座間コミニティー

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◆弱い者を守れ

2013年12月23日 08時25分00秒 | 聖書

あなたはおしのために、
また、すべての不幸な人の訴えのために、
口を開け。
口を開いて、正しくさばき、
悩んでいる人や貧しい者の権利を守れ。(箴言三一8―9)

箴言三一章の初めから少なくとも九節までは、マサの王レムエルのための母親版の帝王学ともいえます。政治が複雑化し分業化した現在でも、やはりよく当てはまることが述べられています。
・ 女に力を費やすな。
・ 酒におぼれるな。
・ 弱い人を思いやり、助ける政治をせよ。
王・政治家・官僚とかぎらず、少しでも人の上に立つ人・富める人・教養のある人は、弱い者をばかにしてはなりません。これは、何回心に言い聞かせても足りないような鉄則です。
私たちは、視力障害の方よりも言語障害の方を疎外しやすいように思います。私の集会などに、時々、耳や口の不自由な方が来られます。通じないのでめんどうくさい、いちいち筆談では大変だ。――私自身、そんなふうに感じる自分がいやになります。
昔、南部の殿さまに仕える武士で、塩川八衛門という人がいました。殿さまに無理やりに押しつけられて、多津という耳の不自由な娘と祝言します。多津の両親もはればれしないし、塩川八衛門の家の者も迷惑顔です。ところが、だれにも好かれなかったこの多津が、その後だんだん明るくなり、幸福に満ちあふれた人となったのです。八衛門はこう言ったといいます。「人という者は、男女の区別なく、大切に扱えば大切なものとなる。」
王の王、主の主にいます神が、みじめで、あわれで貧しくて目の見えない裸の(黙示録三17参照)私たちを愛し、大切にしてくださいます。ここに、私たちが喜びにあふれ、平和を保ち、愛して生きようと努める秘密があります。上に立つ者は、小さい弱い者をばかにしたり、見くびったりせずに、大切にすべきです。

 


◆どうぞもっと上席にお進みください。

2013年12月23日 08時24分06秒 | 聖書

(ルカ一四・一〇)

私たちのたましいに恵みの生涯が始まる時、大きな恐れとおののきをもって神に近づく。罪を意識し、そのためにへりくだるたましいは、自分の立場がいかに厳粛であるかを知って圧倒される。主の前に立って、その荘厳さのゆえにたましいは地にひれ伏す。偽りのない内気な思いをもちつつ、たましいは最も下座に着く。
しかし、後の人生で恵みのうちに成長するにつれて、もちろん自らの厳粛な立場を決して忘れないし、また生殺の権をもっておられる神の御前に立つ時の聖なる畏れも失わないけれども、一方でこの畏れはすべての恐怖を取り去るのである。畏れは聖なる畏れに変わり、もはや恐怖によって暗くされることはない。彼はキリスト・イエスにあって、さらに神に近づくために上座のほうに招かれる。
その時、神の人は神性の光の中を歩み、ケルビムのように主イエスの血潮と義の二つの翼で顔をおおい、敬虔にへりくだって御座に近づく。こうしてそこに愛と善とあわれみに満ちた神を見いだし、絶対的な神性をもたれる恐るべき方としてよりも、むしろ彼と契約を結ばれた親しい方として神を認めるのである。
彼は、神の中に、その偉大さよりはむしろ善を見、威厳よりは愛を見るであろう。このような時、たましいは以前の謙遜な態度を失わないが、さらに、聖いとりなしの自由を楽しむ。なぜなら、無窮の神の栄光の前にひれ伏しつつも、たましいは果てしないあわれみと無限の愛の前にあるというさわやかな意識をもち、「愛する方」に受け入れられているとの自覚によって支えられているからである。
こうして信者は上座に進むように命じられ、神にあって喜ぶ特権を与えられ、聖なる信頼をもって神に近づいて、「アバ、父」と言う。
 こうして私たちは力から力ヘと進み
 日ごとに恵みの力に育ち
 ついに、御姿に似るようになり
 顔と顔とを合わせて神にお会いするようになる

 


士師記16章15-17節

2013年12月23日 08時22分44秒 | 聖書

16:17 それで、ついにサムソンは、自分の心をみな彼女に明かして言った。「私の頭には、かみそりが当てられたことがない。私は母の胎内にいるときから、神へのナジル人だからだ。もし私の髪の毛がそり落とされたら、私の力は私から去り、私は弱くなり、普通の人のようになろう。」


 騙されたデリラは、その後、何回もサムソンにしつこく尋ねました。

自分を本当に愛しているなら、彼の力の元を教えてくれと言ったのです。

サムソンは彼女を愛していました。

そこでついに、自分の力の元について語ったのです。

それは彼がナジル人として、生まれた時から髪の毛を切っていないので、その髪の毛をそり落としてしまったら力がなくなると伝えたのです。

彼に取りましても、このナジル人であるということが、唯一、神の前における恵みの印でありましたので、力の元はそこにあると思っていたようです。

デリラはこの時、彼が本心を語ったということを理解しました。

サムソンが本心を打ち明けたのは、それは彼女を愛していたからでした。

つまり、神様よりも、彼女の方に心を寄せていたという現実を見るのです。


ルカによる福音書2章21-39(ゼカリヤ書9章)

2013年12月23日 08時21分04秒 | 聖書

■O:今日のコラム

ハレルヤ~!
主の御名を賛美します!

今日の箇所はクリスマスの時期によく語られるところで、イエス様の誕生が記されている箇所です。

イエス様の誕生の時にイエス様を世の救い主として認識し、礼拝し、立ち会うことが出来る人は本当に幸いです。

この2章の登場人物である、シメオンとアンナの二人について、イエス様との出会いを見てみたいと思います。

この二人はかなりの高齢でした。

シメオンの人生の最大の目的は、その目で旧約聖書に約束されているメシアを見ることでした。
聖霊様によってそのことを啓示されました。

また、アンナは7年間の結婚生活の後、夫に先立たれ、残りの人生を主に捧げていました。
昼も夜も絶えず主を礼拝していました。
まさにアンナの中にはダビデの幕屋があったのです。

この二人に共通して言える事は、常に目を覚まし、主を待ち望んでいたということです。

高齢になっても二人の信仰は衰えることなく、益々燃やされて、主の約束を待ち望んでいたのです。
その結果、イエス様の初臨の訪れに立ち会うという、祝福を受ける事が出来たのです。

■A:考えてみよう

今は、本当に終わりの時です。
私たちもイエス様の再臨に向けて目を覚まし祈り続けましょう!

また、この二人が常に宮に留まったように、私たちも祈りの家に留まり、主の訪れを待ち望みましょう!

■P:祈り

主よ、私たちもシメオンやアンナのように、絶えず、目を覚まして祈り、イエス様の再臨を準備して行く事ができるように力を下さい。

何より、この時期イエス様が私たちの罪の為にお生まれ下さったことを心より感謝します!

イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン