タマちゃんの旅ブログ

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2004古代文明の国エジプトとギリシャの旅(その7)オリンピック間近のアテネ

2016年12月15日 15時19分22秒 | 2004エジプトとギ...

7月1日はアテネ観光です。

歩いてアテネのシンボルアクロポリスへ。

「高い丘の上の都市」と言う意味。前方の小高い丘の上にアクロポリスを見ながら大通りを進む。

アテネの胃袋をまかなう現代のアゴラである市場街を通り坂道を登っていく。

中に入るとあのパルテノン神殿が雄大な姿を表す。

2500年前に建てられ、横31m、縦70m、高さ10mで下部の直径が2mもある柱が46本立っている。

建設当事は彫刻像や浮き彫りなどで飾られた一大芸術品であったが、戦争時トルコが弾薬庫として使うなど今はその面影は無い。

その一部を以前イギリスの大英博物館で見学した時にガイドさんが説明していた。でも今盛んに復元工事がなされている。

丘の上からはアテネの町が一望できる。

すぐ横に古代アテネのディオニソス劇場の遺跡が見えている。

その隣に161年に建設されたイロド・アティコス音楽堂がある。

現在も演劇やコンサートなどに使われている。正面に日本人の看板が出ている。実はここで野村万斎の演劇が上演されたのだ。

帰りの飛行機で一緒になった日本人の青年によるとわざわざこれを見に来たとのこと。日本人関係者が多く、最前列で森元総理も見ていたらしい。

休憩をしていると叔父さんが寄ってきて日本人かと聞く。日本語が上手で日本が大好きと言う。驚いたことに九州に詳しい。

福岡、佐賀、長崎、諫早、はたまたハウステンボスまで言葉に出てくる。随分ゆっくり九州を見て廻ったようだ。

次に1896年第1回近代オリンピックの会場となったパナティナイコ・スタジアムへ。

約5万人を収容できる大理石の観客席を持つ古代風の競技場で、今回はここがマラソンのゴールになる。

 

