タマちゃんの旅ブログ

HP「タマちゃんの海外旅行記」のブログで海外旅行や国内旅行の旅先から更新したいと思っています

2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅(最終章)

2018年03月24日 09時52分17秒 | 2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅

4月14日(火)ドバイ最終日は市内観光とデザート・サファリに行きます。

最初に今回の旅行を地図で見てみます。

今日もドバイはすごく暑いです。

タクシーでドバイ博物館へ。

首長の住居跡に造られた博物館にはドバイ発展の歴史や昔の生活様式を見ることができます。

かっては真珠養殖が主産業でしたが日本の真珠で大きな打撃を受けました。

わずか30年ですごく変わった様子がうまく展示されています。

夕方はエミュレーツ航空のSさんから是非と勧められていたデザート・サファリへ。

トヨタの4W車で迎えに来てくれます。

運転手兼ガイドさんは明るいアラブの青年です。

メンバーはアメリカとドイツからのカップルと我々の6人です。

郊外へしばらく走ると砂地が多くなります。

途中スタンドでタイヤの空気抜きをし数台並んで砂漠の中へ入っていきます。

しばらく進むと音楽を一杯に鳴らしながらまるで水を得た魚のように走り出します。

砂漠の丘から谷そして丘の上を一杯に傾きながらまるでジェットコースターの様に走り回ります。正直怖いです。

ドイツ人の男性は顔が真っ青に。

ディナーはラクダもいる砂漠の中のキャンプ地で民族音楽を聴きながらのバイキング料理です。

激しいベリーダンスが始まると観客も舞台へ引きずり出されて踊らされます。

短いドバイ滞在でほんの一部を見ただけでしたが、その都市建設の壮大さには驚かされました。

今度是非世界高いビルに登ってみたいです。

これですべての観光は終わりました。

深夜の便で帰国の途につきます。

 旅の模様は右カテゴリー「2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅」でご覧ください。  

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2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅(その25)ドバイ観光

2018年03月24日 08時34分08秒 | 2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅

4月14日(火)ドバイを観光します。

アラビア海の入り口にあるアラブ首長国連邦は7つの首長国による連邦国家です。

首都はアブダビですが何と言っても観光の中心はドバイです。

限りある石油資源を考え早くから観光開発を進めています。

豪華なリゾートホテルやコンドミニアムなどがビーチ沿いに立ち並び世界中の人を集めています。

また多くの企業が進出しビジネスの中心地にもなっています。

昨年の金融危機でそのスピードは落ちたとはいえ、まるで木が生えるように至る所に高層ビルが建築中でその規模の大きさには驚かされます。

数あるショッピングモールの一つで2008年10月にオープンした世界最大のドバイモールへ。

ドバイは暑い国なので町はドームの中に造られます。

スキー場もあります。

すごいです。

巨大な水槽を魚が泳いでいます。

すぐ隣には台北の101ビルを抜いて世界一になった地上162階で尖塔高818mのブルジュ・ドバイが建設中です。

ホテルやマンション、オフィスが入る予定だそうです。

周辺も高層ビルの建設ラッシュです。

ドバイモールから有名なリゾートホテルを巡回する無料のシャトルバスが出ておりこれを利用して観光します。

椰子の木の形をした人工島パーム・ジュメイラへ。

木の幹の部分にはモノレールが建設中です。

枝の部分は高級分譲住宅でベッカムやビルゲイツなど世界のセレブが購入しているらてぃすしい。

豪華なリゾートホテル、アトランティス・ザ・パームホテルが建っています。

また同じようなホテルがいくつか造られる予定です。

パーム・ジュメイラの西側ビーチ沿いにも建設中を含め高層ビルが立ち並んでいます。

東西に延びるメーン道路にはモノレールの建設が進められています。

これがで完成するとドバイの移動と観光も随分楽になるでしょう。

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2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅(その24)ニースからドバイへ

