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士師記18章1-6節

2013年12月29日 09時37分49秒 | 聖書

18:2 そこで、ダン族は、彼らの諸氏族全体のうちから五人の者、ツォルアとエシュタオルからの勇士たちを派遣して、土地を偵察し、調べることにした。それで、彼らに言った。「行って、あの地を調べなさい。」彼らはエフライムの山地のミカの家に行って、そこで一夜を明かした。


 イスラエルの部族の内、ダン族は自分たちの土地を持っていませんでした。

以前、彼らはヨシュアによって相続地を割り当てられていたのですが、その地
を戦い取ることが出来なかったのです。

 そこで彼等は、まだ知られていない土地に行って、自分たちが住むべき地を得よう思いました。

そこで5人の偵察隊を遣わして、土地を調べさせました。

彼等はその土地を探しに出かけた時、ミカのいる所に来ました。

そして、そこで祭司として働いているレビ人の若者に出会いました。

彼等はこの若者に向かって、自分たちの旅が成功するかどうかを主に伺ってくれと要請しました。

彼はその願いを聞いて、主が彼等の旅を認めてくれていると答えて、彼等に安心感をもたせました。


◆ここまで主が私たちを助けてくださった。

2013年12月29日 09時34分56秒 | 聖書

(Ⅰサムエル七・一二)

「ここまで」とのことばは、過去のすべてを指すように思われる。二十年あるいは七十年の間、それぞれ「ここまで主が私たちを助けてくださった」のである。貧しい時、富める時、病気の時、健康の時、国内で、外国で、陸上、または海上において、名誉の時、不名誉の時、当惑の時、喜びの時、試練の時、勝利の時、祈りの時、誘惑の時において「ここまで主が私たちを助けてくださった」のである。
並木道の端から端までの長い景色をながめるのは楽しい。それは、枝の柱、葉のアーチでできた緑の宮である。あなたも過去の長い年月を振り返り、その頭上をおおうあわれみの緑の大枝、あなたの喜びを支えるいつくしみと誠実の強い幹を見よ。かなたの枝には多くの小鳥がいて、みな「ここまで」受けたあわれみについて歌っているに相違ない。
しかし、このことばはまた前方をも指し示している。なぜなら人がある目標まで来て、「ここまで」と書く時、まだ終点まで来ているのではなく、なお進むべき道のりをもっているからである。なお多くの試練と喜び、誘惑と勝利、祈りと応答、労苦と支え、戦いと凱歌を経験してから、病気、老衰、そして死が訪れる。
それで終わりであろうか。否、まだ先がある。イエスに似た者になって目を覚まし、御座に着き、たてごとをとり、賛美し、白い衣をまとい、イエスの御顔を拝し、聖徒と交わり、神の栄光を受け、永遠の満たしを与えられ、無限の祝福にあずかる。
おお、信者よ。勇気を出せ。そして感謝に満たされ、確信をもって「エベン・エゼル」と呼べ。なぜなら、
 これまであなたを助けられた方は
 あなたが旅を終えるまで伴ってくださる
からである。
天国の光に照らして見る時、あなたの「ここまで」はなんと輝かしく、またなんと驚くべき前途の眺望を、あなたの感謝に満ちた目の前に展開することであろう。