トロリーバスで中心地シンタグマ広場へ。広場は模様替え中で入れない。

その前には国会議事堂がある。初代ギリシャ国王のオットーの王宮として建てられた物だ。

19世紀の頃の家並みがそのまま残るプラカ地区へ。

道も狭く入組んでいる。人通りも多くレストラン、みやげ物店、アクセサリー店がぎっしりと並んでいる。途中オリンピックグッズ専門の店もある。

地下鉄で今回のオリンピックのメーン会場を見に行く。地下鉄を降りると駅はまだ工事中。正面ゲートも出来ていないしもちろん中には入れない。

ここにはメーンスタジアムをはじめ体育館やプールなどが集まっている。道路沿いに迂回してみると少し見えてくる。

道路からビデオを撮っていたグループが警官から何か注意されている。警官にメーンスタジアムの場所を聞くと親切に見える場所を教えてくれた。

歩いて約500m行くと右手に見えてきた。かなり近くでスタジアムを見ることが出来た。

まだ天井を張っているようだ。周囲も植木を植えたり盛んに工事をしている。

いよいよ今日がアテネ最後の夜だ。お土産を買いに再び町へ。夕食は日本食レストラン風林火山でカツと皿うどんをとる。女将さんは日本人だ。

7月2日は帰国の途へ。

地下鉄とバスを利用して空港へ。14:00発シンガポール航空は満員だ。イラク上空は避けているのかトルコ、イラン、インド上空を経由して一路シンガポールへ。

窓から見たイランの砂漠地帯は高い山もあるが全く緑の無い荒涼たる大地が続いている。

エジプトも同じだが国は広いけど使える土地は少ないようだ。

各シートにビデオが付いており、多くのメニューの中からオンデマンドで映画を見ることが出来る。結構退屈しないが睡眠不足になる。

7月3日朝6時にシンガポール到着。

岡行きは明日の午前1時だし19時間をどう過ごすか。

レストエリアで休憩後トランジット客を対象に実施されている無料のシンガポール市内観光ツアーへ参加する。

久しぶりのシンガポールだが眠たくて眠たくて目を空けているのがやっとだった。

7月4日朝8時に無事福岡空港へ到着。 

オリンピック前にどうしてもギリシャを見ておきたかったのでこの季節に計画したがエジプトは本当に暑かった。

4000年も5000年も前に母なるナイル川沿いに古代文明が発生し巨大なピラミッドや神殿などを至る所に造っている。

こんなに暑い国に。そのエネルギーには感心するばかりだ。

クレオパトラには巡りあわなかったけど、女性達はまだ黒い布を身にまといあまり表に出ない。

だがこのイスラム圏の国はまだかなり貧困層が多いようで、これらの人々の生活が向上しない限り世界からテロは無くならないなと思う。

オリンピックを前にしたアテネはあまりそのムードが盛り上がっているようには見えなかったが、ギリシャ人はその時にならないと動かないと言う気質があるみたいできっと盛り上がり成功するだろう。

評判どおり世界のリゾート地エーゲ海は綺麗なところだ。今回は1つの島だけしか行けなかったがゆっくり島をまわると最高だろう。

実に素晴らしい旅だった。

旅の模様は右カテゴリー「2004エジプトとギリシャの旅」でご覧ください。  

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2004古代文明の国エジプトとギリシャの旅(その6)エーゲ海サントリーニ島

2016年12月15日 14時42分25秒 | 2004エジプトとギ...

