敗者の「負けました」で将棋の対局は終わると分かっていても、悔しい、言えない。中学生の「僕」は、休み時間の一局やネットでの対戦で負けそうになると時間を引き延ばしたり、接続を切ったり…。中学生の道徳の教材『私たちの道徳』で読んだ。「負けました」を言えることなどの意義を考える物語のようだ▼「僕」の胸に、将棋の力を付けてきた友人の言葉が響く。「負けました」と言えるようになれば、指した手の善しあしが分かる、そして「力が伸びていくのだと思う。初めての人とも仲良くなれる」と▼負けを認めて終わるのは米大統領選も同じらしい。開票が進み、そのときが迫っているようだが、トランプさんとバイデンさんの覚悟はどうだろう。わが国の中学校で学んだほうがいいのではないかと思えなくもない▼「負けました」の精神がこれほど求められる選挙もないだろう。敗北を率直に認められれば主張の善しあしを反省できるだけでなく、かつてない対立を少しでも解消する数少ない好機になろう▼トランプさんは投票を巡り訴訟を相次いで起こしたそうだ。時間の引き延ばしだろうか。負けても最後まで認めない考えのように見える。心配である▼<負けぶりが立派だったと言ってくれ>。子を見る親の心情か。戦後の川柳にある。善しあしがあるだろう。米国の将来にも重要に思える「負けぶり」だ。
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