座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

◆なんと、

2013年12月02日 16時07分56秒 | 聖書

すべてがむなしいことよ。(伝道者一・一四)

主の愛と主ご自身以外のものは、それがどのようなものでも、人を心から満足させることはできない。聖徒たちは他の停泊地にいかりを下ろそうとしたが、そのような危険な避け所から追い出された。あの賢人ソロモンは、私たちに代わって実験をし、私たちがしてはならないことを、私たちのためにすることを許された。ここに彼自身の証言がある。
「私は、私より先にエルサレムにいただれよりも偉大な者となった。しかも、私の知恵は私から離れなかった。私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。実に私の心はどんな労苦をも喜んだ。これが、私のすべての労苦による私の受ける分であった。しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。」「空の空。すべては空。」
すべては空だと言うのか。おお、恵まれた王よ。あなたのすべての富も空だと言うのか。川から海に至る、あなたの広大な領土も、タデモルの壮麗な宮殿も、レバノンの森の宮殿も空だと言うのか。すべての音楽や舞踊、酒や豪華さの中にも何もないと言うのか。彼は言う。「空である。ただ心の労苦のみ」と。これは、彼が歓楽の全地を行き巡った後の結論である。私たちの主イエスを抱き、主の愛の中に住み、主と結び合わされていることを確信する――これがすべてである。
愛する友よ。あなたは他の生活様式が、クリスチャンのものよりよいかどうかを試みる必要はない。もしあなたが世界中を行き巡っても、救い主の御顔のようなものを見ることはできない。もしあなたが人生のすべての慰めをもっても、あなたの救い主を失うならば惨めである。しかし、キリストをあなたのものとするなら、たとえ牢獄の中で朽ち果てたとしても、それがパラダイスであることを見いだすであろう。あなたが無名の一生を送り、飢えて死ぬようなことがあっても、主の恵みの深さと満たしに満足するであろう。

 


◆情  報  処  理

2013年12月02日 07時47分09秒 | 聖書

支配者が偽りのことばに聞き入るなら、
従者たちもみな悪者になる。     (箴言二九12)

へつらいを言う者や告げ口・ざん言をする者に取り巻かれた、ばか殿さまが目に見えるようです。
上に立つ者にとって必要なのは、やはり情報だと思います。社長が、仕事面の情報を細大もらさずつかんでいるばかりか、お茶くみの娘さんの家庭の事情・社員の経済問題・健康問題・家庭問題・祝儀不祝儀などもよく知って、行き届いた思いやりのある手が打てるようなら、内部をよく治めることができましょう。相手方の外部の情報も、正しく把握する必要があります。勝つためには、敵を知らなければなりません。
そこで、上に立つ者にとって大切なことは、第一に情報収集であり、第二にその情報処理です。まず、情報処理として、このようなことがあります。
・ 信頼できる筋から情報を集める。
・ 一方的でなく、反対側からの情報も集める。
・ 多方面からの情報を集める。
次にこの情報を処理するには、ふるいにかけて、役に立つ正しいものを選び分けなければなりません。だれが言ったか、どんなルートで、そして何のために、だれのために言ったかの動機を考える必要がありましょう。しかし、一番大切なのは、その情報の用い方です。すべての情報を誤りなく用いる根本的原則を、聖書が教えています。
・ そのように用いたら、神の栄光に役立つか。
・ そのように用いたら、人の徳を建てるか。愛の原則にかなうか。
・ そのように用いたら、ほんとうの目的を達成することになるか。役に立つか。
ですから、このような原則に立つために上に立つ人にまず必要なのは、上からの知恵・神を恐れ人を愛する心ではないでしょうか。

 


士師記11章34-40節

2013年12月02日 07時43分54秒 | 聖書

11:34 エフタが、ミツパの自分の家に来たとき、なんと、自分の娘が、タンバリンを鳴らし、踊りながら迎えに出て来ているではないか。彼女はひとり子であって、エフタには彼女のほかに、男の子も女の子もなかった。


エフタは、アモン人との戦いに出向いていきました。

その時、主は彼に勝利を与えてくださいました。

そこで、彼はそのことの喜びとして、先に誓ったように、自分が家に帰った時に、一番初めにそこから出てくる人を、神様に感謝の生け贄として献げようとしました。

 所が、その彼を喜んで迎えてくれた人というのは、事もあろうに自分の娘でありました。

彼の頭にあったのは、奴隷である、僕のことではなかったかなと思うのです。

全く予期しない人が出てきたのです。

しかも彼には、この女の子しか子供がいませんでした。

その苦痛は、いかばかりであったかと思うのです。

しかし、彼は主に誓った手前、この誓いを果たさないわけにはいきませんでした。

主は、彼にそのような生け贄を求めておられたわけでは、全くありません。

敗北の時のことが気になって、彼が誓ってしまった出来事でした。

自業自得であったのです。


ペテロの手紙 第一 5章9-10節(ミカ書7章)

2013年12月02日 07時41分22秒 | 聖書

 ★  堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。

あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。

■O:今日のコラム

私達は、この地に御国をもたらすために召されています。その戦いの基本は『堅く信仰に立つ』事にあります。

私達は、御言葉から日々語りかけを受け取ります。しかし、信仰は、必すテストを受けなければなりません。それは状況的に信じることが難しいところを通らされることが定められているからです。(10節)それによって強く、不動の者なることも定められています。

信仰に堅く立つ事は、勝利者として有り続ける事でもあります。信仰とは世に打ち勝った勝利ですから。

だから最初は、状況が御言葉とギャップがあって当然です。『やっぱり現実は御言葉とは違う』、とか考えて信仰を手放さず、堅く信仰に立って、御言葉を受取った時の勝利を握り続けましょう。信仰の宣言をし続けましょう! 従順し続けましょう!

その現実とのギャップは、おかしい事ではなく、語りかけが本物であるなら、必ずあることなのです。敵のフィールドは偽りに満ちているからです。敵の武器は偽り、惑わしです。そのことを知っておきましょう!

個人的にも、手を置いて祈るなら癒される、という御言葉も、実際に癒される結果を見るまでは、ひたすら目に見えないのに信じ続ける事が求められました。

しかし、実際に癒やしが起き始めると、その信仰は堅いもの、不動のものとなっていきました。

全く個人的な事ですが、花粉症の癒やしに関しては、チャレンジを覚えます。去年は花粉症が癒されたという実を見ることもなく、自分自身も花粉症だったのですが、癒されたかどうだかの結果をハッキリ見ていないからです。しかし、今度の春は、私も多くの者も花粉症から解放されることを信じます!

私達の任されている領域に勝利者として立ち続けましょう!

学校、職場、家庭において、『現実は御言葉とは違う』などと絶対口にしてはいけません!

かえって受取った御言葉を宣言し、従順しましょう!目に見えるところは違っても、主の語られた御言葉の約束が果たされる事を信じ続けましょう!

私達が前進し続けていくなら、同じ戦いには楽に勝てるようになります。『強くし、不動の者としてくださいます』と言っていますから。

■A:考えてみよう

それぞれの任されている領域で、受取った御言葉と現実のギャップのある所に勝利を宣言し続けましょう!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。