6月28日はギリシャのエーゲ海サントリーニ島へ。

タクシーで空港へ。10:00発エジプト航空でアテネへ向かうがやはり乗務員は男性ばかり。もちろんお酒も出ない。

地中海へ流れ込むナイル川沿いは大きくデルタが広がり緑の大地が広がっている。

地中海へ出てクレタ島上空を通りエーゲ海へ。

ギリシャは島の多い国で夏はヨーロッパなどからリゾート客が押し寄せる。真下に一番人気があり今日の目的地サントリーニ島が見えている。

アテネ国際空港に到着。ユーロ圏なので入国はパスポートのみで非常にスムーズ。

帰りの航空券のリコンファームをシンガポール航空の事務所で済ませる。

ギリシャはオリンピック航空が大きいがサントリーニ島行きはインターネットで予約していたエージアン航空で行く。

オリンピックまで後1月半だがあまりそのムードは感じられない。

17:00アテネを出発し約1時間で到着する。

ここは火山島で阿蘇のカルデラが途中まで海に沈み中岳と外輪山が幾つかの島に分かれたと思えば分かりやすい。上空から見ると良く分かる。

風が強い。タクシーでホテルコスタマリーナビラへ。白い地中海風のきれいな建物で周囲は花で囲まれており部屋も新しく落ち着いた雰囲気だ。

休憩後フィラの町に出てみる。

細い路地にはお土産屋さんやレストランが並んでいる。

先に進むと視界が開け崖下にはエーゲ海の真っ青な海があり、大きなクルーズ船が数隻停泊している。

輪山の崖の上にへばりつくように白い家々が立ち並ぶ姿は遠くから見るとまるで雪が積もっているように見える。

実に素晴らしい景色だ。

夕食は中華料理にするがあまり美味しくなかった。

6月29日は島内観光とサンセット。

近くの旅行代理店でレンタカーを借りることに。韓国ヒュンダイ社の普通車、エアコン付で24時間30ユーロだ。

左ハンドルで右側通行。少し運転すると慣れてくる。道を間違えて島で最も高いテレビ塔がある場所へ。ここからは島の大部分が見渡せる見事なパノラマビューだ。

アクロティリ遺跡へ。紀元前1500年前の火山の爆発で埋もれていた町が

発掘されている。

有名なビーチが幾つかあるが、ホテルの叔父さんが推薦してくれたペリボロスビーチへ。黒い砂のビーチにパラソルが並び多くの人が肌を焼いている。

我々も久しぶりに水着に着替えて仲間入り。周囲を良く見ると上は着けていない女性がかなり居る。全く気にしていないようだ。

次に有名なカマリビーチへ行ってみることに。ここも同じように多くの人が本を読んだりしてのんびりとくつろいでいる。

7月8月になるともっと多くの人が各国から長期休暇に押し寄せるそうだ。有給休暇も満足に取れなかった我々日本人にとっては羨ましい限りだ。

ホテルで休憩後夕日で有名なイアの町へ。島の北の端にある小さな町だが、崖には白い壁に青い屋根の教会や民家が段々に建っている。

それと夕焼けがマッチして素晴らしいので夕方から多くの人が集まってくるのだ。

仕事をリタイアし1人で旅行していると言う奈良県出身の青年T君と一緒になる。今回はなかなか日本人に会わなかったので懐かしい。

8時過ぎにようやく太陽が沈み始める。黄金色に染まる周りはいつのまにか多くの人で埋め尽くされている。

真っ赤な太陽があっという間に水平線へ吸い込まれていった。帰りは青年を一緒に乗せて帰る。

6月30日は約3時間の火山と温泉ツアーに参加する。

海上からサントリーニ島を見学する。

ロープウェーで港まで降りていくと崖の上に張り付くように家が建っている。

港には数隻のクルーズ船が停泊している。

11:00帆船にのって火山島へ出発する。最近では1956年に大噴火が起こりフィラやイアの町は殆どが崩壊したとのこと。

約30分歩いて火口へ向かう。結構な山登りだ。「どうしてお金を払ってまでもこんなきつい思いをしなければいけないの」とぼやきながら登る。活火山の割には意外と静かだ。

ここから見るサントリーニ島はまた美しい。

次は隣の小さな島にある温泉に向かう。湾の中に入っていくと何隻かの船がすでにとまっている。

するとお客が皆水着に着替えだした。そして次から次に海へ飛びこみ離れた赤茶けた色の入り江に向かって泳ぎ出した。

日本の温泉とは大違いで、入り江に温泉が湧いているのだ。

すでに泳いで自分の船に帰る人もいる。子供連れ、恋人同士、老夫婦など外国の人は元気がある。我々は黙って見守るのみ。すごいツアーだった。

今夜はアテネへ移動するのでバスで飛行場へ。18:20発でアテネ空港へ。

バスと地下鉄を乗り継ぎオモニア広場へそこから歩いてホテルアマリリスへ行く。

テレビをつけるとサッカーの中継があっている。今回ギリシャが優勝したユーロの大会でのギリシャ対チェコの準決勝があっている。

疲れてやすんでしまったが夜中に突然叫び声が聞こえ外は大騒ぎになった。

どんどんと花火も上がり始めた。しばらく車の警笛やパトカーのサイレンが鳴り響きアテネの町はお祭り騒ぎ。

結局ポルトガルも破って優勝。これでオリンピックに弾みがつけばいいが。

旅の模様は右カテゴリー「2004エジプトとギリシャの旅」でご覧ください。 

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2004古代文明の国エジプトとギリシャの旅(その5)カイロ

2016年12月15日 14時30分17秒 | 2004エジプトとギ...

