トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

タイアザミは避けている・・・

2024-02-22 | 感じるままの回り道

 一時期、豚熱の流行で威之志士様の跋扈蹂躙は影を潜めていたもののこの頃は復活してしまい従前より広範囲に地面を掘り返すようになっている。きっとしぶとく生き残った家系なので繁殖力も旺盛なのだろう。しかしながら農地では無いので跋扈蹂躙から守るべき手立てがない。弱い定植したての草本や木本は周囲に竹酢液を噴霧して「気分防御」しているのだが、広範囲に出来る事でも無いし費用も掛かる。

 そこで昨秋末、刈り取ったタイアザミを掘り返しの激しい一画に伏せておいたのだがその部分だけいっこうに触れた痕跡がない。タイアザミから外れたところは掘り返しがあるのにである。これだけで結論を言うには早いけれど、少なくとも鼻面にチクチクして場合によっては突き刺さる棘が嫌なのだろうとは想像がつく。タイアザミの棘はノイバラの棘より小さく弱いけれど細かさが優位に立って軟らかい皮膚に刺さると取り除き難い。そんな事で鼻面で押しのけるのさえ「遠慮します!」と跋扈蹂躙罷り通る威之志士様ではあるが意外に繊細なのだと思ったのである。

     


トッポギ初食!

2024-02-16 | 感じるままの回り道

 スーパーの棚にトッポギがあった。チーズベースと標準ベースの二種類並んでいたのだが迷うことなく標準ベースを選ぶ。自動録画されていた韓国時代劇を御腰痛い痛い病で自宅軟禁中、暇つぶしに視聴していたらこれが意外に面白い。中身はたわいも無いけれど子どもにも十分視聴させられる作りだった。日本製のテレビドラマは全く見ることは無い。見なくてもお決まり通りの泣き喚き角突き合いの構成だから敢て見る程のことは無いのだ。この激した感情や行動でしか演出や演技が構成できないのだとしたらお先真っ暗で芸術性など皆無になる。深夜放送で誰だか言っていた「笑顔を引き出したり笑わせる事は一番難しい」けだしその通り。陽出ずる国の電影、文化果つ・・・。

 さて閑話休題、ドラマ現代版では屋台や食卓に出て来るトッポギと言う食べ物。「トッポギとは何ぞや⁉」と関心を持って調べたらいわゆる餅料理の範疇だった。小生の関心は外食で食べるトッポギでは無くて時代劇に出て来る串刺しの焼きご飯、いわゆる「キリタンポ風か五平餅」の類似と分析して自作は生姜味噌で食べたのが1月の事。その後、ようやく本物に出会えたのだから買わずばなるまい、喰わねばなるまい。

 説明書通りにチンして出来上がり。主食の量とすれば少ないけれどスープと発酵惣菜を添えて実食してみた。食感は餅風だけど棚にある餅を短冊にして加熱すれば崩れてしまうから餅では作れない。やはりご飯を半殺しで無ければならないようだ。でもしかし、この実食で思ったのは「ご飯を半殺しにして焼いた」物の方が断然美味しいと言う事である。商品として綺麗な出来上がりでも美味しさを呈している訳でも無く、おこげの香ばしさは永遠であることが理解できた。

 少年時代は敢て釜底のおこげを盛ったものだったが電気炊飯器になってからはおこげは夢のまた夢であるものの中東向けの商品にはおこげの出来る炊飯器があるのだとか。購入できるなら購入したいもんだわ。で、渦中と言うかドラマの中の少年は何時もおこげを入れた袋を腰に下げていた。ドラマ作りも共感や微笑み、はてまた大笑い出来るものが欲しい小生である。


*日々是好日

2024-02-09 | 感じるままの回り道

         山の日はヒタキ迎えてまた送り

         冴ゆる谷地やまの端木立朝日抜く

         遠山に風花の雲辰の年

         氷盤の下に卵塊寒の内

         暁や霜夜と知れり明け三日

         腰痛や痛や痛やで寒は明け

         


