東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

差別に加担するとは?

2014年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム

23日日曜日のスポーツニュースで、サッカーJ1の浦和レッズ対清水エスパルスの試合が「無観客試合」となったことが報じられていた。3月14日のホームゲームで浦和のサポーターがゴール裏への入場口に掲げた「Japanese Only」という横断幕が差別に当たるということと、それを試合終了まで放置したことが、きっかけだった。ニュースでは、「差別的な掲示を試合終了まで放置してしまったことは、チームが差別に加担することになるから、厳しい処分となった」と解説されていた。

差別があった時にそれを放置する、見逃すことは差別に加担することだという認識が、もっと広まってほしいと思う。今この国に広がりつつある排外主義やナショナリズムに対する警鐘となってほしい。「嫌韓」「嫌中」をあおっているマスコミは、どう考えているのだろうか?横断幕を掲げたサポーターにしても、そうした雰囲気にあおられていたかもしれない。

元サッカー日本代表監督のイビチャ・オシムさんは、インタビューの中で次のように述べている。
「言葉は極めて重要だ。そして、銃器のように危険でもある。(中略)新聞記者は、戦争を始めることができる。意図を持てば、世の中を危険な方向に導けるのだから。ユーゴの戦争だって、そこから始まった部分がある。」(オシムの言葉より)Photo

サッカーという世界につながっているスポーツだからこそ、今回のことが大きな問題となった。差別について、差別に加担するということについて、さらに考えてみたいと思う。

                                             (沈丁花)


3.8福島県民大集会から

2014年03月12日 | 日記・エッセイ・コラム

大江健三郎さんが3月8日の福島県民大集会で、伊丹万作の「戦争責任者の問題」を取り上げて、だまされることにも責任があること、「日本人は、福島第一原発の事故の後、もう原発はいやだと思ったが、いつの間にか政府は『原発は安全だ』と言っている。日本人は、また騙されたいと思っているのか?もう一度騙されてしまえば、私たちの未来はない」といった。

伊丹万作の「戦争責任者の問題」は、佐高信さんがある対談で取り上げていたので、読んだことがあった。今のようにインターネットで簡単に検索できるころではなかったので、区立の中央図書館に行って、伊丹万作の全集を調べてコピーした。読んでみると、はじめっからうなりっぱなしだった。一部を紹介する。

さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

さらに、伊丹万作は、次のように続けます。
しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。

まさしく、3月8日の県民大集会では、高校生からの「大人の方々の中には、<wbr></wbr>脱原発で頑張って下さっている方々もおられることは分かっていま<wbr></wbr>す。しかし、大人の方々に問いたい。原発爆発後の世界を、<wbr></wbr>私達の世代に残すのは、どんな気分ですか?」という発言があった。彼女を含めた子どもたちに、大人たちは、どう答えればよいのだろうか?


成功は失敗のもと

2014年01月09日 | 日記・エッセイ・コラム

いきなりなタイトルにしてしまったが、もちろんふつうは「失敗は、成功のもと」である。しかし、歴史を振り返ると、なまじ成功したがために、もっと大きな失敗をしてしまうというケースがあると思う。

よく言われるのが、近頃アニメや映画で取り上げられる「ゼロ戦」だ。登場した時は、その戦闘能力は、抜群だったらしい。しかし、そのために機体を極限まで軽量化したことによって、肝心のパイロットの安全は全く顧みられず、あっという間に、グラマンにやられることになる。「日本海海戦」の成功体験が、忘れられず、巨砲戦艦による海戦での一発勝負にかけた日本海軍も、その一例だろう。

こんなことを考えたのは、「日本型モノづくりの敗北」という本(湯ノ上隆著、文春新書)を読んだからだ。1980年代日本の半導体メモリは、世界を席巻していた。世界シェアの80%を占めて、なおかつ最高品質を誇っていた。しかし2000年代には、主要メーカーは撤退を余儀なくされ、経産省のおこえがかりで作られた「エルピーダメモリ」という合弁会社は、2012年に経営破綻してしまったそうだ。そのほか、デジタルテレビでは、「世界の亀山モデル」をキャッチコピーにしたシャープや、高画質を売り物にしたソニーなど、2000年代の初めには、世界でそれなりのシェアを持っていたが、現在は、サムスン電子とLG電子の韓国メーカーで、世界シェアの40%近くを占めているらしい。

この本を読むと、半導体メーカーや家電メーカーの成功と失敗がとてもよくわかる。また、電子産業における「国策」による失敗についても、事例を挙げて解説している。興味を持った方は、ぜひご一読をお勧めする。


人のつながりが

2013年12月11日 | 日記・エッセイ・コラム

 以前の職場で大変お世話になった組合の書記さんが、この秋宮城県仙台の東松山に行ったという。もちろん、あの大震災の被災地の一つである。その時に見て聞いて体験したことには、特別なものがあったというので、紹介させていただく。

