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トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

初霜と初結氷

2024-12-16 | 感じるままの回り道

 朝の最低気温が2.6℃と報じていたから「初霜ありか⁉」と出かけたのだが姥捨て山の水域は結氷していたが霜は薄かった。毎日、乾燥注意報が出ている日々では気温が低下しても霜は発生し難いのだろう。昨季は記録できなかったのだが記録を眺めれば概ね初霜と初結氷は同日の時が多い。これが何を現しているが知る由も無いけれど「本格的に寒さ到来」なのであって、冷えが増せば肩の痛みの回復は遅れるのだろうと観念せざるを得ない。そうなると年明けの1月中に回復は難しいかと年末年始も我慢で暮れ明ける気がする。年内鍼治療に行っても二回程度のはずだから年越し間違いなしだろう。


落ち葉掻き先送り、孤爺、閑居して不全を成す・・・

2024-12-10 | 感じるままの回り道

 9日朝、今期最低気温の2.5℃を報じていた。姥捨て山は初霜かそれとも同時に初氷もありうるので「確認に行かねば…」と思ったものの冷やすと肩の痛みが増すので恐れ入ってご辞退申し上げたのだった。先日、道具小屋に工具があるかと探しに行った折り、落ち葉が溜まり始めているのを見ると「落ち葉掻きをせにゃー」と思うけれど熊手を伸ばして引寄せるのは痛いだけだし、更に斜面では腕を上げなければならないから更につらい。まあ、落ち葉掻きをする以前に水源地の河床を浚うのが優先しなければならないのだがどちらも痛い腕には辞退せねばならない。

 鍼治療の回数券を購入して今日が3回目の治療日だけれど、施術直後は腕の動きになんら不満も無いものの一夜明ければ元の木阿弥になる。それでも施術ごとに少しばかり緩和傾向を感じているのだが回数券を使い終わる頃には作業に出れるようになるのかどうかわからない。最大の障壁は「冷え」なのであって初夏に左肩の痛みに泣いた頃は暑さに向かう時期でもあり「冷え」は考えなくともよかったのだ。入浴して肩まで沈めて温めると右腕は痛みも無くオツムテンテンが出来るので血行不良が要因だろうと納得もしつつ、木の玩具作りを在宅に飽きて行っているようでは自ら血行不良を生み出しているようなものであるが、わかっちゃいるけど止められないのが脅迫製作症なのである。

 結局昨夜も夕食中に「ビビビッ」と降臨してしまい玄関で薄板を切り抜いたのだった。糸のこ盤は掃除機を接続して集塵機扱いできるので屋内作業は可能なのだがそれでもフロアーには粉塵がうっすらと溜まっていく。落ち葉も溜まるし汚れも溜まるけれど腕が痛くては年末の大掃除も嫌だなあ・・・。それでも痛みを育ててくれる工作は止められないのは因果である。

     