6月26日朝6:45カイロ駅に到着。

ぐっすり休んだので少し元気になったようだ。

タクシーでホテルへ。部屋がまだ空いていないのでロビーで休憩する。

日本人の男女と一緒になる。後で分かったのだが男性は丸山さんと言う現地のガイドさんで地球の歩き方の本の執筆者でもあった。

休憩後地下鉄でオールドカイロへ。料金は75ピアストル(15円)で前2両は女性専用車だ。

オールドカイロとはカイロ発祥の地でローマ時代の遺跡がある。アラブ人が侵入する前でキリスト教が信仰されていた。

駅のすぐ前にある聖ジョージ修道院を見学する。

地下鉄でタフリー広場へ戻る。

公衆電話で日本へ電話するが3分約1000円と高い。

歩いてナイル川の河畔へ行くとクルーズ船や対岸にはカイロタワーが見えている。

ホテルヒルトンのモールで昼食を取りホテルへ帰って休憩をとる。

今夜は丸山さんから是非見てくださいと勧められていたスーフィーダンスをイスラム地区のムハンマド・アリ・モスクへ見に行くことにする。

ホテルのフロントマンにタクシー用に行き先のメモをしてもらい順調に予定価格で行くが、離れたところで下ろされたため地図を見ながら歩くことに。

会場に来ると珍しく日本人が多い。伝統的なこの踊りはアラブ風のラッパや太鼓などの音楽で女性に扮した男性が美しい衣装を着て激しく回転しながら舞うのだ。

目が廻りそう。出演者はすべて男性。イスラム社会ではなかなか女性は表に出ない。

飛行機の乗務員も同じで男性ばかりだった。帰りは会場で会った丸山さん達と一緒にホテルへ帰る。

6月27日はエジプト最後の日。お土産を買いに有名なハーン・ハリーリ市場へ。

価格なんてあってないようなもの交渉次第で幾らでも安くなる。

ということはかなり高い値段をつけていることか。一度値段を聞くとつかんで離さない。結局貝装飾の宝石箱とパピルスの絵を購入。

帰りのタクシーも20ポンドと言うのを5ポンドですませる。やっと慣れたときはお別れだ。

夕食は久しぶりに日本食が恋しくて近くの韓国レストランへ。玉子スープ。餃子、チャーハンを注文。

特にキューリの酢の物が最高に美味しかった。隣の席に日本人ビジネスマンが2人来るが、彼らはタクシーで毎日通っているそうだ。

現地の食べ物も食べては見るがなかなか日本人の口には合わない。

明日の空港行きのタクシーを予約する。日本の話をして仲良くなったフロントマンが記念にとエジプトコインを持ってき、明日は居ないので元気で旅行してくれと言う。

エジプト人は気さくで人の良い人が多いだろうが、声をかけられても警戒が先にたち失礼したことが多かったかもと少し反省する。

旅の模様は右カテゴリー「2004エジプトとギリシャの旅」でご覧ください。  

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2004古代文明の国エジプトとギリシャの旅(その4)ルクソール

2016年12月15日 14時11分43秒 | 2004エジプトとギ...

6月25日はルクソールの観光です。

どうも2人ともお腹をこわしたようだ。昨日途中で買った水が良くなかったかも。ここでは詰め替えて新品にみせかけたミネラルウオーターが横行しているらしい。

朝8時にタクシーで出発し大きく遠回りしてナイル川にかかる橋を渡る。

最初に王家の谷へ。

王様達は盗掘を防ぐためナイル川西岸の奥深い谷に墓地を作った。

しかし殆どが盗掘され残ったのが有名なツタンカーメンの墓だけだった。

遺品は前述の通りカイロの考古学博物館に展示されている。

ここまで来ると外国からの観光客で賑わっている。もう随分温度も上がってきたようだ。駐車場から電気自動車で墓まで運んでくれるがこれでも助かる。

ツタンカーメンの墓は驚くほど小さくここにあんな財宝が眠っていたとは。いずれにしても盗掘されてなくて本当に良かった。

次にエジプト初の女王ハトシェプスト女王葬祭殿へ。

ここは以前ゲリラの襲撃を受け多数が死傷したところだ。日本人の新婚さん約10人も無くなっている。

山の上や周辺には軍隊が警備しているが、ここで襲われたら逃げ場が無いなあ思った。

東岸へ戻りカルナック神殿へ。エジプトで最大規模の遺跡だそうだ。

入口にはスフインクスが左右に並んでおり、その先には高さ20mの巨大な柱が134本並ぶ大列柱室があるなどかなりの部分がそのまま残されており迫力がある。

多くの観光客で賑わっている。

お昼頃ホテルへ帰るが、今夜21:40の夜行列車ワゴンリーでカイロへ戻る予定なのでホテルを延長して部屋で休憩することに。

カイロのホテルと駅であった夫婦と再開する。この後シナイ半島のリゾート地へ行くとのこと。

夕方近くにあるルクソール博物館へ。ルクソールにある遺跡からの遺物が展示されている近代的な博物館だ。

歩いて駅に向かおうと一歩ホテルを出るとタクシーと馬車が乗れ乗れと誘ってくる。とうとう駅の近くまでついてくる馬車もあった。

駅構内は相変わらず列車の時刻やホームの表示は一切無い。ポリスと書いた服を着ている人は多いが駅員らしい人はいない。ここのポリスは不親切だ。

ホームで小学生らしい子供達を連れた女性と一緒になる。夏休みを利用してカイロのおばさんの家に行くそうだ。

駅が蒸し暑く相棒の体調が良くない。やっと乗車したが相棒は夕食も取らずに休むことに。

旅の模様は右カテゴリー「2004エジプトとギリシャの旅」でご覧ください。 

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2004古代文明の国エジプトとギリシャの旅(その3)古代遺跡アブシンベル神殿

2016年12月15日 09時01分25秒 | 2004エジプトとギ...

