トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

黒い花は黒い花びら

2017-10-20 | 感じるままの回り道
 表題を見てコロンビアローズや水原弘を連想するのは小生と同世代だろう。記憶の中で「黒い花は黒い花びら」と歌い出すのはコロンビアローズで「黒い花びら静かに散った」と歌い出すのは水原弘なのだが、コロンビアローズの曲名は忘れている。検索しても水原弘しか出てこなかった。
 今の歌謡は歌唱力や情感で歌い上げるのが無いように感じて聞く気にもならないけれど、ファンは歳を経ても懐かしく想い起すのであろうか。

 それはともかく、庭のウマノスズクサが残り少なくなってきた。既に終齢幼虫になった個体は蛹化のための場所探しに入り、隣家の外壁を移動している個体もいる。
 庭の足元にも移動中の個体もいて、うかつに歩けなくなった。工作中で木屑や粉塵だらけの場所にも来るから視認し難い。

 ウマノスズクサの減少は早く、夕方だったから翌日に撮影しようとしたのだが、既に巻き付いた蔓に葉は無く「黒い花」様のカットは撮れなかった。まあ、考えてみるまでもなくチャンスは一瞬に近いのだ。もう「色即是空空即是色」の世界でもある。

               

 数日後、縁台で鋸を使おうと支え板を台下から取りだしたら「お菊虫」がくっついているではないか。このまま鋸台として使う訳にもいかず、来春まで台下に収まりいただく事にした。家の外壁や基礎部分にも新しいお菊虫が目立つが、この夏に羽化しなかった蛹は変色し拡大すると小穴がある。
 恐らく寄生虫がいるのだろうが、体液が毒性のお菊虫を食べる昆虫は誰だろう。仇を為す輩は高速道路でなくとも、どこでもいるのだと思わずにはおれない。

 今期、ウマノスズクサを食べつくす事数回、ジャコウアゲハの幼虫は来夏までお預けである。三つ葉や香菜、フェンネルを食べつくしていたキアゲハの幼虫もお預けなのだが、こちらの蛹はトント目につかない。ヤマトシジミは飛翔しているが、冬季に産卵はするのだろうか…。

         鋸台で蛹化  基礎部分   寄生?

             菊虫に台を採られてもらい板   千代甘

見栄えや機能はデザインの力

2017-10-19 | 今日は真面目に
 プルトイで蛇行運動するヘビとトカゲを工作中なのだが、胴と頭部が一直線上にあるデザインでは迫力が無い。「鎌首をもたげる」等と表現されるから頭部を立ち上げたデザインで試作してみた。
 通常、試作品は度々仕様やデザイン変更を必要とするのが普通で、煮詰まっていくためには不可欠な不要の要なのだ。

 左の写真手前が試作最初の頭部で直線上にある。奥の物が新たにデザインした頭部で、明らかにこちらの方が臨場感が高い。頭部のデザインだけでなく蛇行させるための振り幅も数通り試作した。図面上で支点・力点・作用点を描けば振り幅の数値は出るものの、実際に動作させないと各部の連携等が機能し納得できる動きになるかかどうかまでは分からないのである。

 どちらにしても試作段階は納得できる動きや構造に落ち着くまでには無駄を承知で作業せねばならず、根を詰める時間も長く連日の作業となると疲労感も覚えてくる。
 それでもイメージ通り、ビジョン通りの実物が完成すると「してやったり!」と入浴でくつろげる。「ああでもない、こうでもない」と思案投げ首中は、夜間目覚めればリピートタイムになってしまう事が多いので、早い完成出来上がりは安眠のためにも大切だ。

 鎌首をもたげたデザインは、ヘビもトカゲも同じにしたのだが、喉の曲線を僅かに変えた事で種の違いが見えると思うのは小生だけだろうか…。まあ、爺我自賛でも良し、の世界である。
 うんちくや講釈では具現化出来ないのは「森づくり」や「里山保全」にも共通するところがあって、ビジョンやエメージも、それを具体的な活動に置き換え活動努力していく中から姿や形が現れてくる。
 刈り払い、枝打ち、間引き、水路や溜池の補修等々、繰り返し繰り返し行わざるを得ない行為の中にこそ本質がある。試作品の度重なる作り直しや仕上げの磨き作業などは、こちらは完成形があるから完結するだけの相違である。まあ、不易はあっても流行は無しの行為に違いない。
 どちらにしろ「もって益無し」懐は寒くなる一方、そんなところか…。

