タマちゃんの旅ブログ

HP「タマちゃんの海外旅行記」のブログで海外旅行や国内旅行の旅先から更新したいと思っています

2005北欧とエストニアの旅(最終章)ヘルシンキ観光と帰国

2018年12月16日 09時05分20秒 | 2005北欧とエストニアの旅

 ノーベル賞授賞式を見て懐かしく思い出し当時の旅行記をブログでリメイクしてみました。

今回は北欧のデンマークからスタートしノルウェー、スウェーデン、フィンランドそしてバルト3国の1つエストニアを旅してきました。

いよいよ今日6月22日最終日はヘルシンキ観光です。

8:00の船でスオメンリンナ島へ。

ヘルシンキ港の入り口にあり、フィンランドの南海岸を守る要塞として長い歴史の舞台となった島です。

今では公園となっています。

朝早いので人は多くありません。

先に行くと防御壁が張り巡らされ古い大砲が海をにらんでいます。

古い潜水艦も。

ストックホルムで知り合った青年となんと3回目の再会です。

今度は荻野さんと言う方と一緒。

帰国後荻野さんのHPを見ると驚くことにこの方世界最多訪問国の日本記録を持つ方で多くの本も出版されていした。

現在世界記録のギネスに挑戦中だそうです。

それに学生時代は将棋の2年連続の学生名人だったとのこと。

今回は2ヶ月の予定でフィンランドを廻られています。

次にテンペリアウキオ教会へ。

この岩の中の教会は他の教会とは全く違う造りです。

囲の壁もむき出しの岩で造られ落ち着いた雰囲気です。

ピアノ演奏が教会内に響いています。

今日は水曜日で17:00からアテネウム美術館が無料になるため見学へ。

最後の夜もう一度公園へ行って見ましたが相変わらず人が多い。

民族服を着た人たちが伝統的な踊りを披露していました。

皆さん夏を楽しみ毎晩遅くまで賑わっています。

万歩計22577歩。 

6月23日は帰国の途につきます。

12:50発スカンジナビア航空でコペンハーゲンへ。

約2時間で到着です。

着いた時には分らなかったのですがかなり大きな空港でした。

お土産用にデンマークの通貨を残しておいたので急いで買い込みます。

15:45コペンハーゲンを出発し日本時間の明日9:35成田到着予定です。

この便は日本人が多い。

6月24日定刻に成田到着しました。

 北欧はシーズンには若干早かったようでですがこの時期ここは白夜の世界です。

南部の方でも夜は約4~5時間それも真っ暗にはなりません。

日が沈むのが夜の10時近くで、公園では夏の間少しでも太陽の光を浴びようと多くの人がアルコールなどを飲みながら日光浴を楽しんでいました。

周辺では大道芸人や楽団などが自由に公演しており、賑やかでまるで毎日が日本の花見という雰囲気でした。

前半はとても寒く後半は夏日の連続でした。

世界最多国訪問の日本記録をお持ちの方にお会いするなど良い出会いもありました。

今回は都会を中心に廻りましたが、次回はラップランドなど北極圏のエリアへ行きぜひオーロラを見たいと思っています。

旅の模様は右カテゴリー「2005北欧とエストニアの旅」でご覧くだい。  

タマちゃんの海外旅行記」もご覧ください。


2005北欧とエストニアの旅(その16)旧首都トゥルク観光へ

2018年12月16日 08時29分10秒 | 2005北欧とエストニアの旅

6月21日は旧首都のトゥルクへ日帰り観光です。

ヘルシンキから西へ列車で2時間です。

ここは中世の頃スウェーデンがフィンランドを支配し始めた時からロシア皇帝がヘルシンキへ都を移すまでフィンランドの首都として栄えたところです。

9:03インターシティに乗車。

素晴らしい青空が広がっています。

白樺の森と沿線に咲き乱れるルピナスの花を見ながら進みます。

今日でスカンパスの使用は終わりです。

到着後歩いて町の中心地マーケット広場へ。

トゥルク大聖堂を見学します。

1300年に建てられフィンランドで最も由緒ある教会とされています。

川べりで昼食をとり、情報センターで地図を手に入れます。

次にルオスタリンマキ野外手工芸博物館へ。