2018年03月23日 14時26分00秒 | 2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅

4月13日(月)は夕方の飛行機でニースからアラブ首長国連邦のドバイへ移動します。

旧市街へ行くといつもは朝市が開かれる広場で週に一度のアンティーク市が開かれています。

珍しいものが沢山あります。

今日は初めて夏日となり暑い。

海岸へ行くと身体を焼いている人が目立ちます。

中にはトップレスの女性もいます。

最後にニースらしい光景を見ることができました。

ニース・ヴィル駅からバスで15分ニース空港へ。

16:10発エミュレーツ航空ドバイ行は定刻に離陸しニースの町を下に見ながら飛びます。

日本人男性アテンダントのSさんのお母さんが春の甲子園で優勝した青峰高校の出身で大いに盛り上がっていたそうです。

地元高校の優勝シーン見たかったなあ。

ボストンバッグの盗難の話をすると不便でしょうと機内のグッズを取り揃えてくれました。

今日の宿への行き方やドバイの見どころも教えてもらいました。

準備していたドバイの資料もとられましたので助かりました。

夜景がきれいなドバイの町を見ながら0:30深夜の空港へ到着です。

今回のチケットは復路に無料で途中降機できるのでドバイ観光をします。

入国を済ませ両替をしてタクシーで今日の宿ゴールデン・サウンズ・ホテル・アパートメントへ。

到着時間が遅いので心配しましたが無事に到着できました。

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2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅(その23)ルノアールの家とピカソ美術館

2018年03月23日 13時26分19秒 | 2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅

4月12日(日)は画家ルノアールの家とピカソ美術館を見学します。

ルノアールが最後に移り住んだ町カーニュ・シュル・メールへ。

バスで約30分の所にあります。

昨日と同じバスセンターから乗車、下車するところを迷って乗り過ごし随分行き過ぎてしまいます。

折り返しのバスを待っていると年配の女性の方がバス停に。

息子さんが東京で英語の先生をしておられるそうで、事情を話すと自分もその町に行くのでととても親切に教えていただく。

坂道を登った丘の上にルノアールの家はあります。

リューマチに苦しみ医者の勧めで移り住んだこの家には当時の家具や遺品がそのまま残されています。

車いすで制作活動を行ったアトリエも当時のままでとても印象的でした。

庭にはオリーブの木が茂り花々が咲いています。

向かい側の丘の上には今から行く鷹巣村オ・ド・カーニュがよく見えています。

バス停へ戻り今度は無料のシャトルバスでオ・ド・カーニュへ。

狭くて急な階段を登っていきます。

公園や家の窓など至る所に花が飾られています。

丘の上には中世の城グリマルディ城があり現在は地中海近代美術館となっています。

ここも部屋すべてが花で飾られています。

同じ女性を様々な画家が描いた作品40点が展示されており、日本人藤田嗣治の絵もありました。

次にカンヌ経由でピカソ美術館があるアンティーブへ。

1946年ピカソはここに移り住み海を見下ろす丘の上にあるグリマルディ城をアトリエに制作活動を行いました。

今ここはピカソ美術館となりピカソ以外の現代美術も展示されています。

イタリア在住の日本人家族の方が休暇を利用してドライブに来られていました。

いよいよ明日は中東のドバイへ移動します。

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2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅(その22)鷹巣村フェズ観光