         新旧の頭部デザイン     ヘビとトカゲの頭部デザイン

今日のトンボ「尊敬に値する君」

2017-10-18 | 小父のお隣さん
 ネキトンボだと思うが水辺はこの種のカップルの今季最後のコンパでにぎわっている。たまたま近くで見かけたので「恋路の邪魔を」しないよう撮影したが、どうも窮屈感がある。仔細に眺めたら首根っこを押さえている腹部の先端が急角度で折れているのだった。

 折れている原因の一つに脚で引き寄せられている事もあるのだろうが、なんといえば良いのか、アカトンボ見て赤面では歳の功も存在しないに等しい。
 あの「わすれな草」の語源、「私を忘れないで!」と言うより現実感たっぷりの「男冥利に尽きる」感…。小生は一度たりとも無かったなあ…。

 後日この事を、いいえ自分の事でなくトンボの事をS先生にお話したら「連結は首根っこを挟み込むのではなく後頭部の窪みにかける形で、腹部先端の折れは植物体の中に産卵するヤンマ族でさえ折れ破損する事は珍しくもない」のだとか。
 何事にもトラブルは付き物、ましてや山の中では憑き者があっても当たり前。ならばセーラームーンが出現し「月に変わってお仕置きよ!」なんて事ならあっても良いか…。
 まあ、そうなったら「これがほんとの運の月」、今年の十五夜は見れなかった…。

忙中、感あり「小人、閑居して不善を為す…」

2017-10-17 | 何よりの楽しみ
 「どんな感だ?」と言われても説明は難しい。そこは忖度してもらいたい。要するに言動から本質が見え隠れすると言う事と言っても良いだろう。まあ「人、焉んぞ隠さんや」に尽きる。
 自らの弱点を拡散させてもしょうもないが、雨続きの蟄居工作では誇りよりも埃、華美よりもカビが優勢になるのは人生の真理でもある。

 なりふり構わず玩具を制作せねばならないのに試作で脱線が続き、そのうえ切り口の年輪から着想した「カタツムリ」を完成させてみれば「片瞑り」になってしまった。
 「幼児の玩具なのに…」子を持つ母親からは絶大な非難を浴びそうなプルトイのお披露目だ。
 なんと言われても隠しようがないものは隠せない。小生的には「面白い」出来栄えと思っている物が世間的には「どうか?」がありそうなことくらいは、いくら認知症が進行してきていると言っても認知している。

 年老いても大事な事は、妄想でも身体髪膚を動員し具現化させる事にある。まあ、小生に欠けているのは髪だから、「嘘吐きは泥棒の始まり」と祖父母の教えを堅持する小生、正しくは「身体禿げ膚」となるけれど、言葉も「綾」がある。目くじらは立てず工作にハゲ務、いいえ励むのみだ。
 それでも「泥棒様が嘘吐き中」の世間には虫唾が走る。「蓼食う虫も好き好き」ホントにそうなのを実感できる期間だ。木aワ-カー様から一言言えば「環境多様性より生物多様性しか関心が無い現れ」となる。

 さてこの造形、造詣が深くないと発想しないと思えるが、そういうことは言わない主義だから本筋の工作に戻すと、年輪を活かしたつもりがそうでもなかった。年輪幅が広い材で、火で焙った時に焼き目凹凸が付きやすかったら「ピッタンコカンカン」になったはずである。
 たまたまの放置材を利用したから放射状にひび割れはあったのだが、火で焙ったら更に細かい割れが入ってしまった。そのうえ桜材なので磨いても年輪の凹凸が出にくく、火あぶりは1台だけでやめた。
 また脱線すると、郷里では「タイロウ」と呼んでいた。裏の石垣あたりで捕まえてはフライパンで焼いて食べたものだ。まだフランス料理など知らない頃だが、未だにフランス料理は知らないがダイロウ料理は知っている。