16~19世紀にかけての旧家を移築した野外博物館でです。

民家、農家、郵便局、印刷所など当時の生活の様子を見ることが出来ます。

また当時の衣装を着た人が実演してくれます。

ムーミンやレーニンの展示があるタンペレの町へ行く予定でしたが時間が足らないので中止しトゥルク城の見学へ。

ストックホルムからのシリヤラインが着くターミナルの近くにあります。

スウェーデンがフィンランドを支配するために造った城で長く要塞として利用されていました。

城内は現在歴史博物館として公開されています。

16:02フィンランドが誇る最新車両ペンドリーノでヘルシンキへ。

非常に静か、車内もきれいで乗り心地は満点でした。

ヘルシンキの町は夜の7時なのに日本の日曜の午後みたいに人通りが多い。

公園では多くのグループが日光浴をしながら飲んだり食べたりと賑わっています。

エレキバンド演奏の音がホテルの部屋まで聞こえてきました。

聞きに行こうと出かけますがもう終わっていたため足をのばして公園まで行くとステージで黒人のジャズバンドが演奏し美人歌手が歌っています。

ポスターが張ってありどうも有名なトロンボーン奏者とそのバンドのようだ。

勿論無料でレストランや公園のお客さんで一杯です。

コンサートも後半でお客も含めてのりのりで盛り上がっていました。

万歩計17256歩。明日はいよいよ最終日です。

旅の模様は右カテゴリー「2005北欧とエストニアの旅」でご覧くだい。  

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2005北欧とエストニアの旅(その15)エストニアの首都タリンへ

2018年12月15日 14時30分19秒 | 2005北欧とエストニアの旅

6月20日はバルト3国エストニアの首都タリンへ日帰り観光です。

8:00発の高速船リンダラインに乗るためターミナルへ。

出国を経て乗船ゲートへ。

シリヤラインなど3社が同じルートを運行していますがここが一番速くて安いというので利用したのです。

席は満席でした。

海はそれほど荒れていないのですが水中翼船は結構揺れながら1時間30分でタリン港に到着です。

タリンの地図を事務所でもらって観光に出発でします。

城壁に囲まれた旧市街が世界遺産に指定されており、多くの観光客が訪れています。

町を守るため砲台として建てられ、その後監獄としても使われた城門をくぐり旧市街へ。

石畳を歩いて中心地へ。

次第に人の数も増えてきました。

地元の特産品を売るお店も増えてきました。

先ず支配者達が居を構えた山の手へ。

政府の一部と国会が入っているトームペア城があります。

宮殿という雰囲気です。

すぐ前にロシア支配時代を思い出させるロシア正教教会のアレクサンドル・ネフスキー聖堂が建っている。

独立時に移転の話もあったようです。

展望台からは城壁と塔が立ち並ぶ美しい町並みが見えています。

日本人のツアー客も来ています。

坂道を降りて下町の中心地ラエコヤ広場へ。

そばには旧市庁舎の建物やレストランがありテラスには多くの人がビールなどを飲みながらくつろいでいます。

お店の人も中世の着物を着てまるでタイムスリップしたみたいです。

3時の船に乗るため港へと戻ります。

待合室で2人の男性から声をかけられました。

戦争の話とか広島の名前もだして盛んに戦後の日本人をほめてくれます。

フィンランド人だそうでエストニアは物価が安いので買い物に来たそうです。

見るとビールやワインなどを大量に買い込んでいます。

そう言えば他にも結構荷物を持った人がいます。

缶入りでGINと書いたお酒の話になりこれは美味しいから飲んでみろと乗船時わざわざ買って席まで持ってきてくれました。

有難う。

ほろ酔い加減でヘルシンキ到着です。

帰る途中先日ストックホルムで会った北九州の青年と再会しました。

日本食材を扱う店日本館で買い物をしユースで久しぶりに日本食を食べると言っていました。

夕食はチャイナレストランで。

万歩計13268歩。

フィンランド人は良い人だ!