6月24日はアスワンから南へ280Km、スーダンとの国境近くにある古代遺跡アブシンベル神殿へ。

タクシーで空港へ行き7:25発エジプト航空でアブシンベルへ。

アスワンハイダムでできた巨大なナセル湖と広大な砂漠を見ながら約1時間の飛行だが、これだけ飛んだのにまだナセル湖の上とは実に広い。

エジプト航空のバスで神殿まで行くと日本人の夫婦と会う。ツアーで来たが二人だけだそうだ。しかもガイドもついている。

今回の旅で日本人はほとんど見かけなかった。ありがたいお誘いを受け一緒に見学することに。

 

アスワンハイダム建設時に水没から救うため国際的援助により約5年かけ巨大な神殿はブロックに分けられて移転されたそうです。

 

巨大なファラオ・ラムセス2世像が4体正面に座る大神殿が目の前に・・・素晴らしい。

その横には王妃ネフェルトアリの小神殿がある。

中に入ると部屋がいくつかに分かれており壁には当時の戦争の場面などが見事に描かれている。

ナイルの果てにこれほど巨大な建造物を作るとは、権力の大きさを感じる。まさに感動ものだ。

帰りも空路アスワンへ。

タクシーであのアスワンハイダムへ寄る。幅3600m高さ111mの巨大なダムで全長500Kmに及ぶナセル湖を造っている。

ホテルのロビーで赤ちゃんと子供を連れたエジプトの家族と一緒になる。

我々の初孫の写真を見せるとちょうど同じぐらいの年齢でもあり気持ちが通じ一緒に写真におさまる。

エジプト英語は独特のなまり(30をサルティ、40をフォルティとRを発音するなど)があるが結構話せる人が多い。日本も見習う必要がある。

列車で次の観光地ルクソールへ向かう予定だったが時間があり過ぎるのでバスで早めに行こうと変更することにする。

これが大きな間違いであった!

タクシーでバスセンターへ。停車していたバスにタクシーの運ちゃんが案内してくれ滑り込みで乗車。

子供連れや兵隊さんなどで満員だ。

カーテンを締め切ってバスは走るが灼熱の太陽の下でだんだん冷房も効かなくなってくるし、また、息苦しくなってくる。

やたらとバスが止まりその都度大きな荷物の積み下ろしをしている。こんな状態で本当に3時間でルクソールへ着くのかだんだん心配になってきた。

3時間も過ぎた頃バスが停車して皆が降りだした。着いたかなと思うとどうも違う。売店があり椅子が並べられたどうも休憩所みたいだ。

お客は思い思いに飲み物を飲んだりしている。どうやらバスを乗り間違えたようだ。相棒もこの暑さで車に酔ったようだ。

列車にしておけばと後悔しても後の祭。店でミネラルウォーターを買う。これがまたまた間違いのもととなる。

出発して約1時間後車掌がルクソールだと言って道路脇で下ろされたがどうも周囲はそんな町の様子は無い。

後で分かったことだが乗ったバスはもっと先まで行く長距離バスで我々は町の入口で下ろされたのだ。

軍隊が警備しており、こんな所で降りた日本人は珍しいのですぐ呼ばれてどこに行くかと聞かれる。

一般の車を止めてホテルへ連れていけとまで言ってくれる。そこにタクシーが通りかかり一安心だ。

バス停から歩いて行けると思っていたがとんでもなかった。大失敗で本当に疲れた。

ルクソールのホテルは欧米人が泊まるきれいなホテルだった。それでもツインで35US$と安い。

次の日の観光は暑いので欲張らずにポイントを絞って見ようとタクシーをフロントで予約する。

夜タクシーの運ちゃんから直接部屋に電話があり70ポンドはエアコンが付いていないエアコン付きは120ポンドだと言う。

了解したものの後で考えたら運転手にはめられたかもかもしれない。

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2004古代文明の国エジプトとギリシャの旅(その2)アスワンでナイル川クルーズ

2016年12月14日 20時53分35秒 | 2004エジプトとギ...

