座間コミニティー

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愁来(しゅうらい)

2016年01月30日 19時24分05秒 | 小説・詩
 
理子(りこ)
声の方向に振り向く
眉間にしわを寄せたトシユキがゆっくり近づく、手の届くところで立ち止まりニコッと微笑む。
「待たせたなぁ」
「今来たところ」理子は利幸の瞳に合わせるように少し頭を上に向ける。
 
理子はトシユキの左腕に右手を絡ませる。
二人は山下公園の船着き場に向かって行った。
ウイング号のチケットを係に渡し乗船していく。
 
今夜は二人の友人知人の30人だけの貸し切りだけである。
 
(2階外デッキ)
「なぁ、花田、もし俺が死んだらこの後に残された者たちはどうなるんだろうか?」
ワイングラスを揺らしながら花田は夜闇の海を睨みながら「お前がいなくなっても何も変わらないさ、どうにでもなって皆暮らしていくさ、ただお前がいない寂しさが残っているだけさ」
「幸さんはどうだ」
「ここ2年アメリカに行ったきりだ、週に何回かスカルプで話している」
「なぁ花田いつも心に風がすきこんでいく感じがする、今の自分が本当の自分ではないような気がするんだ。」
「親父に言われた、そろそろ石川に帰って教会を継げって言うんだよ。まだ何かやり残したことがあるような大きな不安が心を占めているんだ。」
 
高校時代の親友の小林がそばにやってくる。
 
「トシもまだまだ青いな、俺みたいに仲間と子供がいればそんなガキみたいなことは言わね~よ。」
と言いながら戻って行く。
 
利幸は険しい顔からニコッと笑みを浮かべる。
 
花田「今日は理子の誕生日だからガンガン楽しもうぜ、」
 
横浜港の夜景を一回りしてゆく2時間はあっという間に過ぎて行った。
2次会に参加する10名以外は帰途についていった。
 
利幸「今日は港が見える公園の異人館ホテルに部屋とバーを借り切っているからこれから行くぞう~」
タクシー3台に分乗して向かった。
「トシ君久しぶりね~」
と言いながら利幸にハグをする幸子
「5年ぶりですね幸子ママ、今日は理子の誕生日なんだ、仲間と今日はお祝いで朝まで騒ぎます。」
「いいわよ、今日はあなたたちだけの貸し切りですもの」
ボーイが先導して7Fの大広間に案内する。
港を一望する絶景に皆が見入っている。
飲み初めて1時間が経っていた、金田が利幸と花田の側に来て「とし、理子はあとどれぐらいなんだ?」
水割りをグイッと飲みほして「医者の林があと3か月だと」
「そうか」
「あいつは湿った顔は喜ばない、ガンガン騒ごうじゃないか」
 

3か月後金沢の教会で理子のお別れ会が行われた。
理子のお父様が利幸に1通の手紙を渡した。
受け取ってそれを読み始めた。
読み終えて元に折りなおして右ポケットにしまった。
しばらくの間呆然と立ち尽くしていた。
 
 

◆私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。

2016年01月30日 16時31分30秒 | 聖書
(エペソ一・一一)
 
イエスがご自身を私たちに与えられた時、ご自身に属するすべての権利と特権をも下さった。今主は、永遠の神として、どんな被造物もあえて要求することのできない至上の権利をもっておられるが、一方イエスとして、仲保者として、恵みの契約のかしらとして、主は私たちを離れては相続権をもっておられない。主が死に至るまで従い続けられたことの輝かしい結果のすべては、主にあるすべての者の共同の財産である。主は彼らのために神のみこころを成し遂げられた。
主は栄光の中に入られる。主ご自身だけのためではない。「私たちの先駆けとしてそこにはいられた」とあるからだ。神の御前に主は立たれる。「今、私たちのために神の御前に現われてくださるのです」とある。
信者よ。このことを考えよ。あなたは、自分自身としては天上に何の権利もない。あなたの権利はキリストのうちにある。もしあなたが罪の赦しを受けるならば、それは主の御血によるのである。もしあなたが義とされるならば、それは主の義による。もしあなたがきよめられるならば、それは神が主をあなたの聖となされたからである。もしあなたが堕落から守られるならば、キリスト・イエスの中にあなたが保持されているゆえである。そしてもし最後の時に完全なものとされるならば、それはあなたが主にあって全うされるゆえである。このようにイエスはあがめられる。すべては主の中にあり、すべては主によるのである。こうして相続権は私たちにとって確かなものとされる。それは主にあって得られるものだからである。そのようにして祝福の一つ一つは、さらにすばらしいものとなり、天国すらもさらに輝かしいものとなる。私たちは愛するイエス「にあって」すべてを得たからである。
私たちが神から受け継いだものを見積もる人がどこにいるだろう。キリストの富を量り、その財宝を量り、聖徒に属する財産を量ることを考えてみよ。キリストの喜びの海の底にもぐり、神がキリストを愛する者たちのために備えられた祝福を理解するよう努めよ。
 
