タマちゃんの旅ブログ

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2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅(最終章)ドレスデン観光とフランクフルトから帰国

2020年06月24日 13時47分57秒 | 2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅

2003年5月25日  朝からドレスデンを観光しフランクフルトから帰国します。

かってザクセン王国の首都として繁栄した町ドレスデンは第二次世界大戦の爆撃で壊滅しましたがその後復興されています。

列車の出発まで当時の栄華を伝えるドレスデンの街並みを見学します。

エルベ川沿いにあるツヴィンガー宮殿へ。

内部には美樹幹や博物館があります。

 

ドレスデン城です。

音楽の殿堂ゼンパーオペラハウスです。

エルベ川です。

ドレスデン駅から10:11発新幹線でフランクフルトへ。

フランクフルト到着後空港行の時間まで市内を見学します。

レーマー広場には中世を思わせる木組みの家が建っています。

空港へ行く列車の中が騒がしい。

若者達が何か騒いでいます。

どうもサッカーの試合を聞きながら一喜一憂して座席を飛び跳ねたり窓や天井を叫びながらたたいたり。

フーリガンでしょうか?途中の駅で降りて行きましたが、近くにいると怖くなりますね。

19:45大韓航空は予定通りフランクフルトを出発、帰りはジャンボ機で座席も行きよりは少しゆったりしています。

5月26日飛行機は予定通り13:15にイーチョン空港に到着し5時間後の18:45発で福岡空港へ。

無事に帰ってきました。

今回は4カ国をまわりましたが日本と違い今では国境という感覚はほとんどありません。

EUですからパスポートもなく自由に行き来できます。

ナポレオンやヒットラーなどの暗い過去を経験した人間の知恵・・・いつまでも平和であって欲しいとつくづく思いました。

旅の模様は右カテゴリー「2020ブログで蘇るオランダ、ベルギー、ドイツ、チェコの旅」でご覧ください。

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2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅(その12)プラハからドイツのドレスデンと陶器のマイセンへ

2020年06月24日 11時23分53秒 | 2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅

2003年5月24日 プラハからドイツのドレスデンと陶器の町マイセンへ行きます。

プラハ8:55発の列車に乗車、1等席が全て満席のため急いで2等のコンパートメントへ。

チェコで勉強していると言う学生の二人の女性と一緒に。

佐世保の英語パンフを見せるなどして自己紹介をします。

1人は途中で下車。

ドイツ人のクラウディアさんは我々と同じドレスデンまで行き、乗換えてライプチッヒ近くのヴィテンベルグにある実家へ帰る途中です。

あの宗教改革で有名なマルチン・ルターの町だそうです。

ルターは世界史で勉強したよ!

チェコ国内で列車が急に停止、駅でもないしなかなか動かない。

何やら放送していますがよくわかりません。

すると彼女がなにかショックを受けたようにがっかりしている。

何が起きたのか?

 彼女によると何やら列車にトラブルがあったようで動けないとのこと。

1時間、2時間待っても動かない。

対応が遅いなあ。

昨年のオーストリアでも事故でバスに乗り継いだ事があったが、

どうも東欧圏はこんな事が多いのかな。

お陰でクラウディアさんとのコミュニケーションを深める時間はできましたが。

年齢は24才、現在イギリス、グラスゴーの大学に留学中で、10週間チェコのブルノーで勉強していたそうです。

今まで行ったことがあるのはロシアなど東欧圏ばかり。

 日本へも来てくださいと言うと日本は何でも物価が高いと言っていました。

やっとドイツ側から機関車が来て動き出したのは約3時間後、予定が狂ってしまいました。

お互いに住所とメールアドレスを交換し、写真をメールで送ることを約束して別れる。

今日のホテルは駅のすぐ近く、バッグを預け急いでマイセン行きの列車に乗る。

マイセンの陶器はとてつもなく高価だとは知ってはいましたが目の保養と話の種にと今回の日程に入れたのです。

バスでマイセン磁気工場へ。

 見学用の工房と磁器博物館があるのですが、遅れたため博物館はクローズ、工房をドイツの観光客と一緒に見学、日本語の無線ヘッドホーンを貸してくれました。

陶器の作業行程を実演してくれます。

直営店で販売もしていますが目玉が飛び出るほど高いです。

日本人のツアーが来ていました。

長崎から来たおじさんは有田で買われたが良いですよなんて言っていました。

ホテルへ帰りレストランで夕食をとります。

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2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅(その11)プラハ城

