TMA講師代表:個人研究
現代の経済は、指令型経済原理である財政の力と、市場型経済原理である銀行通貨の力との均衡と調整に支えらている。特に、市場型経済原理により変化する「大衆消費市場」が、市場経済原理の枠組みを超えて、指令型経済原理を動かす力を持ち始めている。それが、大衆による国民投票であり、選挙である。世論の誘導、それ自身が「市場原理」である。多数が心理的に好む方向へと、メディアを誘導することに成功すれば、そこから指令型経済原理の優位性も出てくる。
政治の狂いと述べたが、大衆の狂い、でもある。目先のことしか考えられない。感情的にしか理解できない。世界の歴史をみると、中世的な世界から近代世界が生まれたのは、カトリックの貴族から、市民社会が生んだ市民型の貴族、紳士の力である。しかし、現代では、市民社会が生んだ市民型の貴族が消えかかっている。それは、IT革命の流れに乗り損ねたからである。IT産業革命により、新貴族が生まれたが、それは大衆市場を基盤として成立するから、大衆の熱狂が活性化の母体となる。
そもそも、経済学という学問は、市民社会が生んだ市民型の貴族、紳士の道徳心を社会科学としてきたものである。本来は、マクロ経済学である。それが進化し、市場という均衡・調整の磁場の発見とともに進化し、消費者の行動をゲーム理論で解析するようになる。この手法が、選挙という政治の世界に持ちこまれてきた。
投票態度を最後まで明らかにしない「無党派大衆」の狂いが、政治を暴走させ、指令型経済原理に歪みを与える。土着への愛は、大衆政治の基本である。だが、それを排他に導けば、ある程度の集票は可能である。「無党派大衆」が、グローバリズムに傾くか、土着への愛に傾くのか、その僅かな差異が、実は市場経済原理の均衡調整の機能まで奪いとる。