行きはよいよい帰りはつらい…

2024-02-03 | 感じるままの回り道

 寒い季節もあって無理がたたった事もあったろう、腰痛で1月は棒に振ってしまった。とは言え自分なりの回復努力はしていたのである。まあ、思う様な効果が無かったと言えばなかったのだが・・・。

 立ち居振る舞いで痛みが出る状態であったものの「安静」を要する程でも無く、かといって座姿勢を続けると痛みが増すから結局は自宅軟禁徘徊日課、のようなもんだった。小学5年、6年生の当時は担任と戦闘状態でしばしば廊下で、時には職員室で立たされていたのだが職員室を抜け出しても居残っていた先生たちはニヤニヤするだけで無干渉だった。まあ、鑑賞に堪えるような餓鬼では無かったのであろう。さて閑話休題、それはともかく自宅で立ちんぼ中だから客引きでもして小遣い稼ぎしたくても通行人は居らん。仕方なしにストレッチや腰痛体操、お台所に立つ事になる。辞書を開いたら「お台所」とは元々は「男台所」であって大和男の領分だったそうな。これは四月一日用・・・。

 さて腰痛に難儀していたその初めの頃は「静的平衡」を心掛けていた、とも言えるがそれはあくまで攻めではなく守りの姿勢である。籠城が長引けば衰えも忍び寄る。そこで攻めに転じた訳なのだが初っ端からフイールド作業では大きく過ちを犯してしまう。そこで「動的平衡」を繋ぎに入れてみた。早く言えばこの場合は「しっかり歩き」で、二本ストックで歩こうかとも思ったのだが、まずは着の身着のまま、万歩計だけ装着して近くの土手、右堤左堤を往復コースにして歩いたのだ。ところどころに橋があるから歩程の目印になる。

 3000歩程度まで歩くと背中も汗ばみ臀部の不快感も消えてくれるし腰回りの痛みも和らぐ感じもして「効果あり」を実感した。この日は前日より気温が10℃も低下して寒い1日となったものの下流の街道筋まで歩きながら橋ごとの歩程を確認した。結局、総歩数は7300歩あまり、これを1時間で達成したのだから通常の散歩よりは大股で早い歩きである。さすがに帰路の後半は「まだ先なのだ…」と気も滅入る気分になったけれど昼の粗食は美味しかった。


*澄むと濁るの違いにて

2024-01-30 | 感じるままの回り道

          アカハタは赤肌見せて船の上

          悪女とは悪所ばかりじゃなかったわい

          悪しカラス頭下げ下げ悪しからず

          あしたから足駄を履ける中学生

          明日刈ると鎌を預かる暮六つ

          人溢れ今日も仕事にあぶれたり

          甘酢漬けそんな出来では余すすけ        


ハリガネムシ、大漁でもねえー

2024-01-08 | 感じるままの回り道

 4日、自宅でソーイング中にSさんから「ハリガネムシがいる」とお誘いがあったので出かけた。トンボ池を覗き込めば見慣れた太いハリガネムシでは無くて細くて長いのが水底に見える。長さは40cmを越えている。更に水底を見渡すと数匹が見えたから容器を取りに戻り池内で採取してみた。太い種は1匹もおらず細長い個体ばかりだった。この形態のハリガネムシは初めて観察した。通常はカマキリの生息期間内で発見する事ばかりで、今回のように冬の真っただ中で見るのも初めてである。

 ハリガネムシに種類があるかどうかは知らないけれど夏場に見る太く短い個体とはあからさまに異なる姿だ。池の底から拾い上げた数は10匹はあっただろうか。後から数を数えようとしても絡まってしまい数など数えられる状態では無かった。撮影して池に戻し1件落着す。祖父母、父母らの子ども時代には回虫などのいわゆる虫塊を観る機会があったと記憶しているが写真のような塊だったのだろうか…。小生の小学生の頃はマッチ箱に検体を入れて提出したものだったけれど最近は学校での検便は実施していないのだそうな。