2020年06月23日 08時34分33秒 | 2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅

2003年5月23日はプラハ城など市内を観光します。

地下鉄を乗り継ぎプラハ城へ。

小高い丘の上にあるため階段を登って行くと、城壁の入り口に衛兵が銃を持ち身動きもせずに立っています。

一緒に記念写真を。

門をくぐるとすぐ聖ヴィート大聖堂の巨大な姿が見えてきます。

正面です。

チケットを購入して大聖堂の中へ。

96mの塔の284段の階段を息をきらしながら登りました。

カレル橋が見えています。

旧市街などプラハの町の眺めは素晴らしいです

その後旧王宮を見学します。

黄金の小道と呼ばれ、色とりどりの小さな家が並んだおとぎ話の世界のような通りです。

今はお土産屋が並びその一角に作家フランツ・カフカの仕事場後があります。

12時に衛兵の交代式があります。

カレル橋の方向へ歩いて降ります。

途中の小さなレストランに寄り、ビールとコーヒーで休憩です。

再びカレル橋を渡ります。

先程行ったプラハ城です。

お土産を買うため路上マーケットへ行き、子供のおもちゃと人形更にトマトなどの食料を購入します。

 旧市街広場へ再び行き、ベンチで休憩しているとフランスからツアーで来たと言うおばさんがヤポン?と話しかけてきました。

5カ国語の会話マニュアルを取り出してコミュニケーションを図ります。

プラハではあちこちでクラシックコンサートやマリオネットを使った人形劇が開催されています。

特に人形劇は伝統があり、今回はこの劇場でオペラ、ドンジョバンニを鑑賞しました。

人形の動きが素晴らしかった。

いよいよ明日はプラハともお別れなので最後にもう一度カレル橋からの景色を目に焼き付けてホテルへ帰る

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2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅(その10)ベルリンからチェコのプラハへ

2020年06月22日 08時35分19秒 | 2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅

2003年5月22日はベルリンからチェコのプラハへ行きます。

早起きしてバスでベルリン駅へ。

売店でパンと缶ビールを買って7:30発ハンガリー・ブタペスト行きに乗車します。

1等車は少しクラシックで、いかにも東ヨーロッパの車両という感じですが座席はゆったりとしています。

 晴れていますが今日は寒く温度があまり上がらりません。

ドレスデンを過ぎて国境の駅でドイツの乗務員からチェコの乗務員に交代、警察官風な女性がパスポートを見に来ます。

ここから列車は川沿いの峡谷を走ります。

川幅もだんだん広くなってくると観光船や貨物船が走っているのが見えています。

平地も多くなり田園風景が開けてきました。

植えてあるのは小麦のようです。

約5時間で定刻どおりプラハの駅に到着です。

地下鉄で今日の宿ホテルピヴォヴァールへ。

オランダ、ドイツとも地下鉄のホームに改札はありません。

入り口にある検札機で切符に刻印を入れ自己責任で乗車するのです。

 車掌が来た時にこれをしていないと多額の罰金を取られます。

本で知っていましたがここプラハの検札はすごく厳しいそうです。

私服の警察官がバッジを見せて取り締まっています。

旅行者らしい若い人が何人かつかまって罰金の切符を切られていました。

ホテルは昔のビール醸造所を改造して作られており部屋も新しく1人24ユーロと非常に安い。

主人は若くまた日本語がうまいのには驚きました。

東京に友人がおり近くまた行くと言っていました。

 荷物を置いて再度地下鉄でプラハ駅へ。

国立博物館をバックにるヴァーツラフ広場を歩いて旧市街へ。

中世の町並みをそのまま残す旧市街の中心地旧市街広場へ。

旧市庁舎のからくり人形と天文時計です。

有名な旧市庁舎やティーン教会など各時代の建築様式の建物で囲まれています。

広場には宗教改革の先駆者ヤン・スフの像が建っています。

広場は各国からの観光客であふれています。

石畳の細い路地カレル通りを歩いて、プラハ最古の美しい石橋カレル橋へ。

突然景色が開けます。

カレル橋は14世紀後半からゴシック様式で建造され、両側の欄干には30体の成人像が彫刻されています。

 