2018年03月22日 16時10分00秒 | 2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅

4月11日(土)は鷹巣村エズへ行きます。

鷹巣村とは昔サラセン人の攻撃から身を守るため相手から見えない丘の上や山間に村を造ったのが始まりです。

コートダジュールには数多くの鷹巣村があります。

今日はその代表的なエズへいきます。

ホテルをチェックアウトし荷物を預けてバスセンターヘ。

人気の観光地エズ行のバスはお客も多い。

ニースの町を眼下に見ながら山へ登っていきます。

約30分で村の麓のバス停に到着です。

見上げると小高い丘に中世の村が張り付いています。

石造りの可愛らしい家が並ぶ坂道を登っていくと数人の日本人ツアー客とすれ違います。

突然前を行く相方が知らない男性から声をかけられ戸惑っています。

なんとこの方は東京のJTBの添乗員Mさんだったのです。

実は我々は一昨年12月にロシアツアーを予約していましたが相方が急用で私だけが参加しました。

その時の添乗員さんで私のホームページを見て頂いており初対面の相方に気づかれたのです。

びっくりしましたが思いがけない嬉しい再会でした。

海抜420mの断崖絶壁の上には熱帯庭園がありここから海岸線の景色は絶景でした。

ニースへ帰り旧市街を歩きます。

狭い路地は驚くほど観光客で混雑しています。

カフェでゆっくりくつろぐ人も。

昼食は海岸で食べましたが今日も涼しく海辺には人は少ない。

メーンストリートのジャン・メドサン通りにあるニース・エトワールショッピングセンターではチョコレートの彫刻のイベントがあっていました。

預けていた荷物を受け取り今夜1泊だけのホテルへ。

サレヤ広場ではまだ朝市が開かれていたのでお土産を少々買いました。

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2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅(その21)ニース・モナコ・カンヌ観光

2018年03月22日 13時12分53秒 | 2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅

4月10日(金)はニース海岸とモナコ公国、カンヌを観光します。

ニースはフランスが誇る世界的なリゾート地で毎年2月には有名なカーニバルも開催されます。

以前カーニバルに合わせて旅行を計画しましたが急用でキャンセルスタことがあります。

両側にデパートやショッピングセンターが並ぶジャン・メドサン通りを南に向かって歩きます。

マセナ広場の向こうはもう海岸線です。

先ず旧市街のサレヤ広場で毎日開かれる朝市と花市へ。

朝のニース海岸はまだ人も少ない。

プロムナード・デサングレ(イギリス人の遊歩道)が続き、それに沿って高級リゾートホテルが並んでいます。

シーズンになるとここは多くの人で埋め尽くされますが、さすがに今日は涼しいので海で遊ぶ人はほとんどいません。

ニース・ヴィル駅から普通列車で30分の世界第2の小国モナコ公国へ。

立憲君主制を採用する独立国です。

何といってもハリウッド女優からこの国のプリンセスに転身した今は亡きグレース・ケリーで有名です。

山の斜面を利用して地下に造られたモナコ・モンテカルロ駅からエスカレーターで港まで下りてきます。

港には豪華なクルーズ船が何隻も泊まっています。

バスで丘の上の大公宮殿へ。

ここからの眺めは素晴らしい。

お昼の衛兵交代式にはどこからともなく人が集まってきます。

再び歩いて港へ。

毎年5月に開催されるモナコF1グランプリレースのスタンド建設工事が行われています。

町のど真ん中を走るレースなんですね。

港を右手に見ながら坂を登っていくとカジノに出ます。

パリのオペラ座と同じガルニエが設計した美しい建物で前にはすごい高級車が止まっています。

次に毎年映画祭が行われるカンヌへ。

カンヌ駅からしばらく歩くと海岸に出ます。

映画祭の会場となるパレ・デ・フェティバル・コングレは海沿いにあります。

正面玄関入り口には赤絨毯がしいてあり映画祭を連想させます。

すごいドレスを着て記念写真を撮っている人もいます。

また周囲の石畳には有名人の手形がはめ込まれています。

故黒澤明監督の手形はありましたが・・・ビートたけしはあるのでしょうか?

明日11日は復活祭の土曜日でホテルが満室なので一日だけ別のホテルへ行きます。

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2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅(その20)ニースへ移動バッグ盗難

2018年03月22日 08時23分44秒 | 2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅

4月9日(木)7:35発の急行列車でマルセーユへ。

約50分でマルセーユに到着です。

ニース行のTGVの切符を買おうとしますが空きがなく13:19発の急行しかないとのこと。

そんな混んでいる様子はないのに・・・レールパスではTGVは取りにくいのでしょうか。

思わぬ待ち時間ができたがガイドブックによるとあまり治安は良さそうにないので駅で待つことにします。

山上の教会は有名です。

定刻にマルセーユを出発し右手に地中海を見ながらコートダジュール(紺碧海岸)を走っていきます。

約2時間半の列車の旅です。

列車がカンヌ駅に到着し荷台に置いたボストンバッグが心配なのですぐそばまで行き注意します。

一通り人の動きがなくなったのでトイレへ。

出てみるとなんとボストンバッグが一個ない!相方も見ていたのに・・・。

外を見てもそれらしき人影はない。列車は動き始めます。

やられた!