 

「また私たちのためです…

2016年01月30日 16時30分26秒 | 聖書

主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです」(ローマ4:24)

アブラハムは子孫を与えるとの約束を受けていたが、見えるところはどうだろう。
アブラハムは年寄りになり、100歳になって自分の身体が死んだも同然となった。
ましてや、サラは妊娠不可能な身体になっていた。
常識、自然界の秩序では、あり得ない状況になっていた。
状況的には不可能だ、しかし、アブラハムは神に不可能な事は一つもないと、「神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じ」た。
そして、神はその信仰を義と認められた。
マルタとマリヤは弟ラザロが病気になり、主に使いを送った。
主さえ来て下さればすぐに治る。
しかし主は動かれなかった。
ラザロが死ぬのを待って、死後に、やっと訪ねられた。
「あなたの兄弟はよみがえる」と言われた。
現状はラザロは死んだ上に、もう腐って来ていた。
死の上に更にこれでもかとの、だめ押しだ。
これがどうなるというのか。
「もう臭くなっています。四日にもなるので」と。
しかし、主は「信じるなら栄光を見る」と言われた。
状況を取るのか、主の御言葉を取るのか。
どちらかだ。アブラハムは状況でなく、約束を信じた。
それが彼の義とみなされた。
アブラハムには様々な失敗があった。
しかし、義人とされた。義人とは状況でなく、神の約束を信じる人のことだ。
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目の前の事だけを頼ってはいないが全く神様だけを信じる事もできない。
こんな中途半端な信仰はむなしい。
不安な思いは神様に告げながら、それでも信仰を選んで行こう。


今日の聖人の記念日

2016年01月30日 10時05分00秒 | キリスト教

聖バルドヒルド

?-680年ごろ

 バルドヒルドは、イギリスに生まれたが、641年に海賊に捕えられ、奴隷としてフランク王国の宮廷に売られた。

 彼女は非常に美しく才知ある女性であったので、国王クローヴィス2世に望まれて王妃となった。3人の子どもに恵まれ、国王が亡くなって後、657年に長男が即位すると、彼女が摂政を行った。貧しい人々のために病院を建て、奴隷制度を廃止し、多くの修道院に寄進するなど、人々のために尽くした。665年に、反対派の貴族によって修道院に幽閉され、そこで亡くなった。修道院では、謙遜に神の望みを行ない、院長に仕えた。


◆神の造られた世界

2016年01月30日 10時01分37秒 | 聖書

主は知恵をもって地の基を定め、
英知をもって天を堅く立てられた。       (箴言三19)
 
私の家の八十二歳のおばあちゃんのところへ、数年前、七十七歳のおばあちゃんが訪ねてこられました。駅に着いたら車でお迎えに行きますからということだったのに、重い小豆島そうめんのおみやげをぶらさげて歩いてこられたのです。汗びっしょりでした。「まあまあ、どうして電話をかけてくださらなかったのです。」「石油ショックで、ガソリンを節約しなけりゃならないでしょう。」真剣な顔で言われたのには、びっくりするやら笑うやらでした。
たくさんの人が、この世界について不安を覚えています。世界中の学者も技術者も、「この地球はどうなるのだろう」と考えています。しかし聖書は、「神が知恵をもって地の基を定め、英知をもって天を堅く立てられた」と書いています。
旧約の詩人は、「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる」(詩篇一九1)と歌いました。広大な宇宙にも神の英知が見られます。しかし、小さな野の花にも、一ひねりでつぶれる小さな羽虫の生き方にも、確かな神の英知が見られます。実に巧妙に世界は造られ、すべてに調和があります。神の英知という法則に従って、花は咲き鳥はさえずっているのです。岩陰の岩ダヌキも一羽の雀も一匹の蟻も、保たれ養われています。
ところが、人間の社会を見ると問題ばかりです。これは神にすばらしく造られた私たち人間が神を拒否し、神の英知に逆らっているからです。神の英知と愛を知り、これと合わせて生き始める時、神は全天地を支える力をもって私たちを守ってくださいます。すべての思想の及びもつかない神の平安で守られます。信仰と従順こそ、神の知恵を知る方法なのです。
 
 

◆バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえたら、

2016年01月30日 10時00分51秒 | 聖書
そのとき、あなたは攻め上れ。(Ⅱサムエル五・二四)
 
キリストのからだである教会に加わる者は、祈り深く、常に聖霊の油がその心に注がれ、キリストの王国が実現されて、「みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように」と求めなければならない。しかしまた、神が特別にシオンに幸いを与えられる時がある。そのような時期が、ここに言う「バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえる」時である。この時には私たちはこれまで以上に祈り深くなり、熱心になり、さらに御座の前で祈りをもって争わなければならない。活動は迅速で活発であるべきである。潮は満ちてきた。私たちは元気よく、岸辺に向かってこいで行こうではないか。ああ、ペンテコステの日の御霊の傾注と、その目覚ましい働きよ。
主にある友よ。あなたにも、「バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえる」時がある。祈りに特別の力を感じ、神の御霊が喜びと楽しみを与え、聖書があなたに開かれ、約束が実現され、神の御顔の光の中を歩み、個人礼拝において特別の自由を感じ、キリストとの交わりがこれまでになく密接な時がある。このように、あなたの「バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえる」ような喜びの時こそ、あなたが攻め上る時である。この時こそ聖霊があなたの弱さを助け、すべての悪い習慣に勝たせられる時である。あなたの帆を広げよ。しかし次の歌を覚えておけ。
 私は帆を広げることができるだけです
 神よ。追い風を送ってください
あなたは帆を上げることを怠ってはならない。準備のないために、追い風を見逃すことのないように。あなたが信仰的に強くなった時には、義務においてもいっそう熱心になることができるように。御座に近づくことができる恵みが加えられれば加えられるほど、ますます祈ることができるように。あなたがキリストに近く生活をすればするほど、ますますその語るところも神聖になり得るように。あなたはこのような助けを神に求めよ。
 
 

第2歴代誌20章18-23節

2016年01月30日 09時59分11秒 | 聖書


20:18 それで、ヨシャパテは地にひれ伏した。ユダのすべての人々とエルサレムの住民も主の前にひれ伏して主を礼拝し、
20:19 ケハテ族、コラ族のレビ人たちが立ち上がり、大声を張り上げてイスラエルの神、主を賛美した。
20:20 こうして、彼らは翌朝早く、テコアの荒野へ出陣した。



 神の人を通して主の御心を聞いた時、またその御心で、これは主の戦いであると言われて、主が戦ってくださるのだということを聞いた時、彼らは主の前にへりくだりました。

このような愚かな自分たちの願いをお聞き下さる主の恵を思って感謝をし、ひれ伏したのです。

 そして、大声を上げて主の御名を讃えて讃美をしました。

主の約束のことばに立ったのです。

ですから彼らは、翌日戦いのために出て行きました。

私たちも時に、これに劣らぬ苦しみの時があります。

しかしその時に、主の言葉が伝達されないと言って、悩む時があります。

しかし、そうではないのです。

主は色々な方法で道を開いて下さいます。

「すべてのことを益にして下さる」という、みことばの約束に信頼をすることです。


マタイの福音書4章4節

2016年01月30日 09時57分17秒 | 聖書


★イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」

■O:今日のコラム
主イエスは公の働きを始める前に御霊に導かれ荒野に行き、40日の断食をされました。その断食の最後にサタンが主イエスを誘惑します。

その誘惑は三つの種類の誘惑であり、肉の欲、目の欲、暮し向きの自慢です。この誘惑は最初エバが善悪の木の実をとって食べた時にへびが提示したものです。

【そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。】(創世記3:4~6)

この三つの誘惑は私達の心を御父の愛から遠ざけます。聖書にはこう書かれています。

【世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありませんん。すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。】(1ヨハネ2:15~17)

アダムとエバがこの誘惑に屈した時、全人類が罪の元に捕らえられました。しかし、主イエスはその罪の束縛から私達を自由にする為にこの地に来られ、サタンの誘惑に打ち勝ち、十字架に至るまで父の御心に従い、罪と死に勝利されました。

一人の人アダムを通して罪が全人類に及んだのと同じく救いの恵みは、主イエスを信じる全ての人に及びます。

【もしひとりの人の違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりの人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。こういうわけで、ちょうど一つの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、一つの義の行為によってすべての人が義と認められて、いのちを与えられるのです。すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。】(ローマ5:17~19)

そして、主イエスにあって私達は神の義を胸当てとし、神の武具を身につけ、御言葉の剣を持って悪魔の業に打ち勝つ力を与えられています。

日々、御言葉を朗読して私達の内に蓄え、御言葉を告白し、御言葉の宣言によって祈り、御言葉の剣を研ぎ澄ましましょう。

■A:考えてみよう
日々、継続して御言葉の朗読と宣言を続けて行きましょう。


■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


1月29日(金)のつぶやき

2016年01月30日 01時48分44秒 | キリスト教

マタイの福音書3章2節(ヨブ記3章) goo.gl/n179Fl


◆私たちは、見えるものにではなく、 goo.gl/5l35Yx


「また、祈るとき、異邦人のように同じことを、ただくり返してはいけません。 goo.gl/J281b8