創造性の開発 新規商品を企画しよう

新規商品企画の成功学
求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

迷惑をかけた部下

2015-03-21 04:14:38 | Weblog

 おはようございます。

 私が最初に課長になったとき、若い頭が良い技術者が変になりました。彼との間に係長がいて、新人課長は直接管理しなかったので、その経緯が分かりませんが、良い仕事をしていないことだけは分かっていました。

 彼の症状が周囲に明らかになり、部長が俺が対応すると言いました。多分、間にいた古顔がその若手をしごいて成果を出そうとしたのだろうと想像していました。私が間接的な原因だったのでしょう。経験の浅い管理職者は年上の人の管理は難問だと言うことだけが教訓になりました。

 その後3年ほどでいろいろなことがあり、部長にもなったのですが、次第に、管理の仕事より好きに一人で仕事ができる調査とか採用担当になり、気ままにできるだけ自由に仕事をしたいと思うようになりました。仕事も面白くなくなり、1年後ついに東京への転勤を、首を覚悟して会社にお願いしました。父母と妻のご両親も歳をとり、近くへ転勤することを希望し始めた、を理由にしたのです。

 東京の営業部門か研究部門への転勤のつもりでしたが、会社の計画もあったためか、新しい研究部を柏に作ると言う計画になりました。担当者は古顔の係長クラス3名、後は自分で大学から優秀な人を連れて来いといわれました。

 こうして1年間大学回り、採用仕事が主の生活になりました。権限もなく大学を訪問し、可能性があると採用担当の課長を同行させ再度訪問になりました。コンピュータを販売したり、講師をお願いされたり、まるで個人の事業者のように動いていたのです。非常に勉強になりました。

 古顔たちは不安だったのかもしれません。3人三様で早く良い仕事をしたいと思っていたためか、他の部門の人からあまり良い印象はなく、責任者である私にそのお鉢は回ってきていたと今は思えます。構わず人の採用をお願いしていました。

 人間関係が不得意な係長を別の部門に異動してもらいました。彼もやる気になって仕事を始めたようでしたので、私も喜んでいたのです。ところが、急に、それほどの残業や仕事量ではなかったはずなのに、不整脈になり、病院へ入院したのです。

 私も入院した日、会社の帰り道に病院をお見舞いしました。心臓の弁に少し異物つき、それで調子がおかしいのだそうです。薬で簡単に治ると治療を始めたと言っていました。良かったと思って部屋を後にしたのです。

 翌日会社に出たら人事が彼はもうダメだ、もう助からないと言いました。意識不明の重体で3日持たすのが限界かもしれないと言うのです。京都からお姉さんが来る間が精いっぱい、こちらで葬式もすると会社は大慌てでした。彼のご両親は早くなくなっていたのです。

 彼は小さい時肘を骨折し、そこにゼラチン状のものができ、それが心臓に付着していたようです。心臓のゼラチンを溶かそうとしたらそれが脳に行って、脳で詰まってしまい、重症の脳梗塞になったと後から人事に聞きました。

 やる気が出なかった人が急に働いて心臓がおかしくなったのではなかったのです。若い時の怪我の影響が積み重なってたまたま心臓に不純物がたまり、それを溶かそうとして、本体の不純物を溶かして脳に送り込んだのかもしれません。

 治療も薬も一歩間違えると怖いもの、人生一寸先は闇です。今日の南無阿弥陀仏は彼のためです。

 今日はここまでにします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若くして旅立った人

2015-03-20 04:02:53 | Weblog

 おはようございます。

 およそ30年前、私が一番世話になっていた上司、その息子さんが若くして交通事故にあい、なくなりました。私がF社をやめる年の今の時期でした。息子さんはお父さんの母校でもあった東工大をその年卒業し、大学院進学を決め、お母さん孝行をと考え、箱根にドライブに二人で出かけたそうです。

 雪が道路に見えなくても、朝の山道はところどころ凍っています。運転を誤った車が道をはみ出し、正面衝突し、運転席の息子さんは帰らぬ人になってしまったそうです。二台の車の搭乗者で怪我をした人はなく、彼だけが死んだ事故でした。

 私は会社を辞めたいとその1か月前に御宅に訪問し、いろいろ説得されました。だからお母さんのお顔も拝見し、いろいろ話もしていました。お子さんの話も聞きました。お母さんは素晴らしい、優しい人でした。ひっそりと振る舞っている人でした。私もはっきりさせるためにお伺いしたのに、また数か月会社で辞めたいといろいろな人に言う羽目になりました。一言で言えば優柔不断な奴でした。

