タマちゃんの旅ブログ

HP「タマちゃんの海外旅行記」のブログで海外旅行や国内旅行の旅先から更新したいと思っています

2016ハウステンボスはチューリップ祭真最中でした

2016年03月27日 08時45分32秒 | 故郷佐世保ハウステンボス

3月も終わりに近づいた26日(土)チューリップ祭で賑わうハウステンボスへ行ってきました。

2月8日から4月18日まで行われていますが、特に3月19日から4月11日までをスペシャルウイークと銘打って700種類のチューリップを見ることができます。

 ゲートを入ってすぐ続くフラワーロードには風車を囲んでチューリップが咲き乱れています。

 

 

 アムステルダム広場にはチューリップで作られた富士山が・・・。

宮殿には700種類の珍しいチューリップが咲いています。

 

 

 

 

  

 

 

こんなおめでたい光景もありました。

実は私の長女もここで結婚式をあげましたが居合わせたお客さん達からお祝いしていただいたのを思い出しました。

桜の開花宣言が出てから急激に冷え込んで桜も咲くのをためらっているようですがハウステンボスで春を満喫することができました。

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2016最初の花見長崎県波佐見町田ノ頭郷の枝垂桜は満開でした

2016年03月22日 14時27分13秒 | 2016桜を見る旅

今日22日(火)長崎県波佐見町田ノ頭郷にある枝垂桜を見に行ってきました。

樹齢100年以上と言われる枝ぶりの大きな桜は満開でとてもきれいでした。

好天に恵まれて報道関係の人やアマチュアカメラマンなど多くの人が訪れて感嘆の声を上げていました。

ソメイヨシノの開花宣言が出されましたがまだまだ見頃は先で、ここでは早めのお花見を楽しむことができました。

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2016柳川雛祭り「さげもんめぐり」おひな様水上パレードへ行ってきました

2016年03月20日 19時55分14秒 | 国内旅行

今日20日(日)福岡県柳川市で2月11日から4月3日まで行われている柳川雛祭り「さげもんめぐり」のおひな様水上パレードを見に行ってきました。

 「さげもん」とは江戸末期より女の子が生まれると初節句のお祝いに、御雛様の代わりに古着の端切れで小物を作り飾ってお祝いしたのが始まりだそうです。

水上やお店などいたる所にさげもんが飾られています。

北原白秋の故郷でもある水郷柳川の川下りは有名ですが、この日は可愛い稚児達が数隻の船に乗ってパレードをします。

公募で選ばれたお内裏様と御雛様も一緒です。

11:00白秋記念館近くの観光案内所前をスタートし約1時間かけて三柱神社まで水上パレードします。

コース周辺にはアマチュアカメラマンなど多くの観光客が来ています。

またパレードを見ようと多くの川下りの船が運行されています

ここは大相撲で前場所優勝した琴奨菊の出身地、優勝報告水上パレードはすごい人だったそうです。

観光案内所にもさげもんや御雛様が飾られていました。

今回が二度目でしたが好天気に恵まれて素晴らしい水上パレードでした。

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2002ドイツとオーストリア・スイスの旅(最終章)フランクフルトから帰国へ

2016年03月09日 07時04分59秒 | 2002ドイツとオーストリア・スイスの旅

6月27日帰国の途につきます。

ホテルのベランダはスイスらしい風景です。

ドイツ新幹線ICEでフランクフルトへ。

今回もコンパートメント席です。

19:45フランクフルト発大韓航空906便でソウル経由で福岡へ。

翌28日夜福岡空港へ無事到着しました。

 今回初めて鉄道を使って移動しましたがなかなか良いものですね。

ヨーロッパは鉄道網が良く整備され、割引パスも種々あるので便利です。

今回使ったのは「ユーレイルセレクトパスセーバー5日」で1人38,300円、隣接する3カ国を選び有効期間2ヶ月間の中で5日のみ1等車にペアーで乗り放題できる安くて便利なチケットです。

今回のコースは人気のツアーコースで、行く先々で多くの日本人と出会いました。

いつも思うのですが若い女性の一人旅が多く、男の子はなかなか見かけません。

女性が強いのでしょうか。

少々ハードなスケジュールでしたが、見ごたえのある思い出深い旅でした。

旅の模様は右カテゴリー「2002ドイツとオーストリア・スイスの旅」でご覧ください。

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2002ドイツとオーストリア・スイスの旅(その11)ユングフラウヨッホとシルトホルン展望台

2016年03月09日 06時23分00秒 | 2002ドイツとオーストリア・スイスの旅

6月26日今日はスイス最終日、朝から待ちに待った青空が広がっています!!