 一説には「寄生虫が排斥された結果、免疫暴走が始りアレルギーが増加した」という説もあり、その書物には「東南アジアの流域に住む子どもたちは糞尿を流れる川で水浴びしているがアレルギー患者はいない」という指摘もあったり、ドイツでの研究でも家畜と同居している農家の子ども等にはアレルギー発症は少ない」との指摘もある。小生も家畜同居群だけれどなんでも喰えるのは家畜様のお蔭か⁉、それとも喰えるのは何でも喰わなければ空きっ腹になってしまう貧乏のお蔭なのだろうか⁉。老いたベルテルは今日も悩むのだった「そうなのか⁉、そうでないのか⁉」。この疑問、若きベルテルの時代からの難問で、だから若禿げの人生でもあったのだろう。思考があまりにもインテリジェンスで持続させると毛根は衰退するらしい・・・。そうなのか、そうでないのか、疑問の泉は尽きる事が無いわい。仮説だけれど「あまりにも脳内でエネルギーを消費すると頭頂部まで栄養が届かない」と実体験として想えてきた。


**深川どぶ板長屋店子初夢之惨照

2024-01-05 | 感じるままの回り道

   孫子を搾取先取り喜々と手足喰いゆく蛸の民 ハアコリャコリャ

   ふところ痛まぬ国債増々半分飴玉あとぽっぽ ハアコリャコリャ

   海の向こうは戦禍に災禍代官越後屋喜々の国 ハアコリャコリャ

   まつりごとには君子は居らぬ吸血動物極楽園 ハアコリャコリャ

   開けパーティー立法腐員ヘビ舌猫撫で手前膳 ハアコリャコリャ

   立法するのは己のために情け余のため立法腐 ハアコリャコリャ

   夢も見れないその日の暮らし一無事二あし三寄る辺 ハアコリャコリャ

   除衆除衆と戦車は進む除衆つぎつぎ弾の的 ハアコリャコリャ

   陰漢統領湿漢統領ゲヘナの蛇蝎その所業 ハアコリャコリャ

   戦禍に災禍この世の地獄浮世ためいき年の明け ハアコリャコリャ

   


ミツマタの蕾

2024-01-02 | 感じるままの回り道

 暮も押し詰まった晦日、年内最後の水見回りをしてきた。インフルエンザやコロナでは無かったものの月半ばから鼻汁と咳に悩まされて10日ほどフイールドへの出勤は休んでのブラブラ病だ。溜まりに溜まった役所での窓口手続きに振り回された結果だと信じて疑わない。何を隠そう、小生は斯様なストレスには皆目弱いのだった。

 それはともかく数年前に挿し穂を取り密閉挿しから育てて定植したミツマタに蕾がついている。「漸くここまでになったか…」と安堵もするけれどまだまだ予断は許されない幼樹である。丈は40cmほどには成長しているがまだまだ周囲の草勢に負ける大きさでせめて樹高1m越えともならなければ安心が出来ない。ミツマタは二本存在していたのだが下草刈りの時に切り取られて復活せず、立ち入り難い場所にあった1本だけが命脈を保っていた。母樹1本だけでは先々心細いので挿し穂を取り数を増やしたのである。

 さて、これらのミツマタ、早春に開花してくれるけれど蜜源としての効用があるのかどうか小生は知らないが多少とも蜜源になるようなら成虫越冬するチョウ類には多少は飢えを凌ぐ助けにはなるのかならないのか、どうなのだろう…。このミツマタ、生まれながらにして先祖代々ミツマタで通っている。現代ならさしずめ「セクハラまがいの行為」と断じられる恐れのある呼称だけれど人生二股も出来なかった小生にとってはまことに羨ましい名前なのである。