*秋うらら鼻くそ丸めピンと撃つ

2024-10-13 | 感じるままの回り道

            木立闇明ける晩秋はらはらと

            トワイモア歌うはこれか青天井

            どこまでも白き峰々遠き里

            つばくろも猛暑も去ってみる群青

            夜半の秋窓を閉じればただ寂々

            昼寝せば布団抱えて夜半の月

            床延べて家蚊と二人夜半の月

            秋うららキチョウ道行ここかしこ

            野ざらしとなりし空蝉かしらのみ

            秋の日や胸の渇きもつのる夕

          赤とんぼ野は緑なり嶺白し


**深川どぶ板長屋「秋の夜長論語読みの論語知らず講記」

2024-10-07 | 感じるままの回り道

     礼儀をもって党を収めん 裏金隠蔽不問じゃよ ハアコリャコリャ

     石橋叩く打出の小槌 ひと焉んぞ廋さんや ハアコリャコリャ

     改むるには憚らないで 朝令暮改のスピード感 ハアコリャコリャ

     苦節万年講釈しても 巧言令色鮮なし仁 ハアコリャコリャ

     石橋築く腐和雷同は 義を言い飾る信無きなり ハアコリャコリャ

     未だに仁を好む者居ぬ 新造石橋ひびの音 ハアコリャコリャ

     あしたに道をぶち上げ廻り 夕べの椅子で死んだふり ハアコリャコリャ

     朽木だったし糞土の垣だ 石も破れりゃただの礫 ハアコリャコリャ

     椅子を獲ったら豹変為して コメツキバッタの宙返り ハアコリャコリャ

     痴者は楽しみ陣者はアジる 椅子取りゲームのアッパッパ ハアコリャコリャ

     痴者は惑わず陣者憂えず 幽者恥無し同じ舟 ハアコリャコリャ

     他人の助けで石橋わたる 飾って為すのは命乞い ハアコリャコリャ

     同じて和せぬ在庫の一掃 カチカチ山の泥造舟 ハアコリャコリャ

     平時を壊す獪力乱心 過ぎたるよりは中庸よ ハアコリャコリャ


*名月も老眼乱視じゃタクワンよ

2024-09-18 | 感じるままの回り道

           布団位置変えつ名月夜もすがら

           眼鏡なくタクワン三切れ三重に見え

           名月や寝茣蓙で浴びし熱帯夜

           かぐや姫送ってくだされ爺の床

           笹団子齧りつ見上ぐ月待茶  

           月見上ぐ兎追いしや凍てし里

        南中の高き輝きまぶしけり

           窓開けてひかり身に浴ぶ熱帯夜

           青葉城恋歌うたいつ見上ぐ夜半の月

           名月や側臥で感ず月の圧

           光浴び一夜共にす寝茣蓙かな

           名月も年増となりぬ丑三つ

           名月を背中にも見せてやり

 とんだ一夜だった。月を見上げつつ「スペースカーボーイ」のラストシーンを思い出したのが拙かったのだ。核弾頭を地球外への軌道に乗せた宇宙飛行士(名前が出て来ない)が夢だった月に到着し岩にもたれて地球を見ながら絶命したシーンである。月を見上げていた孤爺と重なって眠りに入ろうとするとビビビッとフレーズが湧く。こうなると般若心経を唱えようと光明真言を唱えようとマインドフルネスを行なおうと無駄なのだった。嵐が過ぎ去るのをひたすら堪忍辛抱我慢の時間、で寝不足であるが本日は最高気温35℃の猛暑日の予報だから耄碌しない程度にグダグダする!。しかし、お茶菓子が無い、欲しい。      


八月末四日間で700mmの降雨!

2024-09-02 | 感じるままの回り道

 八月はほぼ熱中症警戒アラート出っ放しで猛暑日も続きフイールドには出かける気分にもならず我が生涯初めてのエアコンを使った部屋で終日過ごす事態となったのだ。狭い室内で出来る事は限られているのに猛暑で気分だけはゲンナリしていては現金は生る訳も無く注目の新札は二種類、拝んだだけである。八月末になり、ようやく降雨があったりし猛暑日からは解放されると思いきや、今度は連日の雨の乱れ打ちで後半も閉門蟄居どころか閉口蟄居の手太楽である。それにつけてもおやつは軽~く、ではなくフイールドの状態を想像すると溜息も出ないのだった。

 八月末4日間の総雨量は700mmを越え、これは記録だそうだが記録など糞の役にも立たない。晴れてしまえば老いぼれた孤爺はフイールドの後始末、特に水源地、送水設備、水系の補修と思わぬ作業が目白押しで既に便秘状態になっているだろう。目白押しは可愛いけれど便秘ウンコが押しているのを想像するだけで「押忍!」と気合を入れねばならないのだった。情の深い鬼年増に見込まれた小僧のように戦々恐々とフイールドと対峙する日が近い。まあ、それはそれとして閉口蟄居の日々、どうにもならない時間つぶしにビビビッと天頂光輪、いいえ天頂降臨したのは昨年度は改訂できなかった資料を補足改訂する事だった。これでようやくお暇地獄から抜け出る事が出来た。