インターラーケン・オスト駅から登山電車でユングフラウヨッホの展望台へ向かいます。

途中の駅でなんとドイツで別れた日本人お2人とばったり・・・偶然の再会にお互い抱き合って喜びました。

一緒に頂上へ。

クライネシャイデックからユングフラウヨッホへ登る電車はそのほとんどがアイガーとメンヒの山をくりぬいたトンネルの中です。

全くすごい所に鉄道を引いたものです。

途中に2箇所駅があり岩壁に明けた窓からアイガーの壁を目の前に見ることができます。

映画アイガーザンクションでクリントイーストウッドがぶら下がっていた所です。

頂上駅もトンネルの中で、そこからエレベーターに乗り展望台(3573m)へ。

頭が少し重い感じがしますが最高の天気で目の前にメンヒ(4099m)、ユングフラウ(4158m)の山頂とヨーロッパ最大のアスレチック氷河をやっと見ることができました!

最終日に見ることができ本当に良かった!

やっと三日目にユングフラウヨッホ展望台からの景色が見れたと日本からのツアー客に話すと、今日1日だけの自分達の運の良さに感激していました。

帰りのクライネシャイデックでアイガーをバックに・・・。

もう1つ行きたい山頂が残っています。

映画「女王陛下の007」が撮影されたシルトホルン(2970m)です。

ケーブルカーとロープウェーを乗り継いで頂上展望台へ。

展望台は回転式で、映画の中ではジェームスボンドが激しく戦います。

着いたときには残念ながら雲が出始めておりパノラマの景色は見ることができませんでしたが素晴らしい絶景でした。

帰って映画で見ることにしよう。

ツアーで泊まったインターラーケンのホテルの前を通りました。

 

ホテルへ帰り例の2人連れと最後の夕食をとりました。

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2002ドイツとオーストリア・スイスの旅(その10)トリュンメルバッハの滝とメンリッヘンを歩く

2016年03月09日 04時40分30秒 | 2002ドイツとオーストリア・スイスの旅

6月25日何という事でしょうか今日も雨が降っています。

山は無理なのでラウターブルンネン近くにあるトリュンメルバッハの滝へ。

岸壁の中をすさまじい勢いで氷河が溶けた水が流れ落ちていますが外からはほとんど見ることが出来きません。

近づくと怖いほどの迫力です。

野生ではほとんど見ることができないエーデルワイスの花が・・・。

午後はヴェンゲンからロープウェーで標高2,239mのメンリッヘンへ。

後方はグリンデルワルトから登ってくるロープウエイです。

まだ霧の中、晴れていれば目の前に雄大なアイガーやユングフラウなどの山々が見えるのですが・・・残念です。

ここからユングフラウ登山鉄道のクライネシャイデック駅まで1時間ほどのハイキングです。

2年前のツアーでは傘をさして歩きましたが今日も視界が良くありません。

でも、道路が良く整備されており安全なので老夫婦をなど多くの人が歩いています。

お花畑を見ながら歩きます。

クライネシャイデック駅近くにはアイガーなどに関する小説を書いた新田次郎の碑があります。

クライネシャイデックで天気の回復を待ちますが晴れそうも無くあきらめて下山することに。

今日は麓の町インターラーケンへホテルを変わるためグリンデルワルトのホテルでバッグを受け取り山を降ります。

ホテルは1階がメキシコ料理店になっており夕食に注文した料理は激辛でした。

いよいよ明日はここでの最終日天気が回復しますように!

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2002ドイツとオーストリア・スイスの旅(その9)フィルスト展望台へ

2016年03月08日 09時12分38秒 | 2002ドイツとオーストリア・スイスの旅

今日6月24日からスイスアルプスの代表的な山アイガーやメンヒ、ユングフラウなどがそびえるベルナーオーバーラント地方を見てまわります。

そして今回の最大の目的は前回のツアーで悪天候のため見ることが出来なかったユングフラウヨッホ展望台からの景色を見ることです。

朝ホテルで目を覚ますとなんと雨が降っているではないですか。

朝食で会った大阪からおいでの老夫婦によると昨日まではとても良い天気で久しぶりの雨だそうです。

2年前に来た時も雨で展望台からの景色は見ることができず再挑戦なのに・・・。

グリンデルワルトから登山電車でユングフラウヨッホへの登山鉄道の乗換駅クライネシャイデックへ。

アイガーやメンヒの岩山の中を掘ったトンネルを列車は登って行きますがスイスの人はすごいことやりますね。

残念ながら山には雲がかかっており今日展望台まで登ることはあきらめます。

今回は3日間の余裕があるので晴れるのを待とう。

 