 11月10日~11日の短い時間ではありましたが、学ばせていただくことの多い、忘れられない二日間となりました。
 私たちに任された仕事は、「生ガキを選別し、保冷剤を入れて梱包する」というものですが、プロは二つのカキを合わせて軽くたたき、目と音で瞬時に良し悪しを判断します。素人には、音での判断など至難の業。私たちは、習い覚えた梱包に専念!思いのほか、早く予定の個数を消化したため、余った時間で、保冷剤を包む素材のカットもしました。
 少しの休憩をはさんで、地元の方のご案内で、海岸近くに設置されている「メガソーラー」を見学させていただきました。
 津波で流された、荒れ地にソーラーパネルが延々と立ち並び、その間には、競うように雑草が生え放題になっています。この雑草が来年の夏には、ソーラーシステムに少なからぬ影響を与えると危惧されています。雑草の除去には高い人件費を理由に除草剤が使用される可能性があり、散布されてしまえば、生活できない土地になりかねません。地域の人々は、除草剤を使用しないように要請しているそうですが、補助金がいきわたらない現状では先行きが危ぶまれます。
 その周辺一帯には、セイタカアワダチソウが高々と群れを成し、ともに伸びる雑草の間からは、かつては、家の土台だったコンクリートがそこここに見え隠れしています。海岸近くには、まだ3階建てマンション程のがれきの山がふた山もあり、この災害の大きさと、まだ復興の手前と思われるその風景にただ言葉もなく、立ち尽くすばかりでした。3月11日、気温零下の凍るような寒さの中で、着の身着のままで震えていた人々は、車と一緒に打ち寄せた木材を燃やして暖を取ったとのこと。かろうじて残った民家のガラス戸には、人の背丈をはるかに超えてきた海水の泥跡がまだくっきりと残っています。まったく泳げない私には、その高さを想像するだけで気絶しそうです。
 場所を移動し、カキの養殖に使うホタテガイを再生する作業を体験させていただきました。ビニールハウスの中に膨大な量のホタテガイが積まれており、その一枚一枚の汚れを丁寧に削り取る根気のいる仕事です。
 原発の問題や保障に関する問題はもとより、心のケア、仕事や老後の問題など、テレビの画面からでは決して見えないさまざまな現実が、一人ひとりに重くのしかかっています。今この瞬間も。それでも、人々の笑顔は限りなく優しく、そしてたくましPhoto_51thumb1く生きようとしています。
大した手伝いもできない私たちを、手間暇かけて受入れの体制を整え、歓迎してくださることのにも、頭が下がります。怒りも悲しみも、胸に収めた人々の心を思う時、成熟した人間の素晴らしさと苦悩を突き抜けたまっさらな精神を感じた仙台でした。

 東京退女協の有志は、震災直後から復興支援に幾度となく仙台を訪れ、若芽や昆布の販売にも協力しているとのことだ。またメガソーラーの雑草問題も、いいアイディアで解決し除草剤散布が行われないことを願う。

セイタカアワダチソウ


ちょっといい話

2013年10月23日 | 日記・エッセイ・コラム

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 名古屋の知り合いから聞いた、ちょっといい話を紹介したい。

 先日、台風が日本を襲った時のこと。嵐の中、電車が止まってしまい、駅前のタクシー乗り場には、すでに長蛇の列ができていた。列の最後尾に並んだ知り合いは、「割り込みをしようとする人がいたら、注意してやろう」と正義感に燃えていたそうな。そこに、大学生らしい若者3~4人がやってきた。彼らはタクシー乗り場の列を見て、「こりゃまいった!」「帰れへんかもわからんで!」などと言っていたらしい。若者たちは、列の最後尾に並ぶのか、それとも割り込みでもするのかと思いきや、、、、!知り合いも予想できない行動に出たというのだ。

 列の先頭に走って行った若者たちは、列の先頭に並んでいる人に、「どちらまで行くんですか?」と聞き、「岡崎まで」という返事を聞くと、「岡崎まで、相乗りできる人はいませんか~」と、列の後ろに向かって声をかけた。何人かが手を挙げて、前に進んだ。若者たちは、次の人にも、同じように「どちらまで帰るんですか?」「〇〇まで」「〇〇まで相乗りされる人はいまへんか?」と次々に声をかけて行ったそうだ。長蛇の列はたちまちのうちに、半分以下になったのだという。それを目の当たりにしたタクシー待ちの人たちからは、「いまどきの若いもんは、大したもんや」と、称賛の声が上がった。若者たちの行動力と、何よりもそのアイディアに。

 とりあえず、おとなしく列に並ぶしか考えが及ばないおじさんとしては、「あっぱれ!」の一言である。