とっておきの標石を紹介します。
柴田町の住民として、町内の標石については、すべて管理すべく、日々(?)自転車で細い道をキョロキョロしながら、
走っていました。
2008年4月28日のことです。柴田町の北部・入間田字中居113番地先を走行中、道端に四角い御影石が目に
入りました。殆どが埋もれていましたが、明らかに日頃見慣れている標石の特徴があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/30/3e35d676df5bd847e4e301bce42e5f4f.jpg)
路面から数cm見えるのみです。
その時は、掘削する道具(スコップ等)を持っていませんでした。
早速、DIY店にて折りたたみ式スコップを購入し、その後は常にリックサックに入れて持ち歩いています。
5月17日、再度現地を訪ねました。土地所有者(家の持ち主)に事情を話し、掘削、計測、写真撮影の許可を得て、
から作業に取り掛かりました。
掘り進む度に石に刻まれた文字が浮かび上がってきます。4面を掘り、文字は見えますが、写真撮影には不鮮明な
ところもあり、所有者宅からバケツに水をもらい、石をきれいに拭きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/f8/6a7bfcedda1fd34aaf0e5db23ceefa7b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/04/70c8c17bc5e9bc369742bb4100a204d5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/05/3adc3a343a03955c93e50fae86bc83be.jpg)
主要寸法
地上全高:数cm
頂部:ドーム型(高0.0cm)(水準点の頂部のデベソみたいなものはあったもよう、摩耗した可能性あり?)
研磨側面高:30.0cm、その下は粗面、全長は不明
研磨側面幅:12.5×12.5cm
南面:水準標/東面:宮城縣/北面:第三號/西面:明治四十年/ 明治四十年(1907年)
その後、埋め戻しをして、お礼をのべてきました。
あれから数年が経過しています。本日ブログを書くにあたり現地を確認に行きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/dd/bf3196a831ac5e170e7dd7fb1a9b9e6b.jpg)
道路脇に標石が見えています。健在です。ただし、脇に作業用の杭が見えます。
柴田町都市計画課が傷んだ道路の舗装工事を行うとの看板が出ていました。明日にでもこの標石を養生してから
工事を行ってもらうようお願いに行く予定です。
2012年7月23日に当ブログに掲載した、亘理町吉田の宮城縣の設置した水準標との関係が気になるところです。
未だアップしていない標石が何個かあります。
小出しにして申し訳ありません。
気長にお待ち願います。
柴田町の住民として、町内の標石については、すべて管理すべく、日々(?)自転車で細い道をキョロキョロしながら、
走っていました。
2008年4月28日のことです。柴田町の北部・入間田字中居113番地先を走行中、道端に四角い御影石が目に
入りました。殆どが埋もれていましたが、明らかに日頃見慣れている標石の特徴があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/30/3e35d676df5bd847e4e301bce42e5f4f.jpg)
路面から数cm見えるのみです。
その時は、掘削する道具(スコップ等)を持っていませんでした。
早速、DIY店にて折りたたみ式スコップを購入し、その後は常にリックサックに入れて持ち歩いています。
5月17日、再度現地を訪ねました。土地所有者(家の持ち主)に事情を話し、掘削、計測、写真撮影の許可を得て、
から作業に取り掛かりました。
掘り進む度に石に刻まれた文字が浮かび上がってきます。4面を掘り、文字は見えますが、写真撮影には不鮮明な
ところもあり、所有者宅からバケツに水をもらい、石をきれいに拭きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/f8/6a7bfcedda1fd34aaf0e5db23ceefa7b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/04/70c8c17bc5e9bc369742bb4100a204d5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/05/3adc3a343a03955c93e50fae86bc83be.jpg)
主要寸法
地上全高:数cm
頂部:ドーム型(高0.0cm)(水準点の頂部のデベソみたいなものはあったもよう、摩耗した可能性あり?)
研磨側面高:30.0cm、その下は粗面、全長は不明
研磨側面幅:12.5×12.5cm
南面:水準標/東面:宮城縣/北面:第三號/西面:明治四十年/ 明治四十年(1907年)
その後、埋め戻しをして、お礼をのべてきました。
あれから数年が経過しています。本日ブログを書くにあたり現地を確認に行きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/dd/bf3196a831ac5e170e7dd7fb1a9b9e6b.jpg)
道路脇に標石が見えています。健在です。ただし、脇に作業用の杭が見えます。
柴田町都市計画課が傷んだ道路の舗装工事を行うとの看板が出ていました。明日にでもこの標石を養生してから
工事を行ってもらうようお願いに行く予定です。
2012年7月23日に当ブログに掲載した、亘理町吉田の宮城縣の設置した水準標との関係が気になるところです。
未だアップしていない標石が何個かあります。
小出しにして申し訳ありません。
気長にお待ち願います。