旅行客として度肝を抜かれたのはサービスの中身だった。夕食を摂ったある立派な店のテーブルクロスに目がいったら接ぎ当てがしてあった。見える範囲に2箇所あったが、当てたところが表になっている。タバコの焼け痕なのだが裏表に注意を払わないのか気づかなかったのか日本では考えられない。
店舗の接客態度は資本力の無いところほど横柄だったり、無気力だった。最初にコンビニに入って淨水を買った時、お釣りはクシャクシャのまま顔を向けずに投げて寄こした。話には聞いていたがびっくりした。 ショーケースやカウンターに寄りかかっているのは当たり前、ドライブインではショーケースに突っ伏して寝ている売り子も見た。
地元の客より国外の団体客が多いと思われる食事処での若い従業員の無表情は気になった一つだ。考えてみれば自分達の日給分がビールで消えてしまうなら顔も引きつろうと言うものだろう。
自称四つ星ホテルでは飲水も部屋におく消耗品も全て有料だった。これもビックリだ。一品一品の価格も決して廉価ではない。ほかのホテルはそうでなかったから、ここは特区なのだろうと納得。
一見の旅客相手ではそれでもいいのだろうが、みやげ物の扇子が四分の一にまで値下げされたり、100元のシルクのパジャマが最終的には2着で60元になったり、こんなことは普通だった。さすがに官庁直轄に近いところは値下げには厳しかった。
写真には写っていないが、撮影者の後方に物乞いの父子がいた。プレスなどの機械で上肢を切断されたと思える身障者だった。3~4歳に見える男児を連れていた。父子とも真っ黒というか赤銅色に日焼けして屋外にいることが長いことを窺わせた。下船したら会いたいと思っていたら下船場所が違って会えなかった。心残りがある。
西湖の雑踏の中には高齢者の物乞いが何人もいた。まとまっていたから連れ立ってきた仲間内か?。暇つぶしと実利を兼ねた過ごし方とすれば「これも有りか」と思わずにはおれなかった。
日本でもこんな風景は記憶にあるが、この国の格差は半端ではないのを感じた反面、大衆のたくましさは随所で見ることができた。伊達ではない「眠れる獅子」を実感する。