おはようございます。
私が最初に課長になったとき、若い頭が良い技術者が変になりました。彼との間に係長がいて、新人課長は直接管理しなかったので、その経緯が分かりませんが、良い仕事をしていないことだけは分かっていました。
彼の症状が周囲に明らかになり、部長が俺が対応すると言いました。多分、間にいた古顔がその若手をしごいて成果を出そうとしたのだろうと想像していました。私が間接的な原因だったのでしょう。経験の浅い管理職者は年上の人の管理は難問だと言うことだけが教訓になりました。
その後3年ほどでいろいろなことがあり、部長にもなったのですが、次第に、管理の仕事より好きに一人で仕事ができる調査とか採用担当になり、気ままにできるだけ自由に仕事をしたいと思うようになりました。仕事も面白くなくなり、1年後ついに東京への転勤を、首を覚悟して会社にお願いしました。父母と妻のご両親も歳をとり、近くへ転勤することを希望し始めた、を理由にしたのです。
東京の営業部門か研究部門への転勤のつもりでしたが、会社の計画もあったためか、新しい研究部を柏に作ると言う計画になりました。担当者は古顔の係長クラス3名、後は自分で大学から優秀な人を連れて来いといわれました。
こうして1年間大学回り、採用仕事が主の生活になりました。権限もなく大学を訪問し、可能性があると採用担当の課長を同行させ再度訪問になりました。コンピュータを販売したり、講師をお願いされたり、まるで個人の事業者のように動いていたのです。非常に勉強になりました。
古顔たちは不安だったのかもしれません。3人三様で早く良い仕事をしたいと思っていたためか、他の部門の人からあまり良い印象はなく、責任者である私にそのお鉢は回ってきていたと今は思えます。構わず人の採用をお願いしていました。
人間関係が不得意な係長を別の部門に異動してもらいました。彼もやる気になって仕事を始めたようでしたので、私も喜んでいたのです。ところが、急に、それほどの残業や仕事量ではなかったはずなのに、不整脈になり、病院へ入院したのです。
私も入院した日、会社の帰り道に病院をお見舞いしました。心臓の弁に少し異物つき、それで調子がおかしいのだそうです。薬で簡単に治ると治療を始めたと言っていました。良かったと思って部屋を後にしたのです。
翌日会社に出たら人事が彼はもうダメだ、もう助からないと言いました。意識不明の重体で3日持たすのが限界かもしれないと言うのです。京都からお姉さんが来る間が精いっぱい、こちらで葬式もすると会社は大慌てでした。彼のご両親は早くなくなっていたのです。
彼は小さい時肘を骨折し、そこにゼラチン状のものができ、それが心臓に付着していたようです。心臓のゼラチンを溶かそうとしたらそれが脳に行って、脳で詰まってしまい、重症の脳梗塞になったと後から人事に聞きました。
やる気が出なかった人が急に働いて心臓がおかしくなったのではなかったのです。若い時の怪我の影響が積み重なってたまたま心臓に不純物がたまり、それを溶かそうとして、本体の不純物を溶かして脳に送り込んだのかもしれません。
治療も薬も一歩間違えると怖いもの、人生一寸先は闇です。今日の南無阿弥陀仏は彼のためです。
今日はここまでにします。