 それが突然の事故でした。私も会社の先輩たちとお通夜とお葬式にお伺いしたので、長い時間おつきあいでお宅にいました。お母さんは無傷、替わりに私が死にたかったとただ泣くばかり。上司は無言で弔問客に挨拶していたのです。凄いなーとただただ感心していたのです。

 そこへお通夜で事故の相手の運転手が謝りにきたのです。若い人でした。畳に頭を擦り付けて心から謝罪しているように見えました。上司は何と、もういいよ、わかった、と一言だけでした。お通夜もお葬式も普通の通りの姿勢で皆さんにお礼を述べていました。神様か仏様かと私は驚いたのです。その上司の説得などもあり、数か月以上、2年近く辞める辞めないの話をした不義理な私でした。

 それから事故の半年後に正式に退社し、さらにおよそ3年後に関係会社の社長になった元上司に出来上がった教科書を持って会社まで謝りに行ったのです。女子大の非常勤講師をしながら好きに、今の会社でやっていると言ったら、良かったね転社して、と言い、本は必ず読むよと言ってくれました。

 タイトルの話の前置きで文字が多くなりました。かつての部下で若くして亡くなった人の発症と治療、そして突然の死を例に書きたかったのですが、その前に筆が滑りました。今日はここまでにします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

副作用のない薬はない

2015-03-19 03:57:35 | Weblog

 おはようございます。

 この歳になり、健康優良児だった悪ガキもあちこち具合が悪くなってきました。昨年の大雪で雪かきし、痛くて歩けない事態となり、それから整形外科に通っています。初診でX線検査し、坐骨神経痛だと言われ、加齢なので治療できない、症状を緩和する貼薬をあげる、血液の循環を良くする薬を飲み続けると効果があるかもしれないと言われ、それ以来薬を頂いています。少しは痛みは減りました。でも、走れないし、早歩きも階段も大変です。毎日3回飲んで効果は微々たるものです。

 この薬は副作用が弱いので食事との関係にあまり気を遣う必要はありません。毎日決めた用量を飲み続けていれば良いので簡単です。副作用のせいではありませんが、ここ何年か胃腸も調子が悪く、毎年胃カメラで検査しています。毎度、胃炎があるが経過観察で構わない、加齢だからよく噛んで食べてくださいと言われます。自覚症状はあるのに困ったものです。

 一方、アレルギー症状を緩和する薬やコレステロールを減らす薬や精神的な症状を改善する薬や術後の回復を早める薬などは飲む量も期間も決まられていますし、多くは飲み続けることになり、飲む時間に神経を使います。少しづつ増量したり、減量したり、期間を決めてきめ細かく用量を管理するのも大変です。飲みたくないものです。でも、飲まなければいけなくなる人もたくさんいます。

 薬の相互作用や身体のホルモンなどの生成能力とも関係し、副作用を心配しつつ、時々検査し、薬の変更などをしながら、長い期間飲むことになるでしょう。おまけに効く薬はたいてい用法がうるさく、それだけ身体への影響があると言うことでしょう。人によって違う副作用もあります。薬の注意事項を読めば怖い説明で良く分かります。

 教育へのアナロジーをしたいと思って書き始め、長くなりました。今日はここまでにします。

 

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人は縁次第

2015-03-18 04:17:11 | Weblog

 おはようございます。

 夫婦や友人の関係だけでなく、私は人を管理し指導し教育するとき、一番大事な要件は相性だと考えています。患者さんと先生の関係のアナロジーで説明できそうに思え始めました。ブログを書くと創造性が発揮され、過去の知識が触発されると言う私の持論の例かもしれません。

 内科の先生は薬で症状を緩和し、薬で病気を治します。内科にも消化器もあれば呼吸器も泌尿器も神経などなどありますし、外科にも同じような数の診療科があります。さらに目や皮膚、血液もあり、小児科や高齢者相手、麻酔などなどどんどん専門分野に分かれています。癌などの難病にはX線や量子などの検査や治療法があります。アレルギー専門の先生もいます。

 自覚症状が出て街の病院を訪れ、問診で難しい病気かもしれないと判断されたら、最寄りの大きな病院を紹介してもらえます。そしてどこかの診療科で診断をしてもらいさらに検査課でいろいろ調べてもらい、診療科が決まるでしょう。よほどひどい急性の症状でなければこのようなプロセスを経てやっと専門医に到着できます。