傷心の思いでニース駅へ。

駅で盗難の事を告げるのですがなかなか通じません。

東京から新婚旅行においでになっているTさんに助けていただきカンヌ駅へ問い合わせてもらいますが情報はありません。

旅行保険のこともあり結局ニース警察署に盗難届を出すことに。

ホテルを決めてから行こうとしますが11日の復活祭が迫っているので簡単には見つかりません。

重いバッグをひいてニース警察署へ。

先ず機械による受付をするように言われますが正直操作がよく分かりません。

もういいかと・・・帰りたくなります。

何時、何処で、何があったのか、何をとられたのかなど項目ごとに投入していきます。

なんとか書き込んで終了ボタンを押すとやっと受付完了です。

しばらくするとおもむろに英語が話せる担当者が来て機械打ち出しを基に盗難証明書を発行してくれました。

もっと早く来てよ!

バッグには貴重品は入っていませんでしたが長年旅を共にした炊飯器や電源コンセントなど旅のグッズが入っていたのに・・・。

TGVに乗れれば盗難には会わなかったでしょうが。

それにしてもこちらの油断もありますが地下鉄のスリといいフランスも注意が必要ですね。

幾つか断られてそこで紹介してもらった駅近くのホテルにやっと空きがありチェックインできました。

復活祭で混んでいたのです。

食料やトラベルクッカー、化粧品などが無くなり不便です。

今日は疲れました。

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2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅(その19)ゴッホの町アルル

2018年03月21日 13時59分08秒 | 2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅

4月8日(水)はアルルを観光します。

アルルはローマ帝国時代の遺跡が残りゴッホ移り住み絵を描いた町として知られ多くの観光客を集めています。

最初にホテル近くの円形闘技場へ。

1世紀に造られたものですが保存状態が良く観客は2万人収容できます。

もうすぐ開催される復活祭の闘牛は有名で内外から多くの観光客が訪れます。

隣にある古代劇場です。

町の中心地レビュブリック広場にあるサントロフィーム教会へ。

中世の教会で多くの巡礼者が訪れます。

正面入り口と回廊の彫刻が有名です。

アルルには残念ながらゴッホの絵は一枚も残っていないそうですがゴッホが描いた場所など当時をしのばせる見どころは沢山あります。

「夜のカフェテラス」のモデルとなったフォーロム広場にあるカフェヴァンゴッホへ。

絵と同じように黄色で彩られています。

次にゴッホの絵「跳ね橋」のモデルになったヴァンゴッホ橋へ。

3Kmほどの郊外にありバス停からもかなり離れています。

現在の橋はすぐ横に復元されたものです。

昼食後かってゴッホが入院していた病院後のエスパスヴァンゴッホへ。

現在は図書館となっています。

彼が描いた絵のように中庭は再現されて美しい花々が咲いています。

次にアルラタン博物館へ。

詩人フレデリック・ミストラルがノーベル賞の賞金を基に建てたものでプロバンス地方の民族衣装、民芸品などが展示されています。

民族衣装を着たアルルの女性が迎えてくれました。

コンスタンティヌス大帝時代の4世紀に造られた公衆浴場は単なるお風呂ではなく社交場でもありました。

これは翌朝アルルを出発する時に見たラマルティーヌ広場にあるゴッホの家です。

絵にも描かれてます。

ここでゴーギャンと共同生活し創作活動をしていました。

次第に意見が対立するようになり去り行くゴーギャンを見ながらゴッホは失意の余りこの広場で自分の耳を切り落としたのです。

その後精神病院に入院し、2年後パリ近郊の町オーヴェルシュルオワーズに移り住み2か月後拳銃で自殺します。

いよいよ明日はニースへ移動します。

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2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅(その18)水道橋ポンデュガールへ

