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「習わざるを伝えるか」は、加地伸行教授の金谷論語の大ミスの見逃し!(改題)

2016年10月28日 | Weblog

TMA講師代表の個人研究: 「論語」の学而編に有名な「三省」の話が出てくる。岩波文庫の金谷治先生(東北大学)の「論語」では、「日に三たび」反省すると訳している。動作の回数は、動作動詞のあとにくる補語の要素である。「省日三」という語順でないといけない。「省」のまえに「日三」が来ると、話題や主題を主語とする漢語の働きで、「日に三つのことについて」「省みる」という語順になる。現代語では、「関於日三」と主題を明示する形である。加地伸行教授は、見事に、金谷治論語をゴミ箱に蹴り込んだ。反省は、日に一回である。

しかし、その後に来る三項目の反省点の第三項目が運命の分かれ目だった。「伝不習」を「習わざるを伝えるか」と大ミスを犯した。金谷治先生の大ミスをそのまま「伝え」られた。加地伸行教授は、私の大阪大学へ提出した博士論文の審査委員ではないが、同意の意思表示を戴いたので恩義がある。とはいえ、動作動詞の後の「不」は、補語の要素である。「伝」という動詞の程度補語として「不習」がおかれる。「伝わりて習(さら)わざるか」と読むべきである。意味は、教授から「伝授」され、「習(おさらい)しなかったか」という意味である。

大阪大学のような発明発見を大事にする大学で、教授から「習わなかったことを」、学生に「伝えたか」と反省すると訳したら、学問は永遠に進歩しないことになる。ここでは、学問の基本として、教授から「伝授されたことをきちんと復習することが大事だ」という意味である。師匠から習わなかったことを新たに創見を立て、後輩を指導するのが現役の教授の役目である。僕は、伊地知善継教授に教えを請い、戴いたテキストをもとに「論語」を読み直したら、と大きな示唆を戴いた。70歳になり、老師の学恩を知る。中国では、「伝習」という熟語がある。この否定形は、「伝不習」となる。くれぐれも動詞の後に来る「不」は、補語要素となる。大阪外国語大学の学長であった伊地知善継教授の学問は、大阪外語大が大阪大学と合併したので、加地さんの学風が消えて、伊地知先生の学風が大阪大学に「伝わる」、同窓生として安心している。


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