 でも、検査の結果がすべてを語ってくれているわけではありません。いろいろな過程で先生が担当し、それぞれの判断と説明などのやり取りを経て、担当の専門科に至ります。その専門科でも大きい病院なら数名の担当医の先生が居ます。外科でも手術が経験豊富で凄い人もいますし、勉強家で病理に強い先生もいます。弱気の先生もいれば強気の先生もいます。聞き出すのが上手な先生もいますし、命令口調の先生もいます。

 検査データは患者さんの一部を示しているだけのはずです。担当医の先生の判断は一部の情報だけで治療法を決定することになると私は素人考えで考えています。すなわち患者さんの運で本当に良い先生に診てもらっているのかは決まるのかもしれません。まさに子供や会社の新人や患者さんと、その後の運命が似ているように思えます。

 今日はここまでにします。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

良い説明の誕生

2015-03-17 04:01:07 | Weblog

 おはようございます。

 今回のブログの執筆は気の向くままに文を書いています。前の晩にその日の朝に書いた文章を読んで翌日だいたいこんなことを書こうと題名の案を決めて寝ています。関連した夢も見ませんし、眠られなくもなりませんので、あまり頭も目も使っていないと思っています。

 今日は平たい文と箇条書きと絵の相乗効果について書きたいと思っています。モデルを考えていてモデルが思いつくこともありますが、少ないかもしれません。何となくこんなモデルで考えるとうまい説明ができそうだとか、上手い説明ができなくて困っているときに、お風呂とか目が覚めた時などにふと思いつきます。上手い説明をしようとすることが必要でした。

 考えたことをまず文章で400字程度にまとめることから始めます。ざっと簡単に考えたことをだらだら書きます。書くことが大事です。良い案がないと悩んでいてもとにかく書きました。文章ができたら、それを箇条書きに分解します。特に言いたいような4項目を選び出します。足りなければこじつけてでも書きます。多かったら別の提案書をまとめるか、今回は捨ててしまいます。

 全部箇条書きになったら説明しやすい順に箇条書きを並べ直します。それらを下敷きにしてまた文章にします。書きつつ考えます。何か思いついたら加えます。文章になったらひとまず終わりです。会社員時代、一日で8通のレポートは書けました。素晴らしいと評価されたと思っています。3年の実務教育が済んだ担当者なら担当は違えど、8人まで面倒を見られたでしょう。

 提案のアイデアで勝負するなら、次に文章と箇条書きを暗記するほど読んで今度は箇条書きから絵を考えます。大変に時間がかかりますしエネルギーが必要です。朝早くなら寝るまで、ご飯を食べているときもトイレでも風呂でも頭から離れない様な状態になるでしょうが、4枚が限界でした。若い時の頭脳のスタミナのある時にです。翌日もとの文章を読み直します。ぼろぼろの提案書だと思えることも多々ありました。それでまた文章を校正し、言いたい点は箇条書きにして残します。そこでモデルが見えてくることが普通でした。

 歳をとり、今やって見せろと言われても、一日かけて一枚のポンチ絵と文章がせいぜいでしょう。これで良い文章になるでしょうが、新しいモデルが思い浮かぶかは今の頭では分かりません。これ以上プロセスを具体的に書けませんのでここでモデルの話はおしまいになるでしょう。

 今日はここまでにします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モデルの奨め

2015-03-16 04:01:03 | Weblog

 おはようございます。

 今参考にしている法医学者の言葉にモデルを作り鑑定結果を説明すると理解されるとの説明がありました。複雑な自然の摂理の現象を簡単な物理法則のポンチ絵にするのが大変なのだと言っています。

 私は数学オタクだったためか、何をするにもモデルで考えています。法則はすべてモデルでもあると考えているほどです。例えばニュートン方程式、f=mαも物体に働く力と加速度のモデルとみています。学バスに乗り席に座れるか、についてkoderaの法則や迷ったときに道を選ぶ時の法則などなどなんでも法則を作り、遊んでいたのです。

 最近、私のモデルにもいくつかのタイプがあり、4つにまとめられそうな気がしています。なお、哲学で言うモデル論とは全く関係なく私はモデルと言う言葉を使っています。もし学者さんが似ていると思ってもパクリではありません。全く知らないのだからです。似ていなかったら当たり前です。不勉強ですので、ご容赦ください。