2018年03月20日 16時03分53秒 | 2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅

4月7日(火)は対岸の町ヴィルヌーブ・レザヴィニヨンとローマ帝国時代の水道橋ポンデュガールへ。

水道橋ポンデュガールはどうしても行きたかったのでバスの時刻表を調べるも12:05しかありません。

時間まで対岸の町ヴィルヌーブ・レザヴィニヨンを散策することに。

丘の上のサンタンドレ要塞からは法王庁宮殿などアヴィニヨンの町がよく見えていました。

バスでポンデュガールへ。

40分で行けるのですが便が少なく約30分の滞在時間で見ようとする綱渡りのスケジュールです。

ところがバスが遅れてしまい必死に走って写真だけとってすぐバス停へ帰ると言うスピード観光となってしまいました。

でも巨大な水道橋をこの目で見ることができました。

それにしても当時の土木技術はすごいですね。

アヴィニヨンに戻りホテルに預けていた荷物を受け取り急行列車で20分の町アルルへ。

駅の案内所で地図を貰いしばらく歩いてラマルティーヌ広場へ。

ここにゴッホが住んでいた家があります。

目の前には城壁と門が見えておりこのカヴァルリ門のすぐ前のホテルアカシアスにチェックインしました。

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2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅(その17)パリから南フランスのアヴィニヨンへ

2018年03月20日 13時47分03秒 | 2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅

4月6日(月)パリから南フランスのアヴィニョンへ移動します。

あさ6時にホテルをチェックアウトし地下鉄で南フランス方面行のリヨン駅へ。

乗換が2回も必要で階段も多く大変でした。

7:46発マルセーユ行TGVでアヴィニヨンへ。

広々とした田園地帯を2階建ての列車は快適に飛ばしていきます。

約2時間半でプロバンス地方アヴィニヨン駅に到着です。

TGV駅は郊外にありここから街中にはシャトルバスで15分です。

幾つかのホテルをまわりオテルデュパルへチェックインします。

アヴィニヨンはローヌ川沿いにあり、かって14世紀ローマ法王庁が置かれた歴史ある町で旧市街は城壁で囲まれています。

先ずアヴィニヨンから北に急行列車で15分の所にあるオランジュの町へ。

ローマ帝国の重要な町として栄え、2000年前とほとんど変わらない状態で残っている古代劇場と凱旋門で有名です。

駅から歩いて古代劇場へ。

日本語の無線ガイドを借りて中へ。

 巨石を積み上げた舞台後方の石壁は長さ103m高さ36mあり中央には皇帝アウグストゥスの彫像が立つています。

観客席は背後の丘を利用して造られており上からはオランジュの町がよく見えています。

ここで毎年世界的な音楽祭やオペラが行われ多くの観光客がやってきます。

次に皇帝カエサルのガリア平定を記念して建てられた凱旋門へ。

傷みがひどいため修復中で見ることはできませんでした。

アヴィニヨンへ戻りサルトル駅を降りると目の前にすぐ城壁が現れます。

城門を抜けメーンストリートを歩いて行くと観光客も多く賑わっています。

しばらく歩くと市庁舎と劇場がある時計台広場へ。

中央にはメリーゴーランドがありカフェのテラスが並んでいます。

更に歩くと巨大な法王庁宮殿が現れます。

巨大な外壁で囲まれまるでお城のようです。

内装や聖像はフランス革命でほとんどが持ち去られて何も残っていないそうです。

城壁を抜けるとローヌ川に架かるサンベネゼ橋が見えてきます。

川の氾濫で途中から先が流されたままになっており、「アヴィニヨン橋で踊ろよ踊ろよ・・・」と言う民謡で世界的に有名になりました。

ここでイギリスのケンブリッジから来ておられるご夫婦から声をかけられしばらくお話する。

香港で知り合われ奥さんは日本でも仕事をされていたそうです。

帰りにスーパーへ寄るとツアーの日本人たちがお土産を買いあさっていました。

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2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅(その16)パリ美術館巡り

