富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

環日本海主義は22世紀の課題:今世紀は、アメリカ重視が得策

2016年05月07日 | Weblog

TMA講師代表:個人研究

私事で恐縮であるが、本来の専門は、中国の孫文の研究である。言い換えると、孫文を素材とする国家経営の戦略論を勉強してきた。そのため、中国の伝統社会の研究と、新しい銀行、証券、債券の市場、さらには、経済学説の研究と、・・・孫文が目を向けた課題につき、近代日本と並走する近代中国の歴史をながめてきた。32歳で、大阪大学文学部助手から富山大学の講師・助教授として赴任、そこで富山県史の編纂に関与。爾来、先輩諸氏の「環日本海主義」を尊敬してきた。しかし、孫文が一番に重視したのは、アメリカ市場であるという事実と対比すると、環日本海主義は、近代日本の日露戦争神話に由来する「辺境局地」理論に過ぎないとわかる。環日本海主義に熱心なのは、戦後の富山人である。だから、富山大学の初代の学長も、東洋史学者で、環日本海の専門家であった。北朝鮮との地理的な距離の近接は、いまや軍事的な脅威のみ、というマイナス要因である。

東京の中央から見ると、富山という地方は、日本海側の中心都市だから「北東アジア」に眼をむけるべきだ、とされてきた。富山大学の人文学部にロシア語、朝鮮語、中国語があるのは、時の文部省の高官の行政指導を受け入れたからである。かといって、環日本海学が成功したわけでもない。理由は、英語に比べて、ベースとなる言語学の分析理論が低く、ロシア文学、朝鮮文学、中国文学という「文学という政治性」のある学問に引き込まれたからである。語学教育は、文学研究者は最適の教育者にはなれない。純粋な比較言語学者でないと、教育のプログラムは成功しない。言語学は、言葉の数学である。

中国語は、英語に近い、と信じる人が圧倒的に多数である。しかし、実は文法構造は、日本語に極めて近い。動詞の目的語が、動詞の後にくるではないか、という反論もあるが、実は目的語を強調する場合、「把」という語を用いて、目的語を動詞の前におくことができる。構造文法的には、主語と動詞の緊縛はなく、主語は話題である。述語は動詞、形容詞、名詞+助詞と、主述関係をまるごと述語にできる。「その件は、僕は研究してない。」は、英語の文法論だと、動詞からその動作主を割り出すから、「僕は」が主語になると思いがちである。漢語では、話題主語であるから、「この件は」が文全体の主語である。

実は、幕末の富山藩の藩校では、漢語の構造文法を理解し、英語にそれを応用した変則英語という速読法が発達した。これは、稀にみる地域の国際化のタネである。富山の真の高等教育は、ここから生まれた。旧制富山高校の初代の校長である南日恒太郎は、その種から開花した「華」である。「環日本海主義」は、富山高校の側にはなかった。富山大学に「環日本海主義」を持ち込んだのは、旧制の高岡高等商業学校の系譜である。それは、当時の軍国日本の系譜でもある。僕が神戸での仕事を終えて、晩年、<英語版の富山県史>を編纂しないかと、高井進先生に進言した。言下に拒否されなかったが、「環日本海主義」「日本海を平和の海に」という先輩の流れは壊せないといわれた。

孫文の代表作は、拙い英語で書かれ、妻の宋慶齢が英文タイプで浄書して原稿がかかれた「中国の国際的発展」、のち漢語訳され「実業計画」となるプランである。アメリカの余剰資本を中国市場に投下しないかぎり、第一次世界大戦後の戦後恐慌による大不況は避けられないというもの。上海のアメリカのの商務領事から本国政府、財界に送付される。それが転機でとなり、中国経済は特に上海市場は、アメリカ市場とリンクし、日本経済は、逆に、日本海主義へとのめり込んでいく。日本海主義は、軍国主義のマイナス遺産である。

今の日本経済の強みは、戦後、ソニーの盛田昭夫さんたちの奮闘により、アメリカで日本村を構築し、アメリカ経済の「太平洋化」を促進したからである。中国もその流れに乗って、大きく経済成長した。実は、中国は、割の悪い、リスクの大きな製造業の捨て石を国際分業しているにすぎない。唯物主義なので、鉱石から素材を取り出す粗加工業なので、規模は大きくても粗利は低い。中国も、製造業の世界で、ドイツ、日本、アメリカと肩を並べ、あるいは3国より上に行く可能性は極めて低い。なぜなら、文官官僚になる文科挙の伝統が再生され、産業技術に生涯をかける理工系の人材が社会的に2流とされる風潮が残っているからだ。中国の伸びに期待をかけて、日本海政策の拘泥するのは宜しくない。しかし、正面から中国にそのように対処するのは誤りである。「親中国」は、中国を安く買いたたく大人の戦略である。「環日本海主義」は、100年債だと理解すればよい。10年債と時間軸では、アメリカ市場により神経を集中するべきである。

 

 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 国内市場の内需には限界<< | トップ | 1930年から2050年までは、日... »
最新の画像もっと見る