goo blog サービス終了のお知らせ 

日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

・日常・創る・彩る・考え・綴る
・フジノ会・探検団・かめの会(俳句)
・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

南葛88ヶ所巡り、

2018年07月30日 | 宗  南葛88ヶ所巡り

23番東福院、  江戸川区松島3-38-18

 

 

東福院は、秀円僧都が寛永8年(1631)当地に創建、僧都は当地で荒地を開発し
「堂ケ島」と名づけたといいます。

庚申塔は、60日に1度めぐってくる庚申の日の夜に、
眠っている人の体内から三尸という虫が天帝に罪過を告げ命を縮めるという

中国の道教の教えに由来する庚申信仰の信者によって建てられました。

参考
「堂ヶ島」・・・著者・伊東春海氏はコラムの教室で一緒に机を並べて学んだ友達です。
『ガマちゃんの≪江戸川区≫松島物語』に地名の歴史が詳しい。

 


正副寺山門


東福院客殿


正福寺本堂


正福寺南葛23番弘法大師坐像

 
東副院南葛87番弘法大師坐像

 

    ・ 南葛の88を廻り来て
              弘法大師手を合わせけり  縄)

     ・ よき寺と路傍の祠あるけれど
              守り続けた仏の力      (縄)

  

 

 コメ欄は閉めています。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南葛88ヶ所巡り

2018年07月12日 | 宗  南葛88ヶ所巡り

     南葛88ケ所のおさらい


 

人々の祈願と信仰 :写し霊場巡り

 四国八十八ヶ所巡りや西国三十三所巡りなど、複数の寺社を参拝して功徳を得ようという信仰が江戸時代に流行した。こうした規模の大きな霊場巡りの写しを身近な地域の寺社に作り、巡拝する活動が江戸時代以降葛飾区域を含む地域で盛んになった。
 写し霊場ではあるが、徒歩で巡礼するには3日から4日かかるものがほとんどで、小さな旅を伴った巡拝であった。
 葛飾区内に霊場がある写し霊場のうち、弘法大師に由来しているものには、南葛88ヶ所巡りが有ります。



 


正蔵院
11番・18番 
              
 江戸川区上一色3-30ー17

 

 

 享保元年(一七一六)永冝法印が開山した。
もとは上一色町四六八番地にあったが、新中川の開さくのため昭和三十三年現在地に移転を完了した。
本尊は阿弥陀如来である。(「江戸川区史」より)


入口です


庭の植木の手入れ



南葛八十八ヶ所本尊様、十一番、十八番

新中川の土手を挟んで境内が有ります。

 

庭では、植木屋さんが大きな松の木の手入れをしていた。

御寺さんはそれなりに境内が広く、沢山の植木を抱えている。

管理も大変なことだと思いました。

 

 

コメ欄は閉めています

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南葛88ヶ所巡り

2018年07月05日 | 宗  南葛88ヶ所巡り

南葛88ヶ所は(葛飾、江戸川)を中心に、
足立、墨田、江東の寺院に有ります。
現在の八十八ヶ所霊場は、明治初年の
廃仏毀釈などで、創設期の寺院とは多少移動が
あり,現存しない寺院もあります

正福寺  葛飾区東新小岩4-8-4

 

 

 7/2日、暑い中を廻ってきました。

自転車にて、江戸川区文化センター近辺まで出向きました。


正福寺 とても立派なお寺でした。

 


四国巡礼の碑。
満願された方々の思いの結集であろう。


植木の手入れがとても行き届いていた。


南葛23番の文字が台座に刻まれて…¥。

本堂です。


本堂脇の廊下に上がりて正門方向、植木を見た。


建物が新しいのか、擬宝珠が輝いていた。

 


山門方向を眺めた。清々しい気持ちで、吹き抜けるそよ風を受けた。


昨日、「釣鐘について想うこと」の釣り鐘です。

 

・ 寺訪ね山門に立ち夏の雲  (縄)

 

コメント欄は閉めています。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南葛88ヶ所巡り&釣鐘

2018年07月04日 | 宗  南葛88ヶ所巡り

釣鐘(つりがね)について想うこと

 

 7月3日のことでした。

釣鐘の下で物思いにふけっていた。

難しい漢字を読み解いていたら、金属回収令なる文字を発見

当時に思いを浸した。


① 鐘楼建設に当たり寄付された人の名前(S41年竣工)

 


② 釣鐘と第2次世界大戦と金属供出

 


③ 諸行無常・・・・。

 

       釣鐘の下に立ちて、しばし考えを巡らした。    


① 鐘楼建設に当たり寄付された人の名前

   多額を寄付された方は50万円、一般的に5千円が多かった。
   昭和41年↓建設とありますから、当時の物価を調べてみた(対比)