2018年03月18日 15時26分57秒 | 2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅

4月5日(日)はパリ市内の美術館を巡りです。

今日は4月の第一日曜日ですべての美術館が無料になりますのでいくつかを駆け足でまわりる予定です。

最初にルーブル美術館へ。

開館時間9時の1時間前にガラスのピラミッド前に並びましたがあっという間に行列は随分先までのびていました。

入場して真っ直ぐモナリザへ。

8年ぶりにモナリザの微笑を見ることができました。

彫刻では有名なミロのビーナスとエーゲ海サモトラケ島で発見された女神ミケの像などを見ました。

ドラクロアがフランスの7月革命の時に描いた「民衆を率いる自由の女神」

ダヴィッドがノートルダム大聖堂で行われた戴冠式を描いた「ナポレオン一世の戴冠式」の絵なども・・・。

ナポレオンが妻ジョセフィーヌに冠を授けている絵、これと同じ絵がヴェルサイユ宮殿にもあります。

豪華なナポレオンの部屋を見てセーヌ川の向かいにあるオルセー美術館へ。

駅舎を利用して造られましたがここも長い行列ができています。

有名な印象派の名画が多く展示されています。

特にゴッホについては彼が移り住み絵を描き続けた南フランスのアルルへこの後行くので興味がありました。

ゴーギャンもゴッホの誘いでアルルで一緒に住んでいたことがあります。

対立しアルルを出て行くゴーギャンを見ながら失意のゴッホが耳を切り落とす事件も起きます。

次にモネの家の睡蓮を描いた大作が展示されているコンコルド広場横のオランジュリー美術館へ。

ここでルーブルで一緒に並んだ香川の女性の方と再会、ロダン美術館へ行って来られたそうです。

近いので我々もこの後行くことに。

モネの睡蓮専用の楕円形の部屋の壁を一周するように睡蓮の大作が展示されています。

歩いてロダン美術館へ。

あまりにも有名な考える人の彫刻は入ってすぐの中庭に展示されています。

広い庭園の至る所に彼の作品が展示してあります。

帰りは日曜日で賑わうサンジェルマン大通りを歩きます。

パリ最古の鐘楼を持つサンジェルマンデプレ教会の前では幾つかのミュージシャン達が演奏しています。

右手にソルボンヌ大学を見ながらホテルへ。足が棒になりました。

明日はいよいよ南フランスへ移動します。

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2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅(その15)モンマルトル・オペラ座・バスティーユ広場へ

2018年03月17日 15時00分08秒 | 2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅

4月4日(土)はパリ市内観光です。

ホテル近くの市場です。

地下鉄でモンマルトルへ。

坂を登っていくと丘の上にサクレクール聖堂が見えてきます。

3つのドームを持つ白亜の聖堂はパリの至る所から見ることができます。

階段を登って行った聖堂からはパリの町が一望できます。

歩いてテルトル広場へ。

多くの画家たちが自分の作品を展示しています。似顔絵を書いてもらっている観光客もいます。

フランスに来て約7年になると言う弘前出身の画家の方としばらくお話しできました。

次にオペラガルニエへ。

19世紀後半ナポレオン三世の命で建設されたオペラ座で豪華な建物です。

大理石の階段を登りボックス席から舞台ときらびやかな客席を見ることができます。

金箔を貼った壁やシャンデリアが煌めくグランホワイエ(大広間)、シャガールの天井画などまるで宮殿のようです。

バスティーユ広場へ。

1789年パリ市民は王制を倒すため立ち上がりバスティーユの牢獄を襲撃しました。

今は広場になっており中央には犠牲者を悼むため7月革命記念柱が建っています。

最近広場に面した場所に近代的な新オペラ座オペラ・バスティーユが建設されており斬新なスタイルの若い人の姿が目立っています。

歩いてセーヌ川の中州サンルイ島へ。島の中央通りにはおしゃれな店が並んでおり有名なアイスクリーム店には行列ができています。

突然相方が「あの人名前が出てこないけど女優さんよ」と言う。小さい子供を連れてアイスクリームの列に並んでいます。

私もなかなか思い出せません。

帰って8月ついに化粧品のコマーシャルに出ている彼女を発見!