ロッククライミングで有名なアイガーにも雲が・・・。

グリンデルワルトからロープウェーでアイガーと反対側にあるフィルスト展望台(2171m)へ行くことに・・・。

ここからの眺めは素晴らしく、またいろんな花が咲き乱れるお花畑としても有名です。

展望台へ着いたころからにわかに雲が取れ始めあっという間に雄大なパノラマが広がってきました。

 

アイガーです。その後方にユングフラウ4,158mがあります。

グリンデルワルト氷河も見えています。

左奥の山がシュレックホルン4,078mで、氷河も見えています。

アイガーをはじめユングフラウの山々が目の前に雄大な景色を見せています。

天気が良くなったので帰りはお花畑の中をロープウエイ1駅区間歩くことに。

少しづつ雲がかかってきましたが最高のハイキングでした。

夕食で大阪から来ておられる老夫婦とご一緒しましたが、毎年1ヶ月間スイスに来ておられ、自分はスイス病だと言われていました。

聞いたことも無いような小さな町まで詳しく調べてまわられています。

確かにスイスにとりつかれ毎年きている人が多いようです。

羨ましい!スイス病になりたい!

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2002ドイツとオーストリア・スイスの旅(その8)ウィーンからスイスへ

2016年03月08日 05時15分37秒 | 2002ドイツとオーストリア・スイスの旅

6月23日はウィーンからスイスへ移動します。

長時間の列車の旅となるため駅のコンビニでパンや果物などの食料と飲み物を買って7:16発スイス・チューリッヒ行きの列車へ。

席は1等のコンパートメントです。

乗客は少なくゆっくり座れました。

コンパートメントは海外でしか経験できませんが個室で両側に3席づつありゆったりして室内も広い。

肘掛を上げるとベットにもなります。

ザルツブルグを通りインスブルグへ着くころには両側の窓に白い雪が残る高い山が目立ってきました。

いよいよ列車はアルプス越えです。

2年前スイスツアーで寄った世界で3番目に小さい国リヒテンシュタット公国を通りチューリッヒへ到着。

列車を乗り換えベルンへ。

ベルンで再度乗り換えてスイスアルプスの麓の町インターラーケンへ。

ベルン駅で初めて学生らしい外国人の女性にホームを聞かれる。

インターラーケンへ行くとの事で同じ車両に乗る。アメリカのLAから来たそうで、リュックを背負いなかなか元気でした。

インターラーケンから登山電車で今日の宿泊地グリンデルワルトに着いたのは9時近くになっていました。

ホテルからアイガーの北壁が目の前に見えている。

明日が楽しみです。

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2002ドイツとオーストリア・スイスの旅(その7)ウィーン市内観光

2016年03月07日 11時05分27秒 | 2002ドイツとオーストリア・スイスの旅

6月22日はウィーン市内観光です。

最初に地下鉄でシェーンブルン宮殿へ。

ハプスブルグ家の離宮でフランスのベルサイユ宮殿に対抗して造られ宮殿も庭も実によく似ています。

マリーアントワネットがフランスに嫁ぐ15才までここで育ち、モーツアルトが6才で初めて御前演奏をした宮殿です。

豪華な部屋をハンディフォンで説明を聞きながら見てまわります。

地下鉄で市の中心部旧市街へ。

突然車の警笛を鳴らしながら赤い旗をなびかせた集団が次から次と走ってくる。

ウィーンにも暴走族がいるの?どうやらトルコ人らしくサッカーワールドカップでの勝利を喜んでいるようです。

騒ぎが1時間も続いたでしょうか。

ウィーンのシンボルシュテファン寺院です。

ブルク公園のモーツアルト像です。

オペラ座、美術史美術館などを見学し夜は久しぶりに中国人の店でにぎり寿しと鍋焼きうどんを食べました。

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2002ドイツとオーストリア・スイスの旅(その6)ザルツブルク経由でウィーンへ

2016年03月07日 10時25分55秒 | 2002ドイツとオーストリア・スイスの旅

6月21日はミュンヘンからオーストリアのザルツブルグ経由で首都ウィーンへ移動します。

ユーロシティ特急でザルツブルグへ。

ここは天才音楽家モーツワルトが生まれた町で、映画サウンド・オブ・ミュージックの撮影場所としても有名です。

毎年ザルツブルク音楽祭が開かれます。

駅のコインロッカーに苦労しながら荷物を預けて市内へ。

ドレミの歌を歌った美しいミラベル庭園をはじめモーツワルト小橋、教会、墓など映画の風景が広がっています。

後方高台にはホーエンザルツブルグ城が見えています。

帰ったらもう一度映画を見よう!

