私たちは、自分が救い主の祈りにどれだけあずかっているかをほとんど知らない。私たちが天国の頂に達し、私たちの神、主が導かれたすべての道を振り返ってみる時、主が永遠の御座の前にあって、サタンが地上でなした悪巧みをくつがえされたことをいかにほめたたえることであろう。また主が決して休まれず、昼も夜もその御手の傷を指さし、私たちの名をその胸当てに銘記されたことをいかに感謝することであろう。
サタンが誘惑を始める前に、イエスは機先を制して天において嘆願された。あわれみは悪意を追い抜く。主は「サタンが、あなたがたをふるいにかけた。だからわたしは祈ろう」と言われたのではなく、「サタンが、あなたがたをふるいにかけることを願って聞き届けられた」と言われた。このことに注意していただきたい。主はサタンの思いすらことごとく知り、つぼみのうちにそれを摘み取られる。主は、「しかし、わたしはあなたのために祈りたいと思っていた」と言われなかった。「わたしはあなたのために祈った。わたしはすでに祈ったのである。わたしは法廷へ行き、告発がなされる前にあなたのために抗弁した」と言われた。ここにこそ、喜びと感謝と希望と信頼がある。