 姥捨て山から世間に目を転ずれば、どう見たってミツマタなのに「知らぬ存ぜぬ」、どう見たって不正なのに「差し替えました」や「秘書が、秘書が」なんて輩が多すぎる。それに引き換え灌木になるであろうこのミツマタ、そう言われつつも寒風吹きすさぶ中で開花する。ミツマタと呼ばれようと「天知る地知る。我に恥無し」という処なのだろうか。まっこと漢木である。山に入るようになってからミツマタとコウゾを空き地で育て和紙を作ってみる算段もしたのだけれど、そのための手間が惜しくて頓挫した。まあ、せめてもの償いでもあるが、ちなみにコウゾは鳥がばら撒く糞で増える厄介者でもあった。


赤い花なら曼殊沙華

2023-12-17 | 感じるままの回り道

 「赤い花なら曼殊沙華 オランダ屋敷に雨が降る・・・」なんて歌謡曲があるが自宅前の道路はドウダンツツジの落葉で酷い有様になった。雨風の一夜が去った後は通りを隔てた住宅前まで紅葉模様なのだった。こうなると掃除をしない訳にはいかず竹箒で路面清掃となって姥捨て山はお休みの手太楽だ。早めに清掃しないとご近所様の手を煩わせる事になってしまう。

 小生的には路面に紅葉が散っているのを「汚い」とか「煩わしい」とか感じる感覚は無いのだが世間一般のご近所付き合いではそう考えるのは邪道でもあろう。かくしてザーザーと掃き集めた落ち葉はそのまま庭に放り込む。ゴミではなく土を良くする資源であるからだ。とは言え毎年、落ち葉を庭に戻していても土質が改善された兆候を感じる事も無く幾星霜、そうまあ、幾清掃続けているのだわい。

     


今朝は朝露ビッショリ

2023-12-09 | 感じるままの回り道

 師走ともなればフイールド到着は9時近くになる。夏時間より1時間は遅いけれどそれなりの理由があって、作業場所のほとんどが日照が届かなくなることもあり気温が低かったり朝露で濡れているからなのだ。昔々、週刊誌だったか「濡れにぞ濡れし」とか言う連載があったけれどまだ中学生だった小生には読む事は憚られたのだった。

 この朝のフイールドは朝露ビッショリでまさしく「濡れにぞ濡れし」を眼前一望のもと、晒していた。だからこそ日陰の植生部には入らずとも眺めれば地味なものの結構美しい風景でもある。朝露をビッショリと付けているのはチゴザサだったか名前が出てこない昨今では断定も出来ないのだが風景を楽しむだけなら名前など野暮である。通りすがりに美人だからとて「君の名は?」なんてセクハラまがいだし美人ではないと思われた側からはそれまた問題が生ずる。まあ、姥捨て山の草本・木本相手なら気兼ねは無い。

 ロシア民謡の一節「朝露踏んで 牛を追っていたら 森の中から熊が出た云々」は少年期にソノシートで覚えた歌だが近年は街中にも熊が出没する。平たく言えば野生動物も文明開化の時代になったのだろう。近々、九州・四国地方にも熊が海を泳いで生活圏を広げそうだというニュースがあったが、生き物である限りフロンティア精神にあふれた先駆者は必ずいる一方で絶滅への道程を辿るしかない生物もいる。しかしなあ永田町界隈の動物は威之志士様の跋扈蹂躙より手に負えない絶滅には程遠い獣たちであることよ。「嘘つきは泥棒の始まり」とか「恥を知る」なんてしつけは無かった獣なのだろう。強いて言えば、なあなあ仕立ての脚本とセットで嘘ッ腐物語の三文芝居が生活の糧かあ。世の中には太平安楽の場所もあるのだった。


初霜・初結氷

2023-12-04 | 感じるままの回り道

 朝の気象情報で最低気温が2.8℃となっている。3℃程度まで下がると降霜の頃合いになったと言えるので期待してフイールドに向かったのだ。「ただ一面に降り降りた…」降霜でも無かったけれど初霜日となった。今期はどういう訳か「朝露びっしょり」の日々が無くていきなり降霜なのでやはり雨量も少なく乾燥していたのだろうと妄想は老いる事無く逞しい。