夜行列車で次の目的地アスワンへ向かう。

ホテルでキャンセルした分のツアー代金を230US$を返して貰うが何故キャンセルするのかとしつこく聞く。

駅まで送ると言っていたが機嫌が悪くその気配も無いのでタクシーを拾う。30ポンドという。どうも交渉は難しい。

駅に着くとさっきまでホテルにいたヨーロッパ系の夫婦と出会いタクシー料金を聞くと5ポンドで来たそうだ。

そんな!後で聞いたことだが交渉はしないほうが良いとのこと。相場を知っておいて黙ってお金を置いていったが良いとのこと。でも日本人と見るとぼってくる。

カイロのラムセス駅に着くとポリスが切符を見せろと言いついて来いと言う。こわごわ付いて行くと乗り場を教えてくれた。親切だ!

駅には日本と違い列車の時刻表示やホームの表示などは全くなくとても分かりにくい。

オリエント急行などで有名なワゴンリー社が運営する寝台列車はコンパートメント方式で2人で1部屋になっておりホテルに泊まるようなものだ。

料金は1人50US$で夕食と朝食がついている。

ナイル川沿いに一路アスワンダムがあるアスワンまで南下する。

出発するとすぐ飛行機の機内食のような夕食が運ばれてくる。エジプト料理なかなか口に合わない。夕食後同じ人がベッドメーキングにくる。

その時私のチップは何時くれるかと催促され5ポンド渡すともう5ポンドと催促される。ベッドは2段になっており少しゆれるがゆっくり休むことが出来た。

6月23日朝5時過ぎに目を覚ますと列車が止まっている。どうやらルクソールについたらしい。

ここには王家の谷など有名な観光地があるが、我々は帰りに滞在予定だ。列車はナイル川沿いにアスワンへ向かう。

ナイル川沿線は緑の畑が続いており椰子の木が繁り、畑にはバナナやさとうきびそして何か?野菜が植えられている。朝早くから家族で働いている。

ダムが出来るまでは毎年の氾濫で肥沃な土が上流から運ばれ、それで豊かな農業が営まれてきた。エジプトの生活はナイル川と共存しながら何千年も続いてきたのだ。

8時過ぎ定刻に列車は終点アスワン駅に到着する。

駅前ではホテルの客引きやタクシーが盛んに声をかけてくる。歩いてホテルクレオパトラへ。

道路は舗装されておらずほこりっぽい。車や馬車、ロバに乗った人が行き交っている。

エジプト人に加え肌の色の黒いヌビア人が目立っている。アフリカに来たと言う感じが強い。

チェックイン後有名なフルーカと言う帆船でのナイル川クルーズと翌日のアスワン観光ツアーの予約をする。

午後自分はヌビア人だと言う男性がホテルまで迎えに来る。外に出ると強烈な日差しでものすごく暑い。40度は超えているようで、河岸まで歩いただけで身体が焼けるようだ。

フルーカの上は日陰で程よく風が吹いておりとても気持ちが良い。

アスワンとルクソール間をクルーズする客船が何隻か停泊している。

船は風を受けながらジグザグに進む。対岸には砂漠の山が続きヌビア人村や岩窟墳墓群が見えている。

熱帯植物が茂るキッチナー島へ上陸。歩いていると機関銃を持った兵隊らしい若者が珍しい食物があると案内し写真を撮ってやるという。どうも兵隊までチップを貰おうと声をかけてくるようだ。