そしてその向かいの小高い丘にはプラハ城の美しい姿が、なんと素晴らしい光景でしょうか。

橋の上では楽器を奏でる人、似顔絵書き、土産売りなどが並び多くの人で賑わっています。

橋の近くの中華料理店で夕食をとりますがここ東欧圏はオランダ、ドイツに比べ物価が非常に安いようです。

トラムで帰ろうと駅に向う途中怪しげな男が何人かチェンジ、チェンジと声をかけてきます。

外務省の危険情報で両替の取締りと証して偽警官が横行し、お金やパスポートを取られる事件が続発していると知っていたので相手にしませんでした。

ホテルに戻ると学生と思われる若者達が泊っており賑やかでした。

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2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅(その9)ポッダム宣言の町ポッダムへ

2020年06月21日 09時35分42秒 | 2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅

2003年5月21日  第二次世界大戦で日本へのポッダム宣言が発せられた町ポッダムへ。

列車でポッダムへ。

多くの観光客を乗せ約20分で到着です。

バスでサンスーシー宮殿へ。

フリードリッヒ大王が夏の居城として建てた宮殿、とても優雅で階段式の庭園が素晴らしいです。

人嫌いで犬しか信用しなかった大王は愛する犬たちと一緒に宮殿の一角に眠っているそうです。

次にポッダム会議が行われたツェツィーリエンホーフ宮殿へ。

宮殿と言うよりは館と言う感じの建物です。

第二次世界大戦末期に米、英、ソ連の首脳会議が開かれた場所です。

けん見学ツアーに参加、日本語の説明書を貸してくれました。

全体会議室や各国の控室が当時のまま保存されています。

チャーチル、ルーズベルト、スターリンが一堂に会した場所には当時の写真が飾られています。

ここで日本を無条件降伏させることが話し合われたと思うと複雑な気持ちでした。

帰りのバスの自動券売機で切符を買おうとするとコインが落ちて入らない。

これまた何回もしていると横の席の叔母さんがとうとう自分の財布からコインを出して買ってくれました。

もちろんお金は返して何回もお礼を言う。

ベルリンへ戻り、主な観光ルートを走る100番のバスに乗りもう1度ベルリンの町を見学します。

ポッダム広場でおりてショッピングセンターへ。

ここで夕食を済ませてホテルへ。

明日の出発が早いので支払を済ませます。

明日は最後の訪問国チェコへ移動します。

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2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅(その8)ベルリン市内観光