 その気になりさえすれば集中できる孤爺なので、良く言えばそうだけれど実態は「待てない性格」の精で精力と時間をつぎ込む羽目になった訳で、我ながら哀しい性に泣いた。それでも良くしたもので見やすいように図表を作成しベースにする概念などを補足充実させて閉口蟄居中に完成を見たのである。写真は試しプリントで体裁を見た一冊であるが、PCに保存してある内容をプリントして閉じれば完成するのだ。校正しつつ確認のプリントをしたりして用紙もインクも不足してしまい補充しないと製本できない。まあ、急ぐ事も無いけれど今まで以上に見やすくなったと自負できる一品になった。

 一応、情報提供者用に10部製作して配布のつもりだけれど用紙は500枚、インクは2セット必要だから経費は1万円程度必要になるのだろう。考えてみれば閉口蟄居の中、1万円で遊べたのだから安いと言えば安い。しかし四日間にわたるPC作業は易くは無かった。さして労働強度も無いのに熟睡できた事、出来た事、これも神仏、水神様の思し召しなのだろう。しかし雨天続きで冷蔵庫は空っ呆、乏し飯で頑張ったのであったわい。

 


無農薬・無肥料・放任結果

2024-09-01 | 感じるままの回り道

 庭の林檎の樹の手入をしなくなってから久しい。摘果はそこそこ行うが農薬や肥料は使わない。それと言うのもジャムにする熱意や需要が減ったからなのだ。果実は実っても放任だから順次落下するけれど、そうなると「もったいない!」と拾って食するのであるが、これがまた手間なのであった。果実は小振りで吸汁被害を受けた箇所は腐食が進み使い物にならない果実もある。外皮もまた市販品のように綺麗に出来る事も無い。「食べる」意識があった頃は摘果もし袋も掛けたので小振りながら綺麗な果実を得られたけれど、手間を掛けない昨今の果実は写真のようなものになる。

 それでいつも思うのはリンゴの産地の実成りの状態だ。テレビや写真で見ると袋も掛けないで大玉の綺麗な果実が鈴なりの画像はよく目にする。摘果し肥料を施していれば果実も育つけれど果実や葉の被害は放任ではまずアウトだろう。それで商品とするには農薬も適切に使用しなければならないはずなのだが、その効果は自分の処の果実と比較すると驚くに値する。リンゴやナシ、カキなどは皮ごと食べる小生なので残留農薬はちとばかり気にするけれど小年金高齢の孤爺ともなれば残留農薬の蓄積など意に介しても居れん。病害虫に侵された玉だって腐植部を切り除けば口に納められる。

 かくして不揃いの切り分けリンゴに唇寄せて「リンゴ園の林檎はどうして綺麗なのだろうか!」と幼い疑問を胸に秘め不揃いの断片を口にするのであった。写真の品種は紅玉だが受粉樹のフジは更に実成りが悪い。まあ、後発品種だけにそれだけ御母日傘を必要とするのだろう、くらいは察しているのだった。「だからどうした⁉」と言われれば引っ込んで昼寝するしかない孤爺である。まあ、永世孤爺の称号は手にしたからそれで良し!かも。カモカモバンビーノ、であるコッタ、テラコッタ・・・。

     


山守の仁義・・・

2024-08-16 | 感じるままの回り道

 フイールドへの途中に山神様の洞が在るのだが特段の注意もせず通っているけれど、いざ到着となればそれなりのルーティンは必要なのである。基本的に身に着けるのはスマホと財布、キーホルダー及び外傷キットだけれどベルトで装着する夏場のアイテムは蚊取り線香と飲料水及び蒸散冷却出来る帽子が三種の神器、いいえ山守の仁義として必須アイテムである。これは他者に対してではなくあくまで自分自身の為である事が孤爺としての孤爺たる所以でもある。

 今期は特別暑いし、この暑さが来期以降も続くだろうからそうなると「特別の暑さ」でも無くなるけれど、それはそれ、アイテムの性能向上と変更は無理なので備えは現状維持であって、それで対応が難しければ自宅蟄居謹慎でイジイジしているしかない好々爺になってしまう。まあ、居爺居爺であることは間違いないのだ。