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2005北欧とエストニアの旅(その14)ヘルシンキ市内観光

2018年12月15日 13時49分01秒 | 2005北欧とエストニアの旅

6月19日はヘルシンキ到着後市内観光です。

5時に起きてサンデッキへ。

まだ周囲は海ばかりです。

9時頃になってやっとフィンランドの陸地が見えてきました。

9:30港に接岸し上陸が始まります。

トラムでホテルへ。

この線は環状線になっているため一先ず一周して町の様子を見ることに。

ヘルシンキ中央駅です。

ホテルへ行きましたが入口にキーロックがあり困っていると宿泊客らしい女性が来てインターホンで話して開けてくれました。

明日は船で対岸にあるバルト3国の1つエストニアの首都タリンへ行く予定です。

ターミナルまでチケットを買いに行きます。

近くにマーケット広場があり魚や野菜そして食べ物の屋台が出て賑わっています。

魚のフライとポテト、ビールで昼食です。

ターミナルでタリンまでの高速艇の予約をする。

そこで大阪からのご夫婦と出会う。

今日のシリヤラインでストックホルムへ行きその後ノルウェーのフィヨルドにも行くそうです。

奥さんが計画立てられており熱心に状況を聞かれるので経験をお話ししました。

ここはソ連による100年の支配の歴史がありどちらかというとソ連的な建築物が多いようです。

ヘルシンキ大聖堂と元老院広場です。

ロシア正教のウスペンスキー寺院です。

乗って来たシリアラインも見えています。

毎日通ることになるエスプラナーデ公園では日光浴を楽しむ人で溢れています。

レストランはどこも満席でビールや飲み物をゆったりと飲んでいます。

公園や街角では大道芸人の人もいます。

夕食はデパ地下で食料を買って帰り自炊です。

万歩計11651歩。

今日も夏日でした。

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2005北欧とエストニアの旅(その13)ストックホルム観光とヘルシンキへ

2018年12月14日 16時36分40秒 | 2005北欧とエストニアの旅

月18日は市内観光後シリヤラインの豪華船でヘルシンキへ移動します。

歩いて旧市街へ。

途中王立公園では昨日に続き野球のボール大の鉄のボールを使った球技大会が大々的に行われていました。

昔のビー玉みたいな?一体何だろうか。

国立美術館を見学し王宮へ衛兵の交替式を見に行きます。

向かいが国立美術館です。

オーケストラを先頭に衛兵が行進してきます。

ここも多くの観光客が来ています。

サービス精神旺盛でYMCAなど数曲を演奏してくれました。

今日も暑いので公園では多くの人が日光浴をしています。

バスでシリヤラインのターミナルへ。

大きな船が見えたら降りようとゆっくりしていたら運転手さんが一生懸命教えてくれていました。

あわてて降りる。

運転手さんへ深くお礼。

歩いて港へ向かうと大きな船が見えてきました。

シリヤラインはストックホルムとヘルシンキを結ぶ人気の定期観光航路でお互いの港を夕方出航し朝到着します。

チェックインをして乗船。

フィンランドのマスコット・ムーミンのお出迎えです。

12階建ての船は中央が吹き抜けになっており、レストランやお土産屋などが何店も入っています。

上に行くほど部屋代は高くなりますが、我々節約旅行は勿論最も安いツインルーム。

窓は無いけどトイレもシャワーもついて快適です。

ユーロへ両替するもここはレートが悪い。

夜行便と言ってもこの時期はほとんど昼みたいなものです。

12階のサンデッキで通り過ぎる島々の景色を楽しむことが出来ます。

夜9時に再度サンデッキに行ってみるとまだ太陽は高く輝いていました。

万歩計14654歩。ヘルシンキとは時差が1時間あります。

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2005北欧とエストニアの旅(その12)ストックホルム市内観光