船は次にアスワン博物館へ。この地方で発掘された遺物が展示されているが、お客は我々だけで説明員に取り囲まれる。

聞いても分からないので自分たちだけで見て廻りたいと思ってもどうにもならない。ミイラまで見せてくれた。

チップを渡して外へ。灼熱地獄。これ以上陸上を歩くのは無理だ病気になる。早々に船へ戻る。エジプト紅茶を作って飲ませてくれた。

約3時間のクルーズで100ポンド(約2000円)。チップを要求されるが小銭が無く20ポンドも渡す。

ホテルへ帰って部屋で休憩することに。この季節は朝早く行動し昼間は休憩しないと身体が持たない。

良く見ると男達は店の中や木陰で水タバコを吸いながらゆっくりしている。

6時過ぎに外出、道路沿いにお土産屋が並ぶ賑やかなスーク(市場)がありそろそろ人も増えてきている。

日本人と見ると「コンニチハ」「バザールデゴザール」「スヅキ・ヤクザ」「ミルダケ」などの日本語で声をかけてき、買わせようとする。

値段交渉がすごい。一度値段を聞こうものなら徹底的に付いてきて値段を下げ買わせようとする。

ボンゴみたいな楽器を最初35US$という。次は幾らなら買うかと迫る。帰ろうとすると離れずに値を下げてくる。とうとう5US$まで下げてきたので購入する。お金は大体こんな感じだ。

今のシーズンは観光客が少ないので売るほうも必死のようだ。夕食はラム肉を焼いたエジプト料理をテイクアウエイする。

明日はいよいよピラミッドと並びエジプト観光の目玉である巨大遺跡アブシンベル神殿へ行く。

旅の模様は右カテゴリー「2004エジプトとギリシャの旅」でご覧ください。  

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2004古代文明の国エジプトとギリシャの旅(その1)ギザのピラミッドとスフインクス

2016年12月14日 09時17分47秒 | 2004エジプトとギ...