 上の池の護岸保全がジョレンの先が抜け落ちたため途中撤退しケリをつけていなかったので直したジョレンを携え棚田部を通り過ぎようとしつつ「夜間、鴨の飛来はなかったのう」と独り言ちして水面を見たら放射状のきらめき線が見えるではないか。初霜だったし「もしや⁉」ととばかり立ち寄って手を伸ばして触ってみたら紛れもなく氷であった。初結氷と初霜が同日に観測されるのは珍しいともいえるのだが不思議な事は他の水面には氷結が観られなかった事である。微妙な環境差異の故だろうと妄想邪推したけれど真のところは不明なのだった。「隣の芝生は云々」の諺があるけれど「隣の水域は結氷無し」とはこれいかに・・・。

      


*深川どぶ板長屋寡夫徒然編

2023-11-20 | 感じるままの回り道

           産んだ子の世話で黄泉路へ旅起ちぬ

           黄泉路へと去りし親友一周忌

           砂湧かし黄泉路から洩る清水かな

           黄泉路でも八十路でもよし寡夫爺や

           アルバムに入りしは誰かカノーブス

           忘年会行こか止めよか今喪中

           浚土盛る土饅頭のよう谷地黄葉

           今夢中断って追われる今喪中


**深川どぶ板長屋水増し酒独酌編

2023-11-13 | 感じるままの回り道

      年を経て想い曳き出た郷愁に胸にあな開く風はすり抜く

      なにも無き二人の間の転校生何でいまさら想う老いの日

      現世も逢えぬ人あり久遠の地遠山の雪連山の麓

      無傷とは言えぬ更身を還す時さらにメス入る臓器摘出

      旅路ゆえ行きかう群れは多かれど越し方独り逝き方独り

      細胞と菌の力で我が身起つ虚人兵なる我が身は未完

     人生最後同級会の集合写真献杯


**深川どぶ板長屋店子軽老獪屋台編・・・

2023-11-06 | 感じるままの回り道

          嬶永眠働くスマホよく寝た分をいま返す ハアコリャコリャ

          西方浄土は嬶の出先裁縫上手は鰥夫の手先 字余りコリャコリャ

          身罷る一夜共寝の子らは一期一会の親孝行 ハアコリャコリャ

          戦乱や災害ならば二人旅いい日旅立ち独り旅 ハアコリャコリャ

          友ありとても遠方同士すでに今生別れおる ハアコリャコリャ

          低い未明の窓入るひかり旅立つ刻のわたり橋 ハアコリャコリャ

          此岸彼岸も想い人あり此岸に居てもなお遠き ハアコリャコリャ

          こっちはあっちあっちはこっち境界も無き虚無の中 ハアコリャコリャ

   

         


開花株あった!

2023-11-03 | 感じるままの回り道

 棚田部に試植してみた絶滅危惧種のミズアオイだったが二度にわたるハスモンヨトウの食害で丁度、花が咲くころまでに全株消えてしまったのだった。宿根草でも無いし開花株が無ければ種子も散布されず来季の開花は絶望だし「もう止ーめた!」との腹積もりだったけれど10月末になって数株が開花しているのを発見したのだ。

 もとより開花直前で食べ尽くされた結果でもあり通常の大きさまでに育つ余裕もなく花径は長くても20cm程度なのでコナギと混同しそうな姿である。それでも花径がコナギと比較すれば長いからミズアオイだろうと信じている訳だけれど、これで来季に発芽が期待できそうに思える。まあ、ミズアオイが繁殖したところでまたハスモンヨトウのご馳走になるだけなのだろうが疑問に思う事がひとつだけあるのだった。

 それは「原生地では何故食害されないか⁉」と言う事なのである。原生地での生育も開花状態も見に行ったことは無いので食害があるのか無かったのかさえ不明なのだが会の代表によるとフイールドのミズアオイが蕾も見せない頃に「開花していた」と言っていたから大丈夫だったのだろう。向こうは保全管理団体が世話をしているので薬剤散布を実施したとも考えられるけれどまあ、それはどっちでもよろしい。当方は薬剤は使わない立場だし群生させれば災いを呼ぶのもまた現世の倣いなのだ。