2018年12月14日 15時22分41秒 | 2005北欧とエストニアの旅

6月17日はストックホルム市内観光です。

ご主人がベランダに用意してくれた朝食は卵料理などなかなかのご馳走でした。

郊外にあるドロットニングホルム宮殿へ。

24時間有効な乗り物券を購入し地下鉄とバスを乗り継ぎ宮殿へ。

10時からのオープンですがすでに日本と台湾のツアー客が来ていました。

17世紀から18世紀中ごろにかけ建てられたもので北欧のベルサイユとも呼ばれています。

現在国王とその家族が住んでいますがその一部が一般にも開放されています。

世界遺産にも登録されています。

裏には英国式の美しい庭園が広がっています。

帰りは宿のご主人の薦めもあり船で帰ることに。

ここはイタリアのベニスと並んで水の都と呼ばれ海からの眺めも素晴らしいのです。

船はノーベル賞の授賞式が行われる市庁舎の直ぐ横に到着します。

まるで宮殿か古城のようです。

12:00発の市庁舎ガイドツアーに参加します。

ここで柳川と北九州からきた大学生の青年と一緒になりました。

中に入るとすぐブルーホールと呼ばれる大広間があり、ここではノーベル賞の受賞祝賀晩餐会が開かれます。

そして2階には金箔モザイクで飾られた壁画が豪華な黄金の間があります。

ここでは舞踏会がひらかれ、テレビでも話題になった田中耕一さんもここで踊っていました。

日本人4人で塔へ登りますが、港や旧市街などの眺めは素晴らしいです。

次に旧市街へ。

ストックホルム発祥の地で王宮を中心に教会や中世の建物が建っている。

貴族階級による初の議会が行われた貴族の館です。

町の中心地に広場があリますが、ここはかってデンマークが侵攻した時貴族など多くの人が断頭刑にされ血で染まったところなのです。

今は平和なこの一角にノーベル博物館があります。

歴代の受賞者についてビデオや写真を使って説明しています。

利根川教授の写真もありました。 

カフェで晩餐会に出されるのと同じデザートのアイスクリームを試食することができます。

美味しかったです。

また椅子の裏には歴代の受賞者のサインがしてあります。

夕食はタイ料理店で食べましたが今一でした。

万歩計17873歩。

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2005北欧とエストニアの旅(その11)オスロからストックホルムへ

2018年12月14日 14時36分48秒 | 2005北欧とエストニアの旅

6月16日はオスロからストックホルムへ移動します。

8:54発ストックホルム行きX2000の新型車両に乗車。

お客は少ない。

約6時間の旅、森と湖の中を縫うように走ります。

途中大きな町は殆どありません。

定刻に到着です。

初めてB&Bを予約しましたが出発間際だったため場所の確認が取れないまま日本を出発、頼りは携帯電話だけです。

地下鉄の駅は分っていましたがそれから先が分かりません。

電話でご主人が案内してくれますがよく理解できません。

とうとうギブアップして迎えをお願い、しばらくして女性の方が迎えに来てくれました。

建物はストックホルム・コンサートハウスです。ノーベル賞の授賞式が行われる所です。

ここからBBへ電話していました。隣には大きな市場があり賑わっています。

随分歩いてアパートの前に到着です。

更に敷地に入る時と建物に入る時そしてエレベーターの中でもキーロックに暗証番号を入れないと部屋まで到達できないのです。

これでは初めての人はなかなか行けないですね。

一安心です。

自宅の1室を宿として提供しておられ今でいう民泊ですね。

ご主人が利口そうな犬と一緒に迎えてくれましが実はご主人のピエールさんは車椅子だったのです。

地図をメールしたけどエラーで帰ってきたそうです。

前金で2泊分のお金を支払ます。

アパートの5階でベランダにはかわいいテーブルが置かれ朝食はここに用意してくれるそうです。

ストックホルムからヘルシンキまではシリヤラインという人気豪華客船で行く予定なので、近くのオフィスまでチケットを買いに行きました。

スカンパスを持っていると割り引きがあります。

夕食はテークアウトしてB&Bで。

万歩計10592歩。今日も夏日だった日差しも強いようです。

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2005北欧とエストニアの旅(その10)オスロ市内観光

2018年12月14日 08時05分43秒 | 2005北欧とエストニアの旅

6月15日もオスロ市内観光です。

駅へ行き明日のストックホルムまでの指定券を購入する。

またノルウェーを出国するので買い物に対する税金の払い戻しを駅の情報センターで済ませる。

歩いて海岸沿いにあるアーケシュフース城へ。

オスロ中央駅から王宮へ続くオスロの目抜き通り「カール・ヨハン通り」は途中歩行者天国になっており賑わいます。

港が一望でき大きな客船も停泊しています。

昨日行った市庁舎も見えています。

次に人形の家などの劇作家で有名なイプセン美術館へ行来ましたが2006年まで閉館中でした。

もう一度交替式を見ようと王宮へ。

どうも今日は無いようです。

とても暑い!

