座間コミニティー

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◆あなたの羊の様子をよく知り、

2013年12月18日 16時02分06秒 | 聖書

群れに心を留めておけ。(箴言二七・二三)

覧明な商人はみな、時々棚卸しをする。そして、決算をし、在庫品を調べ、商売がうまくいっているかどうかを徹底的に確かめるのである。神の国においても、賢明な人はみな「神よ。私を探り、私の心を知ってください」と叫び、しばしば特別な期間を設けて自己点検をし、神と自分のたましいとの関係が正しいかどうかを見ようとする。私たちが拝する神は、心を探られる偉大な方である。神が「思いと心をためされる主」であることを、昔のしもべは知っていた。
私はあなたを神の御名によって、自らの状態をよく探り、まじめに試みるように奮起させよう。あなたが、約束された安息に入る資格に欠けることがないためである。今夜、あなたに勧める。すべての賢明な人がなし、神ご自身が私たちと共になしておられることをあなた自身がするように。年老いた聖徒にも、その信仰の根本をよく調べさせよう。なぜなら、白髪まじりの頭が黒い心を隠しているかもしれないからである。そして若い信仰告白者が、警告のことばを軽視することがないようにしたい。なぜなら、若い未経験と偽善の腐敗が結びつくこともあり得るからである。
杉の木は、しばしば私たちの真ん中に倒れている。敵はなお、麦の中に毒麦を蒔き続けている。しかし、あなたの心の中に疑いと恐れとを導き入れることは、私の意図するところではない。むしろ、自己点検の強風が、それらを追い払う助けとなることを望んでいる。私たちが殺そうとするものは、真の安心ではなく肉の安心である。くつがえそうとするものは、真の平安ではなく偽りの平安である。
尊いキリストの血――それはあなたを偽善者にするためにではなく、真実なたましいが主に対する賛美を表すために流された――によって、私は、あなたに懇願する。「あなた自身を探れ」と。なぜなら、最期の時になって、「メネ、メネ、テケル……あなたがはかりで量られて、目方の足りないことがわかった」と言われることがないためである。

 


◆神の宮に住む

2013年12月18日 10時29分19秒 | 聖書

やもりは手でつかまえることができるが、
王の宮殿にいる。         (箴言三〇28)

世にも小さくて弱い四つのもの、しかし知恵者中の知恵者としてあげられたのは、第一に蟻、第二に岩ダヌキ、第三はイナゴでした。きょうは第四として、「ヤモリ」の番です。
沖縄の北部にある小さな教会で私がお話をした時、教会の壁に何匹か張りついているヤモリを初めて見ました。その後、東京世田谷に住んでいた時、何と、家にもヤモリがいました。家族そろって食事をする部屋のガラス戸に、毎晩決まって一匹か二匹がへばりついて、虫を待っています。こわがっていた娘まで、いつか「かわいいわね」と言い出しました。足の小さい吸盤でぴったり張りついている姿は、いじらしい感じすらします。しかし、私たち家族が、この毎晩の訪問者ヤモリを愛するようになった最大の原因は、きょうの箴言三〇章二八節のことばによります。ヤモリは、手でつかまえて放り投げてしまえるほど小さくて弱い動物ですが、王の宮殿に入りこむことができます。
ダビデは王宮に住んでいる王でしたが、心の底から神の宮に住むことを恋い慕って歌いました。「万軍の主。あなたのお住まいはなんと、慕わしいことでしょう。私のたましいは、主の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです」(詩篇八四1―2)。フランスのブラザー・ローレンスは、コックさんでしたが、信仰によっていつも神の臨在の中に住み、生きました。彼の記した手紙や日記は、今でも、多くの人に読まれて励ましになっています。
罪人のかしらが、罪ゆるされるばかりか神の子とされ、神と共に王宮に住み、「アバ、父よ」と神を呼び、そのひざにのぼる道があるのです。
「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった」(ヨハネ一12)。

 


◆着物ではなく、

2013年12月18日 10時28分34秒 | 聖書

あなたがたの心を引き裂け。(ヨエル二・一三)

