今年の寒さは特に厳しい。
布団から起きて着替えるときが寒さを肌身に感じる
外に1歩踏み出したらコッチのもの。
ポカポカと身体が暖かくなってくる。
鉄橋を電車が通過したら絵になった。
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今日のメモ
ススキは、野原に生息する多年生草本である。
日当たりの良いところに生息し夏は緑、 冬は枯れる。葉は細長く、硬く、縁は鋭い。
かっては農家の屋根を葺いたり(茅葺き、かやぶき)、家畜の餌とすることが多かった。そのために集落の近くに刈り入れするすすき草原があり、これを、かやば(茅場)とよんだ。現在では、そのように利用されることが無くなりその多くは雑木林となっている。
ここで茅場という言葉が妙に気にかかった。
東京のど真ん中、中央区に茅場町という町がある。沢山のビルが林立し証券会社の多い街で日本経済の中枢をなすトップレベルの町である。
経済中心地の街茅場町=すすき野原の茅場
東京・茅場町の成り立ち
江戸時代以前は,当町域は海中で、天昇年間(1573~92)末に
海浜部からだんだんと陸地となった。
江戸時代の初期はかやや葦が生い茂る沼や沢地であった。
徳川家康が、江戸城築城の際、神田橋門外に居た茅商人を当地(茅場町)に
移住させたことから茅場町となった。
築地という町がるが、ここも築城のために出た土を盛って出来たので『築地』となったようです。
=日本橋“町”物語(町々の歴史)-茅場町=から抜粋
やはり写真の茅と日本経済の中心茅場町は密接な関係がありました。
葦がたくさん生えていた場所、茅職人の町でした。
嘗ては海中だった所を埋め立てたんですね~!
我が家の近くの川の河川敷にもカヤが繁茂しています。
刈り取ってチップ状にして敷き藁にしたり、日よけのすだれを作ったりと利用しているようですが、手間がかかって対応が仕切れないみたいです。
そこで今年は燃やそうと言う話が出ていますよ。
しかもカヤから萱場町・築地の成り立ちまで。
癒されたり賢くなったり一石二鳥の気分で帰れます(*^_^*)
東京のふるい地名はそれぞれに歴史を感じられて残して欲しいものです。
その昔はカヤト(茅場)というのがあって朝ごはん前に家畜の餌を刈り取りに行きました。背負い籠に、一杯詰めこんが帰らないと家畜の朝ごはんがありません。
それからご飯を食べて学校に行きました。
朝飯前の一仕事、というもの。
働けばカネになる。
もう縄文人はロートル・生産性、経済性・能力無し。若かりしころは草刈、田お越し、山仕事とカネになるものがなかった。
俺らぁ、東京サ行くサ。
それから4?年。
縄文人=河原のかれすすきヨ。・・・・・・・
馬鹿を申しました
どこもかしこも東京は元を正せば原野であったでしょう。
現在の東京は、夜になるとネオンが瞬き沢山の車の往来が激しい。
人間だって元を正せば縄文人・原人であったのでしょう。
“人類はみな兄弟”争いのない住みよい社会を願います。
それもススキが原・茅場町から
このところ主婦層の株への投資が眼を離せないらしいです。
女は強し=家庭の財務大臣は主婦=株への関心=自分のお金を銀行から引き出すのに105円で消費税
あまり茅場町をあしらっていると我が家の家計が火の車、頑張らなくちゃあ
言語あいまい意味不明、失礼しました
こんな由来があったんですね。
勉強になりました。
名前にはそれぞれに何らかの意味があるんですね。
そう言えば日本橋茅場町。
それなりに生い立ちがあるものです。