主は四人の職人を私に見せてくださった。(ゼカリヤ一・二〇)
この章に記されている幻の中で、預言者は四つの恐ろしい角を見た。その角は方々へ突進して、最も強い者、最も力ある者を倒していた。そこで預言者が「これらは何ですか」と尋ねると、「これらは、ユダとイスラエルとエルサレムを散らした角だ」という答えであった。彼は、神の教会を圧迫する力の象徴を目の前に見た。角は四つあった。教会は四方から攻撃されていたからである。預言者がろうばいしたのも無理はない。しかし、突然彼の前に四人の職人が現れた。彼は「この者たちは、何をしに来たのですか」と尋ねた。神はそれらの角を粉砕するためにこれらの人々を見いだされたのである。
神は常にそのみわざに必要な人々を見いだされる。しかもちょうど必要な時にである。預言者は何もすることがない時に、まず職人を見たのではない。まず「角」を見、そして「職人」を見たのであった。しかも、主は十分な人数を見いだされる。主は三人の職人ではなく四人の職人を見いだされた。角は四つあった。職人も四人でなければならない。神はまた適材を見いだされた。字を書くためにペンを持つ四人の者でも、設計図をひく四人の建築家でもなかった。神は荒っぽい仕事をする四人の職人を見いだされたのである。
安心せよ。神の箱舟のことを気遣う者たちよ。「角」が暴威を振るう時には、「職人」が見いだされる。どんな時にも、あなたは神の教会が弱いといって気を落とす必要はない。諸国民をゆさぶる勇敢な改革者が、ひそやかに成長しているかもしれない。貧しい人たちの中から、聖人が現れるかもしれない。主はしもべを見いだす場所を知っておられる。彼は無数の強い兵士を待ち伏せさせておられる。主の命令の一声で、彼らは戦いに出て行く。なぜなら、「この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから」である。そして主はご自身に勝利をもたらされる。
私たちは忠実な主に従っていよう。そうすれば、教会の危機にも、私たちの個人的な必要にも、神は折りにかなう守りを私たちのために起こしてくださる。