2004年6月20日から7月4日まの「エジプトとギリシャの旅」をブログでリメイクしました。

初めてのイスラム圏の旅で随分戸惑うことも多く失敗やトラブル、出会い有りの思い出深い旅でした。

6月20日福岡から10:40発シンガポール航空でシンガポールへ。15:40到着。

23:25発ドバイ経由でカイロへ。機内はアラブ系の人ばかりでした。

21日朝6:25カイロ国際空港へ到着です。

入国ビザを一人15US$で取得し1万円をエジプトポンドへ両替する。

1ポンド17円とレートは非常に良く使い古した札束をくれるが少し多すぎたかな、数えるのが大変だ。

外に出ると今度はタクシーの勧誘がすごい。そのしつこさには行く先々で往生するがこれもこの国の文化だろう。

タクシーでホテルまで行くが、このタクシーがまたひどい。ドアなどは壊れかけまるで廃車置場から持ってきたようでもちろんエアコンはついていない。

タクシーにはメーターはなく料金は45ポンド(約800円)と言うが相場は25ポンドらしいからぼられたようだ。

ホテルルナは分かりにくく、やっとたどり着くとエジプト人のフロントマンが予約はないと言う。

インターネットの予約表を見せてもないと言う。えっそんな!何とか別の部屋に入れてもらうもエアコンがうるさく落ちつける部屋ではない。

結局後で予定の部屋に変えてもらう。朝食付で約1800円とかなり安い。

エジプト国内の列車や飛行機などをインターネットで予約していた現地の代理店ナイルメロディーへ行くため初めて街へ出る。

周囲はすべてエジプト人でヨーロッパに比べると何か異様な雰囲気を感じる。これも数日たつとなれてきたが。日本人と見ると片言の日本語で声をかけてくる。

ガイドブックの地図で探すがなかなか見つからない。看板はアラビア文字ばかりでさっぱりわからない。

だんだん心配になってきた。何回か前を通りすぎたビルに入ってみるとここの3階でした。代理店には高知出身の和田さんと言う日本人がおられ色々アドバイスをもらう。

次に歩いてエジプト考古学博物館へ。

途中驚くべき体験をする。目の前に道路を挟んで博物館が見えてきたが、どうしてこの道路を渡るの?信号、横断歩道など全くない。

片道4車線(実際は車線など無いに等しく適当に流れている)でひっきりなしに車が流れている。

しかし良く見るとそこを縫うように人が渡っているのだ。

ついに我々もエジプト人について渡るが本当に怖かった。たとえ信号があっても全然守っていない。

考古学博物館には古代エジプトの王様達の宝飾品やミイラなどが展示されているが、特にツタンカーメンの秘宝が有名だ。

彼の墓は後日行くルクソールの王家の谷にあるが、死亡したのが18才と若く比較的墓が派手でなかったために盗掘を免れたそうだ。

薄暗い部屋で光り輝くツタンカーメンの黄金のマスクと感動の対面をする。

ホテルで翌日のピラミッドツアーとその後のアスワン、ルクソールなどでのツアーを勧められ350US$で予約するが、どうも考えれば考えるほど高く思えて翌日のピラミッドツアーを除いてキャンセルする。

着いたばかりで不安の中しつこい勧誘でつい乗ってしまったが、後で実際のお金を計算してみてもはるかに高いツアーであった。

この季節暗くなるのが8時から9時ごろ、その頃から一段とホテルの外が賑やかになってきた。

ベランダに出てみるとなんと人がだんだん増えている。相変わらず車が警笛を鳴らしながら走っており、その中を人が車を縫うように道路を横断している。良くはねられないものだ。

この騒ぎは深夜まで続いた。どうやらこれが日常のようで要は日中暑いので涼しくなってから買い物などに出歩くようだ。

6月22日朝からピラミッド観光へ。

マイクロバスにお客は我々2人だけ。この時期は夏でありエジプトはオフシーズンなのだ。

ガイドのアイマン君28才は日本大使館で仕事をしたこともあるそうで日本語は上手だ。

有名なギザのピラミッドは後で行く事にして、まずその前身となるサッカーラにあるジオセル王の階段ピラミッドへ向かう。

入口には軍隊や警察官が銃を持ち警備している。この先至る所で軍隊と警察が厳重に警備している。

ここはエジプト初めてのピラミッドと言われており高さが60mで6重の階段状になっており独特の形をしている。

次にダフシュールの赤のピラミッドへ。

高さは105mだが角度がゆるくどっしりとしている。ガイドの勧めで中に入ってみる。狭い急階段を中かがみで降りていくが中には特に何も無かった。

昼近くになるとだんだん暑くなってくる。いよいよ本命のギザのピラミッドへ。

まず全体が見渡せるビューポイントへ。

砂漠の中にクフ王、カフラー王、メンカウラー王の3大ピラミッドが並んだ景色は雄大です。

約4500年も前に造られたピラミッド近づいて見るとその大きさには驚く。

ナイル川上流から石を運んできてよくぞこんなに大きいものを造ったものだ。歩いて坂道を降りて行くとあのスフインクスが見えてくる。

顔は人間、身体はライオンの姿をし、ピラミッドを守るように座っている。顎のひげは大英博物館にあるそうだ。

高さ146mで最大であるクフ王のピラミッドの中には1日300人しか入れない。今回是非入りたかったので午後一番に時間を合わせたのだ。

テレビで中の様子は見たことがあったが入口は狭い。細いトンネルをそして急勾配の回廊をかがみながら登ると天井の高い回廊に出る。

そこをさらに登って約150m行くと王の玄室に出る。巨大ピラミッドの中にこんな部屋があるなんて。そしてその中に自分がいるなんて不思議な気がする。

中には特に壁画や装飾品は無いが換気口もついている。出発の直前に「何故ピラミッドは造られたか」と言うテレビ番組で最近の説として公共事業説がかなり信憑性が高いと言っていた。

ナイル川が毎年氾濫したときに仕事を与えるためにピラミッドを造ったらしい。また氾濫で材料の大きな石もはるか上流からピラミッドのすぐ近くまで船で運ぶことが出来たようだ。でもガイドは墓だと言っていた。

ピラミッドが見えるレストランで昼食、エジプト料理のバイキングだ。ホテルへ向かう途中の住宅はかなりごみごみしている。

ガイドによると金持ちは約1割でほとんどが貧困層とのこと。それは行く先々で良くわかった。

今夜は8時の寝台列車でアスワンへ向かう予定だ。

旅の模様は右カテゴリー「2004エジプトとギリシャの旅」でご覧ください。 

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