 台、蝋仕上げのため全て蜜蝋ワックスを布と歯ブラシで擦り込む。材は十分に仕上げの研磨を施したから、自分で言うのも何だが手触りは良い。動きも車輪が大きいので良く走る。少々走り過ぎ感もあるけれど、木製玩具の良さは「手触り」と「質感」にあると思っているので、原色塗装を施したい欲求は我慢である。
 心の赴くままに筆を使えば、体色はピンクで殻はは真っ黄色の片瞑りが現れそうで、そこまでやると「危ない人、オタク」になっちまうが、「オタクはお前ダイロウ!」の声が聞こえる…。

   彩色は口吻と目玉      ユーモラスよりケバ感がまさるか…

出水後に顕在化しやすい

2017-10-16 | 小人閑居して憮然
 先日半日で140mmほどの雨量があって出水時の見回りでは水面下に隠れて発見できなかった漏水孔が現れた。
 分水池分水路脇で、ここは造成当時から漏水孔が度々現れる。付近一帯が地下水路のネットワークを完成させたような場所だから諦めているものの、漏水させない算段だけは怠れない。
 水見回りではスコップも携行しておらず、次回の処理となる。

 漏水孔の水準は泥水池への給水管の水準より僅かに低い。水量が減少すれば泥水池は断水の憂き目となるものの、一両日程度なら緊急性はない状況だ。それよりも腕がすっぽり入る程の漏水孔の先は何処につながっているのかさっぱりわからず、地下本路は大きいのだろうと経験則から推定される。

 古老の話によると、小生は孤老だが昔、代掻き中の農耕牛が陥没して腰まで落ち、それ以後棚田を嫌がるようになったのだとか…。
 それから10数年、その近くで出水中に陥没流入個所を見つけ、スコップと土嚢で埋める作業を開始した途端、小生の足元が崩れ落ち、人知れず死ぬかと思った事があった。
 バケツの水をぶちまけたような水量だったが、あがらって這い上がるのに苦労した。まあ、孤老が苦労した話など面白くもないか。
 あの陥没穴に投入した土嚢は何袋だったか。結局止めることが出来ず、水域となるのを避けて二つ池を造成したのだった。

 漏水孔だけでなく出水し十分に水を含んだ堤や畦は柔らかい。この重要構造物を好んで狙い、猪が掘り返す。「踏んだり蹴ったり」などの暴力を受ける訳でもないが、漏水孔を踏みつけ猪の起こした土塊を蹴っとばしたりと、三つ巴のバトルは人知れず続くのだ。

巳、いいえ、ヘビにご縁がありまして…

2017-10-15 | 小父のお隣さん
 拠点の上がり口で緑黄色と言うかワラ色と言うべきかの体色の蛇に出会った。随分昔に見たタカチホヘビと同色だったから「タカチホヘビ」と思い込んでしまった。思い込みは新燃岳の噴火の影響もあって、近くの「高千穂」を連想したのに違いない。

 先日、シロマダラを「見せる」と呼びつけながら逃がした顛末があったばかりなので、罪滅ぼしに、珍しいタカチホヘビを見せる事にした。今回は蓋付の容器に入れて管理したが、平日で山に来れないとの事だったからS先生のお宅でお預かりさせていただくことなった。

 ご自宅近くでお渡ししたのだが、その時ヘビを見て「タカチホヘビは背に明確な黒線がある。この蛇は無いからジムグリかも…」との見立て。二匹目も同色で、同種と思っていたのが、頭部側面に三日月形の黄色い斑がある。「これはヒバカリだろう」との判断だった。そういわれて眺めて見れば確かに三日月形がある。
 まあ、いくら巳、いいえヘビにご縁があろうとも同日同時刻の同じ場所で、普段目にしない種を捕獲するなんてあるはずもない事だろう。

 小生の一回だけ見て撮影した記憶をよみがえらせると確かにタカチホヘビに黒線があった。間違いの元は「記憶の体色だけで判断した」結果なのだが、記憶の中のジムグリもヒバカリも体色は黒系で、こんな体色では無かった。
 体色にもバリエーションがあるのは常識の内だとしても、有頂天での思い込みは失敗の種になりやすい。新燃岳も有頂天にならねば良いが…。