      中華そば         64円(559円):8.73倍
     マヨネーズ(500g)    44円(292円):6.64倍
     コーヒー(喫茶店)  76.5円(445円):5.8倍
     豆腐(100g)     7.17円(33円):4.6倍
     
       タクシーの初乗りが100円の料金でした、現在は760円。。



② 第2次世界大戦と釣鐘
  太平洋戦争時の金属供出により梵鐘が無くなってしまったため、戦後再鋳造された梵鐘。梵鐘にその旨が記録されている。 兵器の製造に必要な金属資源の不足を補う目的で公布された金属類回収令(昭和16年9月1日施行)により、官民所有の金属類は、装身具、鍋・釜から門扉、銅像、梵鐘などあらゆるものが根こそぎ回収された。
 日本刀までその範ちゅうに入ったことを、子どもながら憶えています。

 

③ 諸行無常・・・・、について調べ、意味を知った。
  
     ≪仏法の大網である『三法印』の一つ≫
       「諸行無常
        是生滅法
        生滅滅已
        寂滅爲樂」

 説いていることは、
  この世の中のあらゆるものは変化・生滅してとどまらないこと。この世のすべてがはかないこと。全てのものが変化するものであることを知れば、安楽の境地に至ることが出来ると述べています。

  読み方は

     ・ 諸行無常 (しょぎょうむじょう)
     ・ 是生滅法 (ぜしょうめっぽう)
     ・ 生滅滅已(しょうめつめっち)
     ・ 寂滅為楽(じゃくめついらく)     と読むそうです。

                        ウィキペディアから出典

   

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南葛88ヶ所巡り中

2018年06月29日 | 宗  南葛88ヶ所巡り

正覚寺  東立石1-20-2

 

 真言宗豊山派の正覚寺は、恵田山大聖院と号します。

天正元年(1573)明星坊が創建したと伝えられます


入口の門は総体欅作りで立派な山門でした。


正覚寺大師堂


本  堂


南葛八十八ヶ所霊場30番札所

 

コメ欄は閉めています。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南葛88ヶ所巡り

2018年06月19日 | 宗  南葛88ヶ所巡り

32番・真禅寺

東立石1-22-3

 

 

 中川土手を下に降りると32番真禅寺だった。天珪仁秀が

第二世として創建しました。

南葛八十八ヶ所霊場32番札所です。

   
本堂                 入口


南葛88ケ所の祠


その内部

 

訪れると、住職が庭におられ南葛88ヶ所巡りをしています

と、要件を告げると丁寧に案内してくれました。

私が小さい頃は、大変盛んで、白装束の団体さんが見えて手を合わせていました。

と当時状況を振り返りながら教えてくださった。

当寺は、座禅会、写経会を行っていますから…と案内書を頂いた。

コメ欄はお休みです。 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京葛飾・浄光寺(木根川薬師寺)

2018年06月03日 | 宗  南葛88ヶ所巡り

勝海舟直筆の書・登美の松
南葛88ヶ所巡り道草

 

 

大正8年(1919年)には荒川放水路の開削のため、現在地に移転。

その後の関東大震災や太平洋戦争によっても被害を受けたが復興。

また平成に入り、

1995年には旧地にあった仁王像を修復の上当寺山門に移転。

1998年に新薬師堂が竣工した。

 クリック拡大
幕末には幕臣の勝海舟も当寺院をしばしば訪れ、西郷隆盛留魂碑の建立や直筆の書も

当寺院に残している。此の登美の松も勝海舟が、したためた字である。

 


左上は高速6号線


見事に手入れの行き届いた松


鐘楼をバックに松を見る


浄光寺・木根川薬師本堂

 

徳川幕府第三代将軍家光公が参詣に訪れた折に、

家光公自らの手によって植えられたもので、命名は第八代将軍吉宗公によるものです。


現在の松は二代目で、傍らにある登美の松碑は勝海舟の揮毫です。

 

 コメ欄は閉めて居ます。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南葛88ヶ所

2018年05月20日 | 宗  南葛88ヶ所巡り

浄光寺・木根川薬師
葛・東四つ木1-5-9   38番寺

 

 江戸時代になると、徳川幕府の歴代将軍から祈願所とされ、毎年、将軍家による代参を受けるなど、江戸幕府からも厚い信仰を得た。徳川吉宗の時代には、浄光寺は鷹狩りの際の御膳所に定められた。

大正8年(1919年)には荒川放水路の開削のため、現在地に移転。

その後の関東大震災や太平洋戦争によっても被害を受けたが復興。

浄光寺近くにある、高速道かつしかハープ橋

          橋長 - 455m、 最大支間長 - 220m、 形式 - 4径間連続S字形曲線斜張橋             

                