2020年06月20日 08時50分24秒 | 2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅

2003年5月20日はベルリン市内観光です。

朝食はレストランで。

東西ドイツ統一後再びドイツの首都となったベルリン。

日本語ガイドテープ付の二階建てバスでスタートです。

先ずベルリン駅前に廃墟となったカイザー・ヴィルヘルム教会の大きな姿が見えてきます。

ここは戦争の悲惨さを伝えるため広島の原爆ドームのように壊れたままの姿で残されています。

ベルリン大聖堂です。

統一ドイツの象徴ブランデンブルグ門です。

17世紀の終わりにアテネの神殿を手本に造られました。

ベルリンの壁があった時代はケネディとフルシチョフが東西ドイツをお互いに高台の上から眺めるなど自由に通る事は出来ませんでした。

1989年突然壁が破られ東西ドイツが統一されました。

ブランデンブルグ門の上にある勝利の女神と馬車の像はナポレオンがパリへ持ち帰りましたが後に返還されました。

すぐ隣にはドイツ連邦議会議事堂の重厚な姿がみえています。

遠くに建設中の新ベルリン駅も見えています。

フリードリッヒ1世が妻のために建てた離宮シャルロッテンブルグ宮殿です。

 新しく大使館街が作られており、最近建築された菊の紋章が目立つ日本大使館がありました。

開発が進められている新名所ポッダム広場へ。

世界の有名建築家が設計したと言う近代的なビルが並んでいます。

 劇場やショッピング街が集中しており、特に富士山をイメージした屋根を持つソニーセンタービルがある広場には多くの人が集まっています。

この辺はベルリンの壁があった場所でその一部が残されています。

その裏のナチス・ゲシュタポ本部があった場所には当時の悲惨な状況がパネルで展示してあります。

また道路には東西ドイツ通行の検問所跡もあります。

道路にベルリンの壁跡が残されています。

こんな車も。

バスは旧東ドイツエリアに入り赤の市庁舎やテレビ塔が見えています。

戦勝記念塔ギーゲスゾイレです。

これで市内観光は終わり明日は第二次世界大戦でポッダム宣言が発せられた町ポッダムへ行きます。

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2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅(その7)ドイツのケルン経由でベルリンへ

2020年06月19日 09時58分31秒 | 2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅

2003年5月19日はドイツのケルン経由でベルリンへ。

今日は長い列車の旅になります。

ブリュッセルからドイツのケルンまでフランスの高速列車タリスで約3時間30分、ケルンからベルリンまでドイツ新幹線で約4時間30分です。

ホームにワインレッドのスマートな車体が入ってきます。

パリ発ケルン行です。

ここからパリまでは2時間足らず行って見たいですね。

8:28列車は出発揺れもなく静かです。

田園風景が続き雨が降り始めます。

ケルン中央駅に到着ここは歴史を誇る文化都市でドイツの西の玄関口でありライ川クルーズの終点の街でもあります。

世界遺産に指定されているケルン大聖堂を見学します。

駅のコインロッカーには面喰いました。

今までとは型が違い荷物の出し入れ口は一つで地下の立体駐車場みたいな形式になっています。

駅を出るとすぐに高さ157mの巨大な大聖堂が現れその大きさには圧倒されます。

約600年かけて造られたゴシック様式の大寺院です。

色鮮やかなステンドグラスがとても美しい。

しばらく周辺を散策して13:51発ドイツ新幹線ICEでベルリンへ。

一等席はゆったりしておりパソコンで仕事をする人やワインを飲んでいる人も。

検札に来た車掌さん今度はウエイトレスになり飲物の勧誘に、二役で忙しそうです。

ドイツは緑が多くベルリンに入っても続き大都市がすぐそこにあるなんて信じられません。

列車は20分遅れてベルリンのツォー駅に到着します。

ベルリン動物園がすぐ前に。

駅で夕食を済ませてペンション・アレクサンドラへ。

怖くなるような年代物のエレベーターで3階フロントに着くと明るいお姉さんが迎えてくれました。

部屋はきれいで落ち着いた雰囲気です。旅の模様は右カテゴリー「2020ブログで蘇るオランダ、ベルギー、ドイツ、チェコの旅」でご覧ください。

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2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅(その6)ブリュッセル市内観光

2020年06月18日 08時21分11秒 | 2019イチロー選手応援の旅in東京

2003年5月18日はブリュッセル市内観光です。

朝から中央駅へ行き明日ドイツのケルンまで行く高速列車タリスの指定券を買う。

それからグラン・プラスのカフェで朝食をとり市内観光へ出発します。

中央駅からダブルデッカー(二階建)の観光バスに乗ります。

このバスは市内の主な観光ポイントを定期的に周遊しどこでも一旦下車ができるのでとても便利です。

また日本語で案内を聞くことができます。

子供たちの団体が一緒ですぐ満員になる。

この時期修学旅行の子供たちを多く見ます。

1935年と1958年に万国博が行われた公園へ。

鉄の分子構造を大きくした当時のモニュメントが目立っています。

王家の居住用として使われているラーケン宮です。

ヨーロッパ政治の中心地EUの本部ビルです。

独立50周年を記念して造られた凱旋門です。

王宮前で一旦下車します。

王宮はフランスのベルサイユ宮殿を思わせる造りになっています。

王位古典美術館を見学します。

ノートルダム・デュ・サブロン教会です。

 