「ギョギョッ!」こんなはずでは…

2017-10-14 | 今日は真面目に
 カムで蛇行させるプルトイ試作中。バリエーションでも無いのだが寄り道してしまう。ヘビは大丈夫、恐らくトカゲも動くだろう、じゃー魚はどうなる?、と妄想して脱線した。先が無いのに丸一日を潰して「魚タイプ」を試作してみたのだ。思いついたら結果が出るまで「もう、どうにも止まらない」性分である。

 図面を材に移し切り抜き成形する。試走までたどり着いたのだが結果は思わぬものだった。問題は2点あって、1点は制御部体形が円筒形でなく板状になった事。これで板面の傾きが抵抗として影響してくる。2点目は後部の節々それぞれの重さや接地抵抗値が異なる事で蛇行曲線が創出されにくい。
 もうしっかりとギョー転動悸で「ギョギョッ!」と言わせたい一心が助けにもならんかった。ここは神仏のギョ意のままというところであろう。

 着想も形態も楽しいと思って試作したのだが、思わぬ伏兵がいた。まあ、試作であるから毎度の事でもある。これが楽しさの、と言うより動機の源で、熱中すると食事もそこそこに手元が暗くなるまで作業をするから、これも動悸の源だ。

 「このままでは使えない」と理解できて早速に新機軸、解決策が浮かんだ。あくまで想定上の策なので具現化してみないと…。こんな事なので「何処まで続く泥濘ぞ」が連日で、今日も夜明けが待ち遠しい。
 と書けば一心不乱、熱中してうらやましいと思う向きもあるかもしれないが、現実は加齢による早朝の目覚め。毎日の事なのである。

今のところは大丈夫

2017-10-13 | 小父のお隣さん
 水見回りの途中、必ず道草を喰ってしまうポイント、樹高1mにも満たないエノキの幼樹だ。葉っぱ一枚一枚を丁寧に目で追い幼虫を探す。静止したままばかりだから視認し難い。食事中は観察した事が無いのである。他のエノキは卵も幼虫も消えてしまった。今のところ観察できるのはこの一体だけである。
  9月23日 1齢幼虫とS先生に教わった
      9月29日 1齢と異なり頭部に角が出た
         10月3日 育ちは順調
            10月12日 体長約20数mm

 心配なのは捕食者になりかねないカメムシ類が近くにいた事 

試作の完成は思索作誤の果て

2017-10-13 | 今日は真面目に
 玩具の品揃いは崖っぷちになった。一日を半分に分け、前半はフイールド、午後は工作なんて悠長な事は出来ない。青天白日のフイールド日和を断念して蛇行機構の完成を目指した。
 
 制御部は作ったものの胴体が無ければ蛇行するかどうか確認できない。そこで胴体を用意する事にしたのだが、よせばいいのに手間暇かかる構成を選んでしまった。容易な構造もあるもののそこはそれ、制御部にストレスがかかるが「実物に近いだろう」を選択する。ここは性分で「量産品」にはならない事は承知の上である。
 ストレスがかかる機構でうまく動けば後はどんなタイプでも間違いないからだ。

 最初の失敗は冒頭の写真、制御部と胴体を接続するのに角度があるから、解消するために連結軸を90度違えて水平にした。この思いやりが仇となり振れを減少させる結果となった。アクション機構は働いても蛇行が伝わらない。
 そこで次作の連結部は胴体の節と同じ関節にしたのだが、切込みを入れ切り取る段階で切り取る部位を間違ってしまった。これでも胴体は無駄にはならず前後入れ替えれば使えるのだが尾部は作りなおしだ。
 この試作二回目は制御部回転軸と連結部の距離が短くなり、これも振り幅不足だった。結局、新たに制御部を関節一つ分長くして一体作る羽目になる。手元に角材は無いし、拠点道具小屋まで材料探しももったいなく、車輪を作るためにあったヤマザクラのブロックを鋸で製材し角材をとった。

 すったもんだみのもんたしたけれど動きは「ひでき、感激!」、でなくて「秀出来感激!」のアクションが生まれた。後は成形し仕上げるだけだが、祭り用に簡易タイプで用意しても数を作れる日数が不足なものの、まあ、1~2体は用意できるかも…。