女優は中山美穂さんでした。

2002年映画監督、小説家の辻仁成さんと結婚し現在パリに住んでいます。

2004年に男児出産・・・納得しました。

隣のシテ島にあるノートルダム大聖堂やセーヌ川のクルーズ船を見ながらホテルへ。

 

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2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅(その13)ジャンヌダルクとモネの家

2018年03月16日 14時36分05秒 | 2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅

4月3日(金)はジャンヌダルクの町ルーアンとシヴェルニーのモネの家へ。

パリのサンラザール駅から列車で古都ルーアンへ。

フランス北部大西洋に面したノルマンディー公国の首都として栄えました。

15世紀英仏100年戦争で救世主となったジャンヌダルクが火あぶりの刑となった町です。

1時間少々でルーアンへ到着する。

ジャンヌダルク通りを歩き最初にノートルダム大聖堂へ。

1世紀中頃に建てられたゴシック様式の大聖堂で、画家モネによって描かれたことで有名になりました。

高さ152mの尖塔を持つ姿やステンドグラスがとてもきれいです。

旧市街を歩くと木組みの家が沢山並んでいます。

金色の大時計の門をくぐってジャンヌダルクが処刑された広場へ。

フランスに奇跡的な勝利を導いたにも関わらず19才で処刑されました。

今はここにジャンヌダルク教会が建てられ多くの人が参拝に訪れています。

ステンドグラスが有名なのですが丁度長い昼休みに入っており見ることができませんでした。

再び列車で次の目的地シヴェルニーへ

パリとの中間点にあり印象派の画家モネが晩年移り住み描き続けた町です。

観光地となっており駅前には連絡バスが待っています。

50才の時に購入した家はまるで浮世絵の見術館のようで歌麿や北斎、広重など沢山の浮世絵が飾られています。

当時多くの画家達が日本の浮世絵の美しさに興味を持っていました。

広い庭園には季節の花々が咲き乱れています。

次にモネの絵に何度も登場する睡蓮の池へ。

この時期睡蓮はほとんど枯れていますがその光景は額の中の絵のようです。

睡蓮を描いた大作はパリのオランジュリー美術館に展示されており後日見に行く予定です。

シヴェルニーの町やこの家で多くの作品を描き1926年2階の寝室で静かに息を引き取りました。

バス停近くで満開の桜をが咲いていました。

今年は見れないと思っていましたがまさかフランスで花見ができるとは思いませんでした。

 

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2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅(その14)世界遺産モンサンミッシェル