 さて、飲料水の用途として傷を洗う場面も想定すると新鮮な水が望ましいのだがリスクとしては熱中症の方が高いので今期の携行飲料水は水道水と塩分タブレットの組み合わせだけでなく、梅干しと紫蘇シロップまたは梅シロップを合わせ飲用にしている。熱中症予防タブレットを容器に入れて溶かすのが簡便だけれど、折々に梅味、紫蘇味、オリゴ糖味などを組み合わせておけば飽きがこない。自宅で熱中症予防で飲用するドリンクも作り置きはしないけれど梅干し水を梅シロップか紫蘇シロップと混合してまあ、即席の経口補水液である。この場合も吸収率が良い混合比など考慮外であって、全てが適当なのだ。とは言え糖質の取り過ぎだけは多少の注意はする。

 ここの処、最高気温は35℃前後をウロウロしていて昨日は36℃に達した。こうなると外出なんて思慮の外であってひっそりと閉門蟄居するしかない。庭は草茫茫だがこの高温炎天下ではさすがに控える。昔々「梅雨明け十日」なんて言われていたのが近頃では「夏明け十月」と気象庁が言っているとか言ないとか…。台風一過の爽やかな青空も望むべくもない温暖化の結果である。

     


アリと虻塚…

2024-08-13 | 感じるままの回り道

 「アリとキリギリス」は皆さんご承知の童話と言うか寓話だろうが「アリとアブヅカ」なんて一編もあるのだった。今期はことのほか虻の量が多くてフイールドの駐車場に到着すればドアを開ける前からお迎えが来る。まあ、阿弥陀三尊様のご来迎ではないから許容範囲なのだが煩い。煩わしいのには血圧が上昇するし作業中に見舞われると一匹でもしつこさには辟易する。特に水域に立ち込んで抜去や土木を行いゴム引き手袋が泥汚れ状態の時は捕殺に手間取りウンザリもするのだ。

 だからこそ車両に群がりくる虻を捕獲してあり塚、というより巣穴近くに置いてみたいけれど今期は黒蟻の巣穴を発見できないのだった。地表面の高温化で出入り口や巣を移動させた可能性もある。そこで林道の舗装面に置いとくのだが帰宅前に覗けば蟻が群れている。どこからこんなに集まるのか巣穴のところまでストーカーはしなかったけれど撮影だけはしてみた。まあ、眺めて涼やかな心境になる絵ではないけれど蟻さんの食糧貯蔵の熱意には感心するし一方、この国の自給率と貯蔵量を知るともう「矢尽き刀折れた」状態と言わざるを得ない。大丈夫ではないですよ。太平ではなく大変です。


空蝉か鬱世身か…

2024-07-14 | 感じるままの回り道

 今期初となる蝉の脱け殻を見つけたのが12日の事で勿論、種の判断は出来ない。例年だとフイールドの行き帰りにくぐるバイパス直下の桜並木で最初の鳴き声を聞くのであるが、そこでの鳴き声も無くフイールドでも聞いてはいない。と言ったところでこの猛暑振りで熱中症警戒アラート出ずっ張りの今日この頃ではリスクが高くなる野外活動も爺害活動も厄介活動も控えめである。

 この空蝉は至近の遊水地で見つけたものだが鳴き声は聞いていない。例年夏の最初に聞くのはクマゼミの大音量だけれど、クマゼミの初音よりもここ数年はハルゼミの鳴き声が無く、台風で倒れたテーダ大松5本を超える数を育てて点在させてきたがやはりまとまった林としての環境が無いと無理なのかどうか、それとも既に絶滅してしまったのだろうか、クマゼミより気にかかるが樹には掛かってはくれないハルゼミだった。

 そんなボンヤリの折、少しの晴れ間を縫ってフイールドに出かけたのだが図書館裏のケヤキ林とバイパス下の桜の並木、フイールドでクマゼミの合唱を聴く事が出来た。まあ、初音ではあるけれど「ますます暑い夏本番到来!」てなもんや三度笠、であって嬉しくも無い猛暑下である。

      