 水平軸が失敗の元 ➡  振り幅不足 ➡  三度目の正直

土を掘る掘る心は折れる…

2017-10-12 | 小人閑居して憮然
 フイールドのあちこちで猪の掘り起し被害が甚だしい。どういう訳か人為的にかかわっている部分の被害が大きいのだ。それも「致命傷だろー!」と叫びたくなる重要ヶ所を攻撃する。「このハゲーッ」と怒鳴ったところで相手はいない。もう心は折れ気味、入院したいが、それではさらに荒れてしまう。
 政府の方針の様に、高齢者は死ぬまで働け、社会的弱者は自助努力しろの反映か。地位や収入が血税で保証され能天気で良いなんて、止められない訳だが猪豚とおんなじ生き様でもある。

 フイールドは広いのだから「他の場所で好きなようにしたら」と思っても猪の好みとは正反対なのだ。植えて活着していない若木、畦や堤など構造上必要な場所が何時も破壊されていく。今回、降雨の後見回りしたら、苦労して積み上げた堤が高さを減じるほど崩され、法面に植栽したソヨゴの幼木も無残な姿を晒していた。

 他の場所も大なり小なり同じ状況で怒りを通り越し、心が折れて放棄しまいかねない瀬戸際にも思える今日この頃だ。もう「ならぬ堪忍するが堪忍」で、このセリフは爺様だったか婆様だったからいつも言われていた。
 小生が達観するに、棚田や永田、金田や稲田、豊田等の猪豚は、民は観念し民の堪忍で生かされているに違いない。環境を守る要、表土はなんと儚く弱く、猪豚の皮は何と厚い事か。まあ、バリアーとしての皮は厚くし、むさぼり生きたい種族の習性なのだからしょうもないか…。

          沈泥池の堤     棚田の補強緩斜面 

今日のトンボ「尾羽打ち枯らし…」

2017-10-12 | 小父のお隣さん
 判明し難い  ➡  角度を変えた 
 9月にもなると翅の傷んだトンボやチョウを見かける事が多くなる。これはこれで自然の摂理でもあるけれど、「ものの哀れ」を感じないわけにはいかない。10月ともなると種類も個体数も極端に減ってしまう。
 大方はマユタテアカネだ。それでも時折はオニヤンマも出るしオオアオイトトンボは日向に出てくる。
 
 9月終わり頃、数が激減したクロスジギンヤンマはほとんど目にしなくなった。大型トンボの飛翔の仕方も盛夏の堂々とした雰囲気は無く、どことなく弱弱しい飛翔を見せてくる。シオカラトンボからアタックを掛けられると水平飛行でかわすのではなく上昇し避ける行動が多くなっていくが、その獰猛果敢なトンボでさえ見る影もない。

 「シオカラトンボでなければトンボにあらず」とでも言いたい種族も、けっして驕っていたわけではないけれど「驕れるもの久しからず」なんて一節を思い浮かべつつ姿を追うのだ。大型のトンボは降霜の頃には姿を消す。
 赤トンボの見納めは12月8日頃と、自分なりの経験則なのだが、どうしても別種の「赤トンボ」も連想してしまう。

結構くたびれる…

2017-10-11 | 今日は真面目に
 プルトイの恐竜タイプが一段落し、アクション機構が定まらない蛇行運動もようやく大丈夫な感じがしてきた。毎日が日曜日の小生にとって「三連休」なんて言いぐさもチャンチャラ可笑しいのであるが、世間様に合わせると表現はそうなる。

 いつも通り空想夢想妄想の類から図面も出来ず試作したのが、左下の白木丸棒に斜め車軸を付けたタイプ。これだと右回りする様な感じだけで蛇行は無し。そこで蛇行を制御する機構を組み込まねばと考えたものの、下段中央の車軸を動かすハンドル軸まで試作して行き詰ってしまった。
 リンク機構が良いのかカム機構が良いのか判断が付かない。一晩先送りしてカム機構で制御する事にした。リンク機構だと複雑になり過ぎて間に合わないからである。個人の趣味感にはリンクを選択したいのだが日時が無い。

 すったもんだした挙句、寸法関係も写真右下の構成に落ち着いた。この機構でヘビとトカゲの蛇行運動をするプルトイの完成を目指すのだが、今度は蛇行させる胴体の構成で悩む事になった。
 写真中央の様に回転軸を持った胴体にするか布ベルトか綾織紐を連結体にして蛇行させるか人生の岐路なのである。木aワーカーとしては全て木で構成したいのだが、ここでも日限の縛りがある。
 「若きベルテルの悩み」ならまだしも、いい歳になって悩みが尽きないとは、人生「まったく!」である。

