2013年、納メの山歩き
山また山に霜が一面
甲州裏街道とも呼ばれた青梅街道は、江戸時代には重要な生活道路でした。
その中の氷川と小河内を結ぶ道は、現在「奥多摩むかし道」としてハイキングコースになっています。
今も随所に昔そのままの姿が残っており、昔をしのぶ道として貴重な存在です。
山道もありますがそれ程険しい道ではありません。
多摩川沿いの緩やかな道を歩いていると、秋の紅葉の素晴らしさが想われます。
日陰は霜が一面で、坂道は滑りやすく難儀した。
約9KM・・4時間のコース
始点・奥多摩町 奥多摩駅
終点・奥多摩町 奥多摩湖バス停
(中山付近でバスを呼ぶ、その後多摩湖へ移動)
奥多摩むかし道案内概略図 ↑
奥多摩駅
奥多摩駅(おくたまえき)は、東京都西多摩郡奥多摩町氷川にある、
JR東日本の青梅線の駅である
青梅線の終着駅で、東京都内でもっとも西に所在する。
標高は東京タワー(標高351m)よりも8メートル低い343mで、
東京都内にあるJRの駅の中でもっとも高い。
奥多摩の山に入山するハイカーの基地である。
駅前にてバスを降りました。
氷川神社と中永神社とともに「武蔵三氷川」と呼ばれている。
境内の3本杉は樹齢650年で見事に天空にそそり立つ。
先ず1日の無事を祈願して、むかし道へ出発です。
≪奥多摩むかし道案内図≫に目をやるKさん。
辺りは、霜で真っ白、吐く息が白い。
羽黒坂は霜で真っ白でした。きつい坂でした。
高台に陽が差していましたが、この付近は太陽の恵みは受けていなかった。
オ~ゥ・・・寒い!!
朝の寒々しい郷の様子
むかし道から見た、国道青梅街道。
山中に奥地へと延びる。
小河内ダム建設に至るまでの経緯は意外に古く、すでに大正15年よりダム建設候補地の調査は開始されていました。
候補地の中から、小河内村が最終的に選定されたのです。
ダム建設計画が発表され、小河内村は絶対反対を表明した。
「幾百万市民の生命を守り、帝都の御用水のための光栄ある犠牲である」との再三に渡る説得に、小河内村はやむを得ず了承した。
槐木の傍らには、古くから祭られている馬頭観音があります。多くの旅人がこの付近で一服し、次へのかつ力を養った、休み場。
⇒
我が家への荷物揚げ軌道 天空の里の住まい
画像左上に青と白色の四角い乗り物風の物が見える。これに荷物を載せて軌道を登る。
生活物資は、総てここから揚げられる。
奥多摩むかし道を歩いて
斜面にへばりつくような場所、
石垣を二重・三重・・・五重にも積み上げ家を作った。
むかし人の知恵に感心した。
住めば都。
荷物を動力軌道で運び揚げる人間力、
先祖伝来綿々と受け継がれた、伝承の知恵なのでしょう。
次に続く