 ①外見のモデル、②内部構造のモデル、③現状の抽象モデル、④予測のモデルです。ファッションモデルは①、中村師匠のシステム開発のモデル論は②、コンサルタントや法医学者の大先生が得意そうなモデルは③、私が勧めているkoderaのモデルは④だと独断で分類しています。誰も賛同者は居ないはずです。今日が本邦初公開ですから。(笑)

 今日はここまでにします。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

理屈では飯は食えない

2015-03-15 04:10:56 | Weblog

 おはようございます。

 終戦直後に生まれた私でしたので、台所で食事を作っている母にお腹がすいたと言うのが口癖でした。お手伝いをしてつまみ食いをさせてもらいました。ですから魚のさばきもしましたし、イカの皮むきもしましたし、ぬかみそのかきまぜや取り出しもしました。

 妻が体調を壊したとき、台所仕事は全部私の仕事になりました。何から何までです。今は炊事洗濯などの家事は二人で得意なことをしています。管理業務、例えば、家計管理や税金処理のお金に纏わる業務は私、食材の管理は妻主体です。実務は二人、例えば調理は二人で毎食台所に入り作っています。子供の時の、男子厨房に入る、がモットーだったのでお料理は得意なのです。習ったわけではありません。見様見真似です。

 戦争中に2人の子供をつれ、しかもお腹の中に私を入れて空襲警報で逃げていた母の言葉が今日の題です。私が何かを言うと、すぐに屁理屈を言うな、理屈では飯は食えないと言いました。先生になっても良いが東大生と学校の先生とは結婚するなも口癖だったのです。理屈屋だからだそうでした。父は全くの坊ちゃんのような旧制高校の先生をし、新制で高校を選んだ変わり者でした。志望先や勉強法については私に何も言いませんでした。

 私はとんでもない悪ガキだったのですが、母の言いつけは結構守る子供でした。弱い者いじめをするな、インチキをするな、嘘をつくな、これらは今では私の口癖です。お国の偉い人に騙された人生の人たちに育てられた悪ガキだったから、誰に習ったわけでもなく、そのような信念に至ったと思っています。

 今日はここまでにします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

欲深い男

2015-03-14 04:10:28 | Weblog

 おはようございます。

 私は、欲深い男でしたし、今もでしょう。良い点数をとりほめられたいから勉強できた、勝ちたいからつらい練習をたくさんした、可愛い子供にもっとおいしいものを食べさせたいから良い仕事をしてお金がもっと欲しかった、などなど私の今に欲望は役立ったかもしれません。むしろ、欲は生きている限り人について回るし、上手く乗りこなせば役立つ心情だろうと思えるようになりました。

 でも、欲は一歩間違えると限度がありません。拒食症の一つの理由にエレベータ症候群と言うべき心の病があるでしょう。もっとスマートになり彼氏彼女に好かれたいなどは典型的な理由でしょう。勉強ができるようになり親に好かれたいので食事が満足にできなくなる事例もあるようです。もっと好かれたいは危険な感情だと加害者側や被害者側で言えそうです。

 欲が高じるとその欲を満足させられない対象に怒りが向かい、改善できないと誰かを恨むことになりかねません。親や子は身近です。彼氏彼女も夫婦の間も身近です。身近な弱い人に自分の欲を満足できない恨みの矛先が向かうこともあるでしょう。絶望すると自分や他の人の死を望みかねません。新聞でもたくさん解説されています。でも今まではここどまりと考えられていたかもしれません。通り魔もテロも。

 最近、この領域を超えた動機があると私は感じています。社会のひずみがひどくなったと言えるし、あらゆる情報や現象が子供たちの感情を茹で上げているのかもしれません。それはしてみたいからした、と言う子供の動機説明です。今までの対策は無力かもしれません。私は、世の権威すら解説できていないように思えてしまいます。ただ恐ろしいです。

 自殺や人を殺めることは建前ではできないと信じられてきたはずです。裁判も動機の解明が重要な要件でしょう。しかし、好きですると言われると動機は外からは分かりません。被害者やその周囲の人は対応不可能のように思えます。

 欲がなければ向上は難しい、しかし、欲で人を殺める人を止める手段は分からないでは立つ瀬がありません。今されんとしている道徳教育はこの領域の問題に無力かもしれません。先生は南無阿弥陀仏と唱える以外なにもできない、では創造性自慢の名折れです。ここからが勝負です。新年度に挑戦したいテーマが増えました。欲深い男です。私も困った者です。