最後にグラン・プラスに戻りその一角にある王の家博物館へ。

日本など各国から小便小僧に送られた衣装が展示してあります。

これでベルギーを終わり明日はドイツへ向かいます。

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2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅(その5)ベルギーのアントワープとブリュッセルへ

2020年06月17日 08時51分10秒 | 2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅

2003年5月17日はベルギーのアントワープ経由でブリュッセルへ移動します。

B&Bのカルロスさんとお別れしてアムステルダム中央駅へ。

駅で列車を待っていると隣にいる老夫婦が私のバッグを指さしてニコニコしています

どうやらバッグに貼っている「イリノイ・ファイティング」のマークを見ているようです。

昨年アメリカで子供たちとイリノイ大学のアメリカンフットボールを観戦したと説明するとミシガン州から来たと言う老夫婦は笑ってうなづいていました。

途中の駅で日本人の老夫婦が駅員に連れられて小走りに乗ってこられる。

隣に座られたのでアントワープまでご一緒する。

京都の方でアントワープ近郊の工場で働く娘さん夫婦を訪ね旅行を楽しんでおられるとの事。

「子供の人生に色々口を出すよりも子供の人生を一緒に楽しまないと損だ。そうしないとこれまで苦労して育てた甲斐がない」と言われていたのが印象的でした。

アントワープ中央駅は「ヨーロッパの最も美しい駅」にも選ばれた大理石で造られた重厚な建物です。

ここから歩行者天国のメール通りを歩いて旧市街へ。

旧市街のフルン広場です。

すぐ隣に日本の人気アニメ「フランダースの犬」の舞台となった聖母大聖堂(ノートルダム大寺院)それを背にルーベンスの像が建っています。

聖母大聖堂の中へ。

前方にはルーベンスの描いた祭壇画があります。

主人公のネロが死ぬ前にどうしても見たかったルーベンスの絵、この絵を見ながらネロと愛犬パトラッシュは天国へ旅立つのです。

子供たちが涙してテレビを見ていたのを思い出し感無量でした。

この物語は日本からの問い合わせが相次いでこちらでも知られるようになったそうです。

隣にはネロとパトラッシュのモニュメントが造られていました。

旧市街の中心地マルクト広場には多くの人が集まっています。

万国旗がはためくこの歴史的な建物はアントワープの市庁舎です。

歩いて駅へ戻ります。

アントワープはダイヤモンドで有名で駅周辺には多くの専門店があります。

再び列車でベルギーの首都ブリュッセルへ。

ブリュッセルの駅は地下にありエスカレータで上へ登るときいきなり後ろの男性が上にかぶさるように接触してきました。

その後ろの方から今のはスリだと注意を受けました。

幸い後ろのポケットには何も入れていなくて良かったですが確かに何か不自然でした。

駅から石畳を歩いて約10分の所に広場「グラン・プラス」があります。

市の中心となる広場で17世紀に建造されたギルドハウスなど華麗な建物が取り囲み「世界で最も美しい広場の一つ」と言われ観光の目玉となっています。

もちろん世界遺産にも指定されている素晴らしい広場です。

王の家で中は博物館になっています。

 

