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難病の治療薬

2015-03-25 04:36:37 | Weblog

 おはようございます。

 同居していた祖父が若い時に結核にかかっていたのでしょう。姉は赤ちゃんの時、結核にかかり、非常に苦労しました。ですから、私の物心ついた時から、この病気と一家は格闘していたと今は良く分かります。

 でも学校の身体検査で私はツベルクリン反応は陰性でした。小学校の高学年まで毎年陽転させようと学校で注射をうけていました。母は一生陰性でしたので、注意すれば保菌者と一緒に生活していても感染の可能性はそれほど高くはないのかもしれません。

 昭和30年ごろまで結核に治療薬はなく、栄養をつけ、安静にして体調管理を長年続けるしか、治療法はなかったと言えるでしょう。不治の病だと怖がって、家の前は息をしないで行けと言われていた子供がいました。結核にもすごい偏見があったのです。

 抗生物質が発見され、ペニシリンが肺炎の特効薬になったのでは。今は副作用があるとされ、使われることは稀のようですが、悪ガキだった私は毎年風邪を悪化させ気管支炎のようになり、ペニシリンにお世話になりました。ペニシリンがなかったら私は脳炎を起こし、小学生あたりまでしか生きられなかったと思っています。

 結核に対して、ストレプトマイシンが発明され、不治の病ではなくなり、2クールか3クールの投薬で菌が検出されないようになったのでは。しかし、この薬は強い副作用があり、耳が聞こえなくなる可能性が高かった怖い薬でした。使うのは最後の手段のように思われていたのかもしれません。

 そのような状況で、日本でカナマイシンと言う薬が発明されました。多くの患者さんが夢を託したのかもしれません。しかし、この薬の治験の検証結果報告はどうも嘘ばかり、白い巨塔以上の酷い話だったのかもしれません。ストレプトマイシンより高い確率で耳が聞こえなくなった人がいる、と姉を見舞いに病院に行ったとき、他の患者さんから聞きました。後に仕事で知り合った東大病院の教授に聞いたのですが事実だったようです。

 私は薬を飲むのが嫌いでした。お蔭かもしれませんが、中高生時代は健康優良児だったのですが、加齢のため薬のお世話にまたなり始めました。仕事で研究したのですが、申請書に記載された説明書にはすべてこのような副作用があると責任逃れのように書いてあります。現実に副作用に困った患者さんがいたのでしょう。怖いものです。

 今日はここまでにします。

 

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