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今日の筆洗

2024年05月07日 | Weblog
俳優の吉行和子さんが長年所属した「民藝」を1969年に退団したのはある芝居が原因という。もらった台本は手書き。読んでも筋が分からない。それでも不思議な世界が広がっていた▼書いた劇作家も演出家も新しい演劇を提唱し、「民藝」を敵視する人物。吉行さんは出演のために退団を決意する。宇野重吉さんの説得に対し「それでもやめます」▼役者をそこまで魅了した作品は、鈴木忠志さん演出の『少女仮面』である。書いたのは当時のアングラ演劇運動の旗手で劇作家の唐十郎さん。4日に亡くなった。84歳▼街角で芝居を演じ、警察が来ると消える「路頭劇」。新宿・花園神社の紅(あか)テント公演。資金を稼ぐための金粉ショー。今では信じられぬ伝説の数々に新しさを常に求め、時代を動かそうとした情熱と危なっかしさを思う▼「唐の演劇は『くやしさ』と『自由さ』に支えられている」。沢木耕太郎さんが書いていた。当時の若者の抱えた「くやしさ」と憧れた「自由さ」。唐さんの作品はそこに共鳴したのだろう。その芝居のすごみと魅力はあの時代の花園神社で当時の若者とともに見なければ分からないかもしれぬ▼早くから評価していたのはライバルだった寺山修司さん。寺山さんの「天井桟敷」と、唐さんの「状況劇場」の乱闘騒ぎも伝説の一つだが、唐さん、寺山さんと同じ5月4日を幕切れに選んだか。
 
 

 


今日の筆洗

2024年05月03日 | Weblog
 海外渡航の自由は憲法22条2項が保障する。何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない-とあり、旅行も自由と解される▼1964年まで観光目的の海外旅行が解禁されなかったのは、戦後復興期の国内産業保護のため為替取引や貿易を制限したから。国外での散財はご法度だった▼解禁時も1人年1回限り、外貨持ち出しは上限500ドルとされた。1ドル=360円の固定相場制の時代。大卒初任給は2万円程度なのに欧州17日間ツアーが1人70万円を超え、庶民には高根の花だった▼今日は憲法記念日。連休も後半に入ったが、海外旅行は近年にない円安で大変だ。先月29日には1ドル=160円台をつけた。旅にインスタント食品を持参する人もいると聞く。昔みたいに国に命じられなくても節約は不可避らしい。超低金利政策が招いた円安。恨むなら、相手は近年の政治だろうか▼旅行の歴史を書いた白幡洋三郎氏の『旅行ノススメ』(中公新書)によると、国家は国民の海外渡航を本能的に恐れるという。かつて東ドイツ国民は同じ共産圏のハンガリーがオーストリア国境を開放すると押し寄せ、西ドイツへと逃れた。人流の圧力はベルリンの壁をも崩壊させた▼自国の長短に気付くこともある渡航。国民が異国でカップ麺をすすり、何かが間違っていないかと考えるのも、憲法が想定するところなのだろう。
 
 

 


今日の筆洗

2024年05月02日 | Weblog
 1960年代後半の反ベトナム戦争を訴える学生運動を描いた米映画の『いちご白書』。舞台は架空の大学だが、話は68年4月のコロンビア大学(ニューヨーク)紛争に身を置いた学生の手記に基づいている▼学生の要求は貧しい人々の憩いの場を奪いかねない体育館建設の中止。もうひとつは国防総省の研究機関と大学の関係解消だった。学生には大学がベトナム戦争に加担しているように映った。デモの学生と警官隊が衝突し、数百人が逮捕され、大勢の負傷者が出た。映画の悲劇的な場面を思い出す▼「『いちご白書』をもう一度」という歌があったが、名門校の56年後の「もう一度」が心配である。コロンビア大学でイスラエルのパレスチナ自治区ガザへの攻撃に抗議するデモが拡大し、ついには警官隊が学生の占拠するホールに突入する事態となった▼学生らはイスラエルに肩入れするバイデン政権を非難し、大学側に対してはガザ攻撃で利益を上げているとされる企業との関係を断つよう訴えている。惨状に黙っていられなかったのだろう。抗議の動きは他の大学にも広がる。若者の声に政治はどう向き合い、応えるか▼「いちご白書」とは当時の大学幹部が学生の主張を甘く、子どもっぽいと冷やかした言葉だそうだ▼ガザ攻撃を一刻も早く止めたい-。真剣な願いを子どもっぽい「いちご白書」とは片付けられまい。
 
 

 


今日の筆洗

2024年05月01日 | Weblog
 ある国に靴を売ろうとした会社員が2人いた。問題はこの国には靴を履く習慣がなかったこと。さてどうするか▼1人はあきらめた。「靴を履かないのだから売れっこない」。もう1人は闘志を燃やす。「誰も靴を持っていないのだから売れる」▼ビジネス講話などで使い古されたたとえ話だが、考えてみれば、どちらが正解ともいえまい。あきらめなかった会社員のがんばりを買いたくなるが、慣習や考え方を変えるには相当の時間とコストがかかる。ウエディングドレスを日本に普及させたブライダルデザイナーの桂由美さんが亡くなった。94歳。苦しくとも、あきらめない道をためらうことなく選んだ人である▼お世話になった花嫁さんが大勢いらっしゃるだろうが、デビューした1960年代当時の婚礼衣装は9割が和装だったそうだ。花嫁がドレスを着たいと思ってもお姑(しゅうとめ)さんとなる人が猛反対し、あきらめるというケースも少なくなかったという▼東京大空襲を経験していらっしゃる。「どんな焦土にもいつか花が咲く」と信じていたそうだ。ウエディングドレスが「安っぽい」「ふさわしくない」といわれた時代にあっても希望を捨てず、情熱と根気で花嫁を彩る「花」を育てていったのだろう▼ある調査によると、最近の婚礼衣装は約8割が洋装らしい。幸せの衣装をこしらえ続けた方の見立ては「寸法通り」である。