 今日はここまでにします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

師匠と学者の教え

2015-03-13 04:26:41 | Weblog

 おはようございます。


 何度もブログに書いた中村師匠のことば、「専門家に必要な能力は、人に対して持っている温かさが1位。2位は直観力、3番目は推理力、4番目が専門知識である」は私の信念でもあります。遺体の鑑定を日本一したことがあると豪語する法医学者の先生は全く同じような話を本にまとめているのです。不思議ではありませんか。

 ちなみに、私は創造性の開発に自信があり、創造性とは直観力と推理力の合成と考えています。これだけで大人から子供まで、プロでも素人でも十分に育成できてきたと己惚れているのです。尻馬に乗ってるわけではないのです。

 大先生の言葉で言うと、遺体や周囲の状況を見て、生から死へのプロセスを読み切ることが正しい鑑定への条件であり、今の状況から過去をスケッチアップすることが必須なのである。子供や人の教育も同じであり、過去を見たわけではないから、今から過去の生活や環境を具体的なイメージでスケッチアップする能力が先生に必要なのである、とまとめられるでしょう。たくさんの本をお書きになっていますので、私は先生は過去に起きたかもしれない具体的な現象を考えられ、豊富な知識と経験によって思考できるのだと考えています。

 しかもです。そのうえで一般知識や常識が大事であるが、その知識は高校の教科書程度で説明しないと人は理解してくれない。一番大事なのは人に対する優しさであり、評価する周囲の人や、遺体が示す過去の生活に対する温かい目が必須なのであると言っています。できない人が多数派であれば、その眼を持つ人は圧倒的に仕事ができることになると。私も嬉しくなり自信が得られたことがありました。

 今日はここまでにします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

事実は小説より奇なり

2015-03-12 04:14:25 | Weblog

 おはようございます。

 小説やテレビの物語は筋書きはとても複雑なものが最近は多くなりました。昔の小説の、例えば坊ちゃんなど筋はとても簡単です。短気な正義感の強い東京生まれ東京育ちの物理学校卒、新人の先生が地方に赴任して、実力者の先生や生徒と問題を起こした。理系の阿保がまとめたら、これだけかもしれません。

 しかし、何故筋書きが単純なのに今読んでも、何度読んでも面白いのか不思議です。一言で言えば漱石の文章が素晴らしい、でしょう。絶対に私など足元にも及びません。東京しか知らない優秀な人が遠い他国へ赴任し、感じそうなことを面白おかしく書いています。でも現実はもっと大変だったかもしれません。

 今に置き換えて考えてみると海外旅行をしたこともなく、片言の英語を話せるだけで、東南アジアの田舎の中学校に数学や日本語を教えに行った話になるでしょう。今はアジアならまず10時間で到着します。昔は四国に何日かかったのか、遠い国だったし、方言も今より強く残っていたのでしょう。水杯は当然だったかも。

 もしたくさんあった事件が現実にあったら大変です。赤シャツに卵をぶつけ殴った痛快な事件、もし赤シャツが逃げようとして滑って転んで亡くなったとしたらどうなるかです。現実に警官に追いかけられた泥棒が転んで重傷を負うでしょうし、心臓麻痺でも死ぬこともあるでしょう。ひ弱な赤シャツがなんでもなかったのは坊ちゃんの幸運だったとしかいえません。

 被害者が一人、おまけに目撃者もなく死んだとしたら、まず傷害致死事件として鑑識が調べるでしょう。卵は、拳骨は何処まで凶器だったか。どこまでの殺意があったか、ありとあらゆる角度から細かく調べることになります。おまけに現実に起きたら、加害者がまず逃走します。凶器はありません。卵で滑って転んだ単なる事故か障害致死事件かもわかりません。

 要するに事例としては相当に複雑になるでしょう。現実の事件はもっと複雑なのが現実なのです。法医学だけではありません。営業も技術も研究もありとあらゆる仕事は巷や本や先生が教えてくれる以上に極めて複雑です。現実に仕事をするとマニュアルで済まない事件ばかり、出来事ばかり毎日起きるでしょう、マニュアルは、またお客様や上司は急所を語り教えてくれますが、ごく一部なのです。そこを踏み台にして常に創造性の発揮が必須なのです。創造性の働かない上等な対応は仏作って魂入れずと言われるでしょう。

 今日はここまでにします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする