5月・兼題「新茶」
≪一口メモ・静岡にお茶畑の多い訳≫
「大井川を越すには、①川越し人足の肩に跨る肩車、②蓮台で越すの方法で渡川した。
しかし木橋ができたことで失職し、これに伴い宿場もだんだんに縮小された。その人足がお茶の栽培に・・」
5句の中から1句をボツにして、4句を出句し
披講でワイワイ・ガヤガヤと皆さんの意見が山盛りに出ます。
5・7・5を詠んでいたら静岡になぜ茶畑が多いの!?
フト思った・・調べた。
東海道島田宿と金谷宿の間にある大井川は水の勢いが強く、
また政治的配慮もあって橋がかけられず、東海道中最大の難所の一つでした。
大井川の蓬莱橋が架かったことで宿場は衰退していった。( 島田市HPよりお借りした。)
【蓬莱橋の歴史・世界一長い木道橋】
1869年(明治2年)7月、最後の将軍徳川慶喜を護衛してきた幕臣たちが大井川右岸、
初倉にある牧之原を開拓し、お茶を作り始めました。
そこで、島田宿の開墾人総代達は、時の静岡県令(現在の知事)に橋をかける願いを出し、
これが許可され、1879年(明治12年)1月13日に蓬莱橋が完成しました。
新茶・作句が、静岡の茶の栽培の歴史に飛んだ・・・。
「東海道53次おもしろ旅」を読んでいたら、面白い記事に出会いました。
コメ欄はopennです。