昨日までの寒さが嘘のようです。

王宮の周りの公園では多くの人が日光浴をしながらバーベキューなどをしています。

中にはビキニスタイルの人も。

短い夏の太陽をとても大切にしているのですね。

夕食後再度王宮へ行ってみると衛兵だけの本当に小規模な交替式が行われました。

昨日見ておいて本当によかったです。

万歩計5726歩。

いよいよ明日はストックホルムへ移動します。

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2005北欧とエストニアの旅(その9)オスロ市内観光

2018年12月13日 16時11分06秒 | 2005北欧とエストニアの旅

6月14日はオスロ市内観光です。

オスロ市庁舎へ。

1950年に完成した建物で入って直ぐ大広間があり周囲に巨大な油絵があリます。

毎年12月10日この部屋でノーベル平和賞の授賞式が行われます。

ビッグルームなのです。

2階には北欧を代表する画家ムンクの絵も飾ってあります。

別室では王室の写真展が開催されており先日訪問された天皇、皇后両陛下の写真も展示されていました。

市庁舎のすぐ裏が港になっています。

広場には移動遊園地のトラックが何台も止まっていますが近々お祭りでもあるのでそうか。

港から船で対岸にあるバイキング船博物館へ。

小学生らしい一団と一緒に・・・多分歴史、民族博物館などもあるので勉強に行くのでしょう。

生憎雨が降り始めました。

中に入るとバイキング船が展示してあります。

約1200年前に使われていた女王の船だそうだ。

こんな船でバイキングたちはヨーロッパや北米大陸まで荒らしまわったのでしょうか。

一旦ホテルへ戻り昼食をとり王宮へ。

13:30から衛兵の交替式が行われるのです。

しばらくすると女性の騎馬警官を先頭に楽隊と交替要員の衛兵たちが行進してきました。

多くの観光客が集まってきています。

交替式はかなり時間をかけて行われ最後には国歌?の合唱も行われ大変見ごたえがあっりました。

 

 イギリスのバッキンガム宮殿の交替式には規模は劣リますが感動的な式でした。

 次にオスロへ行ったら必ず行きなさいと言われる国立美術館へ。

ここにはあの有名なムンクの絵「叫び」あります。

一度盗難にあい帰ってきたのです。

解説書によると暗く長く寒い北欧の生活の中から生まれたこの絵は不安や恐怖が表れたムンクの代表作だそです。

万歩計17851歩。

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2005北欧とエストニアの旅(その8)オンダルスネス経由でオスロへ

2018年12月13日 14時14分40秒 | 2005北欧とエストニアの旅

6月13日はオーレスンからオンダルスネスを経由してオスロへバスと列車を乗り継いで行きます。

明るいので5時ごろには目を覚まします。

今日は7:05のバスでオンダルスネスへ。

フロントは誰もいませんが昨日清算していたので問題ありません。

バスセンターへ行きますがやはり事務所は無くバス停のみです。

定刻にバスが来ます。

運転手さんからチケットを買うが262クローネと・・・186と聞いていたのに。

ドキッ!300替えておいてよかった。

バスはフィヨルドを縫うように進みます。

どこまで行ってもフィヨルドそして雪山、美しい景色が続きます。

約2時間でオンダルスネスに到着です。

ここからは列車に乗り換えてオスロまで行きます。

両側に険しい山が迫っています。

地形的にはこの山の裏側に昨日行ったガイランゲルがあるのです。

ガイランゲルから山越えでオンダルスネスへバスで抜ける計画でしたがが15日からしかこのルートが開通しないためオーレスンまで戻ることになったのです。

駅にはドンボス行きの列車が待っています。

登山鉄道みたいな素敵な列車です。

両側の切り立った山の間を列車は進みます。

スカンジナビア山脈を横切り東側の平地へと次第に降りていきます。

ドンボスでオスロ行きの列車に乗り換えます。

座席は広くディクライニングのシートは乗り心地満点です。

山の景色から森と湖の景色へと変わってきた。

途中冬季オリンピックが行われたリレハンメルを通り15:13オスロ駅に無事到着です。

結果的には予定の列車でオスロへ来ることが出来た。

駅で両替してホテルへ。

オスロの目抜き通りカール・ヨハン通りをしばらく歩いて見ました。

スーパーで買い物をして夕食はホテルで自炊です。

万歩計9529歩。

8時間の移動でしたが景色がめまぐるしく変わるのでそんなに長くは感じませんでした。

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2005北欧とエストニアの旅(その7)ガイランゲルフィヨルドのクルーズ

