富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

1等国、2等国、3等国は、日本では死んだ言葉

2018年10月04日 | Weblog

明治時代は、1等国になりたい、このコンセンサスで幕府系も討幕系も団結できた。それが立憲君主制と、強力な軍事国家への路だった。しかし、歴史研究者によると、日本は鎌倉時代から1等国であった。女性が日本型仏教のお陰で、文字の読み書きができ、仏教的な世界観、倫理観のもと、幼児教育に格別の慈愛をみいだした。他者のこどもにまで目配りしてきた。織田政権・豊臣政権のもと、日本には行政村という経営単位が生まれ、兵農が分離される土台ができた。楽市楽座のお陰で、行政村は特産品の生産により、米以外の産物で年貢に代えるため、「経営組織としての村」が生まれた。これは、アジアでは唯一の経営組織としての村仲間・村株の制度慣行である。入会地という共同資産がある。水利権の共同保全など、17世紀には、農民ではなく、村という経営共同組織の村民である。ところが、幕末よりイギリスの砲艦外交と、郵便・電信・銀行・保険制度に接して、日本は、2等国であると厳しく自省し、立憲君主制のもとでイギリス、プロシャを1等国とみて、頑張ってきた。最近は、非常に賢くなり、1等、2等、3等という階級差の意識を無くしてきた。それでも、別の用語でファースト・クラス、グリーン車、エクゼクティブなどの言葉で代用されている。問題は、旧式の左翼思想では無政府主義を好むので、この階級差には全廃が叫ばれてきた。しかし、お客様を持ち上げ、余裕のある方には、高くても特別に良いものをご用意しましたという型のビジネス・スタイルもある。これが大塚家具の旧来の成功モデル。しかし、世界史は、イケヤ、ユニクロ、ニトリ、アパホテルを勝者に選んだ。つまり、ミドル・クラスの共感に依存する社会となった。メディアは、その感性からみるメガネに徹している。問題は、世界を見ると、もう少し下に標準を置かないと、日本発のサービスをアジア、アフリカには提供できない。この下線部は、朝日印刷の濱社長から学んだことだ。

 


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「ちぇべちゃべ、しられんな!」は悪徳

2018年10月04日 | Weblog

社会を良くするには、農村社会の和合をまもるために、役職にないものは出しゃばるなという悪習が、変化の大きな現代社会のおける構造改革に永遠の疎外を生む。だから、タウン・ミーティングと紋切り型で県民の意見を聞いても、当たり障りのない、和やかな会合におわる。しかし、裏では、本音の損得勘定を厳しく打算する。それは、日本の村が経営組織として、互恵型経済原理をもっているからだ。明治期からこのかた、未検挙の犯罪は多い。そのいくつかは、村自治の砦により隠ぺいされたものが多い。警察権力に対し、不服従、非協力をあからさまにすると、出すぎるので、徹底的に無知蒙昧を装う。これ以上は書くのをはばかるが、江戸時代からの歴史の深層水はいまも、未検挙犯罪、赦免、見逃しの社会圧力として、この土地の精神を支配している。書かない、書いてはいけない陰部は、富山県にはまだまだ多く残されている。「あなた方とは文化が違う」という暴言を県庁の職員が、マンションの管理組合の理事会で吐いた。言いたい気持ちは百も分かるが、「文化の違う人たち」を善導するには、富山に生まれ育った人でも並み大抵ではない。ただ、「人格者」と認められたら、「ちぇべちゃべ、しられんな!」とは言われない。


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意外に深刻な朝夕の車の渋滞:富山の新しい課題

2018年10月04日 | Weblog

富山県では、一日通勤が3つあると言われる。その中心が富山市の郊外の産業ゾーンである。山間部の近い地域から産業ゾーンへの通勤退勤は、もともと道路の幅が狭いので、積雪時期には厳しい。見ていると、有沢橋が旧市街へ入る人、出る人のネックとなっている。これに限らず、富山市は、富山湾岸社会主義の抱きかかえ福祉主義の裏返しに、公共交通の改善が遅れた。富山大空襲は、旧市街の中心の焼け跡を整理し、立派な幅広い道路ができた。しかし、駅北の奥田村を例にとると、農道を区画整理しないで自動車交通の時代が来たために狭隘な路地がやたら多い。粟島村もそうである。社会主義者がやるべき指令型経済原理による社会インフラ設計は、絵に描いた餅となった。何もかもスッキリとはならない。富山市の場合、まだましである。昭和初期の都市計画、戦後の復興期、JR富山駅を中心に計画道路があるからだ。ところが、旧市街の外の、村のゾーンにはいると、農道の名残がある。しかも、農業用の旧排水路が縦横には、それなりに秩序正しく配置されている。こうした朝夕の交通渋滞をさけるために、早朝の出勤、早めの退勤など、勤務時間の配分に自由が利く職種は、すでに実施されている。ただ、経営者が悪いと、そうした自由度の高い制度を拒む向きがある。働き方改革というのは、基本、企業の自己責任のマネジメントの課題である。自転車族の僕は、粟島村や奥田村の迷路を楽しんでいる。なにも大げさな都市計画はいらない。とはいえ、融雪の設備に加え、電柱地中化となると、莫大な社会資本形成が必要になる。富山県の自治体・企業・教育機関が、隙間なく連携し、「稼ぐ力」をとことん追求しないと厳しい。そのためには、富山人が日本国の存立にかかわる生命線を握ることである。


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10月3日(水)のつぶやき

2018年10月04日 | Weblog

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