すべてがむなしいことよ。(伝道者一・一四)
主の愛と主ご自身以外のものは、それがどのようなものでも、人を心から満足させることはできない。聖徒たちは他の停泊地にいかりを下ろそうとしたが、そのような危険な避け所から追い出された。あの賢人ソロモンは、私たちに代わって実験をし、私たちがしてはならないことを、私たちのためにすることを許された。ここに彼自身の証言がある。
「私は、私より先にエルサレムにいただれよりも偉大な者となった。しかも、私の知恵は私から離れなかった。私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。実に私の心はどんな労苦をも喜んだ。これが、私のすべての労苦による私の受ける分であった。しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。」「空の空。すべては空。」
すべては空だと言うのか。おお、恵まれた王よ。あなたのすべての富も空だと言うのか。川から海に至る、あなたの広大な領土も、タデモルの壮麗な宮殿も、レバノンの森の宮殿も空だと言うのか。すべての音楽や舞踊、酒や豪華さの中にも何もないと言うのか。彼は言う。「空である。ただ心の労苦のみ」と。これは、彼が歓楽の全地を行き巡った後の結論である。私たちの主イエスを抱き、主の愛の中に住み、主と結び合わされていることを確信する――これがすべてである。
愛する友よ。あなたは他の生活様式が、クリスチャンのものよりよいかどうかを試みる必要はない。もしあなたが世界中を行き巡っても、救い主の御顔のようなものを見ることはできない。もしあなたが人生のすべての慰めをもっても、あなたの救い主を失うならば惨めである。しかし、キリストをあなたのものとするなら、たとえ牢獄の中で朽ち果てたとしても、それがパラダイスであることを見いだすであろう。あなたが無名の一生を送り、飢えて死ぬようなことがあっても、主の恵みの深さと満たしに満足するであろう。