いつも花市やイベントが行われており多くの観光客でで賑わっています。

まるで中世の時代に戻ったようです。

ゴシック建築の最高傑作と言われる市庁舎です。

ギルドハウス(中世ヨーロッパ繁栄した商・工業者の組合)です。

今日のホテルはこのブラバン公の館の中にあります。

ヨーロッパ最古のショッピング・アーケードのガルリ・サンテュベールを見学します。

ガラスのドーム天井からは明かりが差し込みこれが1847年に造られたとはとても信じられません。

ブリュッセルのマスコット小便小僧を見学します。

17世紀の初めに作られたもので、あちこちで見る像のオリジナルだそうで多くの観光客が写真を撮っています。

フランスのルイ15世の兵士が像を盗んだことで、王が謝罪として豪華な服を送りました。それ以降各国から衣装が送られており王の家の博物館に展示されています。

夕食はベルギーの名物の海鮮料理にしようと店頭にあるメニューの写真を見て小さな店に入ります。

注文すると隣のレストランへ案内される。早口でしゃべるウエイターにこちらは同じものを注文したつもりでしたが出てきた料理はやや豪華。

何と請求書を見ると100ユーロと高い。そんなの注文していないのにと言ってもそこまで交渉する語学力もなくシブシブ支払う事に。

どうしてメニューが変わったのか?

でも我々にとっては豪華な夕食をしたことだしと諦めました。

夜はグラン・プラスの建物がライトアップされます。

10時過ぎ多くの観光客と一緒にライトアップと光のショーを楽しみました。

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2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅(その4)風車の街ザーンセ・スカンス

2020年06月16日 13時17分04秒 | 2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅

2003年5月16日オランダの最終日です。

今日は風車の街ザーンセ・スカンスへ行きます。

国土の4分の1が海抜0m以下のオランダで干拓地を造るのに活躍した風車ですが今は大幅に少なくなっています。

アムステルダムの近郊の街ザーンセ・スカンスでこの風景を見ることができます。

中央駅から列車で約15分で駅に到着、10分ほど歩くと大きな川向うに風車が見え始めます。

ここには数台の現役風車があり風車村と呼ばれ大切に保存されています。

昔のオランダの風景を残し観光ルートにもなっています。

ハウステンボスで見慣れていますが本場の風車は歴史の重みがあり見ごたえがあります。

日本人ツアーも来ていました。

チーズ工房ではいろんな種類のチーズを試食できます。

アムステルダムへ帰り中央駅で明日から使う鉄道パス(ユーレイルパス)の使用開始の手続き(バリデート)をする。

その後国立博物館へ行くも閉館中でした。

次にワーテルローの蚤の市へ。

レンブラントの家を見学、彼の作品と当時の製作場所が残されています。

ここでもう足が棒になり動けません。

昨日の3万歩の影響です。

そこで元気を出すためオランダ最大のビール会社ハイネケンのビール醸造所ツアーへ。

幾つかのアトラクションがあり途中2回ビールを飲ませてくれます。

皆さん上機嫌で見学していました。

いよいよオランダの観光も終わり明日はベルギーへ移動します。

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2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅(その3)花のキューケンホフ公園とハウステンボスのオリジナル