太枝の切除

2017-10-10 | 今日は真面目に
 道具小屋脇の樹木が大きくなって、クリの木やフイジョアへの日照を阻害している。クリは枝を枯らす部分も出てきたから支障木の太枝2本を落とした。
 高枝切りでギコギコ続け、大方嫌になった頃に太い方が下がった。この時に高枝切りの鋸を挟んでにっちもさっちもいかなくなった。こういうトラブルは珍しくも無く、高い位置にある切断個所の観察は難しい。

 下がった枝を引き下げ、無理やり折ったようにして鋸を外した。更に一本切除して終わる。見た目はそれほど空間が広がった雰囲気は出ていないのだが、クリの枝枯れした部分や、更に北側のフイジョアに正午を中心にして日照が回復しただけでも良しとする。

               ➡   

今日のトンボ「スチエーション命」カトリヤンマだった…

2017-10-09 | 小父のお隣さん
 クロスジギンヤンマに思えたが腹部の感じが異なる。後日、飛翔体実物を居合わせたS先生に確認したら「カトリヤンマ」だった。その間に「ギンヤンマ」の飛行もあって、小生的には区別がつかず、ともかくも「ここにもギンヤンマが出現したか」の一言が嬉しかった。

 少年期、大型トンボはオニヤンマとギンヤンマしか知らず、ごく普通の種と思っていたのだが当地ではクロスジギンヤンマだったのである。
 カトリヤンマが日中出現するのは稀で「夕闇迫る頃に来れば飛翔は普通に見られるはず」とS先生はおっしゃるものの、愛好家でもない小生は魑魅魍魎が跋扈し始める夕闇の時間帯に山に入りたくない。
 作業や水見回りの途中で出会うからこその楽しみで、探し尋ね歩くほど興味は持っていないと言う事だろう。まあ、言うなれば「スチエーション命」、そんなところか…。

                  

ほこり叩き男…

2017-10-08 | 何よりの楽しみ
 祭りまで一カ月を切ってしまった。もうなりふり構わず全力投球、いいえ全力投入せねば間に合わない。
 安全策として数を揃えられるタイプを先に作る事にした。もう試作だなんだなんて言っておれない尻に火が付く寸前であるし風前の灯でもある。力んで放屁でもしたら「アデュー」である。

 お蔭でと言うよりは何時もの事なのだが家の中は足の踏み場も無くなって、そのうえ埃に満ちてきた。埃の出る作業は屋外で行うようにしていても、衣服に着いたり風の流れで室内に入る粉塵を防止するのは困難だ。
 ドアは閉めておくし、室内に入る時は刷毛やホウキで粉塵を落として入る様にしているのだが「やらないよりまし」と言う程度で、掃除機を使っても素足で感じる粉っぽさは取れない。拭き掃除でしか解消は無理だろう。

 工作の手始めはサイズも手ごろの恐竜のプルトイを二種作り始めた。蛇行運動させるタイプは機構の確定が出来ず、すったもんだしている。こちらもイメージだけで切り出し加工をしているから修正に次ぐ修正で、結局は20φのドリルを買いたさねばならなくなった。

 連日の夜討ち朝駆けで、恐竜の成形と仕上げにようやく手が届き、一部だが蜜蝋塗装もする事が出来た。手触り感を上げるには丁寧な研磨仕上げが必要で、更に粉塵が細かくなる。それでも手触り感が増すのが明らかに判るから、もう「止められない、止まらない」のだ。
 小生、叩けばいくらでも埃の出るお爺になってしまったし、自ら「埃叩き男」をやらねばならないのは端材玩具の品質に秘めた自慢があるからで、ここに埃の源があるのだが客層のニーズは「安く手に入れたい」だけなので、着想や出来栄えに誇りを持ったとしても役立たずで誇れない。
 玩具専門店で数万円の値が付く様な程度でも爺婆が購入するのはともかく、若いパパママにはイベントなら尚の事、千円札一枚でも痛い出費になるのだろう。