とは、常識哲学に基づくもので、エリートたちの常識とは乖離したものだと説明していた。だからこそ、学校はテストの得点能力を上げる方法を教えるのではなく、常識を教えてほしい。常識人を育てることに誇りをもってほしいと締め括った。残念ながら、なださんの話と現実はますます乖離している。なんとかしなくては。故人を偲びつつ決意を新たにする。合掌。