銃後の守り
東京・九段≪昭和館≫に行ってきました
戦後65周年記念特別展
≪銃後の人々と、その戦後≫
東京九段・昭和館
パンフレット
時間をかけて一巡しましたが銃後の守りと言葉では簡単ですが辛酸をなめた
地を這うような様々なお話に接し胸を熱くしました。
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以後は私の従兄弟に当たる物語です。
自費出版された《野のすみれ》
右写真の文言
残された銃後の妻と
なる日近く
征かせともなき
夫に寄り添う
昭和17年11月
《野のすみれ=短歌集》
『あとがき』の中から抜粋しました。
私たちは、・・・・・・・・・・・・・・・恋愛結婚ではありませ。。
ちなみに、結納は百円でした。日雇い賃金が1日50銭の当時、よそのお嫁さんにすれば
大変高い相場であったようです。
世の中すべてが戦争一色、
新婚の甘さもみじんもなく結婚後53日で夫は入営しました。
北風の吹く甲府練兵場における一刻の面会を最後に外地へ出征、
北支派遣○○部隊の軍事郵便が届いたのはずっと後でした。
それから満3ケ年あまり、文字通り銃後の花嫁、
言葉はロマンチックですが、祖父母、父、(弟は翌年入営・・のちに戦士の公報)
大人ばかりの中で働き、時々届く軍事郵便を楽しみに、いつ帰るかもわからなぬ
戦地の夫の武運を祈るのみの毎日でした。
やがて終戦となりましたものの、以前にもまして音信不通と焦燥の連続でした。
その年の12月半ば、幸運にも突然復員してまいりました。
忘れもしない冬の満月煌々と明るい夜でした。
☆3年を相見ず居利手復員の復員の夫に抱かれき初夜の如くに
☆再婚を施与との遺書を身につけて夫は戦闘をかせねしという
等々の歌でごますざい。
戦地で受けた自動車事故の怪我、マラリヤの後遺症、その上ひどい栄養失調、
とてもすぐには仕事が出来る状態ではなかったです。
終わり
復員(20年12月14日)短歌
○大家族の農家にと継ぎて日も浅きわれを残して夫出征す
○戦いも終わりて秋もたけ行くに夫の便りとざえて久し
○師走半ば月照る夜を突然に復員の夫挙手の礼する
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現在は子供さん3人、多くの孫に恵まれ幸せな生活を送られています。
ご夫婦共々歌を詠み、
町の生涯学習講師として老後を過ごされておられます