2018年12月13日 10時30分21秒 | 2005北欧とエストニアの旅

6月12日はガイランゲルフィヨルドをクルーズで往復します。

日曜の朝食は8:30から。

神戸の女性の方と一緒に。

ご主人の理解を得て長年行きたいと思っておられたガイランゲルフィヨルドへ来られたそうです。

同じ船でガイランゲルまで行き、向こうで2日ほど滞在し、ここへ戻るそうです。

急いで朝食をとり昼食用のサンドイッチも作り早足で港へ。

船はまさかと思っていたその豪華船でした。

素晴らしい!

実はノルウェーのベルゲンから北極圏まで西海岸を定期的に運航している豪華クルーズ船が夏の間だけガイランゲルフィヨルドの中まで入って行くのです。

チケットは船の中で買います。

エレベーターで9階へ。

前方に大きなガラスの展望窓を持ちまるで豪華ホテルのロビーのようで快適です。

一番前の席をとります。

ガイランゲルまで約4時間のクルーズです。

船が動き出すと多くのお客さんがキャビンの中から現れます。

かなり年配の方が多く、本を読んだり編み物したりして夫婦でゆっくりとクルーズを楽しんでおられます。

ここまで来ると日本人は殆どいません。

フィヨルドの中に入って行くといきなり雪山が見えてきます。

入り口はまだ広く両側に町が開け、人々の足としてフェリーが行きかっています。

奥に進むにしたがって狭く両側の山もこちらに迫ってきます

しかしちょっとした平地にはへばりつくように家が建っています。

どうやって家まで行くのだろうか。

船か?所々まるで天空から流れ落ちているように滝が流れている。

ガイランゲルに近づくにつれ狭く、山は険しく真っ白い雪山となり素晴らしい景色です。

ニュージーランドのミルフォードサウンドに勝るとも劣らない素晴らしい光景です。

船はガイランゲルフィヨルドの最深部に到着し停泊します。

大きな船も入ってきています。

神戸の方とはここでお別れです。

当初は写真にある道路(トロルスティンゲン)で山越えしオンダルスネスへ行く予定でしたがまだ開通していませんでした。

人気のルートだったのですが。

しばらく停泊後オーレスンへと帰りの途につく。

18:00港へ到着。

二転三転の計画変更でしたが結果よし最高のクルーズでした。

だがもう1つ心配が出てきました。

明日はバスと列車を乗り継ぎオスロまで行く予定ですが、どうやらバスのチケットが運転手からしか買えずカードが使えないようです。

両替しようにも今日は日曜日、困ってフロントに相談すると宿泊料に両替分を含めてカードで処理してくれました。

またまた助かりました。

本当にオーレスンのユースにはお世話になっりました。

ユースはキッチンがついているため大変便利です。

今後ユースも使っていこうかな思いました。

万歩計14801歩。明日は7:05のバスに乗ろう。

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2005北欧とエストニアの旅(その6)ベルゲンからオーレスンへ