2018年03月16日 11時27分51秒 | 2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅

4月2日(木)は世界遺産のモンサンミッシェルへ日帰り観光です。

6:00にホテルを出てモンパルナス駅へ。

朝早いので地下鉄の乗客も少なく少々不安でした。

レールパスのバリデートを済ませレンヌまでのTGVの指定券とモンサンミッシェルまでのバスの往復券を購入する。

7:05発のTGVはとにかく静かで早い。

パリを離れてしばらくすると農業大国フランスらしい田園風景が続きます。

2時間でレンヌ駅へ到着しバスセンターヘ。数人の日本人と一緒になりました。

9:30発のバスでモンサンミッシェルへ。

今日は寒くて霧も深いです。

走ること1時間半霧の中にうっすらとその姿を現します。

8世紀始め神のお告げを受けて島の上に礼拝堂が造られて以来、10世紀に修道院の建設が始まりその後増改築がなされ今の姿になりました。

イギリスとの戦争では要塞として、また18世紀には牢獄として使われた歴史もあります。

今も多くの巡礼者と観光客が訪れる人気スポットです。

まるで城門のような入り口を入り狭い坂道を登っていきます。

この店のオムレツは人気があります。

両側にはレストランやホテル、お土産屋さんがひしめき合っています。

急な階段を上がって頂上の修道院の建物へ。

テラスからの展望は素晴らしい。

干潮時で広大な砂地が見えており子供が干潟を歩いているのが見えます。

今は道路で繋がっていますが昔は完全な島で満潮時には溺れて死んだ人も多かったそうです。

礼拝堂や地下聖堂、美しい回廊などを見学する。

城壁沿いに降りて行き駐車場からモンサンミッシェルの全景を見る。

天気が良くなってきたので見事な景色です。

ここで埼玉のKさんと一緒になる。

なんでも東京の理容師学校を卒業し故郷へ帰る前に好きな旅しているそうで明るいお嬢さんでした。

予定より早めのバスでレンヌへ戻り旧市街を散策する。

18:00のTGVでパリへ。

到着する20:00頃ようやく地平線に太陽が沈見ました。

 旅の模様は右カテゴリー「2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅」でご覧ください。  

タマちゃんの海外旅行記」もご覧ください。


2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅(その13)パリ市内観光と地下鉄でのスリに

2018年03月14日 14時08分47秒 | 2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅

4月1日(水)8年ぶりのパリです。

先ず歩いてセーヌ川シテ島に建つ世界遺産ノートルダム大聖堂へ。

ルイ7世の時代から建設が始まり12世紀のゴシック建築最高峰と言われています。

皇帝ナポレオンもここで戴冠式を行いました。

風が冷たく寒い中多くの子供たちが見学に来ています。

川沿いに植えられた桜のつぼみが今にもはじけそうです。

次に地下鉄とバスの一日券を買って地下鉄でアンヴァリッドへ。

ルイ14世が傷病兵を収容するために建てたものですが現在はナポレオンの墓があることで有名です。

ドーム中央の地下にナポレオンは眠っており、その周囲には彼の兄弟や忠誠を誓った将軍たちの墓があります。

バスでパリのシンボルエッフェル塔へ。19世紀後半パリ博覧会で建設された高さ320mの塔には今日も多くの観光客が訪れています。

高さ115mの第2展望台までは階段を歩いて登ることができるため人気があり待ち行列ができていました。

今回は公園から眺めるだけです。

公園には自分たちで落としたネックレスをあなたのものですかと言ってきたリ、英語しゃべれますかと言ったりする怪しげな若い女性が横行しています。

次にパリ西部にあるオフィスビルやお店が集中するニュータウンラ・デファンス地区へ。

フランス革命200年を記念して建てられた巨大なグランド・アルシュ新凱旋門が目立っています。

新凱旋門、凱旋門、シャンデリア通り、コンコルド広場、ルーブル美術館は一直線に並んでいます。

近くには大きなショッピングセンターがあり日本のユニクロも出店しています。

ナポレオンが造った凱旋門を見ながらシャンデリア通りを歩きます。

治安対策でしょうかおまわりさんが目立っています。

明日モンサンミッシェルへ行くためフランスレールパスのバリデート(使用開始)とTGV超高速列車のチケットを買うため出発駅のモンパルナス駅へ。

今日は出来ませんでした。

駅前には建設時にパリの景観上問題となった高層ビルモンパルナスタワーがそびえています。

地下鉄でコンコルド広場へ。

フランス革命時ギロチン台がここに置かれルイ16世やマリーアントワネットなど多くの人が処刑されました。

エジプトから贈られた(略奪した?)オベリスクも建っています。

美術館があるルーブルへ行くため再びコンコルド広場から地下鉄へ。

乗車しようとするといきなり2~3人の若い女性達が何か言いながら私に迫ってきます。

思わず後ずさりして乗れないでいるとドアが閉まってしまいました。

ところが相方だけ乗って手を振っているではないですか!

思わず指で2の合図を送るがはたして二つ目の駅で降りることが通じただろうか?

不安に思いながら次の列車に乗るとなんとあの女性たちがまた迫ってくるではないか。

前の女性はコートで手を隠しており後ろの女性が私にしきりと何か話しかけてくる。

次の瞬間前の女性が私のお腹のポセットから何かを抜きとった!

瞬間気付くとなんと航空券を抜き取られている。

スリだ!思わず奪い返す。

スリたちは停車中の列車から逃げて行きます。

唖然としている私を周囲の乗客は興味深げに見ているだけ・・・。

二つ目のルーブル駅で相方と再会ひとまず安心しましたが怖い経験でした。

地下鉄1号線はスリが多く日本人はよく狙われるのだそうです。

被害がなくて良かったですが油断もありまっした。

モロッコからスペインへの移動で一緒だった日本人女性達も危険だと言っていました・・・まさか自分が狙われるとは・・・。

夕食はルーブル近くの札幌ラーメンの店で・・・。

 旅の模様は右カテゴリー「2009モロッコ・スペイン・ポルトガル・フランスの旅」でご覧ください。  

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