トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

棒脚とは忘れ去った故なり

2011-08-24 | 小人閑居して憮然
 ギプスを外した当日は廃用性萎縮も目立たず、ふくらはぎ等は「弛んだか」と思える程度で済んだと安堵したのもつかの間、翌日には萎縮も拘縮も明確になり「棒脚」になっている。

 なぜ一夜にして、こんなに見た目に相違が出来たのかごま塩頭をひねってみると、ギプス装着による「浮腫み」に起因しているのだろうと推察できた。ギプスを装着して一ヶ月を経過する頃から浮腫を起こすまでの時間が短縮してしまった。トイレへの行き帰り、椅子での姿勢など下肢を下げると容易に浮腫がひどくなる。

 起きている時間の大半は「浮腫を軽減する」姿勢変換に明け暮れていたようなものだ。筋肉量が落ちてギプス内に空間が広がったのを認知していても、容易に浮腫が発生し窮屈になる事、多々なのである。それが見かけの大きさを維持していたと言わざるを得ない。今、半分のギプスを包帯で固定し、入浴時やマッサージの時は開放するから浮腫も酷くない。それが萎縮を顕在化させている。まあ、考え様によっては当たり前の過程だ。

 患足の足首の可動範囲は15度程度で、健足の6分の1だ。膝関節も90度が厳しい。健足は120度は可動する。

 「忘却とは忘れ去る事なり」の台詞で一世を風靡したドラマがあったが、小生的には「棒脚とは(歩くのを)忘れ去った故なり。歩かなくて棒脚は解消しない」なんてね。 しかし、歩けるまでになるにはどれだけの蓄積が必要か・・・。「セレブ並みのバカンス!?」なんて冗談を言っている場合でも無い。