遅ればせながら映画『ハンナ・アーレント』を観てきました。昨年、岩波ホールに長蛇の行列が出来て、初日には入場できなかった人まであったと聞いていたので、是非観たいと思っていました。
ハンナ・アーレントは、ドイツにユダヤ系として生まれ、第二次世界大戦中にナチスの強制収容所を脱出してアメリカへ亡命した著名な女性哲学者です。代表的な著書には『全体主義の起源』があります。
この映画は、ナチス戦犯アドルフ・アイヒマンのイスラエルでの裁判を傍聴したアーレントが、『ニューヨーカー』に掲載した記事「イェルサレムのアイヒマン」を中心に、「悪の問題」を追及するストーリーとなっており、どちらかと言えば地味な、およそ映画館を満員御礼とするような映画ではありません。その『ハンナ・アーレント』がなぜ多くの人々に支持されたのか?
途方もない数のユダヤ人をガス室に送り込んだアイヒマンを、当時の多くの人々は「悪魔」や「怪物」として思い描いていた(描きたかった)と思います。しかし、アーレントは、「凶悪とは違う。ガラスの中の風邪引きの幽霊」「不気味とは程遠い、平凡な人」と表現します。そして、「一般に悪は<悪魔的><サタンの化身>・・・そう見なされがちだ。しかしアイヒマンには悪魔的な深さがない。彼は思考不能だったのだ」「凡人」が「国家の忠実な下僕として罪の意識もなく命令に従っただけ」と評します。「彼は思考不能だった。これは愚鈍とは違う。彼が20世紀最悪の犯罪者になったのは、思考不能だったからだ」と。
当然、アーレントの分析は、多くのユダヤ系同胞の反感と敵意を生み、ナチス擁護と誤解され、イスラエル政府からは出版停止の脅迫を受け、大学からも辞職を要求されます。
映画のクライマックスは、大学での講義の中で行う8分間のスピーチです。「世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪なのです。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間である事を拒絶した者なのです。そしてこの現象を、私は『悪の凡庸さ』と名付けました」「人間であることを拒否したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました、それは思考する能力です。その結果モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残酷行為に走るのです。過去に例がないほど大規模な悪事をね。」
「<思考の嵐>がもたらすものは、知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むものは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬよう。ありがとう」
そうです、みんなこの8分間を観たかった。この閉塞した社会の中で、再び全体主義への足音が高くなりはじめている日本にあって、人間であり続けるための勇気が欲しかったのではないでしょうか。
多忙化に歯止めがかからない教育現場にあって、無表情、無批判に仕事をこなし、思考停止状態のまま子どもたちに対している教職員。私たちこそアーレントの「凡人ゆえの悪」の危険に日常的にさらされているのではないでしょうか。
アイヒマンは、裁判で「上に逆らったって状況は変わらない、抵抗したところで、どうせ成功しない・・・仕方がなかったんです、そういう時代でした、皆そんな世界観で教育されたんです、たたき込まれていたんです」と言い訳します。
考え続けましょう……人間であり続けるために。そして、破滅に至らぬように。