イワタバコの花

2024-07-06 | 感じるままの回り道

 擁壁の何カ所かにイワタバコが定着しているのだが小生にとっては初めて見る花である。昔々、自宅の庭石にイワタバコを付着させたいと思った事があったのだが必要な水分の維持が難しそうなので断念したから身近でイワタバコを見たことが無かった。それが通りすがりに観察できるなんてこれはまさに祝着至極なのである。園芸種なのかどうか分からないけれど桃色や水色があったような記憶があるのだがさーてどうなのか、既に脳軟化症や耄碌、認知障害進行中の孤爺であれば正しい回路にはなかなか接続できない、と言うより回復は困難と覚悟すべきなのだろう。被災地のように復興の希望がある訳でも無し、あちこちの政府のように劣化の一途をたどる過程でもある。

 しかし、しかしながらである。やはり人生捨ててはいけない悪あがきもするのであって。いわゆる回想療法を模倣してキャンデーズを聴いてみた。何と何と我が青春のみぎり、既に青春の輝きとしての発露もあった頭部に響く歌ではないか。ヒット中の頃はたまたま耳に入ってきた程度のお付き合いだったのだがしっかりと聴いているとこれは大変危ない歌詞でもあると思ったのだ。それをテンポ良い音楽に乗せ三人一声のようなコーラスは単なるアイドルの域を超えている。だからこそ努力は大変なものであったのだろうし「普通の女の子になります!」の台詞は普通の高齢者になれなかった孤爺には良ーく理解できたのであった。まあ、イワタバコとは全く関係のない展開だが、斑痴呆が存在する我が身、回想療法の飛び火と理解されたい。お陰様で小学生の頃2年だけ同級だった転校生を思い出したのだ。今頃、どうしているのだろうね。

 しかしなあ、こうも猛暑を超え酷暑が続いてはイワタバコも煙を出して消え果てるのではないかと気になるのだが朝から28度越えの日々では水見回りにも行く気になれん。いーや、出かけてはならない気象条件だろう。この程度の配慮・注意できている我がもとに先日、姉が電話をよこしたのだが合言葉は「死んでも命があるように…」だ。


かくして糸クズ苫屋と化すのであった…

2024-06-30 | 感じるままの回り道

 何回「これで終了!」と思った事だろう。だがやはり神経生理学上に於いても「慣性の法則」というものはあるのだった。もうどうにも止まらない、と言うより良く言えば製麺機から麺が出て来る状態、尾籠な言い方をすればウンコが出てくるように次の脅迫的課題が浮かんでくる。今回も休む間もなく「使う事のない作務衣の生地をサイドボタンノースリーブに転用して敵を取る!」と意趣は明確にあったのだから「草臥れる・・・」訳にはいかなかった。

 まずは作務衣の糸切りから開始して全てのパーツにばらし身頃は前と後ろ用に、袖は見返し分がどうにか切り取れるので使う事にした。前回のサイドボタンノースリーブはどう考えても説明図が誤っているとしか思えず、似たようなデザインの別掲載の説明図を参考にして作成できたのである。ただ身丈は生地の切れ端を作りたくなかったから長さはそのまま使ったけれど、これはこれで別物にも思える。サイズは140で女児向けとしたけれどデザインそのものはどちらでも利用可能だろう。

 まあ、さすがに青い菊のデザインの作務衣で人前に出る事は憚れるし室内で着用する趣味には少々齟齬があった柄だった。この生地は頂き物を活用してみた物だったから子ども向きに転用した事で生地も祝着至極であろうぞ。

     


ピンクのガクアジサイなのだが…

2024-06-20 | 感じるままの回り道

 崖の肩線に列植した木本の年数は様々で実生樹も含まれている。その中でもチョウの幼虫の食樹としての柑橘樹はまだ小さいので少なからず手入れが必要だ。日陰に強いと言っても全日日陰では成長は望めないので大きい樹木の、この日はトチノキやクリの枝が被さっている部分を整枝剪定して多少は日光が当たるようにしていたのだけれど、崖の肩線から落ちたところの急斜面にあるガクアジサイが開花していた。

 花色は写真のような桃色で日照の悪い場所でもあるのでヒョロ枝に数個の花を見せていた。場所柄、作業できる場所でも無く植え付けは不可能で自然発生したピンク系統とも考え難く思える。園芸種の鉢植えが枯れ死した物を根鉢もろとも崖に棄てた可能性も考えなければならないのだが、このまま打ち捨てるにはもったいない花でもあった。株ごと掘り上げるには危険で転落防止措置を講じなければ掘り取れない場所でもあるし、枝を切って刺し穂なら可能性もあるのだがアジサイに興味は無いし、でもでも花としてはいいえ、ガク色としては捨てがたいガクアジサイである。

     

 


喰い散らかしはいけません!