モーツワルトが生まれ育った家を見学、本人が使用した楽器や自筆の楽譜、手紙などが展示されています。

午後の列車でウィーンへ。

途中車掌がまわってきて何か言った後急に車内が騒々しくなりました。

どうやら列車事故が起きてバスに乗りかえるらしい。

この暑いのになんということだ。

結局1区間をバスで行き次の駅から列車に乗ってウィーンへ着いたのは夜の6:00で1時間遅れでした。

疲れてホテルへ到着。

暑い中水も切れて少し脱水症状になったのかその夜はお腹が痛くて寝つけませんでした。

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2002ドイツとオーストリア・スイスの旅(その5)ミュンヘン市内観光

2016年03月07日 10時00分34秒 | 2002ドイツとオーストリア・スイスの旅

6月20日はミュンヘン市内観光です。

2階建てのオープン観光バスでガイドフォンの日本語案内を聞きながら約1時間ミュンヘン市内をまわります。

ヒットラーのナチ本部など市内の要所をバスの中から案内してくれます。

その後帰りの航空券のリコンファーム(再確認)を電話で済ませ、レジデンツ博物館へ。

王宮跡で、建物も素晴らしいが、宝物など豪華な品物も展示されています。

野外市場のビアガーデンでビールを飲みながら昼食。ここも人が多い。

17時に市庁舎にあるドイツ最大の仕掛け時計を見る。この時間になると人がどこからとも無く集まって来ます。

100年以上も前に作られたにしては良くできていますね。

夜はホーフブロイハウスへ。

ここはヒットラーがしばしば演説を行った所で昔の王宮ビール醸造所跡です。

今はビヤホールになっており観光客も多い。

バンド演奏で踊る人など皆さん陽気に騒いでいます。

盛り上がってドイツ人の若者と乾杯し一緒に写真に収まる。

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2002ドイツとオーストリア・スイスの旅(その4)ノイシュヴァンシュタイン城からミュンヘンへ

2016年03月06日 14時40分56秒 | 2002ドイツとオーストリア・スイスの旅

6月19日は白鳥城として有名なノイシュヴァンシュタイン城へ。

ここは前半のメインポイントです。

ミニバスに乗って山の上へ。

途中カメラの撮影ポイントのマリエン橋からのお城の眺めが素晴らしかった。

このお城はバイエルン国王ルートビッヒ2世がつくった白亜の美しい城でまるでおとぎの世界にいるようです。

良くカレンダーなどでも見ることができる素敵なお城です。

日本語のガイドフォンを聞きながら見学、ここも多くの観光客で賑わっていました。

ルートヴィヒ2世が子供時代を過ごしたホーエンシュヴァンガウ城を見学し、列車でミュンヘンへ。

この日もすごい暑さでしたが列車にも冷房は入っていません。

ホテルも暖房装置はありますが冷房装置はついていません。ドイツ人は非常に我慢強いようです。

ミュンヘンのホテルへ行くとなんとここも予約がキャンセルされていました。

確かに2泊を1泊にできないかとメールはしたのですが・・・。

またまた、近くのホテルを紹介してもらいやっと落ち着くことがでました。

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2002ドイツとオーストリア・スイスの旅(その3)ロマンチック街道をフュッセンへ

2016年03月06日 13時51分00秒 | 2002ドイツとオーストリア・スイスの旅

6月18日はフランクフルトからロマンチック街道をフュッセンへ。

フランクフルト中央駅から朝8:00発の観光用ヨーロッパバスに乗ります。

観光街道として有名なロマンチック街道を中世の町並みや田園風景を見ながらノイシュヴァンシュタイン城(白鳥の城)があるフュッセンまで12時間をかけて走ります。

ガイドはテープで日本語も流れてきます。

まだシーズンではないので乗客は少なく日本人5人とアメリカ系の女性2人だけです。

日本人の方は赤穂から来た1人旅の女性と東京と仙台からの男女一組です。

中世の面影を完璧に残した町ローテンブルクで2時間の休憩があり、城壁に囲まれた町を散歩する。

フュッセンについたのは夜の8時過ぎ、まだ明るい中到着です。

明日はノイシュヴァンスタイン城へ行きます。

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2002ドイツとオーストリア・スイスの旅(その2)ライン川クルーズ