着物を裂くとか、その他の外面的な行為によって宗教的感情を表現するのは、容易になし得ることであり、しばしば偽善的なものである。しかし、真の悔い改めははるかに困難であり、はるかにまれなものである。
人は非常に煩雑な儀式に心をひかれる。それは肉を喜ばせるからである。しかし真の宗教は肉の人にとってはあまりに地味であり、またあまりに内省的であり、徹底的である。彼らはそれよりもずっと華美で、浅薄な世的なものを好む。外面的儀式は一時的には快い。目と耳は喜び、うぬぼれは強くなり、独善の心が起こる。しかしそれらは結局ごまかしである。死の瞬間、あるいはさばきの日に、たましいは儀式よりもはるかにまさる何ものかに頼る必要があるからである。生きた信仰がなければ、すべての信仰は全く無益である。誠実な心がないままでささげられた礼拝のすべては偽物であり、王の栄光をあざ笑うものである。
心を引き裂くことは神によって与えられ、厳粛に実感させられるものである。それは個人的に経験されるひそかな悲しみである。単なる形式としてではなく、個々の信者のたましいを揺り動かす聖霊の働きとして経験される。それは単に話したり信じたりすることではなく、生ける神の一人一人の子どもが、鋭く敏感に感じなければならないものである。またきわめて屈辱的なものであり、高慢な、へりくだることを知らないたましいは受けることができないものである。そして全く罪をきよめるものであり、祝福に満ちた慰めの準備となる。またこれには明らかな区別があり、神に選ばれた人々のみがあずかることのできるものである。
今朝の聖句は、私たちの心を引き裂くことを命ずる。しかし私たちの心は、生来のままでは大理石のように堅い。それをカルバリに携えて行かなければならない。まさに死のうとしておられる救い主の御声は、かつて岩を裂いた。その力は今も変わらない。
おお、御霊なる神様。私たちに救い主の死の叫びを聞かせてください。そうすれば、人々が悲しみの日に着物を裂いたように、私たちの心も裂かれます。

 


士師記15章14-20節

2013年12月18日 10時27分19秒 | 聖書

15:15 サムソンは、生新しいろばのあご骨を見つけ、手を差し伸べて、それを取り、それで千人を打ち殺した。
15:16 そして、サムソンは言った。「ろばのあご骨で、山と積み上げた。ろばのあご骨で、千人を打ち殺した。」


 サムソンはペリシテ人の町、レヒにつれてこられました。

ペリシテ人は、自分たちの敵が捕らえられたと聞いて彼の下に押し寄せ、彼に対して報復しようとしました。

彼は堅く身体を縛られておりましたが、主の助けによってその綱を解きほぐされました。

そして、彼は武器を持っていなかったのですが、近くに真新しいロバのあご骨があるのを見ました。

あごの骨というのは結構大きい物ですが、それでもって押し寄せてきたペリシテの人々を打ち殺しました。

その数は千人であったと言われています。

ペリシテ人は、戦いに強い民でしたが、サムソンの力には勝つことが出来ませんでした。

何度も彼によって殺されたり、復讐を受けた者ですから、それ以後あまりイスラエルの民を襲うことがありませんでした。

そのおかげで約20年間、民の上に平和が訪れました。


ゼカリヤ書4章6-10節、ヨハネによる黙示録10章7節(聖書本文は口語訳)

2013年12月18日 10時25分35秒 | 聖書

 ★ゼカ4:6-10  すると彼はわたしに言った、「ゼルバベルに、主がお告げになる言葉はこれです。万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。大いなる山よ、おまえは何者か。おまえはゼルバベルの前に平地となる。彼は『恵みあれ、これに恵みあれ』と呼ばわりながら、かしら石を引き出すであろう」。

主の言葉がわたしに臨んで言うには、「ゼルバベルの手はこの宮の礎をすえた。彼の手はこれを完成する。その時あなたがたは万軍の主が、わたしをあなたがたにつかわされたことを知る。だれでも小さい事の日をいやしめた者は、ゼルバベルの手に、下げ振りのあるのを見て、喜ぶ。これらの七つのものは、あまねく全地を行き来する主の目である」。

★黙10:7  第七の御使が吹き鳴らすラッパの音がする時には、神がその僕、預言者たちにお告げになったとおり、神の奥義は成就される」。

■O:今日のコラム

12月17日の朝です。今日1日も神様を求め、主に教えていただき、聖霊様によって神様の宮を建てていきましょう。

ゼルバベルさんは、神様の宮を建て直すのに立ち上がった総督です。(エズラ記5章2節)主は、神様の宮を建て直す者に力を与えてくださるのです。

僕らが、神様の宮を建て直すために必要なのは、権勢、能力ではなく、「神様の霊」です。神様は、宮を建て直すために立ちはだかる山に命じます。「おまえは何者か。おまえは神様の宮を建て直す者の前に平地となる!!」と。ゼルバベルさんの前には、タテナイ知事たちが立ちはだかりました。しかし、ゼルバベルさんは主の力によって神様の宮を建て直すことができました。

神様は、宮を建て直す者の前にある山を平地にし、かわりにかしら石を引き出してくださいます。かしら石は、宮を建てるために大切な土台です。土台はイエス様です。イエス様が僕らの山を十字架の上で打ち砕いてくださいました。イエス様が僕らの土台です。土台がイエス様でなければ、主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしいのです。

主が僕らの土台です。小さなことから始まりますが、この小さなことを大切にする時、主は必ず完成する神様の宮を見させてくださいます。僕らの手を用いて、主が、神様の宮を完成へと導いてくださいます。すごいことです。恵みです。ありえない祝福です。

主は僕(しもべ)、預言者に告げたことを成就されます。主の目は僕らに注がれています。神様の宮を建て直す者として、主を求めていきましょう。

■A:考えてみよう

権勢によらず、能力によらず、主の霊による神様の宮の建て直しを求めていきましょう。御言葉がひらかれている間に、御言葉を求めていきましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。