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若くして旅立った人

2015-03-20 04:02:53 | Weblog

 おはようございます。

 およそ30年前、私が一番世話になっていた上司、その息子さんが若くして交通事故にあい、なくなりました。私がF社をやめる年の今の時期でした。息子さんはお父さんの母校でもあった東工大をその年卒業し、大学院進学を決め、お母さん孝行をと考え、箱根にドライブに二人で出かけたそうです。

 雪が道路に見えなくても、朝の山道はところどころ凍っています。運転を誤った車が道をはみ出し、正面衝突し、運転席の息子さんは帰らぬ人になってしまったそうです。二台の車の搭乗者で怪我をした人はなく、彼だけが死んだ事故でした。

 私は会社を辞めたいとその1か月前に御宅に訪問し、いろいろ説得されました。だからお母さんのお顔も拝見し、いろいろ話もしていました。お子さんの話も聞きました。お母さんは素晴らしい、優しい人でした。ひっそりと振る舞っている人でした。私もはっきりさせるためにお伺いしたのに、また数か月会社で辞めたいといろいろな人に言う羽目になりました。一言で言えば優柔不断な奴でした。

 それが突然の事故でした。私も会社の先輩たちとお通夜とお葬式にお伺いしたので、長い時間おつきあいでお宅にいました。お母さんは無傷、替わりに私が死にたかったとただ泣くばかり。上司は無言で弔問客に挨拶していたのです。凄いなーとただただ感心していたのです。

 そこへお通夜で事故の相手の運転手が謝りにきたのです。若い人でした。畳に頭を擦り付けて心から謝罪しているように見えました。上司は何と、もういいよ、わかった、と一言だけでした。お通夜もお葬式も普通の通りの姿勢で皆さんにお礼を述べていました。神様か仏様かと私は驚いたのです。その上司の説得などもあり、数か月以上、2年近く辞める辞めないの話をした不義理な私でした。

 それから事故の半年後に正式に退社し、さらにおよそ3年後に関係会社の社長になった元上司に出来上がった教科書を持って会社まで謝りに行ったのです。女子大の非常勤講師をしながら好きに、今の会社でやっていると言ったら、良かったね転社して、と言い、本は必ず読むよと言ってくれました。

 タイトルの話の前置きで文字が多くなりました。かつての部下で若くして亡くなった人の発症と治療、そして突然の死を例に書きたかったのですが、その前に筆が滑りました。今日はここまでにします。

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