高等女学校の生徒が卒業記念にシューベルトを描いた戯曲を書き、自らシューベルトを演じることになった。終戦の翌年である▼舞台は失敗した。肝心の場面でせりふを忘れてしまった。この生徒はやがて詩人となる。戦後を代表する女性詩人、新川和江さんが亡くなった。95歳。忘れたせりふをいつまでも覚えていたという。「わが恋の終わらざるが如(ごと)く、この曲もまた終わることなかるべし」▼故郷、茨城県結城の近くに疎開していた西条八十との出会いが詩人を目指すきっかけという。第1詩集『睡(ねむ)り椅子』に寄せた西条の序が印象に残る。「鬼才の処女詩集」ではないが、「ゆつくりと(略)伸び繁つて、大空に聳(そび)える何ものかのプレリユードであることを、わたしはかたく信じてゐる」。そう書いた▼見立ては正しかった。自然、情愛、女性であること。独特な比喩と吟味した言葉が紡ぐ世界は不思議なきらめきと強さにあふれた▼「わたしを束ねないで/あらせいとうの花のように/白い葱(ねぎ)のように/束ねないでください わたしは稲穂」。自由に生きようとする「わたしを束ねないで」。詩の終わりは「わたしは終わりのない文章/川と同じにはてしなく流れていく 拡(ひろ)がっていく 一行の詩」である▼新川さんが忘れた芝居のせりふを連想する。亡くなろうとも読み継がれ、その詩は「また終わることなかるべし」か。