2020年06月15日 08時01分08秒 | 2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅

2003年5月15日 B&Bはキッチンがついており食事は自炊です。

今日はチューリップで世界的に有名なキューケンホフ公園とハウステンボスのオリジナルとなった所を訪問します。

初めて地下鉄に乗ると話したらご主人のカルロスさんが駅までついてきて切符の買い方などを教えてくれました。

中央駅から列車でライデン駅へ。

車窓にチューリップ畑が一面に広がる光景は残念ながら過ぎているようです。

駅から公園へ向かうバスの中で突然女性から声をかけられる。

アッ日本人だ!こちらへ来てからあまり日本人を見ていなかったので懐かしい。

福岡から来てオランダ、ベルギーをまわりギリシャへ行くそうで、これも何かの縁と公園見学をご一緒する。

キューケンホフ公園はチューリップなどの花公園で毎年春の二ヶ月間のみオープンされます。

ツアーにも必ず入っているオランダを代表する世界有数のフラワーパークです。

今年は開園が5月18日まででこれに間に合うよう日程を組んだのです。

珍しいチューリップなどが広大な敷地に咲き乱れており、パビリオンには花の造形が華やかに展示してあります。

チューリップのピークは少し過ぎていたようです。

ここライデンはあのシーボルトが長崎から帰った後過ごした地でもあります。

その後列車で政治の中心地デンハーグへ。

ここでどうしても見たかったのはベアトリックス女王がお住いの宮殿ハウステンボスです。

佐世保のハウステンボスの名はここから取られており、昨年バージンロードを歩いた宮殿はこことそっくりに造られています。

残念ながら正面門前からの見学でしたが本当にそっくりでした。

13世紀にお城として造られたオランダの国会議事堂ビネンホフを見学。

当時の建物がそのまま残っており中庭にある騎士の館などはとても見ごたえがあります。

次に列車でユトレヒトへ。ここはハウステンボスの中央に立つ高い塔ドムトールンのモデルとなった町です。

駅が大きなショッピングセンターになっており今までの駅の中では一番賑やかです。

歩いて10分も行くとそのドムタワーが見えてきます。

横に大きな教会があり周囲には運河が流れています。

運河沿いには多くのレストランが店を出し多くの人がくつろいでいます。

ロマンチックですね。

駅でアムステルダム行の列車を待っていたら時間になっても列車は来ません。

おじさんがこの列車は1時間遅れるので今向かいのホームに入った列車に乗った方がいいと教えられ駆け足で乗車する・・・助かった!

今日は少しハードな日程でした。万歩計は3万も表示しています。

本当に疲れました。

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2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅(その2)アムステルダム市内観光

