富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

一億総活躍・沖縄北方相として宮越光寛さん入閣

2018年10月02日 | Weblog

お待たせしすぎの感がある。しかも、地元期待の農水産大臣ではない。それで、入閣により、富山県政にはより多くの情報が入る。ただ、難問で未解決のまま任期満了となる厳しいポストである。一億活躍なので、リカレント教育には最適である。富山県の場合、薬学の卒業生のリカレント教育に手をあげることができる。これは、僕の考えた製薬の必要な薬剤師さんの育成には、必ず役立つ。沖縄、北方は、総理の案件である。一億総活躍には、犯罪者の社会更生が含まれ、リカレント教育の国家支援が問題となる、受講生の経費の支援など・・・。


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なぜ、大学1年次の学習履歴が大事なのか?

2018年10月02日 | Weblog

起案、提案、合意づくり、検証、改善、経験の定式化、知の継承などの表現行動では、高卒では弱い。高専でも弱い。寡黙の傾向性は、製造業のオペレーションには適応する。しかし、マネジメントとなると、大学1年次は、自己マネジメントの第一歩の年齢に当たる。「三十にして自立」するための、最初の基準年齢が15歳である。孔子は、それを「立志」としている。そこから「大学」という学に志す。だから、高校は大学進学を前提にする普通高校が基本となる。それは、30歳で完成形となる「大学」の学習の通過点である。そこで、生涯の学の起点がきまる。僕の場合は、総合科学を志願した。そこから、文学部では社会学や哲学を避けて、歴史学、それも現代世界史を選んだ。そこから、中国語を第二外国語として選択した。非常に幸運だったには、そこで神戸大学の国民経済学派の先輩の洗礼をうけ、構造改革論にのめり込んだ。君は、日中関係の研究をやり、日本が中国に対し、敵対から中立へと政策転換し、日本経済と中国経済との相互の「中立」化に関心を持つべきだと教育された。そこから、中国研究を始めたが、構造改革なしに歴史の進化はないと、日本と中国との構造改革、つまり静態構造の動態変化に注意して研究している。この大学1年次に、神戸大学の国民経済学派の洗礼と、湯浅教授の科学史と総合科学への情熱を知ったこと、これが今76歳の原点である。好きな日本史で、立命館大学に行きたかったが、神仏が神戸大学の文学部生でありながら、神戸学派の中軸に出会えた。僕は、いまでも構造改革派である。だから、経済、経営にこだわる経済主義だからマルクス派とは、近親憎悪となる。それにしても、自由民主党さんは、進化された。日本社会党には、何度も誘われたが嫌った。正解だった。

 

 


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日本民族の定義の原理性と複雑多元性

2018年10月02日 | Weblog

これは、血族と語族という2つの原理が絡む。血族にかんしては、遺伝子学は進んだので、DNAで調べると、日本列島の最大多数は、縄文式土器の時代からの遺伝子の特徴があるという。この血族を原理に民族を同義にした誤りは、ナチスドイツが典型的だ。語族が民族の基礎になると考えて、アメリカ英語の能力試験をもってアメリカ国民とするのは、血族主義を越えようとする試みだ。それでも、トランプ政権のように、言語能力の面からスパニッシュを嫌い、宗教の違いでイスラム教の一部を排斥する。日本は、日本語検定と日本語能力のほかに職業能力を帰化条件の判定基準にしている。こうしうて、日本国は、血族でも、語族でも単純な単一の原理では論じられない機能的な経営組織として、複雑多元の要素で成り立つようになった。この問題では、ジャイアンツのフアンが難しい例題を説いた。長嶋(ヤマト)、王(チャイナ)、金田、張本(コリアン)、そしてクロマティ(アメリカ)・・・、それでも日本国の読売巨人軍として機能する。それが、経営組織としての日本である。血族、語族、部族、民族、そのうえに指令型経済原理を統合基準とする国民経済の経営組織としての日本Japanがある。ジャイアンツのフアンの適応力が、この難題の解決に大きく寄与した。読売新聞社の功績は、ここにある。日テレーKNBが富山が地デジ放送の地方では先頭にある。つまり、富山県も抱える複雑な民族感情が、うまく進化したのは、朝日新聞、毎日新聞の功績ではなく、富山県人が生んだ読売新聞ということになる。


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富山地鉄は、富山県民の民智のプロ

2018年10月02日 | Weblog

富山市さんが、ライトレールの市内環状線との南北接続を期して、経営を富山地鉄に委ねると決定されたのは、非常に意味がある。富山県は、あいの風とやま鉄道を富山地鉄に運行を委ねるべきである。台風24号、準備すれば始発からの運行ができる。それを9時台に始発にするのは、公共鉄道の使命感を欠いている。富山地鉄が始発運行を可能にするには、保線と運転の管理が一体化し、深夜に準備しているからだ。県立高校は、休校ではない。あいの風とやま鉄道が、9時台の始発では、高校生は登校できない。学力上位校では、遠距離通学が多い。富山地鉄は、乗客一人一人の事情を忖度する民智がある。富山県庁の幹部は経営管理する「富山空港」「あいの風とやま鉄道」そして、「富山新港」は、一般会計に寄与していない。投下した人件費を親会社、つまり県民に返済していない。ここが新潟県庁との大きな違いである。「経営脳」が弱いので、退職後、民間企業に採用されない。法規、統計を扱うので、その道のコンサルタントとして、全国的に活躍できそうだが、そういう事例はない。まして、学力で大学特任教授に採用される水準でもない。富山地鉄は、豪雪でも始発運行をするため、24時間体制を崩さない。この民智は、どこから生まれるのか?職務をつうじた郷土愛にある。富山地鉄は、ブラスバンドがある。職種を越えた「和音」「リズム」の一体効果がある。


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10月1日(月)のつぶやき

2018年10月02日 | Weblog

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