 
浄光寺山門

 

 
木々の合間に「やくし幼稚園」が見えます。

 


南葛88ヶ所38番・祠

 

 


千社札 昔多くの方たちが参拝された証

 

南葛88ヶ所の寺巡りをして来ましたが、最も立派な寺とお見受けしました。


以前ここの住職の法話を聴きました。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南葛88ケ所巡り

2018年04月11日 | 宗  南葛88ヶ所巡り

正真寺(27番寺)八幡神社(24番寺)

  

現在南葛88ヶ所中➡27ヶ所巡礼しました。 
頑張ります。

 


立派な本堂です


松の手入れがお見事、総ての植木の手入れが行き届いていました。


南葛88ヶ所の祠です


 


八幡神社の鳥居

ここの境内に位置するはずの、南葛24番寺の祠を発見するに至りませんでした。
      付近の人を訪ねて聴きましたが、詳細については「解らない」の連発でした。
残念発見出来ませんでした。

「柴又文化的景観」の調査に当たった時、江戸川堤防の大改修がおかなわれたと聞きました。
北原白秋の「紫苑草舎」も移築されたとの事ですから、どこかへ移築されているのでしょう。


八幡神社の縁起

『いつしかに 夏のあわれとなりにけり 
                                                 乾草小屋の 桃色の月』

   明治から昭和にかけて高雅な詩や歌で有名な北原白秋(1885~1942)は、大正五年(1916~三十二歳の時)七月から約一年間、妻章子とともに、この小岩村字三谷の乾草商富田家の離れに居を構えました。
ここを「紫烟草舎(しえんそうしゃ)」(現在、市川里見公園内に復元)と名付け、葛飾の風土や人情に見守られながら、短歌雑誌「煙草の花」を創刊したり、数多い短歌や詩、小品集などの素材を得ました。

 


 

付録・佐倉街道

八幡神社の脇を佐倉街道が通っています。
 佐倉街道(さくらかいどう)とは、江戸時代の脇街道の一つで、佐倉城を終点とするもの。

水戸街道新宿の追分~佐倉を結ぶ佐倉街道をが通っています。ここから10分ほど歩くと、江戸川を渡る
市川の関所がありました。現在は関所跡として保存されています。

 

 
歩いたのは桜の蕾が固い3月でした。


水路を配しせせらぎ通りとして整備されました。

 

コメ欄は閉めています。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南葛88ヶ所巡り,北小岩

2018年03月17日 | 宗  南葛88ヶ所巡り

 春の陽気に誘われて

 近くの江戸川区・北小岩の4寺を尋ねた。

 

十念寺 〈25番寺〉
  真言宗豊山派の十念寺は、巌松山無量寿院と号します。十念寺は、賢覚が開山となり、元和7年(1621)創建、明治初年に近くの観泉寺を合併したといいます。南葛八十八ヶ所霊場25番札所です。

 


入口です。


境内は広い駐車場。


古くなったので、改造移築されたそうです。

 

* 掃き清められた立派なお寺さんでした。草取りをしていた方がおられた。
* 当寺住職からの聞き書き。
    ・私が小学校2~3年ころ城少女区の1弾が見えてお参りしていきました。
    ・巡行の1弾に対して、御接待をされていたことを覚えています、との事でした。
    ・戦後のお参りに来られる方は、あまり見かけなくなりました。
    ・南葛88ヶ所巡礼の縁起について詳しく語られました。


 

真光院 〈26番寺〉

  真言宗豊山派の真光院は、稲荷山遍照寺と号します。真光院は、慶長7年(1602)に法印良鑁が東小岩善養寺末として開山したと伝えられています。
南葛八十八ヶ所霊場26番札所です。
  
門前に青面金剛と馬頭観音が祀られ、境内には樹齢200年といわれるケヤキとスダジイがそびえています。

 


入口に石柱2本、大木のケヤキが見えます。


大師堂祠

 

                寅さん遍路句

     ただひとり風の音聞く大晦日  ( 渥美 清 )



  渥美清がいくつかの句会に熱心に参加して、俳句を残していたことはよく知られている。彼は「芝居も暮らしも贅肉がない人」と言われた。残された俳句にも、もちろん贅肉は感じられない。

人を笑わせ、人を喜ばせておいて、自分はひっそりとただひとり静かに風の音に耳をかたむけている、そんな図である。まだ売れなかった昔をふと回想しているのかもしれないが、

この人は映画「男はつらいよ」で売れっ子になってからも、そのような心境であったものと思われる。

(『増殖する俳句歳時記』検索: 遍路
より )

 

 コメントはお休みです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする