喜びの伴う奉仕は心からのものであり真のものである。クリスチャンから喜びを除くなら、真心の深さを失うことになる。追い立てられて戦場に出る者は、愛国者ではない。しかし、目に勇気をたたえ、顔を輝かせて、「祖国のために死ぬもよし」と歌いつつ戦場へ進む者は、真の愛国者であることを自ら証明している。歓喜は力の支柱である。私たちは主の喜びの中にあってこそ強い。それは困難を打ち払う。歓喜と奉仕の関係は、油と列車の車輪との関係に等しい。油が切れるなら、車軸はたちまち熱して事故が生ずる。同様に、私たちの車輪の油となる聖なる喜びがないならば、私たちの霊はきっと疲れ果てるであろう。喜びつつ神に仕える人は、服従を守る人である。彼はこう言う。
あなたの戒めの道を歩ませてください
それが、私の喜びの道だからです
愛する友よ。あなたにお尋ねしたい。あなたは、喜びをもって主にお仕えしているか。
世の人々は、私たちの宗教が奴隷の宗教だと考えている。しかし、私たちが喜びの宗教をもっていることを、人々に示そうではないか。喜び勇んで仕えることによって、私たちがよき主に仕えていることを宣言しようではないか。