おはようございます。
終戦直後に生まれた私でしたので、台所で食事を作っている母にお腹がすいたと言うのが口癖でした。お手伝いをしてつまみ食いをさせてもらいました。ですから魚のさばきもしましたし、イカの皮むきもしましたし、ぬかみそのかきまぜや取り出しもしました。
妻が体調を壊したとき、台所仕事は全部私の仕事になりました。何から何までです。今は炊事洗濯などの家事は二人で得意なことをしています。管理業務、例えば、家計管理や税金処理のお金に纏わる業務は私、食材の管理は妻主体です。実務は二人、例えば調理は二人で毎食台所に入り作っています。子供の時の、男子厨房に入る、がモットーだったのでお料理は得意なのです。習ったわけではありません。見様見真似です。
戦争中に2人の子供をつれ、しかもお腹の中に私を入れて空襲警報で逃げていた母の言葉が今日の題です。私が何かを言うと、すぐに屁理屈を言うな、理屈では飯は食えないと言いました。先生になっても良いが東大生と学校の先生とは結婚するなも口癖だったのです。理屈屋だからだそうでした。父は全くの坊ちゃんのような旧制高校の先生をし、新制で高校を選んだ変わり者でした。志望先や勉強法については私に何も言いませんでした。
私はとんでもない悪ガキだったのですが、母の言いつけは結構守る子供でした。弱い者いじめをするな、インチキをするな、嘘をつくな、これらは今では私の口癖です。お国の偉い人に騙された人生の人たちに育てられた悪ガキだったから、誰に習ったわけでもなく、そのような信念に至ったと思っています。
今日はここまでにします。