2018年12月13日 08時17分52秒 | 2005北欧とエストニアの旅

6月11日はベルゲンからオーレスンへ移動します。

午後の飛行機のため午前中は市内観光へ。

今日は土曜日で市場には魚や野菜以外の色々な店が出て賑わっている。

魚屋さんの前を通ると突然日本語で声をかけられ、キャビアを勧められました。

日本人の青年がアルバイトをしていたのです。

よく見ると他の店にも何人かいて大声で呼びかけています。

旅行中のアルバイトなのでしょうか。

ケーブルカーで標高320mのフロイエン山に登ります。

ここからはベルゲンの町を一望できます。

再度情報センターに寄ってみましたが担当者はいません。

明日は日曜日のためガイランゲルフィヨルドの交通機関はどうなるのか

また心配になってきました。

飛行場で買い物の税金の払い戻しについて聞くとその国を出る時なので我々はオスロ駅で出来るということでした。

オーレスン行の飛行機は定刻15:00に離陸。

眼下はフィヨルドの世界でとても綺麗です。

山には白く雪が積もっています。

約40分で到着です。

飛行場で情報センターを探しますが小さな空港なのでありません。

町の情報センターは17:00までなので間に合わないし宿で聞くしかないですね。

空港バスはまた親切に宿のユース前で降ろしてくれました。

さっそくフロントで相談しますが予定しているバスはやはり明日が日曜日のため運行しないとの事です。

バスを乗り継いで行っても帰りは遅くなり大変だそうです。

困っているとクルーズはどうかと紹介してくれます。

オーレスンを9:30に出発し最深部のガイランゲルまで船で往復する快適なクルーズだそうです。

他に選択肢は無さそうなのでこれに決定。

港に行ってみれば様子が分ると言うので行ってみると大きな船が止まっています。

まさかこんなに大きな船が?と思い事務所を探しますがどこにもありませんでした。

ここまで北上すると夜は殆ど無いようです。

9時過ぎても真昼のようです。

万歩計13773歩。明日はどうなるでしょうか。

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2005北欧とエストニアの旅(その5)ソグネフィヨルドへ

2018年12月12日 16時07分35秒 | 2005北欧とエストニアの旅

6月10日はノルウェーで最長(204km)のソグネフィヨルドへ行きます。

ベルゲン発8:40オスロと結ぶベルゲン鉄道でミュルダールへ。

列車はツアー専用で途中から昨日会った日本人ツアーも乗車して来ました。

少し雨模様の中だんだん高度を上げて行きます。

山には雪が目立ってきました。

約2時間でミュルダール駅に到着です。寒い!

ついに白い粉雪が舞ってきました。

ここから1940年に開通したフロム鉄道に乗り換えます。

標高866mから0mまで約1時間かけて急な坂をゆっくり降りていく人気の観光ルートです。

出発してまもなく大きなヒョースの滝が現れます。

列車はしばらく止まってくれます。

高さ305mから轟音を立て流れ落ちる姿は迫力満点です。

音楽に合わせて崖の上に女性が現れるショーもあります。

各々下車をして記念写真を撮ります。

ここから先幾つものトンネルを抜けて広がる景色は素晴らしいです。

列車はフロム駅に到着です。

フィヨルドの枝の1つで紛れもなく海抜0mです。

かなり大きな客船が停泊しています。

昼食後フロム鉄道博物館を見学、難工事だったんですね!

ここからはこのコースのハイライト、フェリーでグドヴァンゲンまで2時間のクルーズです。

このころになると薄日がさして良い天気になってきました。

切り立った崖、流れ落ちる滝、氷河に削られた雄大な景色です。

かもめが餌を求めてついてきます。

最初のうちは両岸に小さな家々が見られましたがグドヴァンゲンに近づくにつれて両側の山が急峻となり雪山となってきた。

船の中で福岡からの家族と一緒に。

グドヴァンゲンからは列車の駅ヴォスまでバスで移動です。

バスは驚くほど狭くて急な山道を蛇行しながら登っていきます。

やっと山頂のホテルへ到着、怖かった!

でもここからの景色は素晴らしい。

列車でベルゲンへ戻り、明後日計画しているガイランゲルフィヨルドの交通事情を調べるため情報センターへ。

有名なゴールデンルートは15日からしかバスは運行しないとのこと。

困ったぞ!これでは計画通りに行かない。

ソグネフィヨルドは観光のメーンルートでガイドブックも充実していますがガイランゲルフィヨルドについては情報が極端に少ないです。

インターネットで調べても良く分らず、行ってみないと分からない状態で日本を出発したのです。

オーレスンに着いてから調べるしかないな。少し不安ですが。

万歩計12139歩。ベルゲンは寒い。

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2005北欧とエストニアの旅(その4)ノルウェーのベルゲンへ

