ツモ爺は20年前まで女性のブラウスのアパレル(製造、全国の専門店へ卸してました)でした。その当時に作ったブラウスを着用した女性に20年振りに出会いました、綺麗に着こなした女性にあまりの懐かしさに声をかけてしまいました。その女性は「いつまでも綺麗でしょう、全然いたまないのよ」懐かしさと嬉しさにツモ爺は舞い上がるようでした。
自分が企画した商品ですから忘れることは出来ません、当時はほぼ全国の専門店に買って頂き今でも青森県弘前のお店、高知、名古屋、天理市たくさん買っていただいたお店は忘れられません、偶然出合ったその女性は阪急百貨店の銀座名店街のべにや様から買われたようです。
当時のブラウスの企画、生産、販売は約8人の社員を抱え全力疾走の日々が懐かしく思い出されます、当時の情熱も今のアートフラワーつくりも変わりはありません、熱い心でやっています。
自分が企画した商品ですから忘れることは出来ません、当時はほぼ全国の専門店に買って頂き今でも青森県弘前のお店、高知、名古屋、天理市たくさん買っていただいたお店は忘れられません、偶然出合ったその女性は阪急百貨店の銀座名店街のべにや様から買われたようです。
当時のブラウスの企画、生産、販売は約8人の社員を抱え全力疾走の日々が懐かしく思い出されます、当時の情熱も今のアートフラワーつくりも変わりはありません、熱い心でやっています。