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文芸春秋、4月号

2022年03月26日 | 総  そ の 他

遺稿「死への道程」石原慎太郎

最後の最後まで作家であった・・合掌

 

 

早く読みたいと思いながら、なかなか読む機会がなかった。

3/25、所要で図書館に行った折、やっと読むことが出来た。

主要部分を、1時間ほどかけて読んだ。

 

 

『小生の感想』・・「最後まで作家であった」



  学生作家として「太陽の季節」を発表、芥川賞(昭和30年)を受賞し華々しくデビューし太陽族なる流行り言葉が一世を風靡した。昨年担当医師から余命3ヶ月なる宣告を受けた「死への道程」絶筆文を執筆。

ガンと言う病は、身体の痛みが襲うそうそうですが、頭は以て鮮明になると言う。脳裏に浮ぶ想念との葛藤の末に最後に浮かんできたのは、美空ひばりの往年のヒット曲の歌詞――「いつかは沈む太陽だから」だったと言う。

学生作家としてデビュウし、死の前までペンを持ち続けたという、まさに政治家は棚の上に上げておいて⇧「作家魂」を最後まで貫いた人であろう。ゆっくりお休みください…合掌。

 

 

89歳で亡くなった作家で元東京都知事の石原慎太郎さんが昨年10月、
余命3か月の宣告を受けてからの心情をつづった文章を残していたことがわかった。

「死への道程」と題された絶筆。

 冒頭に「令和三年十月十九日」と書き、「己の季節の終り」を見つめ、「いつかは沈む太陽だから」などとしたためた。
1956年の芥川賞受賞作「太陽の季節」を掲載した雑誌「文芸春秋」に渡すよう遺族に託しており、
今月10日発売の同誌4月号に掲載されていた。

  膵臓すいぞう がんが再発し、「どれほどの命ですか」と医師に問いただす石原さんが、宣告される場面から始まる。
「以来、私の神経は引き裂かれたと言うほかない」。
その文言の通り、「私の文学の主題でもあった(死)はより身近なものとなりおおせた」と冷静に書く一方で、

「『死』の予感とその肌触りは人間の
信念や予感までを狂わせかねない」と揺れる思いも率直につづっている

 

  ① 死への道程・石原慎太郎

         ② 父は最後まで「我」を貫いた 石原延啓

                ③ 【石原慎太郎追悼】亀井静香「三途の川で待ってろよ」

④ 「太陽の季節」全文

・・・雑誌・文芸春秋は4部で構成されていました。

 

2月1日に89歳で死去した元東京都知事で元衆院議員の作家、
石原慎太郎氏の妻、典子(のりこ)さんが今月8日、死去した。84歳。

昭和13年、広島県生まれ。高校卒業時に慎太郎氏と結婚し、
長男は自民党元幹事長の伸晃氏、次男はタレントの良純氏、
三男は衆院議員の宏高氏、四男は画家の延啓氏

 

コメ欄はOPENです。

コメント (13)
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