2018年12月12日 14時07分39秒 | 2005北欧とエストニアの旅

今日6月9日は10:05の飛行機でノルウェーの西海岸の町ベルゲンへ移動します。

列車で空港へ着くとなんとスカンジナビア航空のチェックインカウンターにはすごい行列が出来ています。

最後尾に並ぶと中年のご婦人と一緒に・・・ストックホルムに住んでおりギリシャのアテネにいる旦那さんのところへ行くところとか。

何でも友人の結婚式がありビックなパーティがあるそうです。

昨年ギリシャに行っていたので話しが弾みました。

結局1時間待ってようやくチェックインが終了、国際線は早く空港へ行かないと何があるか分かりません。

天候は良く機内からは昨日行ったヘルシンオアの方までよく見えています。

海上を過ぎノルウェーの上空に入ると一面厚い雲に覆われベルゲンの空港に到着した時には雨が降っていました。

コペンハーゲンと同じまたも雨のお出迎えです。

日本人ツアー客も一緒でした。

両替をしてエアポートバスで市内へ。

運転手さんへホテル名を言うとバス停でもないのに親切にホテルの前で降ろしてくれました。

ホテルで飲んだ水は冷たくておいしく結局北欧ではミネラルウォーターは不要ででした。

明日ソグネフィヨルドへ行くので情報センターへチケットを買いに行きますがここでまず失敗です。

どうもおかしいと思いながら順番待ちをしていたのですがそれは銀行の不動産の情報センターでした(笑)

観光情報センターはすぐ隣でした。

チケットはベルゲンから鉄道とフェリーとバスを使ってソグネフィヨルドを観光しここへ戻るもので最もポピュラーなコースです。

相変わらず冷たい雨が降っており寒いです。

魚市場にはサーモンやえびなどが並んでいます。

こんな光景も。

ベルゲンはノルウェー最大の港湾都市でハンザ同盟最盛期にはここに事務所が置かれ名産品干タラの輸出で急速に発展しました。

海岸沿いにはブリッゲンと呼ばれ13世紀から16世紀に建てられたカラフルな4、5階建ての木造家屋が当時のままの姿を残しています。

これらは世界遺産に指定されています。

万歩計7397歩。明日天気になると良いな!

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2005北欧とエストニアの旅(その3)アンデルセンの家とクロンボー城

2018年12月12日 13時12分57秒 | 2005北欧とエストニアの旅

6月8日はアンデルセン生誕の地オーデンセとハムレットの舞台クロンボー城へ。

初めてスカンパスを使用します。

北欧4カ国の2等列車が期間中指定日数だけ乗り放題になります。

使用開始の手続きを済ませオーデンセまでの指定券を買う。

7:56発のインターシティは2階建ての快適な列車です。

オーデンセはアンデルセンが生まれ14歳でコペンハーゲンへ出て行くまで暮らした町です。

今年はちょうど生誕200年に当たり各地で記念イベントが行われています。

初にアンデルセン博物館へ。

「赤い靴」「マッチ売りの少女」「人形姫」「裸の王様」などどれをとっても知らない人がいないぐらい有名なアンデルセンの作品やそれを書いた部屋など彼の生涯を展示しています。

次に2才から14才までを過ごした家へ。

とても狭い1部屋に靴の修理をしていた父など家族全員が住んでいました。

本当に貧しかったのです。

近くには彼が洗礼を受けた聖クヌート教会とアンデルセン公園があります。

母がよく洗濯をしたオーデンセ川が側を流れアンデルセンの像も建っています。

ここで弁当を広げるとカモが寄ってきて大変でした。

列車で一旦コペンハーゲンへ戻り、今度は北部の都市ヘルシンオアを目指します。

ここにあるクロンボー城はシェークスピアのハムレットの舞台として有名で世界遺産にも指定されています。

駅から海岸沿いに歩いて城へ。

対岸スウェーデンとの距離が約5kmと最も狭く、この城は海峡を通る船から通行税を取るため15世紀に造られたそうです。

城の中は比較的地味で、地下には兵舎や地下牢がありその一角にデンマークの伝説の英雄ホルガー・ダンクスの像があります。

暗い中を歩いて行きますが通路が分りづらく迷ったらどうしようかと怖くなりました。

ハムレットのモデルとなったアムレートAmleth王子のhを頭に持ってきてハムレットHamletとしたそうです。

海側に出ると古い大砲がスウェーデンを向いて据えられています。

万歩計18066歩。

レイルパスを有効に利用できました。

明日はノルウェーのベルゲンへ移動します。

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