更新が遅れまして・・・一応生きてました(笑)
先週の連休は奥様孝行でちょっと長野の温泉に行っていました!(そのときの話は後日!)
それにしても、今週から3週間続けて土日が仕事です(涙)代休もなし・・・ストレスがたまりそうですね。あ~あ!今から気が重くてしかたありません。
さて本題に・・・
北緯43度の電気機関車の第15回目・・・そうED76515号機となります。
515号機は、1969年に東芝で製造され、他機同様に岩見沢第2機関区に新製配置となります。その後配置先は場所こそ変わりませんが、機関区や運転所の統廃合から1987年に空知運転区にそして1990年に空知運転所に配置が変わることとなりました。その中で、JR化後も生き残り、1994年に廃車となっています。
写真ですが・・・
まずは岩見沢第2機関区時代の写真です。写真の色が若干変色していますがお許しください・・・
ED76515 札幌駅 1985.8 CANON nF-1 135mm
地上駅時代の札幌駅苗穂側から入線してくる同機です。この列車は、荷物列車に函館行きの普通客車を増結したような列車でした。(すいません・・・列車番号忘れました!)客車こそ旧客ですが、荷物車は50系列の新しいものとなった時代ですね・・・模型的で好ましい編成だと思いませんか?
次の写真は、1990年のものですが・・・
ED76515 岩見沢駅 1990.7.29 CANON nF-1 50mm
私のホームグランド岩見沢駅です。本当に北海道らしい良い駅舎でした・・・火災で焼失してしまったことが残念でしかたありません。
JRとなったこの頃は、正面貫通扉付近がごちゃごちゃしています。たぶん、夜行急行の牽引時にヘッドマークを付けるためのものだと思うのですが・・・お世辞にも格好いいとは言えない状況です。
ただ何度も書きますが、この小樽側のパンタグラフを先頭にして凜々しく上げたこの姿が大好きです。51系客車の8両編成は見栄えもしますし、通勤時に大量輸送の大役も果たせたはずです。しかしながら、高速列車化の波に乗りきれずこの後数年でその役目を終わることとなるのです。なんとも寂しい限りです・・・
先週の連休は奥様孝行でちょっと長野の温泉に行っていました!(そのときの話は後日!)
それにしても、今週から3週間続けて土日が仕事です(涙)代休もなし・・・ストレスがたまりそうですね。あ~あ!今から気が重くてしかたありません。
さて本題に・・・
北緯43度の電気機関車の第15回目・・・そうED76515号機となります。
515号機は、1969年に東芝で製造され、他機同様に岩見沢第2機関区に新製配置となります。その後配置先は場所こそ変わりませんが、機関区や運転所の統廃合から1987年に空知運転区にそして1990年に空知運転所に配置が変わることとなりました。その中で、JR化後も生き残り、1994年に廃車となっています。
写真ですが・・・
まずは岩見沢第2機関区時代の写真です。写真の色が若干変色していますがお許しください・・・
ED76515 札幌駅 1985.8 CANON nF-1 135mm
地上駅時代の札幌駅苗穂側から入線してくる同機です。この列車は、荷物列車に函館行きの普通客車を増結したような列車でした。(すいません・・・列車番号忘れました!)客車こそ旧客ですが、荷物車は50系列の新しいものとなった時代ですね・・・模型的で好ましい編成だと思いませんか?
次の写真は、1990年のものですが・・・
ED76515 岩見沢駅 1990.7.29 CANON nF-1 50mm
私のホームグランド岩見沢駅です。本当に北海道らしい良い駅舎でした・・・火災で焼失してしまったことが残念でしかたありません。
JRとなったこの頃は、正面貫通扉付近がごちゃごちゃしています。たぶん、夜行急行の牽引時にヘッドマークを付けるためのものだと思うのですが・・・お世辞にも格好いいとは言えない状況です。
ただ何度も書きますが、この小樽側のパンタグラフを先頭にして凜々しく上げたこの姿が大好きです。51系客車の8両編成は見栄えもしますし、通勤時に大量輸送の大役も果たせたはずです。しかしながら、高速列車化の波に乗りきれずこの後数年でその役目を終わることとなるのです。なんとも寂しい限りです・・・
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