座間コミニティー

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◆彼らは主を裏切り……。

2013年12月12日 16時44分06秒 | 聖書

(ホセア五・七)

信者よ。ここに悲しい真理がある!  あなたは主に愛され、血によって贖われ、恵みによって召され、キリスト・イエスの中に守られ、主にあって受け入れられ、かつ天国への途上にある。ところが、最上の友である神を「裏切った」。あなたはイエスのものであるのにイエスを裏切り、聖霊によって永遠のいのちに生かされているのに、聖霊をも裏切っている。あなたは誓いと約束をどれほどほごにしてきたことだろう。
あなたは、あなたの結婚式の時の夢、あの幸福な時――あなたの信仰生活の春――の愛を記憶しているか。おお、あなたはその時どれほど親密に主にすがっていたことだろう。あなたは言った。「主は決して、私を冷淡だと言って責められることはない。私の足は決して、奉仕を面倒だとは思わないであろう。私の心は決して、他のものを愛してさまようようなことはしない。主の中には、筆舌に尽くせないよいものが蓄えられている。私は、私の主イエスのためにすべてをささげる」と。
今まであなたはずっとこのようであったか。ああ、もしあなたの良心に語らせるならば、こう言うだろう。「彼は、約束だけはすばらしかったが、実行はなっていない。祈りはしばしばなおざりにされ、短く、味気のない、冷淡な祈りであった。キリストとの交わりは忘れ去られた。天のことを思う代わりに、世俗的心労、この世の虚栄、邪悪な思いがあった。奉仕の代わりに不従順が、燃えるような熱情の代わりになまぬるさが、忍耐の代わりに不機嫌が、信仰の代わりに肉の腕に対する信頼があった。そして十字架の兵士として、恥ずべき臆病、不従順、荒廃があった。」
「あなたは主を裏切った。」イエスに対して! これに反論することばはない。ただ私たちは罪を悔いて、自己の内に根を下ろす罪を憎もう。御傷に対して! イエス様。私たちを赦し、再び罪を犯さないように守ってください。決して私たちを忘れず、その胸当てに私たちの名を刻んで、今日も永遠の御座の前に立たれるお方を裏切るとは、なんと恥ずべきことであろう。

 


◆人を人とも思わない世代

2013年12月12日 07時38分56秒 | 聖書

自分の父をのろい、自分の母を祝福しない世代。
自分をきよいと見、汚れを洗わない世代。
なんとも、その目が高く、
まぶたが上がっている世代。
歯が剣のようで、きばが刀のような世代。
彼らは地の苦しむ者を、
人のうちの貧しい者を
食い尽くす。        (箴言三〇11―14)

あなたのきらいな人のタイプを四つあげよといわれたら、どんな回答が出るでしょうか。ここには、アグルという人の見たきらいな人のタイプが、四つあげられています。
第一は、年をとって体力が衰え、経済力・生産力・指導力がなくなった両親を、やっかい者にしたり、ないがしろにする人です。
第二は、あくまで自分は正しいと思いこんで、人の忠告や教えをばかにして受けつけず、自分を見つめない人・反省しない人です。
第三は、人を見くだし、えらそうにしている高慢な人です。
第四は、弱い者に対して残酷な人・思いやりのない人です。
この四つのタイプに一つの共通点があると思いませんか。ルカの福音書一八章の初めで、イエス・キリストが「神を恐れず、人を人とも思わない」ということばを使われています。――まさにこれこそ、この四つのタイプの共通点です。
神がもし、「人を人とも思わない」態度で、私たちに臨まれたらどうでしょう。私のような、自分勝手で思いあがった、きたない罪人は、掃き集めて一時も早く始末してしまうほうが簡単です。しかし、神は、聖書の中で言われるのです。「私は折れかかった葦の葉を折らない。消えかかったろうそくを消さない」(マタイ一二20参照)と。ことばに表せない神の思いやりと愛を思う時、私たちはせめて、神を神と思い、人を人と思う者になりたいものです。

 


◆しかし、

2013年12月12日 07時38分05秒 | 聖書

その軌道は昔のまま。(ハバクク三・六)

