二つのことをあなたにお願いします。
私が死なないうちに、それをかなえてください。
不信実と偽りとを私から遠ざけてください。
貧しさも富も私に与えず、
ただ、私に定められた分の食物で
私を養ってください。
私が食べ飽きて、あなたを否み、
「主とはだれだ。」と言わないために。
また、私が貧しくて、盗みをし、
私の神の御名を汚すことのないために。(箴言三〇7―9)
二つの祈りをかなえてあげようと神に言われたとしたら、あなたは何と祈るでしょうか。ギリシャのミダス王は「私の手が触るものを、みな金にしてください」と願って、身の破滅を招きました。
この箴言を記したアグルは、二つのことを祈りました。第一は、私が偽善者にならないで、いつも真実でいられるように、第二に、極端に富んだ人にしたり、極端に貧しくしたりせず、足りることを知って生きさせてくださるようにと願ったのです。すぐれた祈りだと思いませんか。よく調べると、この二つの願いには、三つのポイントがあると思います。
・ 不信実と偽りからの救い。
どんなにけがれ、挫折していても、本気で自分をさらけ出す真実さえあれば神の真実な愛のいのちに一〇〇%つながって、新しいいのちの道を再出発できます。悔いた魂の真実こそ、いのちにつながる断面なのです。
・ 飢え渇きを忘れた自己満足からの救い。
富みすぎて、神と、その愛といのちの力もいらないと思うようになったら、人間おしまいです。「主とはだれだ」とうそぶき、神に対して無関心になる時、人間の魂は死ぬのです。
・ 悪の誘惑からの救い。
イエス・キリストも、主の祈りの中で「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください」(マタイ六13)と祈れと教えられました。神を離れる人は、いつ罪を犯すか分からない、小さい弱い者です。