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今日の筆洗

2017年12月26日 | Weblog

 作家の山口瞳さんが二十歳の若者に向けこんなことを書いていた。「君達は大金持だ!」。はて、懐の寒さは若者の常。それなのに「君達は実にリッチなのだ」とはどういうわけか▼山口さんが言っているのは時間のことである。七十歳まで生きるとして持ち時間は五十年間。「ああ、何という豊饒(ほうじょう)の歳月であることか」▼この人も若者の豊饒な時間がまぶしく見えたのではないだろうか。自分の「持ち時間」。それを絶えず意識し、十数年の短い期間にもかかわらず、数多くの味わいある作品を残してくれた、時代小説の名手が亡くなった。『散り椿』などの葉室麟(はむろりん)さん。六十六歳。絶句したファンが大勢いるだろう▼五十代と作家としてのデビューはやや遅いか。時間について、こんなことを書いている。「中年以降に小説を書く仕事についた人間には時間に対する特別な思いがある。作品を書くため自分に許されている時間はいったいどれくらい残されているのだろう」(『柚子は九年で』)▼読み返すと胸が痛い早すぎる死である。もっと書きたかったにちがいない。遅咲きの花は持ち時間のぎりぎりまで咲き続けようとした▼直木賞作品の『蜩(ひぐらし)ノ記』も限られた時間の物語だった。十年後には切腹する運命でありながら家譜編さんに取り組む悲運の藩士、戸田秋谷(しゅうこく)と葉室さんが重なる。真冬なのに蜩の鳴く声が聞こえる。


今日の筆洗

2017年12月25日 | Weblog

「親子の無精」という小噺(ばなし)がある。ある夜、火事を出した。せがれが気づいて父親に教えるが、「めんどうくさい。おまえが消せ」。息子も息子で「おれだって、めんどうくさいや」▼火は燃え広がるが、親子はめんどうくさいと言い合うばかりで、いつまでたっても火を消さない。ついに全焼し、二人とも焼け死んでしまう。地獄で閻魔(えんま)さまに叱られ、動物にするといわれ、ならばと親父(おやじ)が望んだのが、鼻に白い斑点がある黒猫。「ご飯粒と間違えてネズミがやって来るかもしれない」▼あのばかげた噺を、いやでも思い出してしまう。博多発東京行きのぞみ34号の台車の一部に亀裂が見つかった問題である▼妙な臭いがする。変な音がする。運行中、それに気がつきながら、そのまま、列車を走らせてしまった。あの噺とは違い、めんどうくさかったわけではなかろうが、異常を放置してしまったことに変わりはない▼台車は破断寸前。写真を見れば首の皮一枚でつながっている状態である。「次の駅で、止めて点検したらどうか」の声も出たが聞き入れられていない。安全の神さまの声はことごとく無視されてしまった▼電車を止めなかったのは定時運行の一心からか。危険の中で守られるような定時運行に感謝する人は一人もおるまい。JR西日本は生まれ変わるべきだ。あのものぐさな猫ではなく、用心深く、俊敏な猫に。


今日の筆洗

2017年12月24日 | Weblog

 <クリスマス・イブ。ひとりの青年がせまい部屋の中にいた->。星新一さんの『ある夜の物語』の書き出しである▼青年は裕福ではない。友人さえいない。その部屋をどういうわけかサンタクロースが訪ねてくる。なんでも願いがかなえられる人物に、今年はこの青年が選ばれたという▼家、家具、会社での昇進、友人…。迷いに迷ったが、気が変わる。自分より気の毒な人がきっといる。たとえば、近くに住んでいる病気の女の子。青年は願いを辞退して、女の子の家にサンタクロースを向かわせる▼女の子は喜ぶが、願いごとがかなう権利が誰かから譲られたものだと教えられ、「あたしよりもっと気の毒な人がいるはずよ」。この先に住んでいる寂しい金貸しのおじさんのところへ行ってあげてと譲る。そして、やはり、その金貸しも譲られたことを聞いて、願い事を辞退する…▼結末は伏せておく。が、願いなどかなわずとも物語の全員が幸せな気分になる。譲ったほうは気の毒な誰かが喜ぶことがうれしい。譲られたほうは、誰かが自分のことを気にしてくれた事実がうれしい。人への想(おも)いが贈り物となって巡り巡っていく▼きらびやかな聖夜が苦手という人は少なくない。孤独を感じる人もいる。けれど、いつもより人に優しくなれて誰かのことを思いやることができる日だとすれば、その日はまんざら悪くない。

【朗読】「未来イソップ:ある夜の物語/星新一」 約27分