神は、かつてなされたことを、また再び行われる。人の行うことには定まりがない。しかし、神の軌道は昔と変わらない。この最も慰めに満ちた真理には多くの理由がある。その一つは、主の軌道は賢明な熟慮の結果だということである。神はみこころのままに万物を統べ治められる。人の行いは、しばしば激情や恐怖の性急な結果である。そして後悔や変更がそれに続く。しかし何ものも全能の神を驚かすことはできず、神が予見される以外のことは何も起こらない。
神の軌道は不変のご性質の結果である。そしてその中に、確固とした神の性質がはっきりと現れている。永遠なる神ご自身が変わられない以上、その軌道――それは活動しているご自身であるが――は永遠に同じでなければならない。神は永遠に正しく、あわれみ深く、忠実で賢明で優しいだろうか。それなら、神の軌道も、常に同様の卓越した点を備えているに違いない。すべての生き物は、その性質によって行動する。その性質が変化する時、彼らの行いもまた変化する。しかし神は移り行く影のない方であるから、その行われるところも永遠に不変である。
さらに、神の軌道を外部から逆転させることはできない。なぜならそれは不可抗的な力が具体化されたものだからである。預言者は、主がご自分の民を救うために出て来られる時、地は裂かれて川々とされ、山々は震え、深い淵はその手を高く上げ、太陽と月はとどまると言っている。だれが御手を差し押さえて、「あなたは何をされるのか」と言うことができよう。
しかし、不変性は力だけから来るのではない。神の軌道は、正義の永遠の原則が現れたものである。だからそれは決して廃れない。悪は腐敗をもたらし、破滅を宿している。しかしまことと善は、歳月によって減少することのない活力をもつ。
今朝私たちは、イエス・キリストはきのうもきょうも、いつまでも同じ方であり、主にあって神は常にその民にあわれみを注がれることを思い起こそう。そして確信をもって父なる神のみもとに行こうではないか。

 


士師記14章10-14節

2013年12月12日 07時36分42秒 | 聖書

14:14 そこで、サムソンは彼らに言った。「食らうものから食べ物が出、強いものから甘い物が出た。」彼らは三日たっても、そのなぞを明かすことができなかった。


サムソンは、ペリシテ人の女性と結婚をしました。

彼はその祝宴の席で、謎解きを提案しました。

解ければ自分が着物と晴れ着をそれぞれ30着ずつ出すが、解けなければあなた方が出せと言ったのです。

 実は、彼には過日、経験したことがありました。

それは、彼が殺したライオンを見に行ったところ、蜜蜂が巣を作っていて、そこに蜜があったのです。

そこで自分も食べ、両親にもそれを与えました。

ですから、この「強いものから甘い物が出た」と言いますのは、この体験に基づいて考え出した、謎なぞでした。

 サムソンが何故こんな謎なぞを出したのかと思うのですが、7日間にわたる30人しかいない祝宴ですので、その間に余興がなされ、それぞれが出したのではないかと思われます。

今でもイスラエルでは、聖書のクイズ大会があるほどです。

ですから、難しい謎ほど興味が湧いたのです。



ゼパニヤ書3章8節 (ヨハネの黙示録6章)

2013年12月12日 07時35分08秒 | 聖書

★  それゆえ、私を待て。ー主の御告げー わたしが証人として立つ日を待て。わたしは諸国の民を集め、もろもろの王国をかき集めてさばき、わたしの憤りと燃える怒りをことごとく彼らに注ぐ。まことに、全地はわたしのねたみの火によって、焼き尽くされる。

■O:今日のコラム

主の恐るべきさばき、本当に凄まじいですよね。。。今日のデボーションで読むヨハネの黙示録6章も、主のさばきの始まりです。

このさばきを読んでいくと、神様について、いろんな事を考えると思います。なんて酷い神様なんだとか、ちっとも愛がないとか、心が冷たい神様だな…など、思ってしまうかもしれません。

しかし、私たちは、ここだけを読んで、神様を見ることはできません。聖書全体を通して、神様がどういう方であるかを知る必要があります。

そして、今回の箇所には、このさばきの目的はなんなのかという事が示されているような気がします。

主は「この地をねたみの火によって、焼き尽くす」と言われています。神様は、私たちをねたむほどに愛しておられます。雅歌8章6,7節には、主の愛がこのように描写されています。

「愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。」

その炎が私たちを焼き尽くすのです。ものすごく愛しているがゆえのさばきです。

そして、この前の節にも、後の節にもありますが、神様がさばきを起こすのは、民がみな、神様に目を向け帰ってくること。主はただ、それを願って、心が引き裂かれる思いで、この地にさばきをもたらしているのです。

■A:考えてみよう

皆さん、この主の心が感じられるでしょうか? 私たちが耐えることができないくらいの主の愛の炎が、この終わりの時代、ますますあらわになってきます。

私たちは今、主のさばきが明確に起っている時代、またその勢いは増していく時代に入ってきました。その中で、主はどういうお方なのかをしっかりと悟っていきましょう。

今日、皆さんに神様を知るための知恵と掲示の御霊が注がれることをお祈りします。

■P:祈り

天におられる、ねたむ愛の炎に燃えているお父様、あなたがその愛で、今日も私を愛してくださっていることを心から感謝いたします。それと同時に、あなたのその炎は、焼き尽くす炎で、この地にさばきをもたらします。どうか、あなたのその愛をもって、人々、国々の為にとりなしていくものとさせてください。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。