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新規商品企画の成功学
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随時随所楽しまざるなし

実践すると見えるもの

2015-03-02 04:42:29 | Weblog

 おはようございます。

 私は最近実践が大事だといつも言っています。まず、実践の言葉を考えてみましょう。実践の言葉を強く意識したのは女子大で非常勤講師をした時でした。文化栄養学科のデータベース論をしてくれと素晴らしいお婆ちゃんに頼まれて画期的な教育をしてやるぞと思ったのです。

 その大学は料理の専門学校では長い実績があり、今でも、家庭科で使う栄養成分表はこの学校が出版しているのでは。すでに専門学校だけでなく、同じ学校法人の中に実践栄養学や調理の4年制学部ができていたのですが、これからは食と文化が大事な時代が来るのでフードコーディネータなどを育成する学科を独立させたいと創業者のお婆ちゃん理事長が熱く話してくれました。栄養学から始まり調理の話、健康の話、文化論など非常勤講師を集めて話をしてくれました。私は感動しました。

 私も実践からコンピュータを語ってみたいと思い、情報管理に関してオフィスの問題点を1冊の本にまとめたわけです。データベースは好きな分野でしたので、RDBなどの現実のデータベース管理システムを話そうかと思ったのですが、パソコンを使って表言語などを説明しても自分が何かしっくりこないし、さりとてRDBの理論的背景を言っても生徒さんの実生活とかけ離れていて面白くないと思って、極力平明な説明と絵を心がけたのです。

 その時以来、実践と言う言葉が好きになったようです。実践で一番親しかった分野はお料理でしたが、歴史が好きな私は昔からお坊さんの修行も関心あるテーマです。旅行に行くと今でもお寺見学はしています。

 そのような私にとって実践は甘い言葉であり、修行は少々辛そうなイメージのある言葉です。座禅を組む、高野山に何百回とお参りする、八十八か所などをめぐる、です。仏様に近づく、飲まず食わずの難行苦行なら即身仏の行でしょう。実践は動詞的な意味のある抽象名詞でしょうが、修行の行は動詞の意味より抽象名詞、すなわち目的語だろうと考えているようです。同じような意味でも使い方が違うのでしょう。

 柔らかそうな言葉である実践とは物事を実際に行うことであり、仕事で何であろうと実践するのは行に近い意味があると私は考えています。何事も実践すると分からない本質が分かり、真実に近づけると私は勝手に解釈しています。近づいた状態の心だと私は考えています。実践が修行と違うのは、楽しいことの結果と言う暗黙の意味があると私は信じています。楽しくなければ仕事でない、勉強ではないと考えているわけです。

 今日はここまでにします。

コメント
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