2016年03月06日 08時41分09秒 | 2002ドイツとオーストリア・スイスの旅

6月17日はライン川クルーズです。

日本で買ったイギリストーマスクック社のヨーロッパ鉄道時刻表とガイドブックを手にフランクフルト駅へ。

普通列車で発船地のリューデスハイムへ。ここからザンクト・ゴアハウゼンまで約2時間の船旅です。

 

ここは「ドイツロマンチック街道とスイスアルプスの旅」の出発地でもあり日本人ツアー客の多いこと多いこと。

もちろん外国の方も大勢乗っています。

左右に古城や美しい町並み、ブドウ畑などを眺めながらのんびりと川くだりを楽みます。

 プファルツ城です。

後方は音楽の時間に習った歌で有名なローレライ伝説の難所です。

なにしろヨーロッパは50年ぶりの暑さだそうで暑い事。

帰りの列車でついついうとうとしてしまい乗り過ごしビースバーデンという町へ行ってしまいました。

何とかフランクフルトへ戻り明日のロマンチック街道バスの予約と両替をしてホテルへ。

休憩後町へ出てみる。

あのゲーテハウスはもう閉館していましたが、大聖堂や旧市庁舎など古い町並みは見ごたえがありました。

カフェでドイツビールとソーセージ料理を食べる。

ドイツの人は老若男女を問わず昼間から水代わりにビールを美味しそうに飲んでいる。また、安いのです。

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2002ドイツとオーストリア・スイスの旅(その1)フランクフルトへいきなりトラブルです

2016年03月06日 05時25分34秒 | 2002ドイツとオーストリア・スイスの旅

2002年に行ったドイツロマンチック街道と音楽の都オーストリアそしてスイスアルプスの旅をブログでリメークしてみました。

6月16日は福岡からドイツのフランクフルトへ。

朝6時佐世保を出発し高速で福岡空港国際線へ。

10:00発大韓航空782便でソウルへ。

ソウルで乗り換えてフランクフルトへ行く予定でしたが、なんと3日前に旅行代理店のHISから電話がありダブルブッキング(2重予約)でソウルからの席が無いためパリ経由でどうかと打診される。

エッあんなに早く予約したのに!と思いながらも、2人で6万円の節約かとついそちらへ決めてしまいました。

往復6.5万円の格安航空券となったのが、これが後から大変なことになるとは・・・。

ソウルのイーチョン(仁川)空港は広いし、拡張余地も十分あり日本にとっては羨ましいかぎりだ。

ソウルからパリへの便は満員でほとんどがフランス人の男性でした。

韓国で行われているサッカーワールドカップのサポーターたちと思われます。チームは負けても皆元気で賑やかだ。

北京を過ぎてモンゴルへ向かうルートは一面の砂漠で、まるで月の表面を飛んでいるようです。

シベリアに入ると荒涼たる湿地帯が続き人の住んでいる町らしきものは見えません。

現地時間(日本との時差7時間遅れ)18:25にパリドゴール空港へ到着。

20:10発エールフランス機に乗り換えフランクフルト空港へ着いたのが21:35で、こちらは日が長いようでやっと暗くなってきました。

ユーロになって単一通貨となり入国もどこかで1回済ませれば後は入国カードもパスポートも要らず大変便利になった。

空港から鉄道でフランクフルト中央駅へ着いたのは23:00を過ぎていました。

駅の近くの予約していたホテルへ行きチェックインをしようとすると、うちはインターネットでの予約はしていないと言う。

エッでもガイドブックのメールアドレスは間違っていないし待っていますとのメールを受けているのに。

どうやら別のホテルのようでそこへ電話してくれたのですがそこにも予約は無いと言う。

一体どう言うことだ!ここも空きが無いとのこと。

こんなに遅くどうなるのか?心配していると何やら電話をしてくれて同じ料金で近くのホテルを紹介してくれて一安心です。

そのホテルの主人はジャパン、サッカーナンバー1などと言いながら部屋へ案内してくれた。もう12時近になっていました。

初日から波乱のスタートです。

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