2024-06-05 | 感じるままの回り道

 林道の真ん中に黒い物体があったのを通りすがりに目にとめたのだが停車して確認する幅は無いので通り過ぎ広くなった場所に停車させて徒歩で現場に戻ったら案の定、カラスの死骸だった。山域の活動に入って長いけれど野生動物の喰い散らかしされた残骸を見る機会は殆どないのだ。鳥類で食痕は羽毛だけでサギの捕食された現場では長い脚だけが残っていた程度でしかない。四つ足では沢のゴミ溜まりの下で尾骨の長い骨格だけになった一体を見ただけで、野生動物の死骸はホントに目に留まらないのである。

 今回のカラスの捕食体、太腿と内臓だけが綺麗に失われており大胸筋は食べられてなかった。そこで気になったのは「捕食者はだれか⁉」と言う事だけれど鳥なのか四つ足なのかどっちだろう。捕食者が鳥類ならば羽毛を抜くはずと理解しているしアライグマやキツネならば頭部も齧るだろうし、そこで思い出したのは野猫ではないかと言う推理である。捨てられて野猫となった個体数は確認できただけでも4個体ほど存在するので「猫かなあ…」が孤爺の暇つぶしに推理した顛末だ。 

                    獰猛なカラスも餌となりて消ゆ

     


今日のエッ!品「思い立ったが実食」

2024-05-26 | 感じるままの回り道

 連日の小雨模様を幸いとして孤爺さんは夜鍋をしてまた未明から粛々と孤軍奮闘、甚平作りに励んでいるのであった。そういう状態だと待てない孤爺さんは飯抜きをしたくなるのだがこれ以上の老衰は避けたい。まあでも、夜間の漏水は避けられそうも無いので受容と寛容の精神で臨むしかないのが人生だなあ。さて、そんな訳で台所では立食で済ますかと雑炊が早いので仕掛けたのだが直ぐに気分は変り「そうだ!リゾットが良い!」となったものの材料は無し。そこでなんとかあり合わせてリゾット風紛い物で誤魔化したのであった。でも美味しさは犠牲にしないのが大和男の心意気なのである。

 前日の残りご飯をフライパンで煮たてイナゴの佃煮、粒コーン、魚肉ソーセージ、インゲン、粉チーズで煮込み、黒コショウを掛けて実食する。心はミシン掛けにあるのだが「旨い!」を感じる余裕もあるのだ。食べながら何時もの妄想、いいえ降臨レシピは「イナゴご飯」であった。「蜂の子も虫、イナゴも虫」であるから炊き込みごはんで美味しいはずだ。既にハチの子飯は30年も食べていない。「昆虫食は世界を救う」はずであるからして老衰も夜間の漏水からも救ってくれるだろうと早速夕食に炊き込んでみた。

 材料は写真の通りなのだがまたもや待てない性格ゆえの準備不足でニンジンが欠けてしまった。いろどりが寂しいけれど鮮やかな色彩満載のコース料理一食を楽しんでも最後は一色に変換されるのであるからしてニンジンが無くても中長期的には何の支障も無いのである。味付けはイナゴの佃煮任せだったので少々薄味仕立てだが年齢を考慮すれば減塩はベストだ。炊き込んだイナゴの歯ごたえは佃煮時とほとんど変わらず、この点が不満と言えば不満で、奥歯の不調で好きな固いものを控えなければならず、バリバリ齧りたいイナゴも炊き込んでも少々固めだったのは裏目で恨めしい。まあ、冷や飯喰いでないだけ有難いのう。

 それもこれもご先祖様のご加護のお蔭でありがたや!。食べて快腸ミシンも快調泥浚い不調・・・。