2020年06月14日 10時30分27秒 | 2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅

2003年5月14日はアムステルダム市内観光です。

オランダの首都アムステルダムの街はその名の通りアムステル川の河口をダムでせき止めて造られました。

水を外にくみ出す必要があり多くの風車が設置されオランダを代表する景観を作り出しています。

また中央駅を中心に多くの運河が扇状に広がり正に水の都です。

17世紀には東インド会社の本拠地が置かれ7つの海へ乗り出した海洋王国オランダの中心地でもありました。

今日は生憎の小雨模様で寒い!着込んで出かけます。

宿のすぐ横にあるアムステルダムに唯一残る木造の「マヘレの跳ね橋」です。

世界遺産に指定されている運河沿いに歩きます。

街ができた経緯から起伏が少なく自転車が最適な交通手段なのです。専用レーンも整備されて安全に走ることができます。

朝一番で第二次世界大戦中にアンネの日記がかかれたアンネ・フランクの家へ。

もう団体が並んでいました。

3階へ進むと本棚がありそこが隠れ家の入り口になっています。

その先に3階、4階の部屋と屋根裏部屋がありますが意外と広いのには驚きました。

ここに8人の家族が住んでいました。

入り口が狭く中が広いと言う家の造りがナチを逃れる隠れ家を可能にしたのでしょう。

中は当時のまま残されており直筆の日記や当時の記録などが展示されています。

残念ながら終戦の前の年に密告により発見されお父さん以外の家族全員がアウシュビッツ収容所で亡くなりました。

日記は本や映画化もされ世界中の多くの人の胸を打ったのです。

次にこの町の発祥の地ダム広場へ。

王宮や教会そしてデパートなどのショッピングエリアが広がり多くの観光客が集まっています。

王宮は市庁舎として建てられましたがナポレオン皇帝の弟ルイ・ボナパルト王が王宮として使いました。

歴代のオランダ国王の戴冠式が行われた新教会です。

お店が連なるメーンストリート「ダムラク」を歩いてアムステルダム中央駅へ。

こんな光景もあります。

ルネッサンス様式のこの駅は東京駅のモデルとなったところでさらに佐世保のハウステンボスにある全日空ホテルもそっくりに造られています。

中世の見張り塔だったムント塔です。

運河の横にはホテル・デ・ヨーロッパがあります。

ハウステンボスにあるホテルヨーロッパはここがモデルです。

少し小型ですがそっくりでまるでハウステンボスにいるみたいです。

ムント塔近くの運河沿いにあるシンゲルの花市ではチューリップの球根など花々が売られています。

次に国立オランダ海洋博物館へ。

大航海時代に繁栄したオランダの船の模型や貯蔵品などが展示され歴史を見ることができます。

また帆船アムステルダム号が見学できます。

なかでも長崎出島の展示コーナーでは改めて長崎との関係の深さを痛感しました。

平戸市にもオランダ商館がありました。

トラムの一日乗車券を買いゴッホ美術館へ。

名画ひまわりや自画像などを見学。

ゴッホが日本の浮世絵にとても興味を持ち模写をしていたのには驚かされました。

夕食をしようとダム広場の近くを歩いていると中東系の店の主人が盛んに誘うので入ってみました。

写真のメニューでビーフを注文し半分ぐらい食べた頃、3人の客が入ってきましたが終わった終わったと言いながら帰しています。

なんだこんなに早いのに?・・・そのうち入り口を閉めて電気も消してしまいます。

どうしたのか?そのうちポリス!ポリス!と言いながら我々にも帰ってくれと・・・。

とうとうお金もとらずに追い出されてしまいました。

なにか悪いことをしているのでしょうか?結局だだで食べてしまいました。

この後食べることではもう一波乱がベルギーで待っていました。

旅の模様は右カテゴリー「2020ブログで蘇るオランダ、ベルギー、ドイツ、チェコの旅」でご覧ください。

「タマちゃんの海外旅行記」もご覧ください。


2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅(その1)オランダのアムステルダムへ

2020年06月13日 08時18分26秒 | 2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅

2003年5月13日は唐津経由で福岡空港国際線へ。

空港内の銀行でユーロに両替をする。

10:00発大韓航空でソウルへ。

ここからスイスのチューリッヒ経由でオランダのアムステルダムへ向かいます。

平常は毎日運行されているのですがSARSの影響でお客が減少したため週2便に減便され機体もジャンボから中型機に変更されてます。

ソウルのイーチョン空港も心なしか人が少ないようです。

去年のワールドカップサッカーの時が嘘のよう。

定刻の13:05にソウルを出発、定番のビビンバを食べビデオで映画を鑑賞し現地時間17:55(日本との時差7時間の遅れ)チューリッヒ空港に到着。

ここで乗り換えて21:15(7時間の遅れ)やっとアムステルダムのスキポール空港へ到着です。

暦上はその日に着いたのですが日本時間では翌日の午前4:15長い旅でした。

アムステルダムは曇っていますがまだ明るい。

入国はパスポートを見せるだけです。

空港地下にある鉄道駅からアムステルダム中央駅へ約20分、そこからタクシーで今日の宿B&Bへ向かいます。

立体映像が出るナビゲーターで無事に到着、ご主人のカルロス・デグチさんの出迎えを受けました。

オランダの家は入り口の広さで税金が変わったそうで入り口は狭く奥と上に細長く造られています。

部屋は4階のロフトです。

驚いたのはサンパウロ出身の彼のおじいさんがなんと佐世保出身のブラジル移民だったのです。

隠れキリシタンの黒島(2019世界遺産に指定)だそうです。

地球は狭いですね。

ここをベースに明日から観光のスタートです。

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2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅(プロローグ)

2020年06月12日 14時11分16秒 | 2020ブログで蘇るオランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅

今年2020は世界中が新型コロナウイルスの猛威にさらされて海外旅行ができる状況ではありません。

当初計画していたベトナム旅行、MLB大谷選手応援の旅も中止そして7月のアイスランド旅行も行くことができません。

少し収まったとはいえ自由に安心して海外旅行ができるのはいつになるのでしょうか?

世の中ではオンライン・ツアーと言う旅行が始まっています。

そこで私は過去に旅してホームページ「タマちゃんの海外旅行記」にまとめた旅行記をブログでリメイクしてみることにしました。

最初は2003年5月のオランダ、ベルギー、ドイツ、チェコの旅です。

ご存知かと思いますが佐世保にあるテーマパーク「ハウステンボス」はオランダの街並みを造ったものです。

オランダの宮殿をはじめ街並みがかなりこだわってそっくりに再現されています。

チューリップはもちろんですがぜひそのオリジナルを見てきたいと思っています。

ベルギー、ドイツ、チェコも歴史的建造物など見る物が沢山あります。

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